さぽろぐ

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2009年05月24日

物語(9)-伊勢物語(1)-狩の使

 
 Ariwara no Narihira looking for the ghost of Ono no Komachi, in an 1891 print by Yoshitoshi.

 (旧暦  5月 1日)

 昔、男ありけり。その男伊勢の国に狩(かり)の使(つかひ)にいきけるに、かの伊勢の斎宮(さいぐう)なりける人の親、「つねの使よりは、この人よくいたはれ」といひやれりければ、親のことなりければ、いとねむごろにいたはりけり。朝(あした)には狩にいだしたててやり、夕さりは帰りつつそこに来させけり。かくてねむごろにいたつきけり。

 昔、ある男がいた。その男が伊勢の国に狩りの使いとして行ったおり、その伊勢神宮の斎宮であった人の親が、「いつもの勅使よりはこの人をよくお世話しなさい」と言い送っていたので、親の言いつけであることから、斎宮はたいそう心をこめて丁寧にお世話をした。朝には、狩りの準備を十分にととのえて送り出し、夕方に帰ってくると、自分の御殿に来させた。このようにして、心を込めて世話をした。

 二日といふ夜、男われて「あはむ」といふ。女もはた、いとあはじとも思へらず。されど人目しげければえ逢はず。使ざねとある人なれば遠くも宿さず。女の閨(ねや)近くありければ、女人をしづめて、子(ね)ひとつばかりに男のもとに来たりけり。男はた寝られざりければ、外(と)の方を見出だして臥(ふ)せるに、月のおぼろなるに小さき童(わらは)を先に立てて人立てり。男いとうれしくて、わが寝る所にゐて入りて、子一つより丑三つまであるに、まだ何事も語らはぬにかへりにけり。男いとかなしくて寝ずなりにけり。

 男が来て二日目の夜、男が無理に「逢いたい」という。女もまた絶対に逢うまいとは思っていない。しかし、周りにお付きの者が多く人目が多いので、逢うことができない。男は狩りの使いの中心となる正使だったので、斎宮の居所から遠く離れた場所には泊めていない。女の寝所に近かったので、女は侍女たちが寝静まるのを待って、夜中の十二時ごろに男の泊まっている部屋にやって来た。男もまた、女のことを思い続けて寝られなかったので、部屋の外を眺めながら横になっていると、おぼろ月夜のなか、小柄な童女を前に立たせてその人が立っている。男はたいそううれしくて、女を自分の寝室に引き入れて、夜中の十二時ころから三時ころまでいっしょにいたが、まだ何も睦言(むつごと)を語り合わないうちに女は帰ってしまった。男はたいそう悲しく、寝ないまま夜を明かしてしまった。

 つとめていぶかしけれど、わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれてしばしあるに、女のもとより詞(ことば)はなくて、
 

  君や来し 我や行きけむおもほえず 夢か現(うつつ)か寝てかさめてか
 
 男いといたう泣きてよめる、

  かきくらす 心の闇にまどひにき 夢うつつとはこよひさだめよ
 
とよみてやりて狩に出(い)でぬ。野にありけれど心は空(そら)にて、こよひだに人しづめていととく逢はむと思ふに、国の守(かみ)斎宮(いつきのみや)のかみかけたる、狩の使ありと聞きて、夜ひと夜酒飲みしければ、もはらあひごともえせで、明けば尾張の国へたちなむとすれば、男も人知れず血の涙を流せどえ逢はず。夜やうやう明けなむとするほどに、女がたより出だす。杯の皿に歌を書きて出だしたり。とりて見れば、
 
  かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
 
と書きて末(すゑ)はなし。その杯の皿に続松(ついまつ)の炭して歌の末を書きつぐ。
 
  又あふ坂の関はこえなむ

とて明くれば尾張の国へ越えにけり。

 翌日の早朝、気にかかりつつも、自分の供の者を使いにやるわけにもいかず、ずっと待ち遠しく思いながら待っていると、夜がすっかり明けてしばらくして、女の所から、詞は何も書かないで、

