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2014年03月30日

新生代(22)— 新世紀(11)ーザンクレアン大洪水(2)

 

 Sailing the Mediterranean on the R/V Eastward with my two principal teachers: Maria Bianca Cita (top row, third from right) and Bill Ryan (bottom row, third from left; Barcelona, summer 1978).
 From Alberto Malinverno (http://www.ldeo.columbia.edu/~alberto/research.html)

  (旧暦2月30日)
 
  新生代(21)— ザンクレアン大洪水(1)のつづき
  
 イタリアの女性地質学者Maria Bianca Cita(1924〜)によって、1972年に提唱されたザンクレアン洪水については、乾燥して干上がった地中海盆地への大西洋からの海水流入の状況については諸説あるものの、多くの論文がこの説を裏付けています。

  The Zanclean Flood: Refilling the Mediterranean

  地中海を再び満たしたザンクレアン洪水

  13 July 2012 by kuschk
 (http://basementgeographer.com/the-zanclean-flood-refilling-the-mediterranean/


  
  While the Mediterranean Sea is one of the cradles of ancient human civilisation, the water body is rather young geologically, approximately 5.33 million years old. Researchers have found that this figure marks the date of the Zanclean flood, an epic breach of the Strait of Gibraltar that turned the desiccated Mediterranean basin into a sprawling arm of the Atlantic Ocean in a matter of a few months to perhaps two years. To understand how the Mediterranean filled, one must travel back much further than 5.33 million years ago, however.


 地中海が古代文明の揺籃の地のひとつであるとしても、水域はおよそ533万年と地質学的にはむしろ若い。研究者達は、この形状がザンクラ期洪水の年代を示すことを発見した。ジブラルタル海峡の壮大な裂け目が、数ヶ月からだいたい2年のうちに、乾燥した地中海海盆を大西洋が手足を伸ばした腕に変えた。地中海がどのように満たされたかについて理解するためには、人は533万年より過去に旅しなければならない。


  The Mediterranean Sea is the descendant of the ancient Tethys Ocean, the ocean that separated the Eurasian continent to the north from Africa, Arabia, and India to the south. Formed in the aftermath of the breakup of Pangaea, the Tethys emerged 150 million years ago as the north/northeasterly movement of Africa, Arabia, and India began pinching off a portion of the great Panthalassic Ocean that covered most of the planet at this time (the rest of Panthalassa essentially became the Pacific Ocean).


  地中海は古テーティス海の名残で、テーティス海は、ユーラシア大陸を北に、アフリカ、アラビア、インドを南に切り離した海である。パンゲア大陸の分裂直後に作られたテーティス海は、アフリカ、アラビア、インドの北/北東への移動が、当時地球の大部分をおおった大きなパンサラッサ海の一部を離れて締めつけ始めたので(残りのパンサラッサ海は、基本的に太平洋となった)、1億5000万年前に出現した。


 

 The Earth, 90 million years ago. The Tethys is the large body of water lying in between Europe, Asia, Africa, and India. Source: Dr. R. Blakey,   http://jan.ucc.nau.edu/~rcb7/mollglobe.html. Licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported licence.



  Tethys would progressively shrink as Africa, Arabia, and India pushed northward. By about 20 million years ago, the Tethys had been reduced to a set of channels connecting the Atlantic Ocean with the Indian Ocean (one branch went through the area of the modern Persian Gulf; the other branch, the Paratethys, extended through the areas of the Black, Caspian, and Aral seas, all of which are remnants of the old Tethys basin). India and Arabia would collide into Asia, closing the north channel around 10-15 million years ago, trapping the Black and Caspian Seas, and closing the Persian Gulf. This left a single oceanic outlet to the Atlantic via the Strait of Gibraltar separating modern Spain from Morocco. What was left of Tethys was now a proto-Mediterranean Sea.


  アフリカ、アラビア、インドが北に押したので、テーティス海は次第に縮小する。およそ2000万年前に、テーティス海は大西洋をインド洋とつなぐ一組の海峡に縮小された。(ひとつの支流は、現代のペルシャ湾の地域を通り抜け、他の支流は、テーティス亜海として、黒海、カスピ海、アラル海の地域に広がり、それらは全て古テーティス海盆の遺物である。)
  インドとアラビアはアジアに衝突し、およそ1000万~1500万年前に北側の海峡を閉鎖して、黒海とカスピ海を閉じ込め、ペルシャ湾を封鎖した。これは、現代のスペインをモロッコから切り離しているジブラルタル海峡を経由して、大西洋に一つの大洋のはけ口を残した。テチス海の左側であった海域は、現在の初期地中海であった。


 

 Paleogeography of the Tethys ocean in the Rupelian age (33.9-28.4million years ago). Black lines indicate present day coastlines.
 Rögl, F.; 1999: Mediterranean and Paratethys. Facts and hypotheses of an Oligocene to Miocene paleogeography (Short Overview), Geologica Carpathica 50(4), p. 339– 349.
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 00:14Comments(0)新生代

2014年03月26日

新生代(21)— 新世紀(10)ーザンクレアン大洪水(1)

 

 ザンクレアン洪水時の地中海のイメージ図

  (旧暦2月26日)

  犀星忌

  金沢生まれの詩人、小説家、室生犀星の昭和37年(1962)の忌日。
  私生児として生まれ、すぐに養子に出された。実父に捨てられた悲しみや劣等感を胸に抱き締めつつ、反抗的な少年として成長していったことは、犀星の文学に深い影響を与えたとされている。

 


  夏の日の 匹婦の腹に生まれけり        『犀星発句集』(1943年)

  小景異情(その二)
  ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや

  うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
  帰るところにあるまじや

  ひとり都のゆふぐれに

  ふるさとおもひ涙ぐむ
 
  そのこころもて

  遠きみやこにかへらばや

  遠きみやこにかへらばや


  鐵幹忌

  歌人、慶應義塾大学文学部教授、鐵幹與謝野寛の昭和10年(1935)の忌日。
  明治33年(1900)4月、月刊文芸誌「明星」を創刊。当時無名の若手歌人であった鳳晶子の類まれな才能を見ぬいて、晶子の歌集『みだれ髪』の作成を支援し、明治34年(1901)8月、『みだれ髪』を刊行。

