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2005年07月25日

となり村名所あんない(21)−千代田村(6)−スカイバス

 

 スカイバス TOKYO

 (旧暦  6月20日)

 不死男忌  俳人秋元不死男の昭和52年(1977)の忌日

 帝劇(帝国劇場)の9階(千代田村丸の内3-1-1)にある出光美術館で、宋代に発展し元・明代に隆盛した民窯(朝廷専用の窯である官窯に対し、民間で使用される磁器を焼成した窯)の雄と云われる磁州窯の特別展をお母ちゃん(妻です)と見た帰り、丸ビルの辺りを散歩しているとおしゃれな二階建てオープンバスを見かけたとです。

 何でもこのバスは、日の丸自動車が運行している日本初の2階建てオープンバス『スカイバス TOKYO』で、北の丸・桜田濠などの皇居を一周し、霞ヶ関官庁街、国会議事堂、銀座、丸の内などを短時間に巡回する観光バスだそうです。

 乗り場は東京駅丸の内南口三菱ビル前(丸ビルとなり)で、料金は大人 (12歳以上) 1, 200円、こども (4歳以上12歳未満) 600円となっています。
 出発時間は午前10:00から1時間おきに18:00まで運行しており、ちょっとお高いかも知れませんが、彼女もとい奥さんとのたまのデートにはとても良かとじゃごわさんか。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:03Comments(0)となり村名所あんない

2005年07月24日

伝説(1)−辨慶の引き摺り鐘

 

 三井寺 辨慶の引き摺り鐘

 (旧暦  6月19日)

 河童忌 芥川賞で有名な小説家芥川龍之介の昭和2年(1927)の忌日

 全国に義経伝説や辨慶伝説は数多在るのでしょうが、辨慶伝説について云えば、荒唐無稽な話しに思わず笑ってしまうほど、愛嬌があります。

 鎌倉幕府の正史である『吾妻鑑』の文治元年乙巳(1185)11月11日庚寅の項に、「義経等反逆の事、申請に任せ宣下せられをはんぬ。・・・・」と後白河法皇により義経追討の院宣が下されたことが記載されています。

 追われる身となった伊豫の守義経に付き従うのは、歌舞伎の『義経千本桜』で有名な亀井(六郎重清)・片岡(八郎為春)・伊勢(三郎義盛)・駿河(次郎清重)(義経の四天王)と常陸坊海尊、そして武蔵坊辨慶他総勢10数名。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:53Comments(0)伝説

2005年07月21日

秋津嶋の旅(6)−畿内(1)−大津

 

  左端膳所城を望む大津市街

 (旧暦  6月16日)

 所用のため、上方の近江大津に行って来ました。
大津は、東海道五十三次の53番目、中山道六十九次の69番目の最後の宿場町で、往時は琵琶湖の湖上交通や陸路の要衝であり近江商人の町として栄えていたそうです。

 江戸時代は大津代官支配の幕府直轄領で、旅籠71軒、本陣2軒、家屋数3,650軒、人口15,000人弱の街道一とも云われる宿場町でした。

 街のタクシーの運転手さんによると、「織田信長の時代の坂本城、羽柴秀吉の時代の大津城、徳川時代の膳所城がありますが、江戸時代の膳所城などは新し過ぎて話にならん。そもそも近江の大津京は天智天皇が・・・・・」と、話しがえらく旧くなって、江戸や帝都東京などと悦に入っているのは、関東の田舎者だと云わんばかりの解説でした。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:22Comments(0)秋津嶋の旅

2005年07月19日

アメリカ(6)−アイビーリーグ

 

 Harvard college annenberg hall.

 

 Yale University Harkness Tower.

 

 Princeton University Chapel.

 

 College Hall, which inspired the Addams Family mansion, and a Benjamin Franklin statue in front.

 (旧暦  6月14日)

 2ヶ月ほど前の新聞に、服飾デザイナーの石津謙介さんが死去したという記事が載っていましたが、石津さんと言えば、「VAN」の創始者で、ボタンダウンのシャツや綿パンという「アイビールック」で一世を風靡した人でした。

 「アイビールック」というのは、米国東部の名門大学群「アイビーリーグ」の学生ファッションをヒントにしたそうですが、髪型も「アイビーカット」にし、綿のホワイトソックスに靴はリーガルのローファと、なかなかおしゃれに決めて東京の大学生活をエンジョイしている先輩もたまにいて、学生服に朴歯の下駄を履いて学校に行っていた私「嘉穂のフーケモン」にとっては、違う世界の人、例えば慶應ボーイや青学、立教のシティボーイと云ったイメージでした。

