さぽろぐ

  文化・芸能・学術  |  札幌市中央区

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2005年04月30日

パイポの煙(16)−みどりの日

 

 新緑の千鳥ヶ淵遊歩道

 (旧暦  3月22日)

 荷風忌  小説家・随筆家の永井荷風の昭和34年(1959)年の忌日。

 緑もぞ濃き柏葉の 蔭を今宵の宿りにて
 夕べ敷寝の花の床 旅人若く月細し
 黙示聞けとて星屑は 梢こぼれて瞬きぬ

 第一高等学校第十三回記念祭寮歌(明治三十六年東寮)


 昨日29日は「みどりの日」、柏や欅(けやき)といった落葉樹の木々の緑も早緑色からだんだん濃さを増していますが、各地では連休の初日で様々な催しが行われたようです。

 我が板橋村でも区内の赤塚植物園で、「グリーンフェスタ2005」と銘打ち、「みどりの日」に因む式典が行われました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:38Comments(0)パイポの煙

2005年04月28日

歳時記(2)−春(1)−郭公

 

 Chkoo(Cuculus canorus)

 (旧暦  3月20日)

 郭公は、夏、日本に渡来するカッコウ科の渡り鳥で、自分では巣を作らず、モズやホオジロなどの巣に卵を産んで雛を育てさせるそうですが、別名閑古鳥、呼子鳥とも呼ばれています。

 学名はCuculus canorus、英語名はchkooと云い、1年に1,2個くらいの卵を産み、その1個ずつを他の小鳥の巣に持って行き、その鳥がいない時を見計らって卵のひとつを取り除いて、代わりに自分の卵を置くというとんでもない習性があります。これを「寄託育成」というそうです。

 その際、卵の大きさも色も同じような養い親鳥を選び、雛が生まれると足で他の雛を巣から落として、養い親が運んでくる餌を独占し、養い親よりも数倍大きな鳥になって3週間くらいで、親の郭公が呼ぶ声を慕って巣立ちします。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:43Comments(0)歳時記

2005年04月27日

やまとうた(9)−橘の蔭踏む道の八衢(やちまた)に

 
          
 橘 学名:Citrus tachibana
 
 (旧暦  3月19日)

 三方沙弥(みかたのさみ)、園臣生羽(そののおみいくは)の女(むすめ)を娶(めと)りて、幾時(いくだ)も経ねば、病に臥して作る歌三首

 橘の蔭踏む道の八衢(やちまた)に 物をぞ思ふ妹(いも)に逢はずて  (巻2 125)


 橘の木蔭を踏んで行く道が八方に分かれているように、どうしたらいいのかと思い乱れている。あなたに逢うことができずに。

 万葉の男性は、ことのほか女性への想いを素直に詠んでいるようです。彼らも思ふひとに逢いたい気持ちをいろいろな歌で表現しました。

 あの娘(ひと)に逢えないので落ち着かない、どうしたら良いのやら・・・  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:19Comments(0)やまとうた

2005年04月26日

漢詩(4)−乃木希典(1)−凱旋

 

 陸軍大将従二位、勲一等、功一級、伯爵 

(旧暦  3月18日)

 皇師百萬征強虜 
 野戰攻城屍作山 
 愧我何顔看父老 
 凱歌今日幾人還
 

 皇師百万 強虜を征す
 野戦攻城 屍山を作(な)す
 愧ず 我何の顔(かんばせ)あって 父老に看(まみえ)ん
 凱歌今日 幾人か還る


 明治37年(1904)2月9日、聯合艦隊所属の一等巡洋艦浅間(9,750トン)を旗艦とする瓜生戦隊による仁川沖海戦と陸軍の木越旅団4個大隊2,200人による仁川上陸により幕を開けた日露戦争は、その後4月末から始まった黒木為?(ためとも)大将率いる第一軍の九連城、鳳凰城攻略、奥保鞏(やすかた)大将率いる第二軍の南山攻略を経て6月15日に得利寺の戦いで日本軍が勝利を収めました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:22Comments(0)漢詩

