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2005年06月30日

数学セミナー(5)−量子力学(4)−物質波(1)

 

 Robert A. Millikan(1868〜1953)

 (旧暦  5月24日)

 光晴忌  詩人・金子光晴の昭和50年(1975)の忌日。
 
 ちょうど100年前の1905年(日本では明治38年)は、現代物理学にとっては「奇跡の年」と呼ばれています。
 
 スイスのベルンの特許局に3級技術専門職として勤める26歳の無名のアルベルト・アインシュタインという青年が、「光量子仮説」、「ブラウン運動の理論」、「特殊相対性理論」に関連する5つの重要な論文を立て続けに発表し、その後の物理学の発展に大きく貢献した年だからでした。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:34Comments(0)数学セミナー

2005年06月29日

食べ物散歩(2)−鰻のまんまる(池袋)

 

  うな丼々(二匹丸ごと) 1,800円

 (旧暦  5月23日) 廉太郎忌  「荒城の月」「花」などで知られる作曲家滝廉太郎の明治36年(1903)の忌日。

 石麻呂に我れ物申す夏痩せに よしといふものぞ鰻(むなぎ)捕り食せ
(巻16 3853 大伴家持)

 鰻の胸のあたりが淡黄色(天然物ですぞ)なので、「むなぎ」から転じて「うなぎ」となったという説もありますが、「む」は「身」を意味し、「なぎ」は「長し(長い)」の「なが」からとする説が有力とされているようです。

 時代小説「鬼平犯科帳」や「剣客商売」などで有名な故・池波正太郎氏(1923〜1990)は食通としてしても知られていますが、池波氏のエッセイに「むかしの味」というのがあります。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:56Comments(0)食べ物散歩

2005年06月27日

陶磁器(5)−粉青魚耳炉(宋代/哥窯)

 

 青釉魚耳爐 南宋哥窯 高9cm、口径11.8cm、足径9.6cm

 (旧暦  5月21日)

 秋成忌 国学者上田秋成の文化6年(1809)の忌日

 中国浙江省龍泉県にあったといわれる宋代の青磁「哥窯」の窯跡は、未だに発見されていません。
 「哥窯」の磁器は灰色がかった白磁(米色)または青磁(粉青)ですが、全面に大きな貫入(ヒビ割れ)が入っているのが特徴です。
 哥窯は、宋代には尊重されず、明代になってにわかに脚光を浴びて、収集家の間で持て囃されたようです。

  『浙江通史』という地方史によれば、南宋の時代(1127〜1279)、浙江省龍泉県の近くに章生一、生二という兄弟の陶工がいましたが、兄生一の方がいい作品を作るので、弟の生二はその秘密を知るために、ある日、まだ熱い兄の窯を開けて内部を見ようとしました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:57Comments(0)陶磁器

2005年06月26日

となり村名所あんない(19)−中央村(1)−ライオン7丁目店

 

  銀座ライオン7丁目店1階ビアホール

 (旧暦  5月20日)

 帝都東京は梅雨時なのに晴れの日が続き、30℃を超える毎日にウンザリしています。これも地球温暖化の影響なのでしょうか。
 こんな時は、忙しい合間にちょっと息抜きして、銀座ライオン7丁目店の1階ビアホールで、ビアホールウィンナー(720円)などをつまみに、麦芽100%のヱビス樽生とヱビス黒樽生をかけ合わせたハーフ&ハーフ大ジョッキ(970円)を傾けるのも大人の楽しみのひとつですね。

 店内には1,000ℓの大型タンクが4基あり、海老原清氏というベテランの副支配人が生ビールの品質管理を担当しながら、毎日500杯以上のビールをジョッキに注いでいますが、この人目当てに通う常連さんも多いとか。

 ライオン銀座7丁目店は、昭和9年(1934)4月8日にサッポロビールやアサヒビールの前身である大日本麦酒(株)が、本社ビル竣工と同時に1階に東京美術学校の出身で旧新橋演舞場などを設計した菅原栄蔵が作成したモザイク大壁画を装飾したビヤホールを開店し、今日に至っています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:34Comments(0)となり村名所あんない