 残念ながら早稲田は、私と同様バンカラな友人が多く進学し、情熱はあるが野暮ったい(ダサイ)というのが、早稲田のイメージでした。もちろん、今どきの早稲田の学生さんは、とってもスマートなんでしょうけども・・・・

 さて米国東部の「アイビーリーグ」(Ivy League)は、8つの私立大学からなっていますが、設立が旧い順番に並べると、以下のようになります。

 1.ハーバード大学 (Harvard University)、1636年、マサチュセッツ州
 2.イェール大学 (Yale University)、1701年、コネチカット州
 3.プリンストン大学 (Princeton University)、1746年 、ニュージャージー州
 4.ペンシルバニア大学 (University of Pennsylvania)、1751年 、ペンシルバニア州
 5.コロンビア大学 (Columbia University)、1754年、ニューヨーク州
 6.ブラウン大学 (Brown University)、1764年、ロードアイランド州
 7.ダートマス大学 (Dartmouth College)、1769年、ニューハンプシャー州
 8.コーネル大学 (Cornell University)、1865年、ニューヨーク州
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 09:05Comments(0)歴史/アメリカ

2005年07月18日

漢詩(6)−施肩吾(1)−夏雨後青荷蘭若に題す

 

 音無さくら緑地公園(北村)

 (旧暦  6月13日)

 夏雨後青荷蘭若に題す

 僧舎清涼竹樹新   僧舎清涼にして竹樹新た
 初経一雨洗諸塵   初めて一雨を経て諸塵洗わる
 微風忽起吹蓮葉   微風忽ち起りて蓮葉を吹き
 青玉盤中瀉水銀   青玉盤中 水銀を瀉(そそ)ぐ


 帝都東京は毎日30℃以上の暑い日が続き、そろそろ梅雨明け宣言が出てもいいころですが、現代人は暑いとすぐエアコンをつけたがり、その排気熱でまた気温が上昇して、悪循環を繰り返している今日このごろです。

 我が家の近くを流れる石神井川も護岸工事の所為で、趣も何も在ったものではありませんが、少し下流に、湾曲して流れていた旧河川が公園として残されています。
 崖から水が染み出して、ひんやりとした雰囲気で、マイナスイオンもたっぷり。往時の人達が涼みに来たというのも頷けます。 

 さて、唐代の漢詩は春と秋のものが多く、夏の詩は少ないようです。
 旧暦では夏の季節は4月、5月、6月にあたり、年中行事も夏は暑さのせいかあまり熱心に行われなかったようで、上巳(3月3日)に比して端午(5月5日)の詩は少なく、冬至の詩は多いが、夏至の詩は滅多にないのだとか。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 12:32Comments(0)漢詩

2005年07月17日

食べ物散歩(3)−ごん平(大山)

 

 ごん平 天ぷら月見そば

 (旧暦  6月 12日) 茅舍忌  俳人にして画家・川端茅舍の昭和16年(1941)の忌日

 平成3年(1991)12月25日、74年に及ぶ共産党一党支配が崩壊し、ソビエト社会主義共和国連邦は終焉を迎えました。
 ソビエト連邦は歴史上から姿を消しましたが、同じ年日本の帝都東京で「ソ連」が産声を上げました。江戸風俗研究家杉浦日向子氏を中心とした「ソバ好き連」通称「ソ連」です。

 「連」とは、広辞苑によれば、「ひきつれること。つれ。仲間。」と解説していますが、約200年前の文化・文政期(1804年〜1830年)、成熟した江戸の町民文化は、俳諧、書画、盆栽、囲碁将棋、歌舞音曲等様々な「連」という同好の士の集まり(今風に云えば市民サークル)を生み出しました。
 今では、わずかに阿波踊りのグループを「連」と云っている様ですが。

 さて、ソバについては、なかなか奥行きが深く、各人各様、それぞれにこだわりがあり、私「嘉穂のフーケモン」ごとき素人が云々するのは恐れ多いことではございますが、こと「立ち食い蕎麦」と「カツ丼」に関しては、いささか心に秘めたるものがございます。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:05Comments(0)食べ物散歩

2005年07月16日

詩歌(3)−北帰行

 

 雪の北大旧理学部 

 (旧暦  6月11日)

 窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく
 北へ帰る旅人ひとり 涙流れてやまず

 建大一高旅高 追われ闇をさすらう
 汲めど酔わぬ恨みの苦杯 嗟嘆ほすに由なし

 富も名誉も恋も 遠きあこがれの日の
 淡きのぞみはかなきこころ 恩愛我を去りぬ

 わが身容るるにせまき 国を去らんとすれば
 せめて名残りの花の小枝 尽きぬ未練の色か

 いまは黙して行かん 何をまた語るべき
 さらば祖国わがふるさとよ あすは異郷の旅路

 [旅順高等学校寮歌 作詞・作曲 宇田博]

 同じく宇田博氏が作詞した第1回寮歌「薫風通ふ」で有名な旅順高等学校は、昭和15年(1940)、旧制高等学校唯一の外地の学校として中国遼東半島の租借地関東州旅順に設置されました。官立ではありますが、旧文部省の管轄ではなく、旧拓務省所管の関東州立でした。

 薫風通ふ春五月 父祖奮戦の地に立てば
 肉弾のあと草萌えて 楊柳岸に陰淡く 渤海湾の波青し
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:54Comments(0)詩歌

2005年07月15日

やまとうた(11)−風になびくふじのけぶりのそらにきえて

 

 長尾峠から見た富士 (「四季の富士」より)

 (旧暦  6月10日)

 あづまのかたへ修行し侍りけるに、ふじの山をよめる  
        
 風になびくふじのけぶりのそらにきえて ゆくゑもしらぬわが思哉
 (新古今集 巻17 1615 西行法師)


 天養元年(1144)、約百数十年も前の歌人能因法師(988〜?)の道筋をたどって歌枕探訪の修行をするため、西行(1118〜1190)はみちのくへの第1回目の旅を行いました。
 
 その途中、奥州白川の関では、能因法師の古歌「都をば霞とともにたちしかど 秋風ぞふく白河の関(後拾遺集 518)」を偲び、有名な歌を詠んでいます。

 みちのくにへ修行してまかりけるに、白川の關にとまりて、所がらにや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が、秋風ぞ吹くと申しけむ折、いつなりけむと思ひ出でられて、名残おほくおぼえければ、關屋の柱に書き付けける

 白川の關屋を月のもる影は 人のこころをとむるなりけり (山家集 1126)
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:20Comments(0)やまとうた

2005年07月13日

新生代(8)−第三紀(7)−ゴンフォテリウム

 

 Specimen of Gomphotherium productum at the American Museum of Natural History.

 (旧暦  6月 8日) 

 吉野秀雄忌  相聞歌人吉野秀雄の昭和42年(1967)の忌日

 今地球上の陸と海で一番大きな哺乳類として生き残っている鯨目(Cetacea)と長鼻目(Proboscidea)ですが、これらの先祖は約5000万年前の新生代第三紀始新世(Eocene)の中期ころから進化の歴史を始めました。

 メリテリウム(Moeritherium trigodon )は、この長鼻目進化の出発点にあるとされている小型種で、体長1.35m、肩高72㎝で、頭骨は長いが鼻はバクに似ていたようです。

 1904年、エジプト北部ナイル川左岸のオアシスFayum(ファユーム)の始新世(Eocene)〜漸新世(Oligocene)の地層から発見され、古代エジプトに存在した Moeris 湖の名にちなんで、Moeritheriumと名付けられました。
 
 当時この辺りは河川と湿地で覆われ、カバや海牛のような親水性の生活をしていたと考えられています。
 エール大学のFayum探検隊が発見した骨格は、体長2.5mに対して肩高64㎝、腰高70㎝と胴体が異様に長く、海生の海牛類に似ていたとの報告がなされているようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:46Comments(0)新生代

2005年07月12日

染井霊園(8)−福岡孝弟(たかちか)の墓

 

 (旧暦  6月 7日)

 今日のニュースで、福井県が慶應4年(1868)3月14日(明治への改元は9月8日)に発せられた「五箇条ノ御誓文」の草稿と清書された原稿をオークションで落札したと伝えていました。

 落札価格は2,388万8,000円とかで、これを「高い」と考えるのか、「郷土の先人が係わった貴重な資料を地元に留めておくことの方が大切だ」と考えるのかは福井県人の判断するところですが、部外者の私「嘉穂のフーケモン」にとっては、「知事さんよく決断しましたね!」と云ったところです。

 なおこのオークションは、明治古典会が7月10日(日)に東京古書会館(東京都千代田区神田小川町3-22)で行った「平成17年 明治古典会七夕古書大入札会」でのことだったようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:45Comments(0)染井霊園

2005年07月11日

日本(19)−関特演

 

