2014年12月05日
奥の細道、いなかの小道(23)−尿前の関
(旧暦10月14日)

奥の細道絵巻 尿前の関 與謝蕪村
モーツアルト忌
1791年に死去したオーストリアの作曲家・演奏家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart、1756〜1791)の命日。

The Mozart family c. 1780. The portrait on the wall is of Mozart's mother.
しばらくブログを更新していないと除名されるそうなので内心焦っておりましたが、ようやく、その気になってまいりました。
南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の國に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、關守にあやしめられて、漸(やうやう)として關をこす。大山(おほやま)をのぼつて日既暮ければ、封人の家を見かけて舎(やどり)を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
蚤虱馬の尿する枕もと
さて芭蕉翁一行は、北の方南部領盛岡への道をはるかに眺めやりつつ、一ノ関から道をとって返して、岩出の里に泊まります。
一 十四日 天気吉。一ノ関(岩井郡之内)ヲ立。四リ、一ノハザマ・岩崎(栗原郡
也)、藻庭大隈。三リ、三ノハザマ・真坂(栗原郡也)。岩崎ヨリ金成(此間ニ二
ノハザマ有)ヘ行中程ニつくも橋有。岩崎ヨリ壱リ半程、金成ヨリハ半道程也。岩
崎ヨリ行ば道ヨリ右ノ方也。
四リ半、岩手山(伊達将監)。やしきモ町モ平地。上ノ山ハ正宗ノ初ノ居城也。杉茂リ、東ノ方、大川也。玉造川ト云。岩山也。入口半道程前ヨリ右ヘ切レ、一ツ栗ト云村ニ至ル。小黒崎可見トノ義也。二リ余、遠キ所也故、川ニ添廻テ、及暮岩手山ニ宿ス。真坂ニテ雷雨ス。乃晴、頓テ又曇テ折々小雨スル也。
中新田町 小野田(仙台ヨリ最上ヘノ道ニ出合) 原ノ町 門沢(関所有) 渫沢 軽井沢 上ノ畑 野辺沢 尾羽根沢 大石田乗船
岩手山ヨリ門沢迄、すぐ道も有也。
『曾良随行日記』
「岩出の里」は現在の大崎市の一部で、もとは伊達家第17代当主(仙台藩初代藩主)伊達政宗(1567〜1636)居城の地でした。慶長八年(1603)、政宗が仙臺に居城を移したときに、四男愛松丸(1602〜1639、後の三河守宗泰)に岩出山城と知行3,000石が与えられ、傅役の山岡重長(1553〜1626)が城代を務めました。
玉造郡 仙臺より十弐里北西、正宗初ノ城跡、山ノ上ニ有。舘町に有。伊達將監。磐手 シノブハヱゾ知ヌカキツクシテヨツボノ碑 モノイハレヌ思ニ多シ。
『名勝備忘録』
前大僧正慈円、ふみにてはおもふほどの事も申しつくしがたきよし、申しつかはして侍りける返事に
頼朝
みちのくのいはてしのぶはえぞしらぬ かきつくしてよつぼのいしふみ
新古今和歌集 巻十八 雜下 1786
前中納言匡房
くちなしの色とぞ見ゆるみちのくの いはでの里の山吹の花
夫木抄 巻六 春六 02028
「小黒崎」は古今集の陸奥歌などに詠まれた歌枕で、岩出の里の西北四里、現在の大崎市岩出山池月上宮小黒崎にある標高245mほどの小山です。

小黒山
陸奥歌
をぐろ崎みつの小島の人ならば 宮このつとにいざといはましを
古今和歌集 巻第二十 東歌 1090
後嵯峨院
をぐろ崎みづのこじまにあさりする 田鶴ぞなくなる波たつらしも
続古今和歌集 巻十八 雑中 1638
小黒崎 或曰隠蔭磯取之松林蔭翳之義 在名生定村去美豆小島以北五町餘郷人曰黒崎山翠松万株馬鬣鬱々古人所謂髪糸蓊鬱籠烟露皮玉嶙峋傲雪霜者也。
小黒崎 或イハ隠蔭磯(ヲクロサキ)ト曰フ、之ヲ松林蔭翳ノ義ニ取ル 名生定村ニ在リ。美豆小島以北ヲ去ルコト五町餘、郷人黒崎山ト曰フ。翠松萬株、馬鬣鬱々、古人ノ所謂髪糸蓊欝烟露ヲ籠メ皮玉嶙峋霜雪ニ傲ルトイフ者ナリ。
『奥羽観蹟聞老志』
また、「みづの小島」も歌枕で、小黒崎と同じ所の玉造川(現在の荒雄川)の川中にある小島で、『奥羽観蹟聞老志』には次のように記されています。
美豆小島 同處去小黒崎西南四五町在鍛冶澤東南玉造川中丘山皆戴青松是乃小黒崎也其下流有一洲々中有高丘高二丈余東西五六歩南北八九間丘上有蒼松三株河水索廻其下翠色落陰急流潺々細石磷々白沙芳草殆非凡境焉如海島兪故佗方誤而用海濱之状者多若太上皇家隆之歌可視郷党亦見致小島于海畔之情以稱美豆小島蓋美豆乃爲見之訓也。
美豆小島 同處小黒崎ヲ去ルコト西南四五町、鍛冶澤東南ノ玉造川中ニ在リ。丘山皆青松ヲ戴ク、是レ乃チ小黒崎ナリ。其ノ下流ニ一洲有リ、洲中高丘有リ。高サ二丈餘、東西五六歩、南北八九間。丘上ニ蒼松三株有リ。河水其ノ下ヲ索廻シ、翠色陰ヲ落トス。急流潺々、細石磷々、白沙芳草、殆ンド凡境ニ非ズ。海島ノ如ク兪(しか)リ。故ニ佗方誤リテ海濱ノ状ニ用ユル者多シ。太上皇、家隆ノ歌ノ若キヲ視ルベシ。郷党モ亦小島ヲ海畔ニ見ルノ情ヲ致シ、以テ美豆ノ小島ト稱ス。蓋シ美豆ハ乃チ見ノ訓ヲ爲スナリ。
『奥羽観蹟聞老志』
順徳院御製
人ならぬ石木もさらにかなしきは みつの小島のあきの夕くれ
続古今和歌集 巻十七 雜上 1578
光明峯寺入道前摂政太政大臣
さそふへきみつの小島の人もなし ひとりそかへるみやこ恋ひつつ
新後撰和歌集
家隆
蛍飛みつのこしまのたひ人は みやこをこふるさまやうくらん
中務卿宗尊親王
いさとたにいふひとなくてかすならぬ みつの小島の秋そふりにき
旅歌中
従二位家隆
をくろさきみつのこ島の夕暮に たななし小舟行衛しらすは
夫木集
弁内侍
心ありて鳴にはあらし小黒崎 みつの小島の田鶴のもろこえ
夫木集
よみ人しらす
小黒崎みつの小島に住ばこそ 都のつとに人もさそはめ
水尾歌合
俊頼朝臣
をくろさき浅きとたえの身をつくし たてるすかたにふらぬとはみよ
信実朝臣
都にてとははこたえん小黒崎 みつの小島につとはなくとも
続きを読む