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2009年06月22日

日本(37)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(9)

 
 
 原子爆弾の構造。上:砲身方式(広島型ウラニウム爆弾)、下:爆縮方式(長崎型プルトニウム爆弾)
 
 (旧暦  5月 30日)

 日本(36)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(8)のつづき

 1939年5月、コレージュ・ド・フランス(Collège de France)の核化学研究室(Lab. de Chimie Nucléaire)教授ジャン・フレデリック・ジョリオ=キュリー(Jean Frédéric Joliot-Curie、1900~1958)の共同研究者であるフランシス・ペラン(Francis Perrin、1901~1992) は、核分裂連鎖反応を持続させるために必要なウラニウムの量を計算するための第一近似式を発表していました。
 Perrin F. (1939). "Calcul relatif aux conditions eventuelles de transmutation en chaine de l’uranium". Comptes Rendus 208: 1394–6.

 ペランは天然ウラニウムの核分裂断面積を調べて、その臨界量を44トンと算定していました。しかし、実際にはウラニウムの周辺の鉄や鉛の詰め物が中性子を散乱するので、13トンになるはずでした。
 また彼らは、核分裂連鎖反応を持続させるために必要な熱中性子( thermal neutrons; Thermal neutrons have an energy of about 0.025 eV.)を得るために、核分裂によって生じた高速中性子(fast neutrons; Fast neutrons have an energy greater than 1 eV.)を減速させてやるための減速材(Neutron moderator)が必要であることも発見していました。

 1939年4月22日、 ジョリオ=キュリーら3人は、ウラン235 の核分裂による 2次中性子に関する第 2報を『ネイチャー』誌に投稿し、もし十分な量のウランを適当な減速材に入れれば、「分裂連鎖が永続し、媒体を制限している壁に到達して初めて止まる。我々の実験は、この条件を満たすことはおそらく可能だということを示している」と結論づけたのです。

  減速材として用いる材質は、中性子を減速させるまでの所要時間が短く、中性子吸収効果の少ないものが望ましいため、原子番号の小さい元素が選定されます。

 現在の発電用原子炉は、軽水(Light Water 普通の水;H2O)を減速材として用いる軽水炉が主流ですが、当時は、重水(Heavy Water;D2O)や黒鉛(Graphite;C)が有望視されていました。

 当時、重水が多量に得られる唯一の場所は、ノルウェー南部のヴェモルクにあるノルスク・ハイドロ社の合成アンモニア生産工場でした。同社は合成アンモニアを生産するために水素電気分解を行っており、その副産物として稀少液体である重水を生産していたのでした。

 ジョリオ=キュリーはこの事を当時のフランス軍需相ラウール・ドートリ(Raoul Dautry、1880~1951)に伝えますが、ドートリは、ドイツ国防省(Reichskriegsministerium)がノルスク・ハイドロ社の在庫の重水200ℓと1ヶ月最低100 ℓの供給を働きかけたことを聞いて、すべての重水をフランスのために獲得することを決心します。

 They asked the French Minister of Armaments to obtain as much heavy water as possible from the only source, the large hydroelectric station at Vemork in Norway. The French then discovered that Germany had already offered to purchase the entire stock of Norwegian heavy water, indicating that Germany might also be researching an atomic bomb.

 当時のノルスク・ハイドロ社の株式の大半は、フランスのパリ・オランダ銀行(Banque de Paris et des Pays-Bas)が所有しており、以前その銀行の役員であったジャック・アリエがドートリ軍需相の部下になっていた関係から、アリエはドートリ軍需相の要請を受けてオスロに潜入し、ノルスク・ハイドロ社の総支配人に面会します。

 しかし、総支配人は重水のもつ軍事目的を聞くと、ストックをすべて無償でフランスに提供すると申し出ます。

 それからほどなくして、200 ℓの重水は26缶に分けられてフランスの秘密工作組織によって車でヴェモルクから運び去られ、さらにオスロからは飛行機で2回に分けてイギリスのエジンバラまで運び、鉄道と海峡フェリーでパリに運ばれています。

 ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト上級大将(Nikolaus von Falkenhorst、1885~1968)に率いられたドイツ第21軍団(3個師団基幹)が海軍と空軍の援護のもとにノルウェーのナルヴィク、トロンヘイム、ベルゲン、スタバンゲル、クリスチャンサン、オスロに上陸を開始したのは、重水が運び去られた直後の1940年4月9日のことでした。

 ノルスク・ハイドロ社はドイツ軍の主要な軍事目標の一つとなっていたためその地域は烈しい戦闘が続きましたが、5月3日、ヴェモルクをふくむリューカンの町はノルウェー南部としては最後にドイツ軍に降伏しています。

 The French told the Norwegian government of the possible military significance of heavy water. Norway then gave the entire stock to a French Secret Service agent, who secretly brought it to France via England, just before Germany invaded Norway in April 1940. When Germany invaded France in May 1940, the Paris Group moved to Cambridge and brought the heavy water inventory of 188 litres. Joliot-Curie remained in France and became an active worker in the French Resistance movement.  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:55Comments(0)歴史/日本

2009年06月18日

クラシック(23)-ヴァーグナー(2)-ニーベルングの指輪

 
 Rheingold ‎von Wikipedia. (ラインの黄金)
 Bühnenbildentwürfe für das Festspielhaus Bayreuth von Josef Hoffmann (1876) 
 ヨーゼフ・ホフマンによるバイロイト祝祭劇場のための風景デザイン
 
 (旧暦  5月26日)

 Chorus mysticus
                  
 Alles Vergängliche                 
 Ist nur ein Gleichnis;               
 Das Unzulängliche                
 Hier wird's Ereignis;            
 Das Unbeschreibliche             
 Hier ist's getan;               
 Das Ewig-Weibliche             
 Zieht uns hinan.                

 (Faust, der Tragödie zweyter Theil.)     

 神秘の合唱
 
 すべての移ろいゆくもの
 ただ譬喩にすぎず;
 満ち足りなきもの
 ここに出来事となる;
 表し難きもの
 ここに成されたり;
 永遠にして女性的なるもの
 我らを昇らしむ。


 『ファウスト 悲劇第二部』(1831)より 嘉穂のフーケモン 拙訳

 ヴィルヘルム・ リヒャルト・ヴァーグナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813~1883)の書いた楽劇『ニーベルングの指輪』(Der Ring des Nibelungen)は、1876年8月13日、バイロイト祝祭劇場(Bayreuther Festspielhaus)における第1回バイロイト音楽祭(Bayreuther Festspiele)にて、多くの王族や芸術家を集めて初演されました。
 その主な人々だけでも、以下のような錚錚たる人々でした。

 face01 Ludwig II. (1845~1886、在位1864~1886)、悲劇の第4代バイエルン国王ルートヴィヒ2世
 face02 Wilhelm I. (1797~1888、在位1871~1888)、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世
 face03 Pedro II. (1825~1891、在位1831~1889)、第2代ブラジル皇帝ペドロ2世
 face04 Franz Liszt (1811~1886)、ハンガリーのピアニスト・作曲家フランツ・リスト
 face05 Josef Anton Bruckner (1824~1896)、オーストリアの作曲家アントン・ブルックナー
 face07 Camille Saint-Saëns (1835~1921)、フランスのオルガニスト、ピアニスト、作曲家シャルル・カミーユ・サン=サーンス
 face08 Johannes Brahms (1833~1897)、ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者 ヨハネス・ブラームス
 face09 Anton Grigoryevich Rubinstein (1829~1894)、ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者アントン・グリゴリエヴィチ・ルビンシテイン
 face10 Edvard Hagerup Grieg (1843~1907)、ノルウェーの作曲家エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグ
 face12 Peter Ilyich Tchaikovsky (1840~1893)、ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキー
 face05 Charles François Gounod (1818~1893)、フランスの作曲家シャルル・フランソワ・グノー
 face11 Karl Klindworth (1830~1916)、ドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者・音楽教師カール・クリントヴォルト