 新京の関東軍司令部

 (旧暦  6月 6日)

 1941年6月22日午前3時15分、バルト海から黒海までの約2100㎞に及ぶ長大な独ソ国境において、戦車19個師団を含む149個師団約313万人のドイツ軍が、2年前の1939年8月23日に締結された独ソ不可侵条約を無視して、一斉に侵攻を開始しました。

 東西二方面作戦を選択することは通常避けるべき戦略ですが、イギリス上陸作戦の見送りもあり、ドイツにとってはあり得べき選択として早くから予測されていたようでした。

 そのように世界情勢が混沌としていた中、昭和16年(1941)7月2日、御前会議で「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が決定されました。

 第1 方 針
 1 略
  帝国ハ依然支那事変処理ニ邁進シ且自存自衛ノ基礎ヲ確立スル為南方進出ノ歩ヲ進メ又情勢ノ推移ニ応シ北方問題ヲ解決ス
 3 帝国ハ右目的達成ノ為如何ナル障害ヲモ之ヲ排除ス
 第2 要 領
 1 略
 2 帝国ハ其ノ自存自衛上南方要域ニ対スル必要ナル外交交渉ヲ続行シ其ノ他各般ノ施策ヲ促進ス
 之カ為メ対英米戦準備ヲ整ヘ・・・・・・・仏印及泰ニ対スル諸方策ヲ完遂シ以テ南方進出ノ態勢ヲ強化ス
 帝国ハ本号目的達成ノ為対英米戦ヲ辞セス
 3 独ソ戦ニ対シテハ三国枢軸ノ精神ヲ基調トスルモ暫ク之ニ対シ介入スルコトナク密カニ対ソ武力的準備ヲ整ヘ自主的ニ対処ス 此ノ間固ヨリ周密ナル用意ヲ以テ外交交渉ヲ行フ
 独ソ戦争ノ推移帝国ノ為有利ニ進展セハ武力ヲ行使シテ北方問題ヲ解決シ北辺ノ安定ヲ確保ス
・・・・・・・・・・

 出典:外務省編『日本外交年表竝主要文書』下(原書房、1965年)531-532 頁
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:55Comments(0)歴史/日本

2005年07月10日

となり村名所あんない(20)−北村(4)−松橋弁財天洞窟跡

 

 石神井川 松橋弁財天洞窟跡

 (旧暦  6月 5日)

 軍兵是より打渡して、武蔵国豊島の上、滝野河松橋と云所に陣を取。其勢既十万余騎、懸りければ八箇国の大名、小名、別当、庄司、検校、允、介なんど云までも、二十騎三十騎五十騎百騎、白旗白じるし付つゝ、此彼より参集。佐殿(すけどの:頼朝)はいとゞ力付給て、先(まず)当国六所大明神に御参詣ありて、神馬を引上矢を奉られたり。
 『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本(国民文庫)巻第23 「源氏隅田河原取陣事」


 治承4年(1180)10月2日、平家討伐の兵を挙げた兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝の軍勢は隅田川を渡り、武蔵国豊島の滝野河松橋に陣を構えました。
 その場所が、この写真のあたりと云うことになります。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:50Comments(0)となり村名所あんない

2005年07月09日

古生代(3)−カンブリア紀(1)−三葉虫

 

 Trilobites 

(旧暦  6月 4日)

 鴎外忌  陸軍軍医総監にして文人であった文豪、石見人森林太郎の忌日

 中学校の理科で習ったような記憶がありますが、特定の地質時代に生息していた特定の種の化石は「示準化石」と呼ばれ、地層の年代決定に用いられました。

 この手法は、イギリスの測量技術者ウィリアム・スミス(William Smith,1768〜1839)によって確立されました。彼は、イギリス産業革命により重要視された石炭の探査、炭鉱、輸送手段としての運河の開削事業に係わりましたが、その際削り取られた地層の重なりに注目してすでに提唱されていた「地層累重の法則」を確認し、産出した化石に基づいて地層を認定するという方法で、「層位学」の基礎を確立した人として有名です。

 一方、珊瑚や貝類など特定の気候、水温、水深などの環境に生息していた特定の種の化石は、「示相化石」と呼ばれ、地層が堆積した環境の特定に用いられます。
 
 三葉虫(Trilobite)は、古生代前期のカンブリア紀(約5億4500万年前〜5億500万年前まで)に出現し、古生代後期のペルム紀(約2億9000万年前〜2億5100万年前まで)に絶滅した節足動物で、古生代の示準化石になっています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 14:30Comments(0)古生代