2005年06月20日

焼酎(5)−芋焼酎(4)−?ないな

 

 (旧暦  5月14日)

 板橋村の北東部の村境から400mほど北村に入った桐ヶ丘小学校(桐ヶ丘1丁目)の側の桐ヶ丘中央商店街に、とっても変わった三益酒店というお店があります。

 新潟の銘酒「八海山」の大きな看板が架かっていますが、ここの親父さんは、とっても商売下手で、3年くらい前に潰れそうになったと本人も言っています。

 目がくりくりっとした親父さんですが、何でも明治大学の日本拳法部OBだとか。
 東京商工団体連合会のHPによると、三益酒店は父親の代からの酒店で、昔は繁昌していたそうですが、親父さんは父親に反発し、喧嘩をする度に家出をしてしまい、長い時は3年も放浪の旅をしたそうです。
 しかし、昔の商店街の楽しさが忘れられず、店を継ぐために戻って来ましたが、全く客の来ない酒屋に変わっていました。そこで野菜や米など色々な物を売りながら酒屋を守ろうとしましたが、なかなかうまくいかず、酒に溺れるようになって行ったそうです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:30Comments(0)焼酎

2005年06月18日

パイポの煙(18)−食玩

 

 海洋堂のタカアシガニの食玩

 (旧暦  5月12日)

 「食玩て何や?」と思われる方も多いと思いますが、「グリコのオマケでんがな!」といえば大体想像がつくでしょう。
 正式には、玩具付き食品のことで、お菓子、飲料などのオマケとして玩具が付いたものを云います。「グリコ」のおまけは昔から有名ですが、このごろは「カバヤ食品」の玩具菓子や「フルタ製菓」のチョコエッグが有名なようですね。

 「カバヤ食品」のキャラメルとか「フルタ製菓」のチューブチョコやパラソルチョコといえば、5円や10円といった子供の小遣いで買うことが出来る駄菓子的なお菓子でしたが、明治製菓や森永製菓のお菓子はちょっとお高く、例えば上原ゆかりが「♪マーブルマーブルマーブルマーブルマーブルチョコレート」のコマーシャルソングにのって宣伝していた明治のマーブルチョコは、当時30円でした。

 このマーブルチョコには、アルファベットのAからZまでのバッジがオマケでついていたため、昭和30年代の筑紫の国の小学生の間では、たくさん集めて帽子に貼り付けるのが流行っていました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 07:35Comments(0)パイポの煙

2005年06月17日

アメリカ(4)−ヴァージニア

 

 Location of Jamestown.

 (旧暦  5月11日)

 北アメリカにおける最初のイギリス定住地は、1607年に建設されたジェームズタウン(ヴァージニア州)でした。
 1606年イギリス国王ジェイムズ1世は、アメリカ東海岸一体の呼称となっていたヴァージニアの地で、植民地経営を目的とする二つの会社に対し、特許状(charter )を与えましたが、そのうち、ロンドン=ヴァージニア会社(Verginia Company of London)は、1607年、現在のヴァージニア州ジェイムズタウンに植民地を作り、その維持に成功しました。

 1607年5月6日、104人の成人男子と少年がチェサピーク号でヴァージニアに到着し、貴金属類や毛皮、魚、木材その他の天然資源を収集するための交易所を設立しました。
 しかし、シェイムズタウンは、マラリアその他の病原菌の媒体となる蚊が生息する湿地帯に隣接しており、また、食糧不足にも悩まされ、1609年から1610年にかけての冬の間に、500人の人口が60人に減少したと云われています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:09Comments(0)歴史/アメリカ

2005年06月16日

日本(17)−和気清麻呂

 

 (旧暦  5月10日)
 
 和気清麻呂さん(733〜799)は、戦前は十円札の肖像として帝国臣民に親しまれていた存在でしたが、戦後は民主国家日本のお札に登場することはなく、今は皇居の大手濠の一角(一ツ橋1丁目)で静かに、通り過ぎる人々を見守っています。

 こらっ、そこの外人!なんばしよっとか!

