2016年06月04日
天文(21)− メシエ天体(5)
Pierre François André Méchain ( 1744 〜1804) was a French astronomer and surveyor who, with Charles Messier, was a major contributor to the early study of deep sky objects and comets.
(旧暦4月29日)
天文(20)− メシエ天体(4)のつづき
ご無沙汰致しております。
やっとその気になっております。
フランスの天文学者シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730~1817)が彗星の探索に際して、彗星と紛らわしい103個の天体のカタログを作り、1781年から1784年にかけて発表したメシエ天体(Messier object)の内、愛称で呼ばれる29の天体について、最期のM82からM104 を紹介いたしましょう。
Messier: M82.
(February 9, 1781) `Nebula without star, near the preceding [M81]; both are appearing in the same field of the telescope, this one is less distinct than the preceding; its light faint & [it is] elongated: at its extremity is a telescopic star. Seen at Berlin, by M. Bode, on December 31, 1774, & by M. Méchain in the month August 1779.'
[観測日:1781年2月9日]
星のない星雲で、一つ前の天体[M81]の近くにある。両方とも望遠鏡の同じ視野に見える。後者[M82]は前者[M81]ほどはっきり見えない。その光はぼんやりとして細長い。端っこに望遠鏡でしか見えない星がある。1774年12月31日にベルリンからボーデが、1779年8月の間にメシャンが観測している。
M81とM82は、おおぐま座α星(Dubhe、天樞)の北西こぶしひとつ分にある4.6等星のおおぐま座24番星の西約2°のところにあります。おおぐま座α星(Dubhe,天樞)の学名はα Ursae Majoris(略称はα UMa)。ドゥーベ(Dubhe)はアラビア語で「熊」を意味する ドゥブ(Dubb)に由来しており、中国における呼称は、中国正史の天文志では天樞と記されています。
北斗七星、所謂旋璣玉衡、以齊七政。杓攜龍角、衡殷南斗、魁枕參首。用昏建者杓。杓自華以西南。夜半建者衡。衡殷中州河濟之閒。平旦建者魁。魁海岱以東北也。斗爲帝車、運于中央、臨制四鄕。分陰陽、建四時、均五行、移節度、定諸紀、皆繋於斗。
『史記 天官書第五』
北斗の七星は、所謂(いはゆる)旋璣(せんき)玉衡(ぎよくかう)、以て七政を齊(ととの)ふるものなり。杓(しやく)は龍角に攜(つら)なり、衡(かう)は南斗に殷(あ)たり、魁(くわい)は參首に枕す。昏(くれ)を用(も)つて建する者は杓なり。杓は華より以西南なり。夜半に建する者は衡(かう)なり。衡(かう)は中州河濟之閒に殷(あ)たる。平旦に建する者は魁(くわい)。魁(くわい)は海岱に以東北なり。斗を帝車と爲し、中央に運(めぐ)り、四鄕(しきやう)を臨制す。陰陽を分かち、四時(しいじ)を建て、五行を均(ひと)しくし、節度を移し、諸紀を定むる、皆、斗に繋(かか)る。
M82(NGC3034)は葉巻銀河(Cigar Galaxy)とも呼ばれ、葉巻型の本体からとがった髪の毛のような斜めに長いフィラメントが銀河中心から伸びていますが、これは「スーパーウィンド」といわれる電離した水素ガスが中心部から極方向に向かって吹き出している現象です。
A mosaic image taken by the Hubble Telescope of Messier 82, combining exposures taken with four colored filters that capture starlight from visible and infrared wavelengths as well as the light from the glowing hydrogen filaments.
銀河自体は大きさ5万5000光年であるのに対して、そのフィラメントは約3万4000光年もの長さがあります。
約4000万年前にM81とM82は接近遭遇し、M82は巨大なM81の重力の影響を受けて変形し、星間ガスが短期間に大量にできるスターバーストが引き起こされているスターバースト銀河であると分類されています。
Messier: M83.
