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2014年05月18日

歳時記(24)−春(7)− song of a brook

 
 
 髙野辰之博士(1876〜1947)

  (旧暦4月20日)

  小川の歌は、日本においては、文部省唱歌「春の小川」でも有名ですが、欧米でも小川の調べは多くの詩歌にうたわれています。
  ちなみに、文部省唱歌「春の小川」は、東京音楽学校教授高野辰之(1876〜1947)が作詞し、明治45年(1912)に『尋常小学唱歌第四学年用』に掲載されました。

  一、
  春の小川はさらさら流る。
  岸のすみれやれんげの花に、
  にほひめでたく、色うつくしく、
  咲けよ咲けよと、ささやく如く。


  昭和16年(1941)、国民学校令(昭和16年3月1日勅令第148号)の施行に伴って教科書が改訂され、当時の国民学校令施行規則では、国語で文語文を教えるのは5年生以上と定められていたため、詩人林柳波(1892〜1974)が歌詞を口語体に変えたとされています。

  一、
  春の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  すがたやさしく、色うつくしく
  咲いてゐるねと、ささやきながら。


  戦後の昭和22年(1947)、最後の文部省著作音楽教科書である『三年生の音楽』では再び歌詞が次のように改められました。

  一、
  春の小川は、さらさら行くよ。
  岸のすみれや、れんげの花に、
  すがたやさしく、色うつくしく
  咲けよ咲けよと、ささやきながら。


  この歌詞は、私たちが習った歌詞ですね。

  髙野辰之は、長野県下水内郡永田村(現中野市)に生まれ、長野県師範学校卒業後、東京帝国大学教授上田万年に師事し、国語・国文学を学んでいます。明治42年(1909)に文部省小学校唱歌教科書編纂委員を嘱託された髙野は、今もわたしたちの心に残る有名な唱歌を次々と発表しています。

 1. 明治44年(1911) 35歳 尋常小学唱歌第一学年用に「日の丸の旗」を掲載
                                           尋常小学唱歌第二学年用に「紅葉」を掲載
 2. 明治45年(1912) 36歳 尋常小学唱歌第三学年用に「春がきた」を掲載
                                           尋常小学唱歌第四学年用に「春の小川」を掲載
 3. 大正 3年(1914)37歳  尋常小学唱歌第六学年用に「故郷」、「朧月夜」を掲載


  さて、イギリスにおいても、次のような ‘song of a brook’ があります。

  When primroses are out in Spring,
  And small, blue violets come between;
  When merry birds sing on boughs green,
  And rills, as soon as born, must sing;


  春、サクラソウが花をつけ、
  かわいい、うす紫のスミレがその間に咲くとき;
  陽気な小鳥が緑のこずえにさえずり、
  細い溝が、流れ出るやいなや、歌をうたわなければならぬとき;


  When butterflies will make side-leaps,
  As though escaped from Nature's hand
  Ere perfect quite; and bees will stand
  Upon their heads in fragrant deeps;


  蝶たちが横の跳躍を行うとき、
  まるで自然の手から逃れるように
  まったく完全なものの前に;そして蜂たちは飛び立ち
  香りがある深みの中を彼らの頭の上に;

  When small clouds are so silvery white
  Each seems a broken rimmèd moon—
  When such things are, this world too soon,
  For me, doth wear the veil of Night.

  小さな雲がとても銀白色であるとき
  それぞれが壊れた縁取りの月のように
  そのようなものがそうであるとき、この世界はあまりにもすぐに
  私にとって、夜の覆いをまとう。
  (嘉穂のフーケモン拙訳)


  William H. Davies. 1870 − ‘ Days Too Short ’


 

  William Henry Davies(1871〜1940)


  William Henry Davies or W. H. Davies (3 July 1871– 26 September 1940)was a Welsh poet and writer. Davies spent a significant part of his life as a tramp or hobo, in the United Kingdom and United States, but became one of the most popular poets of his time. The principal themes in his work are observations about life's hardships, the ways in which the human condition is reflected in nature, his own tramping adventures and the various characters he met. Davies is usually considered one of the Georgian poets, although much of his work is atypical of the style and themes adopted by others of the genre.
 (From Wikipedia)


  ウィリアム・H・ディビス(1871〜1940)は、ウエールズ出身の詩人であり作家です。

  注)ウエールズ(Weles): グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)を構成する4つの国の一つで、グレートブリテン島の南西に位置する。
  ディビスは、彼の人生の重要な時期をイギリス連合王国とアメリカ合衆国で、放浪者あるいは渡り労働者として過ごしましたが、その時代の最も人気のある詩人の一人となりました。彼の著作における主要なテーマは、人生の苦難に対する観察ですが、
人々の状況が本質的に反映されるこの方法は、彼が出会った自身の放浪人生と様々な特色が反映されているものでもあります。
  ディビスは、通常、ジョージ王朝時代風の詩人の一人と思われていますが、彼の著作の多くは、不定形の様式であり他のジャンルに採用されるテーマでもあります。
  (ウィキペディアより)
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 10:45Comments(0)歳時記

2013年05月06日

歳時記(23)−春(6)− lilac

 

 Lilac、紫丁香花(むらさきはしどい)、学名:Syringa vulgaris

(旧暦3月27日)

 鑑眞忌
 唐代、揚州江陽縣大明寺の高僧で、苦節十年、五度の失敗にも志を貫き、六度目の渡航で日本に渡って日本律宗を開いた鑑眞(688〜763)の天平寶字七年の忌日。

 

 万太郎忌、傘雨忌
 小説家、劇作家、俳人、演出家として活躍した久保田万太郎(1889〜1963)の昭和三十八年の忌日。浅草田原町生まれの生粋の江戸っ子で、下町情緒と古典落語を愛し、伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた作品を数多く残している。俳号の傘雨から傘雨忌とも呼ばれる。

 

 春夫忌、春日忌
 艶美清朗な詩歌と倦怠、憂鬱の小説を軸に、文芸評論、随筆、童話、戯曲、評伝、和歌と多岐に活動した佐藤春夫(1892〜1964)の昭和三十九年の忌日。

 