 Die Uraufführung des gesamten Rings fand am 13. August 1876, einem Sonntag, mit dem Vorabend Das Rheingold im Bayreuther Festspielhaus statt. Der deutsche und brasilianische Kaiser, einige Könige und Fürsten und viele Künstler, unter ihnen Franz Liszt, Anton Bruckner, Camille Saint-Saëns,Johannes Brahms, Anton Rubinstein, Edvard Grieg, Peter Iljitsch Tschaikowsky, Charles Gounod und Karl Klindworth wohnten dem außergewöhnlichen Kunstereignis bei, denn niemals zuvor hatte ein Künstler zur Aufführung eines seiner Werke ein eigenes Theater bauen lassen, um Festspiele zu veranstalten.   続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:01Comments(1)音楽/クラッシック

2009年06月15日

書(16)-小野道風-玉泉帖

 
 玉泉南澗花奇怪  不是似花叢似火堆
 今日多情只我到  每年無故為誰開
 寧辭辛苦行三里  更與留連飲兩杯
 猶有一般孤負事  不將歌舞管絃來

 
 玉泉帖 by Wikipedia.

 (旧暦  5月23日)

 季吟忌 江戸前期の歌人、俳人、和学者の北村季吟の宝永2年(1705)の忌日。
 16歳で貞門派の重鎮安原貞室(1610~1673)、22歳で松永貞徳(1571~1654)に入門して俳諧を学び、慶安元年(1648)、俳書『山之井』4巻を刊行し注目をあびた。
 また貞徳没後は、歌人飛鳥井雅章(1611~1679)、清水谷実業(1648~1709)に和歌、歌学を習い、『大和物語抄』、『土佐日記抄』、『伊勢物語拾穂抄』、『徒然草文段抄』、『源氏物語湖月抄』、『枕草子春曙抄』などの注釈書を刊行し、元禄2年(1689)には歌学方として幕府に仕えた。

 俳諧においては、『新続犬筑波集』、『続連珠』、『季吟十会集』の撰集、式目書「埋木(うもれぎ)」、句集「いなご」などを刊行し、山岡元隣(1631~1672)、松尾芭蕉(1644~1694)、山口素堂(1642~1716)などの優れた門人を輩出している。

 松尾芭蕉が『奥の細道』などで、歌学の素養を見せるのは、この北村季吟に師事したことから理解できる。


 玉泉南澗花奇怪  不是似花叢似火堆
 今日多情只我到  每年無故為誰開
 寧辭辛苦行三里  更與留連飲兩杯
 猶有一般孤負事  不將歌舞管絃來


 玉泉の南澗、花奇怪なり   花叢に似ず、火堆に似たり
 今日多情、只(ただ)我到る    每年故無くして誰が為に開く
 寧(なん)ぞ辭せんや、辛苦して三里行くを  更に與(とも)に留連して兩杯を飲まん
 猶一般孤負の事有り  歌舞管絃を將(もち)て來らず。


 玉泉帖は、世に三跡と称えられた平安中期の能書家小野道風(894~967)筆の白楽天詩巻御物(天皇家に伝来した所蔵品、宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の名品として知られる著名なものです。
 
 はじめの句に、「玉泉南澗花奇怪」とあることから、玉泉帖と呼ばれています。
 紙本一巻、四紙より成り、白氏文集第六十四巻に収められている一百首の律詩のうちから、四首が書かれています。

 書体は楷行草を交えて思うままに毫端を走らせ、各体を巧みに駆使して龍飛鳳舞するさまは、野跡の本色を発揮したものとされています。
 また、詩意をそのまま筆に写し、第一首の奇怪の二字を楷書で表し、第二首の早夏の詩を行書のしずかな諧調で整え、第四首の晉公の詩は、旧友を憶う感慨を体して思うままに龍蛇を走らせたところなどに、非凡さが現れていると評されています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:26Comments(0)

2009年06月03日

新生代(18)-新第三紀(8)-マンモスの絶滅(2)

 
 An early map of the extent of Lake Agassiz (by 19th century geologist Warren Upham). This map is now believed to underestimate the extent of the region once overlain by Lake Agassiz by Wikipedia.