2005年04月24日

クラシック(10)−ブラームス(3)−大学祝典序曲

 

 Johannes Brahms(1833〜1897)

 (旧暦  3月16日)
 
 ブラームスは、全部で2曲の演奏会用序曲を残していますが、1880年に作曲されたAcademic Festival Overture《大学祝典序曲》は、ブラームスのオーケストラ作品の中でも特に人気のある作品のひとつになっているようです。
 
 遙か昔、田舎の高校生であった私「嘉穂のフーケモン」は、大学進学を切望していましたが、高校3年まで柔道に打ち込み(男の意地でやめるにやめられず)、金鷲旗争奪高校柔道大会全国第2位(鹿児島実業に大将戦判定負け)で涙を呑んだ後、受験勉強に切り替えましたが、数学、英語、物理、化学がさっぱり分からず(要するに理科系としては論外)、絶望の高校生活最終章を過ごしていました。
 
 案の定、受験した大学からは全部蹴られ、現在のように予備校など無い田舎のことなので、途方に暮れて旺文社のラジオ講座にすがりつきました。
 
 そのとき流れていた曲が、この《大学祝典序曲》でした。寺田文行先生(数学)!大変お世話になりました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:31Comments(0)音楽/クラッシック

2005年04月21日

数学セミナー(1)−ピタゴラスの定理

 

 Pythagoras, the man in the center with the book, teaching music, in The School of Athens by Raphael.

 (旧暦  3月13日)

 本棚の片隅から、日本評論社の「数学セミナー」1972年12月号臨時増刊が出てきました。あれからもう33年も経ってしまいました。

 この臨時増刊号は、『数学100の発見−その発展の軌跡』と題し、数学教育協議会を結成し、数学教育の改良運動に身を投じた今は亡き東京工業大学名誉教授遠山啓(ひらく)博士(1909〜1979)と少年時にアインシュタインの来日に触発され、「相対性理論」を理解すべく数学者を志し、後に「一般相対性理論」の数学的基礎付けをなす微分幾何学の世界的研究者として活躍した東京工業大学名誉教授矢野健太郎博士(1912〜1993)の編集により、数学界の錚々たる碩学が執筆した数学発達史のハンドブック的雑誌でした。

 内容は、「分数」に始まり「カテゴリー・ファンクター」に終わる物理学の発展と密接に関連して発達してきた数学の100の概念が解説してあり、分かったようで分からない、分からないようでますます分からない、難解な数学の世界の広大な異次元空間が広がり、暗黒の宇宙の彼方に放り込まれたような絶望感を覚えたものでした。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:51Comments(0)数学セミナー

2005年04月20日

物語(1)−太平記(1)−備後三郎高徳事付呉越軍事

 

 児島高徳 菊池容斎筆 『前賢故実』より

 (旧暦  3月12日) 

 百閒(ひゃっけん)忌 小説家・随筆家内田百閒の昭和46年(1971)年の忌日。

 第96代後醍醐天皇(1288〜1339)が倒幕運動を開始した「正中の変」(1331)から、足利義満(1358 〜1408)の第3代将軍職就任の(北朝)貞冶6年/(南朝)正平22年(1367)までの36年間の戦乱を描いた「平家物語」と並ぶ日本の代表的な軍記物語に「太平記」があります。

  「平家物語」が仏教の無常観を中心に戦いの中にも風雅に富んだ世界を描いているのに対し、「太平記」は因果応報の思想を基に秩序と理念なき戦いの顛末を殺伐とした筆致で、時には残酷なまでに描いていると云われています。
 
 その巻の4の7に、「備後三郎高徳事付呉越軍事」があります。

 大正3年(1914)に発表された尋常小学唱歌『児島高徳』にもうたわれ、戦前の教育を受けた人にはよく知られている太平記の中の有名なエピソードです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:34Comments(0)物語