 

  昭和7年(1932)、第一次上海事変に取材した「爆弾三勇士の歌」の毎日新聞による歌詞公募に応じ、一等入選を果たした。
 
  作曲 陸軍戸山学校軍楽隊
      楽長  辻順治
      楽長補 大沼哲
  一、
  廟行鎮の敵の陣

  我の友隊すでに攻む

  折から凍る如月の

  二十二日の午前五時
  (以下略)


  楽聖忌

  1827年、楽聖(der große Musiker)と呼ばれたドイツの作曲家ベートーベンがウィーンの自宅で亡くなった日。

   
 
  Portrait of Beethoven as a young man by Carl Traugott Riedel (1769–1832)
  
   Er fühlt sein Ende, denn gestern sagte er mir und Breuning: Plaudite amici, comoedia finita est. (p. 392)


   彼は終焉の近いことに気づいています。というのは、昨日、私とブロイニングに Plaudite amici, Comoedia finita est. (喝采せよ友よ、喜劇は終つた)と語つたからです。

   Schindler, Anton. Biographie von Ludwig van Beethoven. Leipzig : P. Reclam, 1970 (Universal-Bibliothek ; Bd. 496)





  地質時代(Geological age)とは、約46億年前の地球の誕生から、数千年前の記録の残っている時代より前までの期間であると定義されています。

  区分の仕方は、古い方から冥王代(Hadean eon)、始生代(Archean eon)、原生代(Proterozoic)、顕生代(Phanerozoic eon)の4つの累代(eon)、さらには細かく代(era)、紀(period)、世(epoch)、期(age)と分類されています。これらの区分は化石帯区分(Calcareous nannofossil zones of the Quaternary)と呼ばれ、地層や化石の研究から導きだされたものですが、これらの時代区分は動物化石を基に分類されているので、植物相の変異とは必ずしも一致していません。

  地質年代学(Geochronology)で定義する累代、代、紀、世、期に相応する地層は、地層のできた順序を研究する層序学(stratigraphy)では累界(eonothem)、界(erathem)、系(system)、統(series)、階(stage)と呼び、地質年代学で言う前期(early)、中期(middle)、後期(late)に対しては下部(lower)、中部(middle)、上部(upper)と呼んでいます。

 
   この時代区分の定義、名称や基底年代等に関しては絶えず見直されており、また合意に至っていないものも多々あります。これらは国際地質科学連合(IUGS)、 国際第四紀学連合(INQUA)、 国際層序委員会(ICS)等で検討され、4年ごとに開催される万国地質学会議(International Geological Congress)で批准されてきています。

   まったく、私どもが学んできた名称、例えば「第三紀」(Tertiary)という呼称も、現在では国際地質科学連合(IUGS)は「非公式用語」に位置づけているようです。
   この言葉の語源は、18世紀中頃にイタリアの地質学者ジョヴァンニ・アルドゥイノ(Giovanni Arduino、1714〜1795)が、イタリアの南アルプスの地層やそこに含まれる化石の分類から、地質時代を3つの時代区分に定義したことによります。
  face03第一紀(Primario)は化石の出ない時代。
  face05第二紀(Secondario)は化石が出るが現生生物とは遙かに異なる時代。
  face08第三紀(Terziarioo)は現生生物に近い生物の化石が出る時代、後に第三紀は分割されて第四紀(Quaternaio)が追加された。


   現在では、「第四紀」(Quaternary)のみが公式用語であり、日本語では「第三紀」が「古第三紀」と「新第三紀」に分割されて名残を留めていますが、英語ではTertiary(第三紀)は、Paleogene(旧世紀)とNeogene(新世紀)が公式用語になっています。

   さて、およそ600万年前の新生代中新世末期のメッシーナ期(Messinian、724万6千年前〜533万2千年前)に、地殻変動が進行してジブラルタル海峡が閉鎖され、地中海が一時的に太平洋から分離された時期があったことは、以前、本ブログに掲載しました。
 新生代(20)−新第三紀(9)−メッシニアン塩分危機 (2012年12月11日)

  この間に地中海は何度か干上がって、厚さ最大3㎞もの岩塩堆積層が形成され、その後、約550万年前には、地中海は完全に孤立して塩の砂漠となってしまいました。しかし、次のザンクラ期(Zanclean、533万2千年前〜360万年前)になると、大西洋からの海水の流入により、地中海は現在の状況になったとされています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:09Comments(0)新生代

2012年12月11日

新生代(20)−新第三紀(9)−メッシニアン塩分危機

 

 Artistic interpretation of the Mediterranean geography during its evaporative drawdown, after complete disconnection from the Atlantic. The rivers carved deep gorges in the exposed continental margins; The concentration of salt in the remaining water bodies lead to rapid precipitation. The inset evokes the transit of mammals (e.g., camels and mice) from Africa to Iberia across the exposed Gibraltar Strait.
 大西洋から完全に遮断された後の蒸発乾燥した期間における地中海地理の想像図。 河川は露出した大陸棚に深い峡谷を刻み、塩分の濃縮は残留水域に急速な沈殿をもたらした。挿入図は、露出したジブラルタル海峡を通ってアフリカからイベリアまでの哺乳動物(例えば、ラクダやネズミ)の通過を再現している。

(旧暦10月28日)

 え〜っ!地中海って、海水が蒸発して干上がってしまったことがあったんだってえ〜・・・?!
 な、なんで〜?