 清麻呂さんは、たびたび十円札の肖像になっていますが、その種類は6種類くらいあるようです。

 1. 裏猪十円     明治32年(1899)10月から昭和14年(1939)3月
 2. 左和気十円    大正 4年(1915) 5月から昭和14年(1939)3月 
 3. 和気十円一次   昭和 5年(1930) 5月から昭和21年(1946)3月
 4. 和気十円二次   昭和18年(1943)12月から昭和21年(1946)3月
 5. 和気十円三次   昭和19年(1944)11月から昭和21年(1946)3月
 6. 和気十円四次   昭和20年(1945) 8月から昭和21年(1946)3月

 昔の十円といったら、今の貨幣価値にしていくらくらいになるのでしょうかね。特に明治32年(1899)発行の最初の「裏猪十円」と呼ばれる十円札には、裏に猪がデザインされています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:55Comments(0)歴史/日本

2005年06月15日

板橋村あれこれ(12)−常盤台

 

 東武直營 常盤臺住宅地御案内 昭和11年

 (旧暦  5月 9日)

 季吟忌  歌人・俳人・古典学者の北村季吟の宝永2年(1705)の忌日。

 豊島村の南長崎(元椎名町)にあったトキワ荘は、漫画の神様手塚治虫や赤塚不二夫、石ノ森章太郎など日本の漫画界を担った錚々たる人たちが住んでいたアパートでしたが、板橋村の常盤台は、豊島村の池袋から彩の国の寄居の間を結ぶ東武東上線沿線にある高級住宅街です。

 板橋村の教育委員会が、平成11年(1999)に出版した「常盤台住宅物語」によれば、常盤台一帯は、昔は北豊島郡上板橋村字向屋敷/字原と呼ばれ、富士見街道沿いに民家が2,3軒あるだけの「前野っ原」と呼ばれる農地でした。
 大正3年(1914)に東上鉄道(現東武東上線)が開通しましたが停車駅はありませんでした。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:55Comments(0)板橋村あれこれ

2005年06月12日

国立故宮博物院(3)−端渓・蘇軾従星硯(宋代)

 

 従星硯

 (旧暦  5月 6日)

 中国では、筆・硯・紙・墨を文房四宝あるいは文房四侯と云い、理想的な書斎に理想的な品々が揃えられて初めて、文人の理想の環境が整うと云われてきました。
 またさらに、鎮(文鎮)・印・硯滴(水滴)・筆架(筆かけ)を加えて、文宝八宝とも呼ぶようです。

 現在のような油煙のススの墨を使うようになったのは、漢代(紀元前3世紀〜)以降とされています。漢の時代には、油煙の墨は大変貴重なもので、侍従以上の高官に月一塊ずつ支給されたそうですが、当初は油煙の塊を石に載せ、水でこねて溶かしていたようです。
 
 やがて油煙を膠で固めた墨が発明され、硯が必要になってきました。
 硯には粘土を焼いた瓦や、石の粉末を練って焼成したものなどが使われ、5世紀ごろの魏の時代に墨が円柱形になり、手で持って摺るようになって、硯に墨液を溜めて置く墨池がつくられ、泥土で造られた陶硯が多くなりました。

 唐代の半ば8世紀後半になって広東省の端渓、晩唐の10世紀前半には安徽省の歙州(きゅうじゅう)などから天然の硯材が発見されて、有名になりました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:50Comments(0)国立故宮博物院

2005年06月11日

漢詩(5)−秋瑾(1)−秋風秋雨人を愁殺す

 

 秋瑾女士(1875〜1907)

 (旧暦  5月 5日)

 秋瑾(しゅうきん)女士(1875〜1907)が刑死したのは、光緒33年6月5日(1907年7月15日)の夜明け前(午前4時)のことでした。
 6月4日の午後、浙江省紹興の大通学堂で逮捕され、次の日の未明、紹興の繁華街、軒亭口で衆人環視の下、斬首刑に処せられました。
 波乱に富んだ、31年の短い生涯でした。