(February 17, 1781) `Nebula without star, near the head of Centaurus: it appears as a faint & even glow, but it is difficult to see in the telescope, as the least light to illuminate the micrometer wires makes it disappear. One is only able with the greatest concentration to see it at all: it forms a triangle with two stars estimated of sixth & seventh magnitude: [its position was] determined from the stars i, k and h in the head of Centaurus: M. de la Caille has already determined this nebula. See the end of this Catalog.'
[観測日:1781年2月17日]
星のない星雲で、ケンタウルス座の頭の近くにある。ぼんやりと弱い光で、望遠鏡を使っても見るのがとても難しく、マイクロメターの十字線のせいで見えなくなってしまう。かなり集中しないと見ることが出来ない。6等星と7等星と思われる二つの星と対になって、三角形を形成する。その位置は、ケンタウロス座の頭にあるI,k,h星によって決められる。ニコラ=ルイ・ド・ラカーユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille、1713〜1762)がすでにこの星雲を観測していた。このカタログの終わりの部分を見てほしい。
M83(NGC5236)はうみへび座にある棒渦巻銀河で、その姿から南の風車銀河(Southern Pinwheel Galaxy)という別名でも呼ばれています。M83は、すばらしい正面向き(face on)の銀河です。
M83の渦巻きの広大で複雑な構造は、M83の10分の1の質量の楕円銀河で、南西約2°のところにある小さなNGC5253との衝突による潮汐力でねじられたと考えられています。
M83は星座の中で最も長くのびているうみへび座の中の余り目立たない場所にあり、簡単に見つかりません。ケンタウルス座のα,β,γ星の北西3.5°のところにこの7等の円盤銀河を探すと見つかります。
M83をすでに観測していたニコラ=ルイ・ド・ラカーユ(Abbé Nicolas-Louis de Lacaille、1713〜1762)はフランスの天文学者で、1739年にフランスの子午線弧長の再測定を行ったことによりフランス科学アカデミー(Académie des sciences)に認められるところとなり、アカデミー委員とコレージュ・マザラン(the Collège Mazarin)の数学教授に任命されています。その後南天観測の希望を申し出て、1751年から喜望峰(the Cape of Good Hope)に滞在し、南天の恒星約10,000と42の星雲も観測しました。
1757年、”Astronomiae Fundamenta Novissimus”を出版し、光行差(注1)と章動(注2)を修正した400の恒星のリストを発表しています。
光行差(注1)(Aberration of light)
天体を観測する際に観測者が移動しているために、天体の位置が移動方向にずれて見えるとき、そのずれを指す用語で、1728年、イギリスの天文学者ジェームズ・ブラッドリー(James Bradley, 1693〜1762)が発見しました。
The apparent position of a star viewed from the Earth depends on the Earth's velocity. The effect is typically much smaller than illustrated.
章動(注2)(Nutation)
惑星の自転軸に見られる微小な運動の一種で、春分点の歳差を引き起こす潮汐力の強さが時間とともに変化するため、歳差の速度が一定でないことが原因で起こる成分である天文章動と、自由歳差運動による成分である自由章動から成ります。
Rotation (green), precession (blue) and nutation in obliquity (red) of a planet. 続きを読む
2015年10月27日
天文(20)− メシエ天体(4)
松蔭吉田寅次郎先生
(旧暦9月15日)
松陰忌
長州藩で松下村塾を開き藩士の子弟を教育した吉田松陰(1830~1859)年の忌日。安政の大獄で捕えられ、安政6年10月27日に伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処された。享年30。
かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
天文(19)− メシエ天体(3)のつづき
いや〜、ご無沙汰致しております。
涼しくなって、やっとその気になっております。頑張ります。
フランスの天文学者シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730~1817)が彗星の探索に際して、彗星と紛らわしい103個の天体のカタログを作り、1781年から1784年にかけて発表したメシエ天体(Messier object)の内、愛称で呼ばれる29の天体について、今回はM63からM81 を紹介いたしましょう。
Messier: M63.
June 14, 1779. 63. 13h 04m 22s (196d 05' 30") +43d 12' 37"
"Nebula discovered by M. Méchain in Canes Venatici. M. Messier searched for it; it is faint, it has nearly the same light as the nebula reported under no. 59 : it contains no star, & the slightest illumination of the micrometer wires makes it disappear: it is close to a star of 8th magnitude, which precedes the nebula on the hour wire. M. Messier has reported its position on the Chart of the path of the Comet of 1779."