 それは、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の人類学の名誉教授、Brian Murray Fagan(1936〜)編著『 THE CONMPLETE ICE AGE』によれば、

 およそ600万年前の新生代中新世末期のメッシニア期(Messinian、724万6千年前〜533万2千年前)に地殻変動が進行してジブラルタル海峡が閉鎖され、地中海が一時的に太平洋から分離された時期があった。
 この間に地中海は何度か干上がって、厚さ最大3キロメートルもの岩塩(蒸発岩)堆積層が形成され、世界中の海水に溶解していた塩分の6%近くが岩塩となって沈殿し、地球規模の気候大変動をもたらした。その後、約550万年前には、地中海は完全に孤立して塩の砂漠となってしまった。


 と云うものです。

 新生代中新世末期のメッシニア期(Messinian、724万6千年前〜533万2千年前)と呼ばれる階層の時代区分に地中海の海水が干上がった事象は20世紀後半に解明され、これをメッシニアン塩分危機(Messinian salinity crisis)と呼んでいます。

 以下、ウィキペディアによる解説を参照してみましょう。

 Messinian salinity crisis
 The Messinian Salinity Crisis (MSC), also referred to as the Messinian Event, and in its latest stage as the Lago Mare event, was a geological event during which the Mediterranean Sea went into a cycle of partly or nearly complete desiccation throughout the latter part of the Messinian age of the Miocene epoch, from 5.96 to 5.33 Ma (million years ago). It ended with the so-called Zanclean flood, when the Atlantic reclaimed the basin.

 メッシニアン塩分危機
 メッシニアン事象、そしてその最新の段階ではラーゴ海事象と呼ばれるメッシニアン塩分危機(MSC)は、地中海が596万年前から533万年前の中新世メッシニア期の後半に、一部もしくはほぼ全域が乾燥する循環周期に移行したという地質学的な出来事であった。そしてその出来事は、いわゆるザンクレアン洪水で終結し、その時大西洋は地中海を取り戻した。


 Sediment samples from below the deep seafloor of the Mediterranean Sea, which include evaporite minerals, soils, and fossil plants, show that, about 5.96 million years ago in the late Miocene period, the precursor of the Strait of Gibraltar closed tight and the Mediterranean Sea, for the first time and then repeatedly, partially desiccated.
 蒸発岩鉱物、土壌、植物化石を含む地中海の深い海底の下からの堆積物標本は、中新世後期およそ596万年前、ジブラルタル海峡の前身が固く閉じて、地中海が初めて、そしてそれからは繰り返し、部分的に乾燥したことを示している。

 5.6 Ma ago the strait closed for the last time and, because of the generally dry climate conditions, within a millennium the Mediterranean basin nearly completely desiccated, evaporating into a deep dry basin bottoming at some places 3 to 5 km (1.9 to 3.1 mi) below the world ocean level, with a few hypersaline Dead Sea–like pockets.
 560万年前、一般の乾燥気候状態のために海峡は最終的に閉じ、死海の様な窪地のわずかな過塩水とともに、場所によっては海水面より3〜5キロメートル下の深く乾燥した盆地底部まで蒸発しながら、1000年以内で地中海盆地は完全に近い状態まで干上がった。

 Around 5.5 Ma, less dry climatic conditions allowed the basin to resume receiving more fresh water from rivers, with pockets of Caspian-like brackish waters getting progressively less hyper-saline, until the final reopening of the Strait of Gibraltar 5.33 Ma with the Zanclean flooding.
 約550万年前、乾燥の少ない気候条件は地中海盆地に、カスピ海のような窪地に過塩水より薄い汽水を徐々に受け入れながら、河川からのより新鮮な水を受け入れることを再開した。そしてそれは、ザンクレアン洪水に伴う533万年前のジブラルタル海峡の最後の再開まで続いた。

 

 Artistic interpretation of the flooding of the Mediterranean through the Gibraltar Strait.
 ジブラルタル海峡を通過する地中海洪水の想像図

 Even now the Mediterranean is saltier than the North Atlantic because of its near isolation by the Strait of Gibraltar and its high rate of evaporation. If the Strait of Gibraltar closes again, which is likely to happen in the near geological future (though extremely distantly on a human time scale), the Mediterranean would mostly evaporate in about a thousand years. After that, continued northward movement of Africa may obliterate the Mediterranean.
 現在でさえ地中海は、ジブラルタル海峡による隔離に近い状況とその高い蒸発速度により、北大西洋よりも塩分濃度が高い状態にある。
もしジブラルタル海峡が再び閉じるならば、地中海はおよそ千年でほぼ蒸発するであろうことは、人間のタイムスケール上では極めて遠いことではあるが、近い地質学的未来において起こる可能性は高いとされている。その後に、アフリカ大陸の継続的な北への移動が、地中海を消滅させるかもしれない。
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:01Comments(0)新生代

2010年02月27日

新生代(19)-第四紀(9)-破局噴火

 

 Diagram of the Yellowstone Caldera by Wikipedia.

 (旧暦  1月14日)

 日本列島では数千年に1回、地球規模では数百年に1回の頻度で文明を滅ぼすような巨大噴火が起きていますが、これを破局噴火(Catastrophic Eruption)とよんでいます。

 日本大学文理学部地球システム科学科の高橋教授が著した『破局噴火』(祥伝社新書)によれば、「破局噴火(超巨大噴火)は、いつの日か必ず起こる災害である。もし起これば被害は想像を絶するものであり、人類全体が滅亡の危機に陥るかもしれない。」とのことであります。

 う~む!
 地球上における人類の存在は、まさに奇跡そのものと云えるかもしれませぬなあ!


 米国地質調査所(United States Geological Survey)では、1回の噴火で1000立方キロ以上の岩石と火山灰を噴出する火山を超巨大火山( supervolcanoe )と呼んでいるそうですが、この用語はIAVCEI(International Association of Volcanology and Chemistry of the Earth's Interior 、国際火山学及び地球内部化学協会)などの学会ではまだ定義が定まっていないとのことです。

で、この破局噴火で噴出したマグマ量を、身近な噴火災害のところから比較していくと、

 1. 雲仙普賢岳   1990~1995年   0.2立方キロ
   平成3年(1991)6月3日午後4時8分に発生した火砕流では、取材に当たっていた報道関係者16名、火山の写真撮影と映画撮影のパイオニアとして世界的に著名な火山学者であるフランス人のクラフト夫妻(Maurice Krafft、1946~ 1991&Katia Krafft、1942~1991)とアメリカ地質調査所(United States Geological Survey)の火山学者ハリー・グリッケン(Harry Glicken、1958 ~1991)の3名、警戒中の消防団員12名など合わせて43名の死者行方不明者を出した。