 君や来し 我や行きけむおもほえず 夢か現(うつつ)か寝てかさめてか

 男はたいそうひどく泣きながら詠んだ、
 
 かきくらす 心の闇にまどひにき 夢うつつとはこよひさだめよ

と詠んで女におくって、狩りに出かけた。野原に出ても、気持ちは狩りのことから離れてしまってうつろで、せめて今夜だけでも皆が寝静まったら少しでも早く逢おうと思っていたのに、伊勢の国守で斎宮寮の長官を兼任している人が、狩りの勅使が来ていると聞いて、一晩じゅう酒宴を催したので、まったく逢うことができない。夜が明けると尾張の国を目指して出発しなければならないので、男はひそかにひどく嘆き悲しんだが、逢うことができない。夜がしだいに明けようかというときに、女のほうから杯の受け皿に歌を書いて出した。受け取ってみると、

  かち人の渡れど濡れぬえにしあれば

と、上の句だけ書いてあり、下の句がない。男はそこで、その受け皿に、たいまつの消え残りの炭で、下の句を続けて書いた。

  
又あふ坂の関はこえなむ

と書いて、夜明けとともに、尾張の国へ向かい、国境を越えて行ってしまった。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:19Comments(2)物語

2009年05月15日

新生代(17)-新第三紀(7)-マンモスの絶滅(1)

 
  Woolly mammoth at the Royal BC Museum, Victoria, British Columbia by Wikipedia.

 (旧暦  4月 21日)

 マンモス(Mammonteus primigenius)は、アフリカゾウのロクソドンタ属(Loxodonta)やインドゾウのエレファス属(Elephas)とともに、漸新世(Oligocene、約3,370万年前~約2,380万年前)のマストドン類(Mastodonts)から分化したもので、体長3.9m、肩高2.9m、頭は短く高く、牙は長大で外上方に曲がっていました。
 全身褐色長毛で覆われているため、羊毛マンモス(wooly mammoth)とも呼ばれ、シベリア、アラスカ、北米五大湖付近にまで分布していたようです。

 その時代の北米大陸には、その他に剣歯虎類(サーベル・タイガー、sabre-toothed tigers)のスミロドン・カリフォルニクス(Smilodon californicus)やエレモテリウム(Eremotherium laurillardi)などの巨大ナマケモノ(giant sloth)、両翼開帳4m、高さ75cm、重さ15kgのコンドルの先祖ともいうべきテラトルニス属のTeratornis merriami などのmegafauna (巨大生物、Ancient Greek megas "large" + New Latin fauna "animal")が生息し、また驚くべきことに、ラクダ類(Camels)の進化の中心地でもありました。

 しかし、約1万2,900年前に、それらの巨大生物たちが姿を消してしまう何らかの地球的規模のできごとが生じたと考えられています。
これらの終焉の時期は、今から13,000前ほど前に始まった「Younger Dryas」と呼ばれる1300 ± 70年ほど継続した寒冷な気候が始まった時期と一致しています。

 気候学(climatology)では、西ヨーロッパにおけるヴュルム氷期(Wurm glacial period)あるいはシベリアでのサルタン氷期(Sartang glacial period)、また北米におけるウィスコンシン氷期(Wisconsin glacial period)と呼ばれる最終氷期は約2万年前頃にそのピークを越え、その後、地球は温暖化傾向に向かったとされています。
 ところが、2万年前以降気候はゆるやかに変化したのではなく、オールデストドリアス期(Oidest Dryas、約1万8,000年前ごろ)、オールダードリアス期(Older Dryas、約1万5,000年前ごろ)、ヤンガードリアス期(Younger Dryas、約1万2,000年前ごろ)という、少なくとも3回の急激な亜氷期が存在していました。