 Lilacs,
 False blue,
 White,
 Purple,
 Color of lilac.
 Heart-leaves of lilac all over New England,
 Roots of lilac under all the soil of New England,
 Lilac in me because I am New England,
 Because my roots are in it,
 Because my leaves are of it,
 Because my flowers are for it,
 Because it is my country
 And I speak to it of itself
 And sing of it with my own voice
 Since certainly it is mine.
 Lilacs BY AMY LOWELL


 ライラック
 にせのブルー
 ホワイト
 パープル
 ライラックの色
 ニュー・イングランドをおおうライラックのハート形の葉
 ニュー・イングランドの土の下のライラックの根
 私がニュー・イングランドゆえ私の中のライラック
 私の根がその中にあるので
 私の葉がその一部なので
 私の花がそのためにひらくので
 それは私の国であり
 そして私はそれに向かってそれについて語り
 そして私自身の声でそれについて歌うので
 確かにそれが私のものであるからには。
 「ライラック」 エイミー・ローウェル (嘉穂のフーケモン拙訳)


 ライラック(lilac)、学名は Syringa vulgaris. Oleaceae 科の潅木で、東ヨーロッパおよびアジアの温帯地方に生じ、16世紀にペルシアから移植されたと云いますが、ハンガリーなどにも同種の植物が自生してるようです。

 花は白と淡紫があり、晩春から初夏の頃に開花します。紫のライラックは植民地時代にアメリカ合衆国に持って行かれ、東部および中部の庭園に植えられて、New Hampshire 州の州花とされています。

 この詩を詠んだエイミー・ローレンス・ローウェル(Amy Lawrence Lowell, 1874〜1925)は、アメリカ合衆国のイマジズム詩人で、その死後の1926年にピューリッツァー賞詩部門を受賞しています。
 イマジズム(imagism)とは写象主義とも訳され、ロマン派に対抗して1912 年ごろに起こった自由詩運動のことで、写象の明確さを綱領の一つとしています。

 

 エイミー・ローウェルは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ブルックラインの名門ローウェル家に生まれました。

 The Lowell family settled on the North Shore at Cape Ann after they arrived in Boston on June 23,1639. The patriarch, Percival Lowle (1571〜1664), described as a "solid citizen of Bristol",determined at the age of 68 that the future was in the New World.

 ローウェル一族は、1639年6月23日にボストンに到着した後、アン岬のノースショア地域に定住しました。 「ブリストルの堅実な市民」と称された族長パーシバル・ローウェル(1571〜1664)が、68歳のときに未来は新世界にあると決断したからです。

 Massachusetts Bay Colony Governor John Winthrop needed solid dependable people to settle the North Shore area as a buffer against the French from Canada and he urged that the Lowells relocate to Newburyport on the Merrimack River, at the border of the failing Province of Maine.  By Wikipedia
 
 マサチューセッツ湾植民地知事ジョン・ウィンスロップ(John Winthrop、1588〜1649)は、堅実な頼りになる人々がカナダからのフランス人の脅威に対する盾となる人々としてノースショアエリアに定住することを必要としていました。そして彼はローウェル家の人たちが、衰退したメイン直轄植民地境界のメリマック川河畔ニューベリーポートに転居することを強く主張しました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:48Comments(0)歳時記

2012年07月23日

歳時記(22)ー夏(8)ー五月雨

 

 Illumination of Earth by Sun at the northern solstice.

 

 Illumination of Earth by Sun at the southern solstice.


 (旧暦6月5日)


                 The Sun

 Had first his precept so to move, so shine,

 As might affect the Earth with cold and heat

 Scarce tollerable, and from the North to call

 Decrepit Winter, from the South to bring
 Solstitial summers heat.
  ーJ.Milton : Paradaise Lost, Ⅹ. 651-6

                   太陽は初め、
 地球にほとんど耐えられぬほどの寒さと暑さを与え、
 北からは老いぼれの冬を呼び、
 南からは夏至の酷暑を持ってくるように、
 そのように運行し、照り輝く規則を持っていた。
  ジョン・ミルトン :失楽園 Ⅹ. 651-6


 太陽が夏至点にあるとき、夏至点は北半球ではthe Tropic of Cancerにあり、同様に冬至点は南半球ではthe Tropic of Capricornにあります。

 英語圏などヨーロッパ言語の多くでは、北回帰線のことを“Tropic of Cancer”と呼び、南回帰線のことを“Tropic of Capricorn”と呼んでいます。

 これは、現在の星座が成立した古代バビロニアの時代(B.C.1900〜B.C.1600)には、かに座の領域に夏至点があり、やぎ座の領域に冬至点があったためであるとされています。

 『カンタベリー物語』 ”The Canterbury Tales”を書いたことで有名な14世紀イングランドの詩人、ジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, 1343?〜1400)は占星学にも詳しく、古代の天文測定機器であるアストロラーベ” Astrolabe”の解説書を残していますが、この夏至点については次のように説明しています。

 17. The plate under thy rict is descryved with 3 principal cercles; of whiche the leste is cleped the cercle of Cancer, by-cause that the heved of Cancer turneth evermor consentrik up-on the same cercle. In this heved of Cancer is the grettest declinacioun northward of the sonne. And ther-for is he cleped the Solsticioun of Somer; whiche declinacioun, aftur Ptholome, is 23 degrees and 50 minutes, as wel in Cancer as in Capricorne. This signe of Cancre is cleped the Tropik of Somer, of tropos, that is to seyn `agaynward'; for thanne by-ginneth the sonne to passe fro us-ward. And for the more declaracioun, lo here the figure.
 —Geoffrey Chaucer:A Treatise on the Astrolabe,Ⅰ.17
 

 17. 網状の下にある板の上に3つの主要な円が刻まれていて、そのうち一番小さいものが蟹の円と呼ばれるが、それは蟹の頭(巨蟹宮の始まりの領域)が常にその円の周りを回っているからである。
 この蟹の頭は、太陽が北に向かって一番傾いた時であるから、夏至点と呼ばれる。プトレマイオスは、この傾斜は蟹座にあっても山羊座にあっても同様に23度50分であることを与えている。この蟹座の領域は、回帰という言葉から北回帰線と呼ばれる。つまりそこから太陽は遠ざかって行くからである。
 『アストロラーベの解説書』  ジェフリー・チョーサー


 

 An 18th-century Persian astrolabe.