 
 雲仙岳と東側山麓のラハール(Lahar、火山泥流)跡

 2. セント・ヘレンズ山   1980年   1.0立方キロ
   その優美な風貌から「アメリカの富士山」とも呼ばれたワシントン州スカマニア郡にあるセント・ヘレンズ山が、1980年5月18日8時32分、123年ぶりに大噴火を起こし、北側の斜面で大規模な山体崩壊を起こした。また噴出したマグマは大規模な火砕流を発生させ、約600平方キロの森林が火砕流に飲み込まれ焼失した。
   この噴火により広島型原爆2万7,000個分に相当するエネルギーが放出され、噴出物の総量は1立方キロを超えた。その結果、セント・ヘレンズ山の北側には幅約3km、深さ約800mの巨大な火口が出現し、標高は400mほど減少した。この噴火により57人が死亡もしくは行方不明となった。

 
 3,000 ft (1 km) steam plume on May 19, 1982, two years after Mount St. Helens major eruption by Wikipedia.

 3. ピナトゥボ山   1991年   5.0立方キロ
   ピナトゥボ山はフィリピンのルソン島西部にある成層火山で、密林が山を覆う目立たない山であったが、1991年6月初旬に約500年ぶりに噴火し、周辺地域では火砕流と火山灰に加えて火山泥流が発生し、数千戸の家屋が倒壊するなど、多大な被害を出した。
   1991年6月7日のマグマ性噴火からほぼ活動が終焉した9月までの噴出物の総量は約10立方キロ、マグマ量にして約5.0立方キロに相当する。これは大規模な山体崩壊をおこした1980年のセント・ヘレンズ山の約10倍にあたる。

 
 Die Pinatubo-Caldera mit dem Kratersee im Mai 1992. Der See ist von zahlreichen Fumarolen umgeben von Wikipedia.
 火口湖を伴うピナトゥボ・カルデラ、1992年5月。火口湖は多数の噴煙に囲まれている。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:43Comments(0)新生代

2009年06月03日

新生代(18)-新第三紀(8)-マンモスの絶滅(2)

 
 An early map of the extent of Lake Agassiz (by 19th century geologist Warren Upham). This map is now believed to underestimate the extent of the region once overlain by Lake Agassiz by Wikipedia.

 (旧暦 5月 11日)

 新生代(17)-新第三紀(7)-マンモスの絶滅(1)のつづき

 マンモスの絶滅の原因は、以下の二つに代表される議論が続いてきました。

 1. 過剰殺戮説:アリゾナ大学地球科学教授ポール・S・マーティン博士の電撃理論説(the blitzkrieg theory)に代表される、人類による過度の狩猟により大型獣が絶滅したとする仮説
   Martin, P. S. 1967. 〝Prehistoric overkill〟 Pp. 75~120 In

 2. 氷河期末期の気候変動に伴う環境変化を原因とする説:デンバー自然史博物館のラッセル・W・グラハム博士によって提唱された仮説
 
  Graham, R. W. and Mead, J. I. Mead 1987. 〝Environmental fluctuations and evolution of mammalian faunas during the last deglaciation in North America〟

 しかし、この気候変動説(the climatic theory)や電撃理論説(the blitzkrieg theory:急激な殺戮説)の二つの仮説に納得しない科学者が、1997年に第3番目の仮説を提唱しました。それが、疫病説(the disease hypothesis)です。

 3. 疫病説:ニューヨークのアーロン・ダイヤモンド・エイズ研究センターのウィルス学者マクフィー博士とプレストン・A・マルクス博士によって提唱された仮説で、マンモスの免疫機構が未知の致命的な病原体によって感染された。それらの病原体はマンモスを消滅させた人々によって持ち込まれたばかりではなく、犬、ネズミ、鳥、シベリアから北米大陸への最初の人間の到着に伴った寄生虫や他の生物によって運ばれた病原体の可能性が考えられる
   MacPhee, R. D. and Marx, P. A. 1997. 〝The 40,000 year plague: Humans, hyperdisease, and first-contact extinctions〟 Pp. 169~217

 Marx have so far identified only two existing pathogens that fulfill all the requirements: leptospirosis, a bacterium spread in rat urine, and the rabies virus.
 プレストン・A・マルクス博士は、これまでのところすべての必要条件を満たす2つの既存の病原体を識別した。それは、ネズミの尿によって蔓延するバクテリアであるレプトスピラ症(病原性レプトスピラの感染による人獣共通感染症)と狂犬病ウイルスである。

  そして2005年、「4万1千年前の超新星爆発がマンモスの絶滅を引き起こしたかもしれない」との新たな仮説〝impact theory〟が「米国エネルギー省ローレンス・バークレー国立研究所」の核科学者リチャード・B・ファイアストーン博士によって発表されました。

4. 超新星爆発による隕石が大気圏内で爆発し衝撃が生じたとする理論:地球から250光年離れた超新星の爆発がマンモスの絶滅に関係している。その最初の衝撃波は、3万4,000年前に地球を襲った。その証拠は、地球に秒速1万kmで衝突した金属粒子によると考えられる、マンモスの牙に残された小さな衝撃痕である。
   超新星爆発で吹き飛ばされた塵が低密度の固まりとなり、その彗星のような物体が太陽系に降り注いだ。その一つ、直径約10kmと考えられる隕石が1万3,000年前に北米大陸を直撃し、ほとんどのマンモスや北米の他の多くの大型哺乳類を絶滅させる激変を引き起こした。


 2007年9月、リチャード・B・ファイアストーン博士らは、1万2,900年前におきた隕石の衝突が、北米大陸の動植物に大規模な環境変化をもたらし、約1,300年に渡る亜氷河期(the Younger Dryas stadial)が訪れ、数種類の動物とアメリカ先住民の石器文化であるクロービス文化(Clovis culture)が消滅したとする論文を発表しました。
 〝Evidence for an extraterrestrial impact 12,900 years ago that contributed to the megafaunal extinctions and the Younger Dryas cooling〟
  (http://www.pnas.org/content/104/41/16016.full  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 00:21Comments(0)新生代

2009年05月15日

新生代(17)-新第三紀(7)-マンモスの絶滅(1)

 
  Woolly mammoth at the Royal BC Museum, Victoria, British Columbia by Wikipedia.