 これらの亜氷期の名前は、北半球の極地および高山に生育する匍匐性の常緑小低木でバラ科に属するDryas octopetala(和名:チョウノスケソウ)の属名Dryasに因んで付けられています。
 ヨーロッパにおける花粉分析で、これらの時代にDryas octopetalaの花粉が非常に多かったためであるとされています。
そして、これら亜氷期の時代には、北半球の広い範囲がツンドラ( tundra,低温で植物の生長可能期間が短いため樹木が生長できない地域)となり、Dryas octopetalaが繁殖していたと考えられています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:14Comments(1)新生代

2009年05月14日

秋津嶋の旅(14)-西海道(2)-阿蘇火山

 
 高千穂峡真名井の滝

 (旧暦 4月20日)

 長い黄金週間、皆さんは「どげんされよんなさった」ですかの?
 おいどんは、亡父の法事を兼ねて筑紫の国に下向しておりもしたが、妹が「ぜひに」というもので、高千穂~阿蘇~熊本~太宰府と中部九州を大旅行してきましたぞ。

 国の名勝、天然記念物に指定されている高千穂峡谷の見事さに、なぜこの様な峡谷ができたのかを調べてみました。
 
 それによると、約27万年前頃から始まった阿蘇外輪火山の大規模な4回の噴火活動の内、後半の今から約12万年前(Aso-3)と約9万年前(Aso-4)の噴火により流出した火砕流が五ヶ瀬川に沿って30km以上の帯状に流出し、その堆積物が600℃以上の高温と自重のために圧縮溶結して溶結凝灰岩(welded tuff)と呼ばれる堆積岩に変成した。

 この火砕流堆積物の溶結した部分は、冷却される際に体積が減少することから地表面に亀甲状の割れ目ができ、直径1m前後の大きな柱状節理(columnar joint)と呼ばれる柱状の構造を形成した。

 また、この溶結凝灰岩は川などによって侵食されやすいため、しばしば深い谷や滝など特徴的な地形を形成するが、これが五ヶ瀬川の浸食によってV字峡谷となったものが高千穂峡であり、高さ80m~100mにものぼる断崖が20kmにわたって続いている。


 なるほど。阿蘇から30km以上離れているのに、あれだけ巨大なV字峡谷を作るとは、噴出した火砕流堆積物も莫大な量だったのでしょう。

 さて、推古天皇15年(607)、隋に派遣された小野妹子が携えた国書、「日出づる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙無しや、云々」で有名な『隋書』東夷俀國傳の前文の記述には、下記のような阿蘇山の記述があります。

 有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以爲異、因行祷祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵、夜則有光、雲魚眼精也。
 『隋書』 卷八十一  列傳第四十六 東夷 俀國

 阿蘇山有り。その石、故無くして火起こり、天に接する者、俗を以って異と為し、因って祷祭を行う。意の如くなる宝珠有り、その色青く、大きさは鶏卵の如し、夜は則ち魚の眼精のごとき光あり。

 「アソ」という言葉は、アイヌ語の「火を噴く山」という意味で、同じ意味をアイヌ語で「アサマ」、「アソウマイ」などとも言うそうです。
 また、『日本書紀』の景行天皇十八年の記述には、

 到阿蘇國也。其國郊原曠遠、不見人居。天皇曰、是國有人乎。時有二神。曰阿蘇都彦、阿蘇都媛。忽化人以遊詣之曰、吾二人在、何無人耶。故號其 國曰阿蘇。
 『日本書紀』 巻七 景行天皇十八年六月丙子
 

 阿蘇國に到る也。其の國、郊の原曠(ひろ)く遠くして、人の居(いへ)を見ず。天皇の曰く、「是の國に人有りや」とのたまふ。時に、二(ふたはしら)の神有す。阿蘇津彦(あそつひこ)、阿蘇津媛(あそつひめ)と曰ふ。忽(たちまち)に人に化(な)りて遊詣(いた)りて曰く、「吾二人在り。何(あ)ぞ人無けむ。」とまうす。故(かれ)、其の国を號(なづ)けて阿蘇といふ。
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 11:04Comments(0)秋津嶋の旅

2009年05月01日

歴史/ヨーロッパ(4)-黙示録の四騎士

 
 

 The Revelation of St. John: The Four Riders of the Apocalypse, Viktor Mikhailovich Vasnetsov (1848~1926) by Wikipedia.