2005年04月19日

新生代(5)-第三紀(5)-デイノテリウム

 

 Dinotherium骨格化石 国立科学博物館

 (旧暦  3月11日)

 1825年、ドイツのエッペルスハイム(Eppelseheim)の漸新世(3370万年前〜2380万年前)の下部地層から、奇妙な牙のついた顎の骨が、J.J.Kaupによって発見されました。 しかし、その骨は二つに折れていました。

 J.J.Kaupは長い検討の末、その牙を上向きに復元して、1829年にデイノテリウム(恐獣)(Deinotherium giganteum)という学名で発表しました。

 しかし1832年頃、デイノテリウムの折れていない下顎骨が見つかりましたが、その顎から生えた牙はなんと下向きに曲がっていました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:14Comments(0)新生代

2005年04月18日

染井霊園(6)−幣原喜重郎の墓

 

 (旧暦  3月10日)

 幣原喜重郎(1872〜1951)といえば、昭和20年(1945)10月首相となり、日本の戦後処理と新日本建設に貢献した政治家として有名ですが、大正後期から昭和初期にかけて、外務大臣として「幣原外交」と呼ばれる国際協調外交を展開し、英米との強調、中国に対する内政不干渉、国際連盟中心主義などの、戦前の日本の外交方針における一つの標準を築いた人でした。

 しかし、国内においては、特に中国との関係では、陸軍・政友会・枢密院・右翼の反感を買い「軟弱外交」との批判を受けていました。

 幣原の考えは、「中国革命にさいしては、日本や列強が如何なる理由があろうとも干渉することは問題であり、中国の成長を見守ることが必要」という事であったようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:36Comments(0)染井霊園

2005年04月17日

日本(15)−町奉行

 

 南北両町奉行所 

 北町奉行所;呉服橋御門内(丸の内1丁目東京駅東海道新幹線ホーム)
 南町奉行所;数寄屋橋門内(有楽町2丁目8,9)

 (旧暦  3月 9日) 家康忌

 町奉行は、京都町奉行、大阪町奉行、駿府町奉行、長崎奉行、浦賀奉行など幕府直轄領(天領)内の重要な場所に置かれ、その土地の政務をとりあつかった奉行ですが、江戸の場合だけは寺社奉行・勘定奉行とともに三奉行と呼ばれて別格の待遇を受け、徳川幕府最高の審理裁判機関であり、将軍・老中の諮問機関の役割も兼ねた「評定所」の主体構成員(評定所一座)として、幕府の司法・行政に参与する高級閣僚の役割も請け持つ特別官でした。

 そのため、他の奉行が京都町奉行、大阪町奉行などとその所在地の名前をかぶせて呼ばれるのに対し、江戸の場合のみは「町奉行」と呼ぶのが一般であったようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 12:39Comments(0)歴史/日本

2005年04月12日

となり村名所あんない(15)−千代田村(3)−桜田門外

 

 桜田門外の変

 (旧暦  3月 4日)

 安政7年(3月18日に万延と改元)3月3日は上巳の節句(陰暦3月の最初の巳の日)で、江戸在府の大名は総登城する決まりでした。

 この日は桃の節句だというのにめずらしく大雪で、登城の時刻の五つ半(朝9時頃)には降雪が激しく、登城する各大名の供廻りの者は一人残らず刀の柄に柄袋をはめていたようです。

 近江彦根藩35万石井伊家の行列も例外ではなく、このため、水戸藩士関鉄之介を総指揮者とした水戸藩および薩摩藩の浪士が襲撃した際には、咄嗟に対応できなかったと云われています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:59Comments(0)となり村名所あんない

2005年04月11日

食べ物散歩(1)−とん平(巣鴨)

 

 とん平 ロース定食

 (旧暦  3月 3日)