[観測日:1779年6月14日]
メシャン(Pierre-François Méchain、 1744〜1804:フランスの天文学者、シャルル・メシエの助手を務めた後に1800年よりパリ天文台長)が猟犬座に発見した星雲。メシエはそれを捜した。暗い天体で、59番でも述べられている星雲と同じくらいの明るさ。星は見受けられず、マイクロメーターのわずかな光が入るだけでも見えなくなってしまう。近傍に8等星があり、この星雲より先に子午線を横切る。メシエは、1779年の彗星用星図中に位置を記録している。
M63は、通称ひまわり銀河(Sunflower Galaxy)と呼ばれ、重力の制御を失った渦巻銀河のようであり、腕を投げ出したようなめずらしい景観と評されています。約100億個の恒星からなる輝きのこの渦巻銀河は、内側部分と外側部分の結合がゆるい銀河として顕著な例とされ、直径8万6000光年の円盤の広がりをもつM63の内側領域は、強い渦巻き構造によって輪のようになっています。
Messier 63 (also known as M63, NGC 5055, or the Sunflower Galaxy)
Urania's Mirror;Plate 10: Boötes, Canes Venatici, Coma Berenices, and Quadrans Muralis
Messier: M64.
March 1, 1780. 64. 12h 45m 51s (191d 27' 38") +22d 52' 31"
"Nebula discovered in Coma Berenices, which is about half as apparent as that which is below the hair [M53]. M. Messier has reported its position on the Chart of the Comet of 1779. Observed again March 17, 1781."
[観測日:1780年3月1日]
かみのけ座に発見された星雲。かみのけの下部に位置する星雲 [M53] にくらべると、若干目立たない。メシエは、1779年の彗星用星図中に位置を記録している。1781年3月17日にも再び観測されている。
恒星の明るさを比較し、等級が0.41上がるごとにその明るさが二乗に反比例して暗くなること、さらに、1等星は6等星の約100倍の明るさであることを発見したイギリスの天文学者、数学者のサー・ジョン・フレデリック・ウィリアム・ハーシェル準男爵(Sir John Frederick William Herschel, 1st Baronet、1792〜1871)が1833年に残した記録では、M64が ”vsmbm” と記録されています。この記号は、”very suddenly very much brighter toward the middle” (中心部に向かうと非常に急激に大変明るくなっている)ということを意味しています。
このかみのけ座の有名な黒目星雲は、なめらかでつやつやした絹のような渦巻き腕が、磁器のような中心部を壮麗に覆っていると評されています。この銀河は、人がまぶしい光に目を閉じたようすに似ています。
M64の暗黒星雲は、直径およそ4万光年、数十億個の惑星を育む土壌としては十分な物質を含んでいます。
The Black Eye Galaxy (M64)
Messier: M65.
March 1, 1780. 65. 11h 07m 24s (166d 50' 54") +14d 16' 08"
"Nebula discovered in Leo: It is very faint and contains no star." [also see M66]
[観測日:1780年3月1日]
しし座の中にある星雲。非常に暗く、星を含んでいない。
M65は、しし座にある渦巻銀河で、M66やNGC3628と非常に接近して見え「しし座の三つ子銀河」(Leo Triplet)とも呼ばれています。M65とM66は、しし座θ星とι星の中間あたりにあり、21′(分:1度の60分の1の角度で、21′は21/60度)しか離れていません。
M65 by Hubble.
Urania's Mirror;Plate 20: Leo Major and Leo Minor
Messier: M66.
March 1, 1780. 66. 11h 08m 47s (167d 11' 39") +14d 12' 21"
`Nebula discovered in Leo; its light is very faint & it is very close to the preceding [M65]: They both appear in the same field [of view] in the refractor. The comet of 1773 & 1774 has passed between these two nebulae on November 1 to 2, 1773. M. Messier didn't see them at that time, no doubt, because of the light of the comet.'