2005年07月08日

クラシック(13)−スメタナ(1)−交響詩ヴィシェフラード

 

 Bedřich Smetana(1824〜1884)

 (旧暦  6月 3日)

 《ヴィシェフラード (Vysehrad) 》は、チェコ共和国の首都プラハの南のヴルタヴァ川(Vltava)東岸にそびえ立つお城の名前です。因みに、モルダウ(Moldau)はヴルタヴァ川のドイツ語名です。

 詩人は、《ヴィシェフラード》の岩を眺めながら、伝説上の吟遊詩人であるルミールのハープの響きをこころの中に聞きます。そして、昔の《ヴィシェフラード》の栄光と輝き、闘争と勝利の歴史が語られます。
 しかし、詩人は間もなくその栄光の没落を見ます。激しい戦いが行われた末に、無惨な敗北がもたらされます。
 《ヴィシェフラード》はすっかり荒れ果て、見棄てられてしまいます。そこはもう、過去の栄華の一つでしかありません。
 やがて、長く沈黙していたルミールのハープの響きが、訴えかけるように響いてきます。

 この「ヴィシェフラードのモチーフ」は、交響詩『わが祖国』全6曲を通して活用され、動機付け(モチベーション)として重要な役割を果たしています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:11Comments(0)音楽/クラッシック

2005年07月07日

北東アジア(15)−七七事変

 
 
 昭和12年7月初旬の支那駐屯軍兵力配置図

 (旧暦  6月 2日)

 天の川いと川波は立たねども さもらひ難(かた)し近きこの瀬を
 (巻8 1524  山上憶良)


 天の川にひどく川波は立たないけれども、あなたに逢う機会をうかがうこともし難いのです、間近いこの瀬なのに。

 今日は7月7日の七夕の日ですが、本来の七夕は旧暦の7月7日のお祭りで、今年の旧暦の7月7日は8月11日にあたるようです。
 旧暦の7月7日(新暦8月11日)は立秋(今年は8月7日)以降なので、七夕は本当は秋のお祭りということになり、季語も秋になるそうです。

 七夕といえば平塚と仙台が有名で、平塚は7月上旬に行い、仙台は月遅れの8月上旬に行われますが、新暦の7月7日は梅雨の最中なので雨の日が多く、旧暦の頃からあった行事を新暦の同じ日付で行うことには、日本古来の文化を阻害するものとして、私「嘉穂のフーケモン」は大いに憂えております。
 
 季節感も何も在ったものではありません。「責任者呼んで来い!」でございます。

 さて、68年前の民国26年(1937)の今日7月7日は、北平(北京)南西約15㎞の永定河に懸かる盧溝橋付近で、夜間演習中の支那駐屯歩兵第1聯隊第3大隊第8中隊付近で起きた発砲事件をきっかけに、支那駐屯歩兵第1聯隊第3大隊と第 29 軍第 37 師第 219 団の日中両軍が武力衝突し、やがて日中全面戦争に発展していった日です。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:27Comments(0)歴史/北東アジア

2005年07月06日

板橋村あれこれ(13)−板谷公園

 

 板谷公園

 (旧暦  6月 1日)

  サラダ記念日

 板橋村の旧加賀藩下屋敷跡の一角に、1600坪を上回る板谷公園があります。
 この公園は、大正13年(1924)に2代目宮吉を襲名した海運王板谷宮吉氏の長男真吉氏により、昭和11年(1936)に東京市に寄贈されました。

 公園の入り口にはその経緯を示す旧い銘板が残っています。

 本園附近一帯ハ石神井流域三合野原ノ一部ニシテ、寛文年中加賀前田候ノ邸地トナリシヨリ金澤ト呼バレ由來近郊ノ閑地タリシカ、昭和十一年五月土地区画整理ニ際シ所有者板谷宮吉氏ハ此地千六百餘坪ヲ公園地トシテ寄付セラレ、乃チ本園ノ完成ヲ見ルニ至レリ
茲ニ開園ニ際シ、園地ノ來由ヲ記シ以テ寄贈者ノ芳志ヲ永ク後世ニ傳フ
昭和十二年四月  東京市

 海運王・板谷宮吉氏は、明治26年(1893)英国から購入した2隻の貨物船で海運業に進出しましたが、翌年の日清戦争でその2隻が政府用船になり、また日露戦争では持ち船が軍用船となって戦後に大発展、明治45年(1912)に株式会社「板谷商船」を設立しています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:47Comments(0)板橋村あれこれ