 東京の桜も本日は春雨に濡れ、まさしく万葉に歌われた状況になりました。

 あしひきの山の間照らす桜花 この春雨に散りゆかむかも 
 (巻10  1864)

 さて我ら庶民は、「花より団子」のことわざもあり、花だけではなかなか満足できないものです。 東にうまい店ありとの噂あれば実際に食べに出かけ、西に安い店ありとの話を聞けば、わざわざ覗きに行ってみるのも帝都東京に住む庶民のささやかな楽しみです。

 料理評論家の山本益博氏は「食べ歩き評論」の草分け的存在で、自腹で食べ歩き、氏の「ほめるべき店はほめ、言わなければいけない店には苦言を呈する」といった姿勢には共感を抱いています。

 そのため、山本氏の著作にはたいがい目を通していますが、氏がほめている板橋村近くの店に、巣鴨の「とん平」があります。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:24Comments(2)食べ物散歩

2005年04月08日

やまとうた(8)−しき嶋のやまとこゝろを人とはゝ

 

 本居宣長 六十一歳自画自賛像(本居宣長記念館蔵)

 (旧暦  2月30日)

 虚子忌、椿寿忌  俳人・小説家の高濱虚子の昭和34年(1959)の忌日。椿を愛し、法名を虚子庵高吟椿寿居士ということから、椿寿忌とも呼ばれる。

 これは宣長六十一寛政の二とせといふ年の秋八月に手つからうつしたるおのかゝたなり
 筆のついてに
 しき嶋のやまとこゝろを人とはゝ 朝日ににほふ山さくら花

 帝都東京の桜も満開となり、都内の桜の名所は多くの人々でにぎわっていますが、桜の花ほど古来日本人に愛された花もないでしょう。
 しかしもともとは、中国から渡来した梅の方が重んじられていたようです。

 奈良時代は中国文化を第一とする風潮であったため、中国で重んじられている梅が尊重されたようですが、平安時代中期に鑑賞する花としての桜の美しさが認められ、地位が向上してきました。

 以来、桜は様々な歌に読み込まれてきましたが、本居宣長のこの歌ほど、先の大戦で戦争に利用された歌はないでしょう。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 13:58Comments(0)やまとうた

2005年04月05日

クラシック(9)−ブラームス(2)−交響曲第3番へ長調

 

 (旧暦  2月27日)

 達治忌 詩人・翻訳家の三好達治の昭和39年(1964)の忌日。

 「ブラームスはお好き?」と聞かれれば、「はい、大変気に入っちょります。」と答えるしかないほど、このところ、ブラームスが好きになりました。

 モーツアルトもショパンも良いですが、ブラームスの重厚でありながら心に残るメロディや情感は、人生の年輪を重ねた者に受け入れやすいのでしょうかね。
とか何とか言うと、大変人生の紆余曲折を経たような言い方ですが、そんなに年寄りではありまっしぇん。

 フランソワーズ・サガン(1935〜2004)の小説-『ブラームスはお好き』 Aimez-vous Brahms... (1959) でブラームスという名前は知っていましたが、実際聞いてみるとなかなかのもんですね。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:05Comments(0)音楽/クラッシック

2005年04月04日

パイポの煙(15)−辛夷(こぶし)の花の香に迷う

 

 コブシ(辛夷、学名:Magnolia kobus)

 (旧暦  2月26日)

 花に対する想いというものは、人それぞれ格別のものがあるのでしょうが、私「嘉穂のフーケモン」にとっては、「アカシアの花」と「辛夷の花」に尽きます。

 子供の頃、石原裕次郎が歌う「赤いハンカチ」の一節、「アカシアの花の下で・・・・」というメロディーが大好きでしたが、「アカシアの花」とはどんなものかはさっぱりわかりませんでした。

 また、西田佐知子が歌う、「アカシアの雨に打たれて・・・」もロマンティックとは想いましたが、どんな雨なのか想像も尽きませんでした。

 蝦夷地に渡って初めて、恵迪寮の裏手の原生林に咲く辛夷の花を知り、その可憐な白い花と香りに魅せられましたが、北大恵迪寮の昭和32年度の寮歌でも歌われ、強い印象が残っています。
 