 ま、そういうわけで6月21日の夏至も過ぎて、帝都東京はあまり雨も降らずに暑い日が続いていますが、いかがお過ごしですかのう?

 内地では梅雨の季節ですが、英国でも米国でも特定の雨季がないから、”rainy season” という言葉はあまり使われないようです。使われたとしても、自国以外の国について書かれたものに見るくらいのものです。

 The rainy season came on.     
 雨季がやってきた。
  -D. Defoe : Robinson Crusoe, Ⅱ.ⅳ

 なるほど。ロビンソン・クルーソーならば、熱帯の無人島でしょうから、雨季があるのはわかりますね。

 英国でも米国でも、“Rainy season” はあまり用いられませんが、しかし、”rainy day” はよく使われるようです。

 When up the lonely brooks on rainy days
 Angling I went, or trod the trackless hills
 By mists bewildered, ….
  —William Wordsworth : The Prelude, Book Ⅷ.

  
 雨の降る日には、寂しい小川を釣りをしながら登っていった。
 あるいは、道なき丘を霧に悩まされながら辿っていった。
 ウィリアム・ワーズワース 『序曲』 8巻
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:24Comments(0)歳時記

2012年03月18日

歳時記(21)ー春(5)ー春雷

  

 "The Falling Thunder God"(Raijin) by Hanabusa Itchō.

 (旧暦2月26日)

 このところ板橋村でも雷警報がちょくちょく出されておりますが、春雷(spring thunder)は春の暖かい日などに急に寒冷な空気が入り込んできて、軽くて温暖な空気を押し上げるために起きる現象だそうです。

 イギリスではあまり春雷は聞かれないそうですが、イギリスのロマン派詩人シェリー(Percy Bysshe Shelley,1792〜1822)に次のような詩があります。

 She sprinkled bright water from the stream
 On those that were faint with the sunny beam;
 And out of the cups of the heavy flowers
 She emptied the rain of the thunder-showers.
  −P.B.Shelly: ‘The Sensitive Plant’,Ⅱ


 彼女は小川の清らかな水を
 陽光にしぼむ草花にふりまき
 雷雨のしずくでうなだれる
 花の盃の水をこぼしてやった。


 日本では、次のような胸に迫る詩が残されています。

 夜の春雷


 はげしい夜の春雷である。

 鉄板を打つ青白い電光の中に

 俺はひとりの石像のように立ってゐる。



 永い戦いを終へて
いま俺達は三月の長江を下ってゐる
。
 しかし、荒涼たる冬の予南平野に

 十名にあまる戦友を埋めてしまったのだ。

 彼等はみなよく戦ひ抜き

 天皇陛下万歳を叫んで息絶えた。

 つめたい黄塵の吹すさぶ中に

 彼等を運ぶ俺たちも疲れはててゐた。

 新しく掘りかへされた土の上に

 俺達の捧げる最后の敬礼は悲しかった。

 共に氷りついた飯を食ひ

 氷片の流れる川をわたり

 吹雪の山脈を越えて頑敵と戦ひ

 今日まで前進しつづけた友を

 今敵中の土の中に埋めてしまったのだ。


 はげしい夜の春雷である。

 ごうごうたる雷鳴の中から

 今俺は彼等の声を聞いてゐる。

 荒天の日々

 俺はよくあの堀り返された土のことを考へた。

 敵中にのこしてきた彼等のことを思い出した。

 空間に人の言葉とは思へない

 流血にこもった喘ぐ言葉を

 俺はもう幾度きいたことだらう。

 悲しい護国の鬼たちよ!

 すさまじい夜の春雷の中に

 君達はまた銃剣を執り

 遠ざかる俺達を呼んでゐるのだらうか。

 ある者は脳髄を射ち割られ

 ある者は胸部を射ち抜かれて

 よろめき叫ぶ君達の声は

 どろどろと俺の胸を打ち

 ぴたぴたと冷たいものを額に通はせる。

 黒い夜の貨物船上に

 かなしい歴史は空から降る。


 明るい三月の曙のまだ来ぬ中に

 夜の春雷よ、遠くへかへれ。

 友を拉して遠くへかへれ。

     

 1941年3月10日 予南作戦後 長江上にて

 【田邊利宏】
 岡山県浅口郡長尾町生まれ。1930年、小学校高等科卒業、上京し神田の帝国書院に勤務しながら法政大学商業学校(夜間部)に学ぶ。1934年、法政大学商業学校卒業、日本大学予科文科入学。1936年、日本大学予科修了し日本大学法文学部文学科進学。1939年3月日本大学卒業、9月福山の増川高等女学校に赴任、12月入営。船で上海へ送られ蘇州で訓練を受ける。その後華南・華中を転戦。1941年8月24日、江蘇北部で戦死。/「従軍詩集」より

 この詩を書いた田邊利宏氏は、昭和13年(1938)3月に日本大学法文学部文学科を卒業し、9月に福山の増川高等女学校に赴任するも、わずか3ヶ月後の12月に松江の歩兵六十三聯隊に入営、華南、華中戦線を転戦して昭和16年(1941)8月24日、中国江蘇省で戦死しています。陸軍伍長。享年26歳。

 同じく田邊氏の「雪の夜」とともに、私の若きときより心に残る詩でした。
凄まじい春雷に託して、戦友達の無念さと生き残ったものの慚愧の念を伝えるこの詩は、東京大学消費生活協同組合出版部の中に作られた「日本戦没学生手記編集委員会」が全国の大学高専出身の戦没学生の遺稿を募集し、75名、300ページ余の1冊にまとめ、昭和24年(1949)秋10月に出版した『きけわだつみのこえ』の中にも収められています。
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:50Comments(0)歳時記

2010年07月29日

歳時記(20)−夏(7)− canicular days

 
 Canis Major(おおいぬ座) as depicted in Urania's Mirror, a set of constellation cards published in London c.1825. Next to it are Lepus(うさぎ座) and Columba(はと座) (partly cut off). 
 ※ Urania’s Mirror is a boxed set of 32 constellation cards first published by Samuel Leigh of the Strand, London, in or shortly before 1825.