 (旧暦 5月 11日)

 新生代(17)-新第三紀(7)-マンモスの絶滅(1)のつづき

 マンモスの絶滅の原因は、以下の二つに代表される議論が続いてきました。

 1. 過剰殺戮説:アリゾナ大学地球科学教授ポール・S・マーティン博士の電撃理論説(the blitzkrieg theory)に代表される、人類による過度の狩猟により大型獣が絶滅したとする仮説
   Martin, P. S. 1967. 〝Prehistoric overkill〟 Pp. 75~120 In

 2. 氷河期末期の気候変動に伴う環境変化を原因とする説:デンバー自然史博物館のラッセル・W・グラハム博士によって提唱された仮説
 
  Graham, R. W. and Mead, J. I. Mead 1987. 〝Environmental fluctuations and evolution of mammalian faunas during the last deglaciation in North America〟

 しかし、この気候変動説(the climatic theory)や電撃理論説(the blitzkrieg theory:急激な殺戮説)の二つの仮説に納得しない科学者が、1997年に第3番目の仮説を提唱しました。それが、疫病説(the disease hypothesis)です。

 3. 疫病説:ニューヨークのアーロン・ダイヤモンド・エイズ研究センターのウィルス学者マクフィー博士とプレストン・A・マルクス博士によって提唱された仮説で、マンモスの免疫機構が未知の致命的な病原体によって感染された。それらの病原体はマンモスを消滅させた人々によって持ち込まれたばかりではなく、犬、ネズミ、鳥、シベリアから北米大陸への最初の人間の到着に伴った寄生虫や他の生物によって運ばれた病原体の可能性が考えられる
   MacPhee, R. D. and Marx, P. A. 1997. 〝The 40,000 year plague: Humans, hyperdisease, and first-contact extinctions〟 Pp. 169~217

 Marx have so far identified only two existing pathogens that fulfill all the requirements: leptospirosis, a bacterium spread in rat urine, and the rabies virus.
 プレストン・A・マルクス博士は、これまでのところすべての必要条件を満たす2つの既存の病原体を識別した。それは、ネズミの尿によって蔓延するバクテリアであるレプトスピラ症(病原性レプトスピラの感染による人獣共通感染症)と狂犬病ウイルスである。

  そして2005年、「4万1千年前の超新星爆発がマンモスの絶滅を引き起こしたかもしれない」との新たな仮説〝impact theory〟が「米国エネルギー省ローレンス・バークレー国立研究所」の核科学者リチャード・B・ファイアストーン博士によって発表されました。

4. 超新星爆発による隕石が大気圏内で爆発し衝撃が生じたとする理論:地球から250光年離れた超新星の爆発がマンモスの絶滅に関係している。その最初の衝撃波は、3万4,000年前に地球を襲った。その証拠は、地球に秒速1万kmで衝突した金属粒子によると考えられる、マンモスの牙に残された小さな衝撃痕である。
   超新星爆発で吹き飛ばされた塵が低密度の固まりとなり、その彗星のような物体が太陽系に降り注いだ。その一つ、直径約10kmと考えられる隕石が1万3,000年前に北米大陸を直撃し、ほとんどのマンモスや北米の他の多くの大型哺乳類を絶滅させる激変を引き起こした。


 2007年9月、リチャード・B・ファイアストーン博士らは、1万2,900年前におきた隕石の衝突が、北米大陸の動植物に大規模な環境変化をもたらし、約1,300年に渡る亜氷河期(the Younger Dryas stadial)が訪れ、数種類の動物とアメリカ先住民の石器文化であるクロービス文化(Clovis culture)が消滅したとする論文を発表しました。
 〝Evidence for an extraterrestrial impact 12,900 years ago that contributed to the megafaunal extinctions and the Younger Dryas cooling〟
  (http://www.pnas.org/content/104/41/16016.full  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 00:21Comments(0)新生代