2008年12月08日
詩歌(7)-オフェリア(Ophélie)

Paul Verlaine (en bas à gauche) et Arthur Rimbaud (à sa gauche). « Le coin de table » peint par Henri Fantin-Latour en 1872 -Musée d'Orsay.
前列左端がポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine)、その右隣がアルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud)
「テーブルの片隅で」« Le coin de table » アンリ・ファンタン・ラトゥール(Henri Fantin-Latour、1836~1904)筆、1872年-オルセー美術館蔵
(旧暦 11月11日)
Lennon's day ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノン(John Winston Ono Lennon, MBE)がニューヨークのセントラル・パーク72番通りにある自宅アパート、ダコタ・ハウス前で熱狂的なファン、マーク・チャプマン(Mark David Chapman)にピストルで撃たれ死亡した昭和55年(1980)の忌日。
ちなみにMBE(Member of the Order of the British Empire)は、大英帝国勲章(Order of the British Empire)のランクのひとつ。
I
Sur l'onde calme et noire où dorment les étoiles
La blanche Ophélia flotte comme un grand lys,
Flotte très lentement, couchées en ses longs voiles...
— On entend dans les bois de lointains hallalis.
星影がきえてはうつる、くらい、しずかな波のまに、
オフェリア姫は、ふうわりと浮かぶ。一茎の大輪の白百合の花。
ながい紗のかつぎもろとも、そっとおろしたようなかるさで。
はるか、森の奥からきこえる、鹿を追う勢子のときの声。
Voici plus de mille ans que la triste Ophélie
Passe, fantôme blanc, sur le long fleuve noir :
Voici plus de mille ans que sa douce folie
Murmure sa romance à la brise du soir...
あわれなオフェリア姫のほのかな幻が、くらい川すじを
どこまでもただようてからまる。
千年がすぎてしまった。
彼女のいじらしい狂乱が、夕風に
その恋をささやいてから、もう、千年もすぎてしまった。 続きを読む
2006年10月20日
詩歌(6)-秋の歌

牧歌漂う北大農場 taken by Masaaki Ebina at the middle of 1970’s
(旧暦 8月29日)
Chanson d'automne 落葉
Les sanglots longs 秋の日の
Des violins ヰ゛オロンの
De l'automne ため息の
Blessent mon coeur 身にしみて
D'une langueur ひたぶるに
Monotone. うら悲し。
Tout suffocant 鐘のおとに
Et blême, quand 胸ふたぎ
Sonne l'heure, 色かへて
Je me souviens 涙ぐむ
Des jours anciens 過ぎし日の
Et je pleure おもひでや。
Et je m'en vais げにわれは
Au vent mauvais うらぶれて
Qui m'emporte こゝかしこ
Deçà, delà, さだめなく
Pareil à la とぴ散らふ
Feuille morte. 落葉かな。
Poèmes saturniens 海潮音
Paul Marie Verlaine 上田敏
秋は人の心をもの悲しくさせ、またしみじみとさせるのは何故なのでしょう。
岩波文庫の『海潮音』に載せられている上田敏(1874~1916)の名訳に、多感な高校生の私「嘉穂のフーケモン」の胸は締め付けられるような不思議な思いに駆られたものでした。 続きを読む
2005年10月04日
詩歌(5)−雪の夜

北大農場より恵迪寮を望む
(旧暦 9月 2日)
素十忌 俳人高野素十の昭和51年(1976)年の忌日
秋風や くわらんと鳴りし幡の鈴
人はのぞみを喪(うしな)っても生きつづけてゆくのだ。
見えない地図のどこかに
あるいはまた遠い歳月のかなたに
ほの紅い蕾(つぼみ)を夢想して
凍てつく風の中に手をさしのべている。
手は泥にまみれ
頭脳はただ忘却の日をつづけてゆくとも
身内を流れるほのかな血のぬくみをたのみ
冬の草のように生きているのだ。
遠い残雪のような希みよ、光ってあれ。
たとえそれが何の光であろうとも
虚無の人をみちびく力とはなるであろう。
同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
寂寥とそして精神の自由のみ
俺が人間であったことを思い出させてくれるのだ。
『きけわだつみのこえ』 田辺利宏 「雪の夜」より
高校時代の倫理・社会の先生が、この詩を教えてくれました。
その先生は、私「嘉穂のフーケモン」の年の離れた従兄弟と旧制中学の同級生で、先生は旧制の第七高等学校造士館へ、従兄弟は第五高等学校に進んだとのことでした。
先生は大学を卒業して、旧大蔵省の役人をしていたそうですが、ある時、台風の最中に老朽化した校舎を倒壊させようと、校長以下地域の人達が校舎に綱を掛けて引っ張っているのを目撃し、憤慨して大蔵省を辞職したと聞いたような記憶があります。
辞めた理由は他にも色々あったのでしょうが、旧制高校のロマン派の生き残りのような人(バンカラ派ではありません)で、能く授業を脱線して、文学や哲学を語ってくれました。 続きを読む
2005年09月04日
詩歌(4)−高楼(たかどの)