 (旧暦  4月 21日)

 マンモス(Mammonteus primigenius)は、アフリカゾウのロクソドンタ属(Loxodonta)やインドゾウのエレファス属(Elephas)とともに、漸新世(Oligocene、約3,370万年前~約2,380万年前)のマストドン類(Mastodonts)から分化したもので、体長3.9m、肩高2.9m、頭は短く高く、牙は長大で外上方に曲がっていました。
 全身褐色長毛で覆われているため、羊毛マンモス(wooly mammoth)とも呼ばれ、シベリア、アラスカ、北米五大湖付近にまで分布していたようです。

 その時代の北米大陸には、その他に剣歯虎類(サーベル・タイガー、sabre-toothed tigers)のスミロドン・カリフォルニクス(Smilodon californicus)やエレモテリウム(Eremotherium laurillardi)などの巨大ナマケモノ(giant sloth)、両翼開帳4m、高さ75cm、重さ15kgのコンドルの先祖ともいうべきテラトルニス属のTeratornis merriami などのmegafauna (巨大生物、Ancient Greek megas "large" + New Latin fauna "animal")が生息し、また驚くべきことに、ラクダ類(Camels)の進化の中心地でもありました。

 しかし、約1万2,900年前に、それらの巨大生物たちが姿を消してしまう何らかの地球的規模のできごとが生じたと考えられています。
これらの終焉の時期は、今から13,000前ほど前に始まった「Younger Dryas」と呼ばれる1300 ± 70年ほど継続した寒冷な気候が始まった時期と一致しています。

 気候学(climatology)では、西ヨーロッパにおけるヴュルム氷期(Wurm glacial period)あるいはシベリアでのサルタン氷期(Sartang glacial period)、また北米におけるウィスコンシン氷期(Wisconsin glacial period)と呼ばれる最終氷期は約2万年前頃にそのピークを越え、その後、地球は温暖化傾向に向かったとされています。
 ところが、2万年前以降気候はゆるやかに変化したのではなく、オールデストドリアス期(Oidest Dryas、約1万8,000年前ごろ)、オールダードリアス期(Older Dryas、約1万5,000年前ごろ)、ヤンガードリアス期(Younger Dryas、約1万2,000年前ごろ)という、少なくとも3回の急激な亜氷期が存在していました。

 これらの亜氷期の名前は、北半球の極地および高山に生育する匍匐性の常緑小低木でバラ科に属するDryas octopetala(和名:チョウノスケソウ)の属名Dryasに因んで付けられています。
 ヨーロッパにおける花粉分析で、これらの時代にDryas octopetalaの花粉が非常に多かったためであるとされています。
そして、これら亜氷期の時代には、北半球の広い範囲がツンドラ( tundra,低温で植物の生長可能期間が短いため樹木が生長できない地域)となり、Dryas octopetalaが繁殖していたと考えられています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:14Comments(1)新生代

2007年11月30日

新生代(16)-新第三紀(6)-イエローバンド

  
 Mount Everest North Face as seen from the path to the base camp, Tibet.
 Photo taken by Luca Galuzzi

 (旧暦 10月21日)

 新生代(Cenozoic)は、約6,500万年前 から現代、つまり恐竜が絶滅してから現代に至る地質時代の区分のことで、ずっと以前はさらに第三紀と第四紀に区分されていましたが、1989年に国際地質科学連合(IUGS)によって第三紀は、新第三紀と古第三紀に区分され、さらに2004年には第四紀が廃止され、新第三紀と古第三紀の2つの紀に分けられてしまいました。

 学問や科学技術などの分野は時代とともに変わっていくものであるということは頭では理解していましたが、いやはや、昨今の変遷には驚かされるものが多々あります。
 かつて「昔陸軍、いま総評」という絶大な権力をもった組織をさす言葉がありましたが、現在では、「昔陸軍、いまマスコミ」とでも言うのでしょうか、「昔の常識、今の非常識」ですのん!

 さて、世界の最高峰エベレスト(チベット名チョモランマ、ネパール名サガルマーター)の山頂直下を横切る石灰岩からなる黄色い岩帯はイエローバンドと呼ばれ、岩肌がもろく崩れやすいため、登山家の間では登頂最後の難関として恐れられているそうです。頂上を目前にしてこのイエローバンドに阻まれ、引き返した登山家も少なくないとのこと。

 このイエローバンドは、「テチス海(Tethys Sea)」の海底に堆積した堆積物からなり、この「テチス海(Tethys Sea)」は、現在の地中海周辺から中央アジア、ヒマラヤ、東南アジアにまで広がっていたと考えられています。

 「テチス海(Tethys Sea)」の名前はギリシャ神話の海の女神Tethysに由来し、アルプス山脈の地理の専門家として知られたウィーン大学地質学教授エドアルト・ジュース(Eduard Suess、1831~1914)によって1893年にその存在が提唱されています。  続きを読む

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2006年11月15日

新生代(15)-第四紀(5)-くじらさんの進化(1)

 

 セミクジラ (Northern Pacific Right Whale)

 (旧暦  9月25日)

 貞徳忌  江戸初期の京都の歌人、俳人松永貞徳の承応2年(1653)の忌日。
 九条稙通、細川幽斎に和歌、歌学を、里村紹巴(じようは)に連歌を学び、和歌や歌学を地下(じげ)の人々に教えた。「俳諧御傘」を著して俳諧の式目を定め、貞門俳諧の祖となった。

 もう30年以上も前のある秋の夜、おとなりの部屋のロシア文学専攻の5年目の先輩のところに友人の方が訪ねてきました。なんでも北大恵迪寮時代の友人で、今は函館の水産学部の大学院でアザラシの研究をしているとのことでした。