2005年07月05日

日本(18)−帝都東京

 

 皇居正門(旧西の丸大手門)

 (旧暦  5月29日)

 榮西忌  京都の建仁寺を建立した、鎌倉時代の僧で日本臨済宗の開祖・榮西の健保3年(1215)の忌日。

 朕今万機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫(すいぶ)ス、江戸ハ東国第一ノ大鎮四方輻湊(ふくそう)ノ地、宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン是朕ノ海内(かいだい)一家東西同視スル所以ナリ、衆庶(しゅうしょ)此意ヲ体セヨ
 
 明治以降の近代日本における法令資料、特に現在では調べにくい戦前・戦中の詔勅および法令を中心にその全文を紹介している『中野文庫法令集』によれば、明治新政府は慶應4年7月18日(明治と改元は9月8日)、「東京奠都(てんと)ノ詔」を発しました。
 
 この詔(みことのり ; 天皇の名において発せられた命令)により、江戸の町奉行支配地域を管轄する東京府が設置され、帝都東京が誕生しました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 17:45Comments(0)歴史/日本

2005年07月04日

アメリカ(5)−独立記念日

 

 The Lexington Minuteman representing John Parker.

 (旧暦  5月28日)

 1775年4月19日、ボストン郊外北西16kmのところにあるレキシントンおよびコンコードでイギリス軍と植民地民兵(ミニットマン)との最初の戦闘が生じ、以後8年間(1775〜1783)にわたる長く、苦しいアメリカ革命(American Revolution)の火蓋が切って落とされました。

 1776年1月、独立論を訴えるトマス・ペインの著書『コモン・センス』が刊行されてベストセラーになると、住民の間でも植民地代表者の間でも、独立論は日増しに勢いを増して行きました。

 そのような中、1776年6月7日、バージニア代表のリチャード・ヘンリー・リー(Richard Henry Lee,1732〜1794)は大陸会議(Continental Congress)に『独立の決議』を提案し、これに基づいて6月10日、「独立宣言起草委員会」が発足しました。

 大陸会議(Continental Congress)は、13の植民地が共同して本国イギリスに対抗した組織で、第1回は1774年9月〜10月にフィラデルフィアで開催されています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:19Comments(0)歴史/アメリカ

2005年07月03日

数学セミナー(6)−量子力学(5)−物質波(2)

 

 Louis-Victor Pierre Raymond, 7. duc de Broglie(ド・ブロイ公爵7代公)(1892〜1987)

 (旧暦  5月27日)

 量子力学(4)−物質波(1)のつづき

 プランクやアインシュタインの光子の仮説は、波として考えられていた光(電磁波)が粒子としての性質を持つことを示していました。
 
 フランスの名門貴族であるド・ブロイ家の出身であるルイ=ヴィクトル・ピエール・レイモン・ド・ブロイ[ Louis-Victor Pierre Raymond, 7. duc de Broglie(ド・ブロイ公爵7代公)、1892〜1987] は、これとは逆の関係、すなわち粒子として考えられてきた電子のような物質粒子も波としての性質を持つのではないかと考えました。

 エネルギー E 、運動量 p の粒子と、これに伴う波の波動数νと波数k(波長λの逆数:k=1/λ)とは、アインシュタインが光子について仮定した関係式

 
 
 によって結ばれるとド・ブロイは仮定しました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 08:27Comments(0)数学セミナー

2005年07月02日

書(9)−米芾(べいふつ)−蜀素帖

 

 集英春殿鳴梢歌

 蜀素帖 米芾 [北宋] 絹本墨跡 台北故宮博物院 維基百科より

 (旧暦  5月26日)

 蜀素は、10世紀の始めに前蜀(907〜925年:四川省成都)の王・王建(847〜918)が織らせた厚手の絹布で、墨を受付けない「拒墨の絹」と云われています。
 何人もの書家が挑戦しましたが、墨がはじかれとうとう書くことができませんでした。

 しかし、米芾(べいふつ)(1051〜1107)は、そのような蜀素に楽々と字を書いたと云われていますが、現存するのはこの「蜀素帖」のみだそうです。
 http://homepage2.nifty.com/tagi/koten021.htm

 中国北宋の時代(960〜1127)は書道芸術が花開き、宋四家と呼ばれる黄庭堅(山谷)(1045〜1105)、米芾(元章)、蘇軾(東坡)(1036〜1101)、蔡襄(君謨)(1012〜1067)ら中国美術史上錚々たる地位を占める人たちを輩出しました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:50Comments(0)