旧東京陸軍造兵敞本部
(旧暦 8月 1日)
わかれゆくひとををしむと こよひより とほきゆめちに われやまとはん
妹
とほきわかれに たへかねて このたかどのに のぼるかな
かなしむなかれ わがあねよ たびのころもを とゝのへよ
姉
わかれといへば むかしより このひとのよの つねなるを
ながるゝみづを ながむれば ゆめはづかしき なみだかな
・・・・・・・・・・・・・・・
妹
きみがさやけき めのいろも きみくれなゐの くちびるも
きみがみどりの くろかみも またいつかみん このわかれ
姉
なれがやさしき なぐさめも なれがたのしき うたごゑも
なれがこゝろの ことのねも またいつきかん このわかれ
明治二十九年の秋より三十年の春へかけてこゝろみし根無草の色も香もなきをとりあつめて若菜集とはいふなり、このふみの世にいづべき日は青葉のかげ深きころになりぬとも、そは自然のうへにこそあれ、吾歌ほまだ萌出しまゝの若菜なるをや。
『若菜集−序二』
キリスト教の洗礼を受け、明治24年(1891)明治学院を卒業した藤村・島崎春樹(1872〜1943)は、明治25年(1892)明治女学校高等科の英語科教師となり、翌明治26年(1893)北村透谷らによる「文学界」の創刊に参加しました。 続きを読む
2005年07月16日
詩歌(3)−北帰行

雪の北大旧理学部
(旧暦 6月11日)
窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず
建大一高旅高 追われ闇をさすらう
汲めど酔わぬ恨みの苦杯 嗟嘆ほすに由なし
富も名誉も恋も 遠きあこがれの日の
淡きのぞみはかなきこころ 恩愛我を去りぬ
わが身容るるにせまき 国を去らんとすれば
せめて名残りの花の小枝 尽きぬ未練の色か
いまは黙して行かん 何をまた語るべき
さらば祖国わがふるさとよ あすは異郷の旅路
[旅順高等学校寮歌 作詞・作曲 宇田博]
同じく宇田博氏が作詞した第1回寮歌「薫風通ふ」で有名な旅順高等学校は、昭和15年(1940)、旧制高等学校唯一の外地の学校として中国遼東半島の租借地関東州旅順に設置されました。官立ではありますが、旧文部省の管轄ではなく、旧拓務省所管の関東州立でした。
薫風通ふ春五月 父祖奮戦の地に立てば
肉弾のあと草萌えて 楊柳岸に陰淡く 渤海湾の波青し 続きを読む
2005年05月11日
詩歌(2)−「大渡橋」

38歳の萩原朔太郎
(旧暦 4月 4日)
朔太郎忌 大正・昭和期の詩人、萩原朔太郎の昭和17年(1942)の忌日。
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき総社の村より 直(ちょく)として前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自転車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故郷にありてゆかず
塩のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤独の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干(らんかん)にすがりて歯を噛めども
せんかたなしや、涙のごときもの溢れ出で
頬(ほ)につたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋(ひろう)なり。
往くものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
萩原朔太郎 純情小曲集−郷土望景詩−「大渡橋」より 続きを読む
2005年04月01日
詩歌(1)−燕の歌
(旧暦 2月23日)
三鬼忌 新興俳句運動の騎手・西東三鬼の昭和37年(1962)の忌日
彌生ついたち、はつ燕、
海のあなたの靜けき國の
便(たより)もできぬ、うれしき文を、
春のはつ花、にほひを尋(と)むる
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との染分縞(そめわきじま)は
春の心の舞姿(まひすがた)。
彌生來にけり、如月は
風もろともに、けふ去りぬ。
栗鼠(りす)の毛衣脱ぎすてゝ、
綾子(りんず)羽ぶたへ、今樣に、
春の川?をかちわたり、
しなだるゝ枝の森わけて、
舞ひつ、歌ひつ、足速の
戀慕(れんぼ)の人ぞむれ遊ぶ。
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ガブリエレ・ダンヌンチオ
上田敏訳「海潮音」より 続きを読む