 久しぶりだと言うことで、私「嘉穂のフーケモン」がお使いを命ぜられ、当時学生としては贅沢品だった「剣菱」の1升瓶とサンマの缶詰を買いに走りました。

 剣菱の茶碗酒を飲みながらその方が話をされるには、
 『アイヌ語で「トッカリ」とも呼ばれているアザラシのそれもゴマフアザラシの生態調査のため、紋別港から漁船に乗せてもらって流氷に渡り調査をしていたら、流されてソ連の警備艇に捕まり、スパイと間違えられて尋問されたが、スパイのスの字も出てこなかったので釈放されて戻ってきた・・・・』
 というような驚くべき内容でした。

 当時のソ連警備艇はオホーツク沿岸の漁民にとっては恐怖の存在で、歯舞島・色丹島周辺では、根室のカニかご漁船が拿捕されて抑留されるという事件がひんぱんに起きていました。

 私「嘉穂のフーケモン」も非常に驚いて、次の日となりの5年目の先輩に、「すごい人ですね~」と言ったところ、「な~に、話半分で聞いていればいいんだよ。なにしろ彼はホラ吹き◎藤君といって、有名だから」とのことでした。  続きを読む

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2006年09月24日

新生代(14)−第四紀(4)−東京層

 

 石神井川旧河岸「東京層」の露頭
 
 (旧暦  8月 3日)

 南洲忌  政府軍の総攻撃により、島津応吉久能邸門前(鹿児島市城山町12-7)にて被弾、負傷し、別府晋介の介錯で自決した南州西郷隆盛先生の明治10年(1877)の忌日。

 北村の王子本町1丁目6番地先にある「音無さくら緑地」は、石神井川が蛇行して流れていた頃の旧流路につくられた公園ですが、緑に覆われた緑地内の通路は湧き水が滲みだし、夏でも涼しいところです。

 緑地には吊り橋も架かり、北村の役場の話しでは、ソメイヨシノ11本、ヒメシャラ7本、ヤブツバキ24本、ヤマモミジ13本、アジサイ638株が植えられているとのことです。

 写真の崖地は、川の蛇行による浸食作用が最も大きくなる河道屈曲の外側で、このような地形を地形学では攻撃斜面と呼んでいるそうです。

 湧き水がポタポタと滲みだしている縞状の部分より下方には、赤い酸化鉄に染まった砂質粘土の地層中に二枚貝や巻き貝などの化石を見つけることができます。
 この化石の見られる地層は、12〜13万年前の下末吉海進により、現在の帝都東京一円が海底となった頃に形成された「東京層」と呼ばれる地層です。

 横浜市鶴見区のJR鶴見駅の北西約1.5㎞の鶴見川沿いに下末吉という地域がありますが、下末吉海進はここの地名から付けられました。
 下末吉海進の時に堆積した地層を下末吉層といい、この地層は、東京帝國大学理学部地質学教室の大塚弥之助教授(1905〜1950)が下末吉地域を調査して、昭和5年(1930)に名付けた地層です。  続きを読む

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2006年05月04日

新生代(13)−第三紀(10)−ドルドン

 

 ドルドン・アトロクス(Dorudon atrox) Wadi Al-Hitan , Egypt.

 (旧暦  4月 7日)
 
 2005年7月、南アフリカのダーバン市で開催された「第29回世界遺産委員会ダーバン会議」で、新たにエジプトのワディ・アル・ヒタン(Wadi Al-Hitan)が世界遺産に登録されました。
 
 ワディ・アル・ヒタン(Wadi Al-Hitan)はカイロの南南西約150kmの砂漠地帯、ナイル川左岸ファユーム(Fayyūum)地方の指定保護地域ワディ・エル・ラヤン(Wadi El-Ryam)の中にあり、別名「Whale Valley」(クジラの谷)、かつてはズーグロドン渓谷(the Zeuglodon Valley)として世界中の古生物学者に知られていました。

 この渓谷からは、クジラの進化において後足を失う最後の段階を示す貴重な化石類や珊瑚礁、サメ類の歯、カニ類、貝類、マングローブの根などを含む様々な種類の化石も発見されています。
 
 この地域は、かつては古地中海とも呼ばれるテチス海(Tethys Sea)の浅い入江が入り込み、河川と湿地で覆われていました。テチス海(Tethys Sea)は、パンゲア大陸が分裂を始めた中生代ジュラ紀の約1億8,000万年前から新生代第三紀中新世(Miocene)前期の約2,500万年前までの間に存在していたと考えられている海で、現在の地中海周辺から中央アジア、ヒマラヤ、東南アジアにまで広がっていたと考えられています。
 
 約4,000万年前の新生代第三紀始新世(Eocene)頃に堆積した砂岩(sandstone)、石灰岩(limestone)、頁岩(shale)の地層が地表に表出しており、この地層に初期のクジラの化石や海牛類、サメの歯、カメの化石などが発見されています。
 最も新しい地層は約3,900万年前の始新世(Eocene)後期に堆積したもので、浅瀬に棲む動物の化石が多数発見されていることから、この時代に地殻隆起が起きてテチス海が無くなっていったと考えられています。また、約3,700万年前には、マングローブの森が広がる海岸地帯だったと推定されています。  続きを読む

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2006年02月12日

新生代(12)−第四紀(3)−氷河期

  

 Minimum (interglacial, black) and maximum (glacial, grey) glaciation of the northern hemisphere.
 