 (旧暦  6月18日) 
 
 ご無沙汰しとりますねんなあ!
 梅雨明けの暑さときたらかつてないひどさで、「今年の夏はいったいどないなってしまうねん?!」と不安に思っているのは、私「嘉穂のフーケモン」だけではありますまい。
 筑紫の国に住していたはるか昔も、クーラーのない暑さの中で喘いではいましたが、朝夕は若干涼しくて、お勉強は涼しい朝のうちに頑張っていたものでしたがねえ!

 O, who can hold a fire in his hand
 By thinking on the frosty Caucasus?
 Or cloy the hungry edge of appetite
 By bare imagination of a feast?
 Or wallow naked in December snow
 By thinking on fantastic summer’s heat?
 O, no! the apprehension of the good
 Gives but the greater feeling to the worse.
 − Shakespeare :Richard II. Ⅰ. ⅲ. 293-8

 あゝ、どんなにコーカサスの雪の山を思ひつゞけて見たからって、
 火を手掴みにすることは出來ますまい。
 山海の珍味に満腹したと想像したゞけで、
 刳(えぐ)るような飢(ひもじ)さが忍べますか?
 或は、夏の暑さを想ひ出して、それで嚴冬の雪の中に裸でころがってゐることが出來ますか?
 おゝ、決して!善いことを豫想すりや、惡いことがいよいよ鋭く感ぜられるばかりだ。
  『リチャード二世』(坪内逍遙訳)


 ‘fantastic’という言葉は英英辞書によれば、‘imaginary’あるいは‘strange and showing a lot of imagination’(Oxford Advanced Learner's Dictionary)と記述されており、元来「想像の世界のみに存在する」という意味だそうで、したがって‘fantastic summer’s heat’とは、「現実には到底ありえないほどの猛暑、ひどい夏の暑さ」を意味し、季語で云えば「炎暑」「炎熱」「炎天」となるのでしょうか。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:00Comments(1)歳時記

2009年07月21日

歳時記(19)−夏(6)−summer eve

 
 The climactic assassination of Caesar by wikipedia.
 シーザー暗殺のクライマックスシーン
 
 (旧暦  6月 1日)

              As the ample moon,
 In the deep stillness of a summer even
 Rising behind a thick and lofty grove,
 Burns, like an unconsuming fire of light,
 In the green trees; and, kindling on all sides
 Their leafy umbrage, turns the dusky veil
 Into a substance glorious as her own,
 Yea, with her own incorporated, by power
 Capacious and serene.
 -W.Wordsworth : The Excursion, 1062 - 70


 夏の夕べの深い静寂の中に
 こんもりと高い木立の向こうから昇る大きな月が
 燃え尽きることの無い光の炎のように
 緑の樹々の間で燃える、そして
 四方のうっそうたる木の葉を輝かし、薄暗い被いを
 自分のような栄光の存在に変える。
 そうだ、広大な清らかな力で自身に合体化してしまう。
 -ウィリアム・ワーズワース : 小旅行より (1062~1070)
  嘉穂のフーケモン 拙訳


 あつい日差しが西に沈み、夏の夕べは美しく、精神的な安らぎを与えてくれます。

 夏の夕べの快適でくつろいだ気分は、シェイクスピアの悲劇 『The Tragedy of Julius Caesar 』 の中のAntonyのCaesar追悼演説の中にも出てきます。

 ANTONY
 If you have tears, prepare to shed them now.
 You all do know this mantle: I remember
 The first time ever Caesar put it on;
 'Twas on a summer's evening, in his tent,
 That day he overcame the Nervii:
 Act Ⅲ, Sceneⅱ: The Forum. 178~182


 諸君は何れも此の外套ご存知であろう。
 予はシーザーが初めて之を着用した日を
 憶えている、それは或夏の夕方、勁敵(けいてき)
 ナーヸア族を征伐して大勝利を得た
 その日陣営中で被たのであった。
 (坪内逍遙 訳)
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:40Comments(0)歳時記

2009年04月07日

歳時記(18)-春(4)-西風(Zephyr) 

 
 Zephyrus, the Greek god of the west wind and the goddess Chloris, from a 1875 engravingby William-Adolphe Bouguereau by Wikipedia.

 (旧暦  3月12日)

 放哉忌  自然のリズムを尊重した無季自由律俳句を提唱した荻原井泉水(1884~1976)門下で、種田山頭火(1882~1940)と並び称された漂泊の俳人尾崎放哉(ほうさい)の大正15年(1926)の忌日。
 第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業し通信社、生命保険会社に就職するも、周囲との軋轢や酒癖による失敗で実社会から脱落し、大正12年(1923)に京都の一燈園で托鉢生活に入る。その後京都、須磨、小浜の寺々の寺男となり転々とする間、膨大な俳句を詠み才能を開花させた。
  
  咳をしても一人
  墓の裏に廻る
  いれものがない両手でうける
  考えごとをしている田螺が歩いている
  春の山の後ろから煙が出だした (辞世)


 放哉の俳句は、「静のなかに無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った」とも評されているが、肋膜炎を煩い、孤独の中に発する「咳をしても一人」という句などは、その研ぎ澄まされた感性に圧倒される。しかしながら、私「嘉穂のフーケモン」には文学としてならば理解できうるが、俳句としてはいかがなものかとも思える。

 Lo! where the rosy-bosomed Hours,     見よ、美しいヴィーナスの従者、
 Fair Venus' train, appear,            バラ色の胸の「時」の女神たち現れて、
 Disclose the long-expecting flowers,     長く待ちかねた花を開かせ、
 And wake the purple year!           深紅の「歳」をめざますところを。
 The Attic warbler pours her throat,       アティカの鳴き鳥は声をかぎりに
 Responsive to the cuckoo's note,       カッコウの鳴き声に答えて
 The untaught harmony of spring:       春の教えられぬ調べをかなでる
 While, whisp'ring pleasure as they fly,   また、飛びながら喜びをささやき
 Cool Zephyrs thro' the clear blue sky    涼しい西風の神ゼフィラスは澄んだ青空に
 Their gathered fragrance fling.        集めてきた香気を投げつける。
  ‘Ode on the Spring’ - a poem by Thomas Gray 嘉穂のフーケモン拙訳