 秋瑾は、官僚地主の家庭に生まれ、結婚して1男1女を設けるものの、纏足をやめ、因習からの女性の解放を目指し、自ら競雄と号して男と雄を競い、男装して過ごし、日本に游学してからは、清朝打倒、漢民族復興を目指す革命組織に参加し、帰国後は革命活動をし、爆薬製造、武装蜂起を支援していました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 12:45Comments(0)漢詩

2005年06月10日

数学セミナー(4)−量子力学(3)−マトリックス(行列)力学

 

 Werner K. Heisenberg ( 1901〜1976)

 (旧暦  5月 4日)

 源信忌、惠心忌 平安中期の天台宗の僧侶・源信の寛仁元年(1017)忌日。 比叡山横川の恵心院に住んだので惠心僧都とも呼ばれる。

 数学セミナー(3)−量子力学(2)のつづき

 「ボーアの量子論」(Bohr’s quantum theory)によって、原子の構造、特に水素原子のエネルギー、大きさ、安定性、スペクトルなどを含む構造が説明できるようになりましたが、量子論を整備することは出来ませんでした。

 この観点を進めたのは、ドイツの理論物理学者ハイゼンベルグ(Werner K. Heisenberg : 1901〜1976)でした。
 ハイゼンベルグは古典力学における物理量をマトリックス(matrix : 行列)で表して量子論へ移ることが出来ることを発見しました。

 「マトリックス」いいましても、ウォシャウスキー兄弟が、ワーナー・ブラザースの資本を得て1999年に製作したアメリカ映画で、新感覚のSFXで彩られた重厚かつスタイリッシュな超弩級アクション巨編とは違いまっせ!  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:46Comments(0)数学セミナー

2005年06月09日

焼酎(4)−麦焼酎(1)−常徳屋常圧蒸留

 

 (旧暦  5月 3日)

 大分県の北部、国東半島と福沢諭吉のふる里中津市の間に宇佐平野があり、その宇佐平野の中程、宇佐市大字四日市1205-2に明治40年創業の(有)常徳屋酒造場があります。
 
 創業時は清酒を製造していたようですが、昭和59年より麦焼酎のみの醸造を行い、平成15年より『常徳屋』として独立開業した蔵元です。

 この蔵元が発売している『常徳屋常圧蒸留』という25馬力の麦焼酎は、今後注目される焼酎の一つだそうです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 17:16Comments(0)焼酎

2005年06月08日

新生代(7)−第四紀(1)−マンモス

 

 マンモスの骨格化石(国立科学博物館)

 (旧暦  5月 2日) 長明忌 「方丈記」を著した鎌倉時代の歌人で随筆家の鴨長明の忌日。
 
 マンモスと一口で言ってもいろいろな種類に分類されていて、コロンビアマンモス(Mammuthus columbi)やインペリアルマンモス(Mammuthus imperator) など主な分類だけでも10種類以上あるようですが、私たちが通常マンモスと呼んでイメージしているのは、ケナガマンモス(Mammuthus primigenius) 別名ウーリー(Woolly)マンモスで、ドイツの生理学者・人類学者Johann Friedrich Blumenbach (1752〜1840)によって, 1799年に分類されました。

 体中が長い毛でおおわれ、肩の高さが3mでやや小型の種に属します。更新世(180万年〜1万年前)の後期に北半球の冷温帯草原からツンドラ地帯にかけて生息していました。

 
 
 マンモスというと大きい物のたとえのように思われていますが、大きいゾウでは肩高5m近いパレオロクソドン(palaeoloxodon antiquus)という巨象もいたようですから、実際はやや小型の種に属するようです。
 シベリアの永久凍土層からは氷漬けになった個体が見つかっており、日本でも北海道で見つかっています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:38Comments(0)新生代

2005年06月07日

歳時記(3)−夏(1)−6月

 

 Summer triangle and constellations.