 (旧暦  4月 7日)

 黙示[もくし、Ἀποκάλυψις 、apocalypsis(əpάkəlìps)、"lifting of the veil" or "revelation"]とは、初期のユダヤ教およびキリスト教において、神が選ばれた預言者に与えたとする「秘密の暴露」、またそれを記録したものと解説されています

 1:1 This is the Revelation of Jesus Christ, which God gave him to show to his servants the things which must happen soon, which he sent and made known by his angel to his servant, John,

 第1章第1節
 これイエス・キリストの默示(もくし)なり。即ち速(すみや)かに起るべき事を、その僕(しもべ)どもに顯(あらは)させんとて、神の彼に與(あた)へしものなるを、彼その使(つかひ)を僕(しもべ)ヨハネに遣(つかは)して示し給へるなり。


 有名な『ヨハネの黙示録』は、古代キリスト教の小アジアにおける七つの主要な教会にあてられる書簡という形をとっています。

 1:4 John, to the seven assemblies that are in Asia:

 第1章第4節
 ヨハネ書(ふみ)をアジアに在る七つの教會に贈る。


 1:8 "I am the Alpha and the Omega," says the Lord God, "who is and who was and who is to come, the Almighty."
 
 第1章第8節
 今いまし、昔いまし、後きたり給ふ主なる全能の神いひ給ふ、『我はアルパなり、オメガなり』

 おお、なんとかっこいい台詞(せりふ)であることか!

 昔、五木寛之氏の『蒼ざめた馬を見よ』という小説が一世を風靡したことがありましたが、この『ヨハネの黙示録』は、さまざまな形で人々の精神形成に影響を与えたようです。

 新約聖書の最後に登場する預言書『ヨハネの黙示録』は、96年頃、パトモス島のヨハネによって書かれたと考えられてきました。
パトモス島 (Patmos, Πάτμος) は、エーゲ海に浮かぶギリシャの小島で、『ヨハネの黙示録』の著者とされる使徒ヨハネが、イエス・キリストから啓示を受けたとされる島として知られています。

 ローマ帝国はこの島を流刑地として用い、95年には使徒ヨハネが第11代皇帝ドミティアヌス帝(在位81~96)によってこの島に流されたとされています。

 「黙示録」はその難解な表現のために長い間排斥され、中世末期には正教会(ギリシャ正教もしくは東方正教会)でも正典に加えられはしましたが、聖書の中で唯一正教会における奉事・祈りで朗読されることのない書となっているそうです。

 さて、黙示録の四騎士は、それぞれ伝統的に、疫病、戦争、飢饉、死(Pestilence、 War、 Famine、and Death)を表しています。

 The "Four Horsemen of the Apocalypse" is a term used to describe four horsemen that appear in the Christian Bible in chapter six of the Book of Revelation.The verses traditionally describe the four horsemen as Pestilence, War, Famine, and Death.

 1. White horse  Pestilence(疫病)  Carries a bow 弓を持つ
   Is given a Crown, goes forth conquering.
   冠を戴き、勝利の上の勝利(支配)を得る役目を担っている

 2. Red horse  War(戦争)       Carries a sword 剣を持つ
   To take peace from the earth, and let men kill one another.
   地上から平和を奪い、人間に戦争を起こさせる役目を担っている

 3. Black horse   Famine(飢饉)    Carries a balance 秤を持つ
   To bring famine.
   地上に飢饉をもたらす役目を担っている

 4. Pale horse  Death(死)        Followed by Hades 陰府(よみ)を従える 
   Over a fourth of the earth, to kill with sword, and with hunger, and with death, and with the beasts of the earth.
   地の四分の一を支配し、剣と饑饉と死と野獣を用いて、地上の人間を死に至らしめる役目を担っている  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:28Comments(0)歴史/ヨーロッパ