  Zephyr[zéfə]は、west wind の詩語でギリシア語のΖέφυρος(Zephyros)が原語です。ギリシア神話のZephyr[zéfə]は、巨大な体を持ち、オリュンポスの神々に先行する古の神々であるティタン神族の一人 Astraeusと暁の女神 Eos(Aurora)の子で、花の神Chlories(Flora)の愛人、その息吹で花を咲かせ、果実をもたらすと伝えられていて、若い男の姿で現され、背中に翼をつけ、頭は様々な花で飾られています。

 古代ギリシアでは、西風は穏やかで良い風とされ、しばしば冬を運んでくる冷たく厳しい北風の神であるボレアス(Βορέας, Boreas)と比較されました。
 また、イギリスでは、西風と云えば春の軟風です。西風は、メキシコ湾流(Gulf Stream)の流れる大西洋の波の上を吹き抜けてくる風で、暖気と水分を含んで柔らかく感じられると云うことです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:10Comments(0)歳時記

2008年10月29日

歳時記(17)-秋(4)-Halloween 

 

 A jack-o'-lantern (sometimes also spelled Jack O'Lantern) is typically a carved pumpkin. It is associated chiefly with the holiday Halloween, and was named after the phenomenon of strange light flickering over peat bogs, called ignis fatuus or jack-o'-lantern. In a jack-o'-lantern, typically the top is cut off, and the inside flesh then scooped out; an image, usually a monstrous face, is carved onto the outside surface, and the lid replaced. At night a light (commonly a candle, although in recent years candles have fallen out of favor and are now considered unsafe because of the potential for fires) is placed inside to illuminate the effect. The term is not particularly common outside North America, although the practice of carving lanterns for Halloween is.

 (旧暦 10月 1日)

 Upon that night, when Fairies light,        その夜、軽やかな妖精たちは
  On Cassilis Downans dance,          カシリスの丘に踊り
 Or owre the lays, in splendid blaze,        また草原に、輝きを放ちながら
  On sprightly coursers prance;          さっそうと馬を駆る
 Or for Colean the rout is ta'en,          またコウリーンの館のために夜会は催され
  Beneath the moon's pale beams;        月の青白い光の下に
 There, up the Cove, to stray an' rove     そこ、洞窟の上で、さすらいそしてさ迷い
  Amang the rocks an' streams          岩と流れの間に
             To sport that night.      その夜を遊び過ごす

 Amang the bonnie winding banks         ドゥーンのさざ波がきらめき
   Where Doon rins, wimplin', clear,       うねりゆく美しい岸辺に
 Where Bruce ance rul'd the martial ranks,  そこはかつてスコットランド王ブルースが軍列を指揮し
  An' shook his Carrick spear,           そしてカリックのやりを振り回したところ
 Some merry, friendly, countra folks,       親しい村の人々が楽しげに
  Together did convene,                つどい寄った
 To burn their nits, an' pou their stocks,     木の実を燃やし、ブッコリの茎を抜いて
   An' haud their Halloween             ハロウィーンの祭りを今宵
            Fu' blythe that night.       心ゆくまで楽しもうと。


  ―R.Burns : ‘Halloween’

 «Cassilis Downans»
 Certain little, romantic, rocky green hills, in the neighbourhood of the ancient seat of the Earls of Cassilis.

 «the Cove»
 A noted cavern near Colean-house, called the Cove of Colean which, as well as Cassilis Downans, is famed in country story for being a favourite haunt of fairies.

 «Bruce»
 The famous family of that name, the ancestors of Robert, the great deliverer of his country, were Earls of Carrick.  続きを読む

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2008年04月29日

歳時記(16)-春(3)-残雪

 

 残雪の鳥海山 庄内地方より望む
 
 (旧暦  3月 24日)

 堀河院御時、百首歌奉りけるに、残りの雪の心をよみ侍りける  権中納言国信

 春日野の下萌えわたる草の上に つれなくみゆる春のあは雪   新古今和歌集 巻第一 春上10
 

 帝都は桜の季節も過ぎ、心地よい風が若葉を揺らしていますが、蝦夷地札幌では円山の桜花が少し早めの満開を迎えているようです。
 しかし、みちのくの山々には、まだ残雪が山肌に横たわり、寒々とした景色を見せています。

 人はのぞみを喪(うしな)っても生きつづけてゆくのだ。
 見えない地図のどこかに
 あるいはまた遠い歳月のかなたに
 ほの紅い蕾(つぼみ)を夢想して 
 凍てつく風の中に手をさしのべている。
 手は泥にまみれ
 頭脳はただ忘却の日をつづけてゆくとも
 身内を流れるほのかな血のぬくみをたのみ
 冬の草のように生きているのだ。

 遠い残雪のような希みよ、光ってあれ。
 たとえそれが何の光であろうとも
 虚無の人をみちびく力とはなるであろう。
 同じ地点に異なる星を仰ぐ者の
 寂寥とそして精神の自由のみ
 俺が人間であったことを思い出させてくれるのだ。
  『きけわだつみのこえ』  田辺利宏  「雪の夜」


 山の岩陰や木陰、裏庭や藪の陰などに消え残る雪には、去りゆく冬に名残を告げる趣がありますが、イギリスでは冬将軍の家来を次のように茶化している詩もあります。  続きを読む

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2007年12月02日

歳時記(15)-冬(4)-北風(Boreas)

  
 
 Rape of Oreithyia by Boreas. Detail from an Apulian red-figure oinoche, 360 BC

 (旧暦 10月23日)

 吉永小百合先生が歌う、「♪ 北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる・・・」といった歌詞の「寒い朝」という歌がありましたが、まだ暗い寒い朝の寒稽古には辛いものがありましたね。
 私「嘉穂のフーケモン」の両耳が腫れ上がり餃子のようになってしまったのも、高校2年の冬の合宿の時でした。

 冬季に北から吹く乾燥した冷たい強風は、日本各地で「赤城おろし」、「伊吹おろし」、「六甲おろし」あるいは、「遠州のからっ風」、「上州のからっ風」などの名前をつけられ古くから有名ですが、歌の題名にもなっています。
 「六甲おろし」は『阪神タイガースの歌』の通称として有名ですが、「伊吹おろし」という歌も、かつては旧制第八高等学校(現名古屋大学)大正5年度寮歌としてよく知られていました。