 夜光流るる芝草や
 辛夷の花の香に迷う
 遠き憧れ逝にし日よ
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:57Comments(0)パイポの煙

2005年04月03日

となり村名所あんない(14)−港村(5)−有章院霊廟二天門

 

 有章院霊廟二天門

 (旧暦  2月25日)

 隠元忌  日本黄檗宗の開祖・隠元禅師の寛文13年(1673)の忌日。 明の禅僧で、承応3年(1654)に渡来し、隠元豆など様々なものを日本にもたらした。

 都営三田線御成門駅A1出口から南に向かって25mほど行くと、塗装の剥げかかった如何にも古そうな門がポツンと建っています。                                    
 東京プリンスホテルの一角で、なんでこんな所に由緒のありそうな古めかしい門が建っているのかと不思議に思っていましたが、調べてみると、ここは戦前には徳川家の壮大な霊廟があったところでした。

 旧徳川将軍家霊廟は「御霊屋」ともよばれ、かつては芝増上寺大殿の南北(左右)に建ち並び、墓所・本殿・拝殿といった多くの施設は国宝に指定されていました。

 しかし、昭和20年(1945)3月10日未明の東京大空襲で北廟68棟が被災、5月25日のB29爆撃機470機による山の手方面への大空襲で南廟28棟が被災、壮大華麗な将軍霊廟はその大半が焼失してしまい、わずかに残った建物もその指定を解除されてしまいました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 11:10Comments(0)となり村名所あんない

2005年04月02日

焼酎(3)−芋焼酎(3)−にごり芋焼酎(無濾過)

 

 (旧暦  2月24日) 連翹(れんぎょう)忌 詩人で彫刻家の高村光太郎の昭和31年(1956)の命日。連翹(れんぎょう)の花を愛し、連翹(れんぎょう)の花が咲く頃に亡くなったことに因む。

 このところ、私「嘉穂のフーケモン」の周りでは、酒席になると、芋焼酎や泡盛のロックが大盛況で、日本酒の熱燗党ちびちび派おでん・焼味噌倶楽部の私は、仲間を捜すのに大変苦労しております。

 たまに日本酒を飲む方がいても、冷酒党吟醸派の方だったりして、「いったい、庶民における日本文化はどうなるのか」と悲憤慷慨しております。

 先日横浜に出かけた折に、横浜ランドマークタワーの地下ショッピングモールで、九州物産展をやっており、多様な焼酎(芋、米、麦)を展示販売していました。

 酒卸問屋の社長らしき方にお勧めの芋焼酎を聞くと、この鹿児島酒造株式会社の「にごり芋焼酎(無濾過)」を教えてくれました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 06:23Comments(0)焼酎

2005年04月01日

詩歌(1)−燕の歌

 

 (旧暦  2月23日)

 三鬼忌 新興俳句運動の騎手・西東三鬼の昭和37年(1962)の忌日

 彌生ついたち、はつ燕、
 海のあなたの靜けき國の
 便(たより)もできぬ、うれしき文を、
 春のはつ花、にほひを尋(と)むる
 あゝ、よろこびのつばくらめ。

 黒と白との染分縞(そめわきじま)は
 春の心の舞姿(まひすがた)。
 彌生來にけり、如月は
 風もろともに、けふ去りぬ。
 栗鼠(りす)の毛衣脱ぎすてゝ、
 綾子(りんず)羽ぶたへ、今樣に、
 春の川?をかちわたり、
 しなだるゝ枝の森わけて、
 舞ひつ、歌ひつ、足速の
 戀慕(れんぼ)の人ぞむれ遊ぶ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ガブリエレ・ダンヌンチオ

 上田敏訳「海潮音」より
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:20Comments(0)詩歌