 (旧暦  1月15日)

 菜の花忌 小説家司馬遼太郎の平成8年(1996)年の忌日

 新生代(Cenozoic)第四紀(Quaternary)は、1829年にフランスの地質学者、考古学者J.Desnoyers(1800〜1887)によって、第三紀に続くフランスのセーヌ川(Seine)流域の堆積層を指定するために提案された言葉です。

 昭和60年(1985)に、イタリア南部カラブリア地方の海岸地域ブリカ(Vrica)が国際層序委員会(International Commission on Stratigraphy)によって模式地として制定されました。

 しかし、2004年に国際層序委員会(International Commission on Stratigraphy)で発表され2005年3月に出版された「A Geologic Time Scale 2004」によれば、第三紀という時代区分が完全になくなり、第四紀もなくすという方針だということです。

 全く、最近の学問の発達というか変遷には目まぐるしいものがあり、驚かされます。
 この「A Geologic Time Scale 2004」によれば、鮮新世(Pliocene)が終わり更新世(Pleistocene)が始まるのは、181万年前と定義されています。
 (http://www.stratigraphy.org/GTS04.pdf

 この時代、氷床が高緯度域の極寄りに発生して中緯度平原や丘陵地帯に広がる大陸氷床を発達させ、中緯度の高山地帯では谷を埋めた氷雪が山岳部から流出して谷氷河をつくり、地球全体では現在の陸地の約30%を氷河が覆ったとされています。  
 このように中緯度圏の非山岳地域に氷床が存在したような時期を氷期と呼ぶそうです。  続きを読む

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2005年10月12日

新生代(11)−第三紀(9)−マストドン

 

 Mounted mastodon skeleton, Museum of the Earth.

 (旧暦  9月10日) 

 芭蕉忌 松尾芭蕉の元禄7年(1694)の忌日

 新生代第三紀における哺乳類の進化の中で、私「嘉穂のフーケモン」が特に興味を惹かれるのは、鯨目(Cetacea)と長鼻目(Proboscidea)です。

 特にアフリカは約2,500万年前の漸新世(Oligocene)の後期(Chattian)には長鼻目(Proboscidea)の進化の中心で、そこからヨーロッパとアジアに進出し、後に北アメリカへと渡っていきました。そして約180万年前の第四紀更新世(Pleistocene)までには世界中のほとんどの地域に広がり、南米や東南アジアの島々にも到達していました。

 唯一の例外はオーストラリアで、彼らはまったく足を踏み入れることはできなかったようです。
 というのも、オーストラリア大陸は、今から約5000万年前の新生代始新世(Eocene)の頃には南極大陸から分裂して完全に孤立した大陸となったため、他の大陸とは完全に生物進化の過程が異なっていました。

 約2300万年前から500万年前までの中新世(Miocene)の間に優勢であった長鼻類はマストドン類(Mastodonts)でしたが、180万年前からの更新世にはマンモス類(Mammoths)に取って代わられました。

 マストドン類(Mastodonts)の進化の内その出発点にあるパレオマストドン属(Palaeomastodon)はエジプト北部ナイル川左岸のオアシスFayum(ファユーム)の漸新世(Oligocene)の地層(3370万年前〜2380万年前までの期間)から発見され、体長2m弱、肩高1m、頭は比較的大きくも鼻はまだ短い状態でした。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:38Comments(0)新生代

2005年08月14日

新生代(10)−第三紀(8)−プラティベロドン

 

 プラティベロドン頭部骨格化石 国立科学博物館

 (旧暦  7月10日)

 プラティベロドン(Platybelodon grangeri)は、中央アジアの新生代第三紀鮮新世(Pliocene、500万年前から160万年前までの期間)の中期の地層から発見されました。この期間にパナマ陸橋が形成され、ヒマラヤ山脈の上昇が激しくなっています。
 
 体長2.6m、肩高1.7m程度の小型の種でした。頭部は長く鼻は短かったのですが、吻部(鼻先)は長く伸長したようです。下顎の牙はへら上に変形して拡大伸長し、左右連結してスコップ状に進化しました。この牙は沼沢地の泥をすくい、草根類を掘るのに適していたようです。
 
 1929年、中央アジアを探検したアメリカ自然史博物館(American Museum of Natural History)の館長Henry Fairfield Osborn (1857〜1935)により、外蒙古のTung Gur層で発見され、副隊長のGrengerの名前が付けられました。アメリカ自然史博物館に模式標本が展示してあるそうです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:51Comments(0)新生代

2005年08月13日

新生代(9)−第四紀(2)−ホモ・サピエンス(1)

 

 The path followed by humans in the course of history.

 (旧暦  7月 9日) 
 
 水巴忌 俳人・渡邊水巴の昭和21年(1946)年の忌日
 
 生物は長い時間をかけて変化し、多様な形態をとることが知られていますが、東アフリカに誕生した人類の祖先となる化石類人猿がチンパンジー属と分岐したのは、約600万年前でした。その分岐過程については、コレージュ・ド・フランス(Collège de France)教授で古生物考古学者のイヴ・コパン(Yves Coppens)博士が1983年に提唱した「イーストサイド・ストーリー」が有名です。

 「イーストサイド・ストーリー」というのは、1961年に公開されて大ヒットしたロバート・ワイズ(Robert E. Wise)監督によるアメリカのミュージカル映画「ウエストサイド・ストーリー(WEST SIDE STORY)」をもじって名付けられた仮説で、「猿人が誕生して直立2足歩行を始めたのは、アフリカの大地溝帯の東側の気候が乾燥し森林が草原に変わったせいだ(サバンナ適応説)」という内容です。
 
 ちなみにこの仮説は、『ルーシーの膝(人類進化のシナリオ)』(LE GENOU DE LUCY)と題して紀伊國屋書店から平成14年(2002)4月に出版されています。
 
 その後登場したわれわれ人類ホモ・サピエンス(Homo sapiens)の直接の祖先であるホモ属が、十数万年前から世界中に拡散して生存域を拡大していきましたが、現在のような白色人種(Caucasoid)や黄色人種(Mongoloid)、黒色人種(Negroid)に分かれたのはわずか3〜4万年前だったと云われています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:27Comments(0)新生代

2005年07月13日

新生代(8)−第三紀(7)−ゴンフォテリウム

 

 Specimen of Gomphotherium productum at the American Museum of Natural History.