 ギリシア神話では、冬を運んでくる冷たい北風の神ボリアス[Boreas]が有名で、英詩でも「北風」の意味に用いられています。

 ギリシヤ古典詩の影響を強く受けたイギリスの詩人ジョン・ミルトン(John Milton,1608~1674)の代表作である『失楽園』 Paradise Lost (1667) は、旧約聖書の『創世記』をテーマにした壮大な叙事詩ですが、第十話695行~705行にはボリアスを初めとするギリシア神話の様々な風の神々が描かれています。

 Now from the North
 Of Norumbega, and the Samoed shoar
 Bursting thir brazen Dungeon, armd with ice
 And snow and haile and stormie gust and flaw,
 Boreas and Cæcias and Argestes loud
 And Thrascias rend the Woods and Seas upturn;
 With adverse blast up-turns them from the South
 Notus and Afer black with thundrous Clouds
 From Serraliona; thwart of these as fierce
 Forth rush the Levant and the Ponent Windes
 Eurus and Zephir with thir lateral noise,
 Sirocco, and Libecchio.
 ―J.Milton : Paradise Lost , Ⅹ. 695-705
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2007年04月25日

歳時記(14)-春(2)-Shakespeare Day

 

 The Chandos portrait, popularly believed to depict William Shakespeare.

 (旧暦  3月10日)

 4月23日はかの有名なイギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、洗礼日1564年4月26日~1616年4月23日)の誕生日とされ、この日にShakespeare関係の記念行事が世界の各地で行われることが多いようですが、実際には4月26日に洗礼を受けたと伝えられるのみで、誕生日は後の創作であると考えられているようです。

 ということで、皆さま、お久しゅうございます。どげんしよんなさったですか?
私「嘉穂のフーケモン」も長い長い拘束から解放されて自由の身となり、春の到来を喜んでいるひとりでございます。

 Shakespeareに対する讃歌は古からひじょうに多く、1623年のThe First Folioに掲載された17世紀のイギリスの劇作家、詩人Ben Jonson (1572~1637)の詩を初めとしており、また、18世紀のイギリスの随筆家、詩人、作家James Henry Leigh Hunt (1784~1859)には、‘Shakespeare’s Birthday’というエッセイがあり、情熱的な讃辞と共に、あらゆる階層の人がこの日を祝うべきだとして、その祝い方まで述べているようです。

 ところでThe First Folioは、Shakespeareの戯曲をまとめて出版した最初の作品集で、正式な題名は、"Mr William Shakespeare's Comedies, Hitories and Tragedies"、当時の価格は1£(pound)で現在の日本円の貨幣価値では23,000円程度だったそうです。

 Paradise Lost(『失楽園』 1667)で有名なイギリスの17世紀の詩人、John Milton (1608~1674)にも、‘ On Shakespeare’という詩があります。  続きを読む

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2006年11月11日

歳時記(13)-冬(3)-first frost(初霜)

 

 夕暮れの北大恵迪寮 taken by Masaaki Ebina at the middle of 1970’s

 (旧暦  9月21日)

 A sparkling sunset, oranged to gold,  
 Rings like a bell of sorrow told,
 Across the night of whistling cold;  
 For now an arm swings near and far  
 The brittle lamp of every star.  
 The flowers grow in the garden pied  
 Velvet, imperial, laughing-eyed,  
 While on them all hovers a breath,  
 The whistiling frost of silver death.  
   
 -E. Curran : ‘First Frost’


 きらめく日没は、オレンジ色から金色になり
 悲しみを告げる鐘のように響き渡る
 音をたてる冷たい夜のなかを
 いま1本の腕が近く遠く揺れる
 もろもろの星の砕けやすい光を
 花は庭に生えてまだらな
 ビロード、荘厳な、笑った目の
 その上にひとつの息吹がかかる
 銀の死の音を立てる霜が



 忙しい日々を送っておりましたが、いつの間にか立冬(11月7日)も過ぎ、冬の季節になってしまいました。
 帝都ではまだ初霜は降りていませんが、北国では初雪の便りも聞かれる頃でしょう。

 昨日、旧友が上京して来ました。昔とちっとも変わらず、無骨で、不器用で、しかし燃ゆる思いは熱く、旧友もいいもんですね。

 Old friends.
 Memory brushes the same years.
 Silently sharing the same fears
 Time it was.
 And what a time it was,
 It was.....
 A time of innocence,
 A time of confidences.
 Long ago... it must be...
 I have a photograph.
 Preserve your memories;
 They’re all that’s left you

 -Simon & Garfunkel : ‘Old Friends’
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2006年10月21日

歳時記(12)-秋(3)-曲江の秋

 
 
 晩秋の米沢城趾「松が岬公園」

 (旧暦  8月30日)

 直哉忌 
 武者小路実篤、有島武郎、倉田百三、里見弴、柳宗悦等が所属した白樺派を代表する小説家のひとりで、『暗夜行路』、『和解』、『小僧の神様』、『城崎にて』などの作品を残し、推敲を尽くした無駄のない文章により「小説の神様」として大正、昭和期の多くの文学者に範とされた小説家志賀直哉の昭和46年(1971)の忌日。
 滝井孝作、尾崎一雄、小林秀雄、網野菊、藤枝静男、島村利正、直井潔、阿川弘之ら錚々たる作家が師事した。

 
 かつての唐の都長安の中心部より東南東数㎞の風光明媚なところに、曲江池という池がありました。
 この池は、「隋の長安建都の時に黄渠の水を引いて池を作り、これを曲江と呼んだ」と宋代(南宋1127~1279)の趙彦衛が撰した『雲麓漫鈔』に記述してありますが、隋はこの地に「芙蓉園」を造って離宮としました。

 この地には、かつて漢の武帝も「宣春下苑」という離宮を造っており、唐代になって第6代皇帝玄宗(在位712~752)の開元年間(713~741)に大規模な再開発が行われたようです。
 近くには杏園、楽遊原、大慈恩寺などの名所があり、貴族達の行楽地として春や秋には賑わい、特に唐の科挙試験に及第して進士となった者は、曲江のほとりの杏園で宴を賜ったと伝えられています。