 (旧暦  5月1日)

 英語で6月を意味するJuneは、ラテン語のJunis、gens(family)からきたと云われています。
 またローマ神話の最高神であるJupiterの妻Junoの祭典が、6月初めに行われたところから、Junoと関係があるとも云われます。
 
 Junoは婚姻の保護者であるところから、 June marriages are happy. (6月の結婚はしあわせ)ということわざもあります。

 イギリスの夏(summer)は5月半ばから8月半ばまでで、アメリカでは夏至(summer solstice)から秋分(autumnal equinox)の間までをさすようですが、いずれにしても6月は夏の盛りのようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:40Comments(0)歳時記

2005年06月06日

板橋村あれこれ(11)−戸田橋

 

木曾街道 蕨之驛 戸田川渡 渓斎英泉筆

 (旧暦  4月30日)

 板橋村の北境と彩の国の戸田村の間を流れる一級河川「荒川」に架かる戸田橋は、全長519m、幅員21mの鉄筋コンクリート製の4代目の橋で、昭和52年(1977)12月に開通し、彩の国と帝都東京を結ぶ重要な役割を担っています。

 戸田川とも呼ばれた荒川の旧中山道の渡し場は、現在の戸田橋の下流約150mの所にあり、中山道が出来た天正年間(1573〜92)にはすでに存在していたと云うことです。

 江戸期を通して明治の初めまで、仮設の舟橋以外は架橋されませんでした。その訳は、江戸を守るための軍事的・政治的な理由と、一度出水すると、川幅が約2里(8?)にも広がり、橋の役目を果たせなかったためと云われています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:25Comments(0)板橋村あれこれ

2005年06月05日

染井霊園(7)−松浦詮(あきら)の墓

 

 (旧暦  4月29日)

 染井霊園の一角に、周囲を塀で囲まれ木々が鬱蒼と茂っているところがあります。
 ここは、肥前平戸6万1千石松浦(まつら)家の墓所です。めずらしい苔むした石の土饅頭型の墓石は、松浦家第37代当主松浦詮(あきら)(1840〜1908)の墓石です。

 松浦家は江戸大名の中でも屈指の古い家柄で、始祖は桓武天皇の皇子で、能書家として弘法大師、橘逸勢とともに「三筆」の1人として数えられ、また勅撰漢詩集『凌雲集』、『文華秀麗集』を編纂せしめたことでも知られる第52代嵯峨天皇(786〜842、在位809〜823)の第18皇子融(とほる)とされています。
 
 融(とほる)(822〜895)は、源氏姓と家紋の三星を賜い臣籍に降下して、後に河原左大臣と呼ばれ、『源氏物語』の光源氏のモデルとされています。
 
 貞観6年(864)陸奥・出羽の按察使(あぜちし)として多賀城に赴任しますが、遙任(かたちだけで実際に赴任していない)であったのではないかとも言われていますが、
 
 陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに みだれむと思ふ我ならなくに  (古今集巻十四(恋四) 「題しらず 河原左大臣」 724)

 という、小倉百人一首(14)にも載っている歌を詠んでいます。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:13Comments(0)染井霊園

2005年06月04日

やまとうた(10)−言問はぬ木すらあじさゐ諸茅(もろち)らが

 

 あじさゐ 学名:Hydrangea macrophylla 

 (旧暦  4月28日)

 大伴宿禰家持が久迩の京より坂上大嬢に贈れる歌五首
 
 言問はぬ木すら味狭藍(あじさゐ)諸茅(もろち)等が 練(ねり)の村戸にあざむかえけり (大伴家持 巻四 773)
 

 物を言わない木でさえ、色の変わりやすい紫陽花や諸茅(もろち)などの、一筋縄では行かない心に欺かれたと云うことです。(まして人間である私は、変わりやすいあなたの心に欺かれてとまどっています。)
 

 「諸茅(もろち)」は何か変化しやすい植物と思われ、「練の村戸」はよく練られた心、転じて屈折した一筋縄では行かない心をさすようです。

 一応恨み言を述べていますが、坂上大嬢は後に家持の正妻になっています。

 万葉集には紫陽花を詠んだ歌は2首しかありません。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:54Comments(0)やまとうた