 (旧暦  6月 8日) 

 吉野秀雄忌  相聞歌人吉野秀雄の昭和42年(1967)の忌日

 今地球上の陸と海で一番大きな哺乳類として生き残っている鯨目(Cetacea)と長鼻目(Proboscidea)ですが、これらの先祖は約5000万年前の新生代第三紀始新世(Eocene)の中期ころから進化の歴史を始めました。

 メリテリウム(Moeritherium trigodon )は、この長鼻目進化の出発点にあるとされている小型種で、体長1.35m、肩高72㎝で、頭骨は長いが鼻はバクに似ていたようです。

 1904年、エジプト北部ナイル川左岸のオアシスFayum(ファユーム)の始新世(Eocene)〜漸新世(Oligocene)の地層から発見され、古代エジプトに存在した Moeris 湖の名にちなんで、Moeritheriumと名付けられました。
 
 当時この辺りは河川と湿地で覆われ、カバや海牛のような親水性の生活をしていたと考えられています。
 エール大学のFayum探検隊が発見した骨格は、体長2.5mに対して肩高64㎝、腰高70㎝と胴体が異様に長く、海生の海牛類に似ていたとの報告がなされているようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:46Comments(0)新生代

2005年06月08日

新生代(7)−第四紀(1)−マンモス

 

 マンモスの骨格化石(国立科学博物館)

 (旧暦  5月 2日) 長明忌 「方丈記」を著した鎌倉時代の歌人で随筆家の鴨長明の忌日。
 
 マンモスと一口で言ってもいろいろな種類に分類されていて、コロンビアマンモス(Mammuthus columbi)やインペリアルマンモス(Mammuthus imperator) など主な分類だけでも10種類以上あるようですが、私たちが通常マンモスと呼んでイメージしているのは、ケナガマンモス(Mammuthus primigenius) 別名ウーリー(Woolly)マンモスで、ドイツの生理学者・人類学者Johann Friedrich Blumenbach (1752〜1840)によって, 1799年に分類されました。

 体中が長い毛でおおわれ、肩の高さが3mでやや小型の種に属します。更新世(180万年〜1万年前)の後期に北半球の冷温帯草原からツンドラ地帯にかけて生息していました。

 
 
 マンモスというと大きい物のたとえのように思われていますが、大きいゾウでは肩高5m近いパレオロクソドン(palaeoloxodon antiquus)という巨象もいたようですから、実際はやや小型の種に属するようです。
 シベリアの永久凍土層からは氷漬けになった個体が見つかっており、日本でも北海道で見つかっています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:38Comments(0)新生代

2005年05月25日

新生代(6)−第三紀(6)−インドリコテリウム

 

 インドリコテリウムの骨格化石(国立科学博物館)

 (旧暦  4月18日) 

 有無の日  第62代村上天皇の康保4年(967)の忌日。 村上天皇は、急な事件のほかは政治を行わなかったことから名付けられたとか。
 
 1910年、イギリスの古生物学者クーパー(C. Forster Cooper)がパキンスタンのバルチスタン州 Dera Bugti丘陵で発見したこの化石は、体長10m、肩高5.2m、体重30tもあり雲をつくような巨体で、地球始まって以来の陸生獣でした。

 平均的なアフリカゾウが、肩高3.2m、体重6t程度なので、陸生哺乳類としてはいかに巨大だったかがわかります。

 この種属の化石については、発見者によってバルキテリウム(Baluchitherium)やパラセラテリウム(Paraceratherium)など種々の名前がついていますが、最近ではインドリコテリウム(Indricotherium)が一般的なようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:39Comments(0)新生代

2005年04月19日

新生代(5)-第三紀(5)-デイノテリウム

 

 Dinotherium骨格化石 国立科学博物館

 (旧暦  3月11日)

 1825年、ドイツのエッペルスハイム(Eppelseheim)の漸新世(3370万年前〜2380万年前)の下部地層から、奇妙な牙のついた顎の骨が、J.J.Kaupによって発見されました。 しかし、その骨は二つに折れていました。

 J.J.Kaupは長い検討の末、その牙を上向きに復元して、1829年にデイノテリウム(恐獣)(Deinotherium giganteum)という学名で発表しました。

 しかし1832年頃、デイノテリウムの折れていない下顎骨が見つかりましたが、その顎から生えた牙はなんと下向きに曲がっていました。  続きを読む

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2005年03月07日

新生代(4)-第三紀(4)-バシロサウルス

 

 バシロサウルス骨格化石 国立科学博物館

 (旧暦  1月27日)

 1832年、フイラデルフィアにあるアメリカ哲学協会にひとつの箱が届きました。中味は岩の塊で、ルイジアナのブライ判事という人の手紙がついていました。

 その塊は、ブライ判事が海の怪物であるかもしれないと信じたものの化石でした。

 この巨大な海洋生物の化石は、ルイジアナ州コロンビアの数マイル下流、ワシタ川に注ぐクリークに沿って続く険しい丘の側に埋まっていました。

 ブライ判事は、ワシタ川に沿って多くの地域を探検した北東ルイジアナ出身のアマチュア地質学者であり古生物学者でした。

 3年前の1829年、約40フィート(12m)の深さに埋まっていたと思われる化石化した骨格が激しい雨の後に丘の表面に露出しました。
 化石は約400フィート(120m)の長さにカーブした曲線に沿って、点々と見つかりました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:43Comments(0)新生代

2005年02月13日

新生代(3)-第三紀(3)-アンブロケタス・ナタンス

 

 アンブロケタス・ナタンス(Ambulocetus natans)国立科学博物館

 (旧暦  1月 5日)

 平成4年(1992)、ノースイースタン・オハイオ大学医学部(Northeastern Ohio Universities College of Medic)のハンス・テービスン(J.G.M. Hans Thewissen)博士のチームは、パキスタン北部パンジャブ州カーラチッタ丘陵(Kala Chitta Hills)の4900万年前の新生代第三紀始新世の海の岩の中から、現在のクジラと彼らの陸上の祖先の中間に位置する動物のほぼ完全な骨格(80%)を発見しました。

 大きな足部と強靭な尾は、泳ぎに優れていることを物語っていましたが、脚が太く、また、肘や手首の関節が動くことから、陸上でも動き回ることができたと判断されました。

 テービスン博士は、そのクジラにアンブロケタス・ナタンス(Ambulocetus natans)と名付けました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:16Comments(0)新生代