 しかしこの場所も、安史の乱(756~763)の時に建築物は尽く破壊され、一部は後に修復されたようですが、これもまた唐末の戦乱で破壊されてしまいました。
 現在は曲江地遺跡として石碑なども建っているようですが、池は干上がって農地に化しています。

 杜甫には「曲江三章」という章五句の詩があり、この曲江のほとりの秋の様子を詠っています。

 曲江三章 章五句

 曲江蕭条秋氣高    曲江蕭条として 秋氣高く
 菱荷枯折随風濤    菱荷(菱と蓮)枯折して 風濤に随ふ
 游子空嗟垂二毛    游子空しく嗟す 二毛(白髪交じり)に垂(なんなん)とするを
 白石素沙亦相蕩    白石素沙 亦た相い蕩(うごか)す
 哀鴻独叫求其曹    哀鴻(あいこう、哀れなヒシクイ)独り叫び 其の曹(ともがら)
               を求む

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2006年08月23日

歳時記(11)−夏(5)−落暉

 

  北京北海公園(ベイハイコンユワン)の夕暮れ

 (旧暦  7月30日)

 雲こそ我が墓標 落暉よ碑銘をかざれ

 これは鹿児島県の海軍航空隊出水基地を舞台に描かれた阿川弘之氏の小説『雲の墓標』の中で、特攻隊員が戦友に宛てた遺書の中に出てくる一節です。

 落暉(らっき)とは、広辞苑によれば「入り日」、「夕日」、「落日」との解説がありますが、1日の役目を終えて西の方へ傾いてゆく太陽を英語ではdeclining sun (斜陽)、setting sun (入り日)とも云います。

 イギリスの詩人ジョン・ミルトン(John Milton, 1608〜1674)による仮面劇『コーマス、Comus』では、“The slope sun”(傾ける太陽)とも表現されていますが、沈んでいく太陽が洋の東西を問わず人の心を打つのは、それが華麗な夕焼けの色を伴うからで、sunset glow、sunset color、evening glow は、いずれも夕焼け、夕映えのことを指します。

 ローマ神話に登場する太陽の神アポロ(Apollo)の車が1日の行程を終えてその華麗な色彩を西の空一面にまき散らしながら静かに消えていく姿は、夏の夕暮れの静寂とともに心惹かれる風景のひとつです。

 しかしこのように美しい夕映えを伴う入り日の姿を、かつて栄えた者が落ち目になった形容として描くこともあるようです。

 ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、1564〜1616)は、悲劇『ジュリアス・シーザー、Julius Caesar、1599』(?. ?. 60-3)で次のように描いています。

 But Cassius is no more.
 O setting sun,
 As in thy red rays thou dost sink to night,
 So in his red blood Cassius’day is set;
 The sun of Rome is set!


 しかし、シーザー様はもうこの世にいない。
 おお、沈みゆく太陽よ、
 おまえは紅い光線の内に没して夜となるが、
 このシーザー様の日輪も赤い血の内に没した。
 ローマの太陽が没したのだ。
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2006年01月30日

歳時記(10)−冬(2)−ジャック・フロスト

 

 Needle ice pushing up soil particles.
  

 (旧暦  1月 2日)

 What swords and spears, what daggers bright
 He arms the morning with! How light       
 His powder is, that’s fit to liett 
 On the wings of a butterfly!tt
 What milk-white clothing he has madet
 For every little twig and blade!tt
 What curious silver work is shownt
 On wood and iron, glass and stone!t
 ‘If you, my slim Jack Frost, can tracet
 This work so fine, so full of grace,t
 Tell me,’I said, ‘before I go.―tt
 Where is your plump young sister,t
 Snow ? ’
 ― W.H.Davies: ‘Frost’


 彼は何たる剣と槍、耀く短刀で
 朝を装わせることか!
 霜の粉は軽やかで
 蝶の羽の上に置くにふさわしい!
 小さな一枝一枝、一葉一葉の為に
 何という乳白色の衣を作ったことか!
 木材や鉄、ガラスや石の上に
 何とめずらしい銀細工が展示されていることか!
 私は尋ねた。 「華奢なジャック・フロスト、もしお前が気品に満ちた 
 この見事な作品の出所を探り当てることができるなら
 私が立ち去る前に教えてくれ、
 お前のふくよかな妹なる雪はどこにいるのか」


 英語では、霜や厳寒を擬人化した「Jack Frost」という言い方があります。
 Jack Sprat (一寸法師)、Jack Tar(水夫)、Jack-in-office(威張った小役人)などと共通して、親しみ或いは軽蔑の情を込めた云い方だそうで、“Before Jack Frost comes”(寒くならないうちに)と云うような日常会話の中でもよく使われているようです。

 また、General Winter(冬将軍)という冬を擬人化した言葉もありますが、これはモスクワに攻め入ったナポレオン軍が、ロシアの冬の厳寒と雪に悩まされて敗走した史実からきているそうです。  続きを読む

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2005年12月02日

歳時記(9)−冬(1)−初冬

 

 初冬の米沢城趾(松が岬公園)

 (旧暦 11月 1日)

 北半球の冬は、天文学上ではwinter solstice(冬至:12月22日ころ)からvernal equinox(春分:3月21日ころ)までの期間を指すようですが、一般には12月初めから2月末までの3ヶ月が冬とされています。

 The long dark night, that lengthens slow, t
 Deepening with Winter to starve grass and tree,
 And soon to bury in snow
 The Earth, that, sleeping ’neath (beneath) her frozen stole,
 Shall dream a dream crept from the sunless pole
 Of how her end shall be.
 Robert Bridges ´November` (42-7)


 長い暗い夜が、ゆっくりと長くなり
 冬と共に深まって草や木を萎えさせ、
 やがて大地を雪に埋める、
 大地は、氷の肩掛けの下で眠り、
 太陽のない極地からしのびよる夢に
 その終末のさまを見る。


 Decemberは、1年がMartiusから始まった古代ローマの古暦(ロムルス暦、ヌマ暦などの太陰暦)の第10の月ですが、その後JanuariusとFebruariusが加えられ、さらに64B.CにJulius Caesarが太陽暦(Julian Calendar)を制定したときに、Januariusを第1月としたために、Decemberは第12番目の月になりました。  続きを読む

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2005年09月23日

歳時記(8)−秋(2)−中秋の月

 

 中秋の名月

 (旧暦   8月20日)

 「中秋」とは陰暦の8月15日のことで、「仲秋」とは陰暦の8月葉月のことを指す言葉だそうですから、陰暦8月15日の名月は「中秋の名月」と記述することが正しいようですね。

 さてお月見という風習は古くから有り、中国では「観月」あるいは「玩月」などと云われてきたようですが、この風習が陰暦8月15日の「中秋」の満月に固定されたのは、唐代以降のことだそうです。

 日本ではお月見といえば「十五夜お月さん」の8月15日だけでなく、9月13日にも月見をする風習があり、こちらは「十三夜」、「後の月」と呼ばれています。

 童謡作詞家として有名な野口雨情(1882〜1945)には、大正9年(1920)9月に児童文学誌『金の船』に発表された「十五夜お月さん」という詩があり、昭和35年に藤島恒夫の歌でヒットした「月の法善寺横町」の歌詞にも、「月も未練な十三夜」とありますから、昔の日本人には「十五夜」や「十三夜」というのは、季節感を表す生活の一部だったのでしょう。また、古いところでは、昭和16年(1941)に発売された石松秋二作詞の『十三夜』という唄もありますね。

 河岸の柳の 行きずりに ふと見合わせる 顔と顔
 立ち止まり  懐かしいやら 嬉しやら
 青い月夜の 十三夜


 作詞者の石松秋二氏は、『満州娘』や『九段の母』などを作詞していますが、終戦時に満洲に侵攻してきたソ連軍により殺害されたそうです。  続きを読む

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2005年09月14日

歳時記(7)−秋(1)−野分

 

 颱風

 (旧暦  8月 11日) 

 日本では台風14号が豪雨災害をもたらし、北米ではハリケーン(Hurricane)「Katrina」がニューオリンズ市を壊滅状態に追い込みましたが、洋の東西を問わずこの季節に吹く大風にはまったく困ったもんでゴンス!
 NHKのアニメワールド「おじゃる丸」に登場する子鬼のトリオのアオベエのくちぐせみたいでゴンス!
 この子鬼トリオは、エンマ大王の笏(シャク)をとりかえすため、おじゃる丸を追って月光町にやってきたのでゴンス!

 豊かに稔れる石狩の野に
 雁(かりがね)はるばる沈みてゆけば
 羊群(ようぐん)声なく牧舎に帰り
 手稲の巓(いただき)黄昏(たそがれ)こめぬ
 雄々しく聳(そび)ゆる楡(エルム)の梢(こずえ)
 打振る野分に破壊(はえ)の葉音の
 さやめく甍(いらか)に久遠(くおん)の光
 おごそかに 北極星を仰ぐかな
 (明治四十五年寮歌 都ぞ弥生)

 我らが魂のふるさと、恵迪寮の明治45年度寮歌『都ぞ弥生』の二番に、「打振る野分」とあるように、古来日本では立春から二百十日ないし二百二十日前後に吹く暴風のことを、「野分」と呼んでいました。野の草を分けて吹くという意味から「野分」と名付けられたと云われています。

 ところで、紫式部(973?〜1016?)さんが書きはった『源氏物語』の28帖にも「野分」と題するお話があり、夏目漱石(1867〜1916)どんも「野分」という小説を書きました。  続きを読む

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2005年08月22日

歳時記(6)−夏(4)−雷(いかずち)

 

 雷が落ちたらどうしよう???

 (旧暦 7月18日)  藤村忌  小説家島崎藤村の昭和18年(1943)の忌日

 このところ雷の被害が各所で起きており、公園やゴルフ場、海水浴場など遮蔽物が無いところでの緊急避難のあり方等が話題になっていますが、木の下への避難は絶対に避けるべきで、木から3m以上離れて両足を揃えてしゃがむことが一番有効な方法だそうです。

 両足が離れていると、片方の足から電流が入って体を貫通し、反対側の足に抜けるのだそうで、両足を揃えていると回路が形成されずに電流が人体を流れないのだということです。

 一般に、体に金属(時計やネックレス)を身につけていると落雷しやすいなどといわれていますが、これは関係ないようです。
 また、コンクリートブロックで覆った小さな建物(バス停など)では、ブロックを貫通して雷が直撃するので、雷が鳴ったらいち早く大きな建物に避難するのが一番ですね。

 さて雷は、上空と地上の間に電位差が生じた場合に放電により閃光や轟音が引き起こされる現象ですが、季語としては夏を表します。
 稲妻は秋の季語で、地上との間の放電を落雷と呼び、1回の放電量は数万〜数10万アンペア、電圧は1〜10億ボルトにも達するようです。  続きを読む

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2005年08月03日

歳時記(5)−夏(3)−葉月

 

 オオバナノエンレイソウ

 (旧暦  6月29日)

 毎日暑い日が続きもう8月になってしまいました。あまりに暑いので、ブログに書き込むネタ探しにも気持ちが乗らず、1週間以上もさぼってしまいましたが、ま、気楽にやるのが良いのではないかと自分を納得させている今日この頃です。

 8月とは言っても旧暦ではまだ6月の後半で、新旧の暦のずれは今では生活には大きく影響はしないのでしょうが、季節感という長年培ってきた生活感覚がずれるということには、複雑な思いが致します。
 旧暦の葉月(8月)は、新暦では9月4日から10月2日(8月30日は存在しない年もあるので)までで、そのため、木の葉が落ちる月「葉落ち月」が「葉月」となったという説が有力なようですが、定説ではないそうです。また、広辞苑によれば、昔は「はつき」と濁らないで呼んでいたそうです。

 さて、英語で8月はAugustですが、古代ローマではMarch(3月)が1年の1番目の月で、8月はSextilis(第6番目の月)でした。しかし、ローマ初代の皇帝Augustus Caesar(B.C.62〜A.D.14)が自分の名前を付けてしまいAugustus、それがAugustと変化したものと云われています。
 さすが、権力者というのもは大したもので、今の政治家など足下にも及びませんね。  続きを読む

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