[観測日:1780年3月1日]
しし座の中にある星雲。非常に暗く、先の天体[M65]に非常に近い。この二つの天体は、同じ望遠鏡の視野の中に見える。1773年と1774年に観測された彗星は、1773年の11月1日と2日の間にこの二つの星雲の間を通った。その時には彗星の明るさのため、メシエはM66を見ていないことは間違いない。
M66は一般的な渦巻銀河と異なり、いびつな形をしています。2本の腕は非対称な形に変形し、銀河の核も銀河全体の中心から外れた位置にあります。これは、他の2つの「しし座の三つ子銀河」(Leo Triplet)から重力による影響を受けたものだと考えられています。
The colour-composite image of the Spiral galaxy M 66 (or NGC 3627)
The Leo Triplet, with M65 (right top), M66 (right bottom) and NGC 3628 (left). North is to the left. 続きを読む
2015年06月13日
天文(19)− メシエ天体(3)
Whirlpool Galaxy (M51A or NGC 5194). The smaller object in the upper right is M51B or NGC 5195. Credit: NASA/ESA
(旧暦4月27日)
天文(19)− メシエ天体(2)のつづき
かなり“おたく”の「板橋村だより」にメールを下さる方がいて、「世の中、物好きな方もいらっしゃるんだ!」と驚きながらも気を良くして、続きを書きだしています。
忙しい年末・年始および年度末・年度初めを過ごしていましたので、うっとうしい梅雨空の下、やっとその気になりましたことをお詫び申し上げます。
フランスの天文学者シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730~1817)が彗星の探索に際して、彗星と紛らわしい103個の天体のカタログを作り、1781年から1784年にかけて発表したメシエ天体(Messier object)の内、愛称で呼ばれる29の天体について、今回はM40からM57 を紹介致しましょう。
このカタログでは、天体に関するメシエ自身の記述が観測の日付と共に記述されていますが、メシエは自分自身を三人称で呼んでいるのが特徴的です。
Messier: M40.
October 24, 1764. 40. 12h 11m 02s (182d 45' 30") +59d 23' 50"
Two stars very close together & very small, placed at the root of the tail of the Great Bear: One has difficulty to distinguish them with an ordinary telescope of 6 feet [FL]. While searching for the nebula above the back of Ursa Major, reported in the book Figures des Astres, and which is supposed to be for 1660 at 183d 32' 41" right ascension, & 60d 20' 33" northern declination, which Messier couldn't see, he has observed these two stars.
[観測日:1764年10月24日]
二つの星は互いにとても近く、非常に暗い。おおぐまのしっぽのつけ根に位置している。単純な6フィート屈折望遠鏡で見分けるのは難しい。”Figures des Astres”という本によると、おおぐま座の背の上にあって、1660年には赤経183°32′41″、赤緯60°20′33″にあったはずの星雲を捜している間に−メシエは結局これを見つけられなかったのだが−、彼はこの二重星を観測した。
Winnecke 4 double star
M40 はウィンネッケ4番星(Winnecke 4)として知られている二重星で、おおぐま座70番星の北東約0.5°、北斗七星のひしゃくの一部δ星(Megrez)の近くにあります。
1660年、ポーランドの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウス(Johannes Hevelius;1611〜1687)が、「おおぐま座の背の上に星雲がある」と報告しましたが、現在では二重星以外の何者でもないということが広く受入れられています。
Johannes Hevelius、1611〜1687
[Hevelius: No. 1496]
Supra tergum nebulosa (above the back [of Ursa Major] there is a nebulosa [nebulous star]).
[actually this is not M40 but 74, 75 Ursae Major]
これは、ヨハネス・ヘヴェリウスが当時、「古くて欠陥のある装置」で観測したために、星雲に見えたのではないかということです。
メシエもヨハネス・ヘヴェリウスによって報告された座標に星雲を見つけようと試みましたが、間隔の狭い二重星しか確認できませんでした。彼はそれを星雲と間違えることはありませんでしたが、彗星と紛らわしいという理由からカタログに含めることにしました。
しかし、地球の歳差運動の影響により、ヨハネス・ヘヴェリウスが報告した星雲の位置が現在のおおぐま座74番星と一致していることから、やっかいなことになりました。
さて、1863年、ドイツの天文学者フリードリヒ・アウグスト・テオドール・ヴィネッケ(Friedrich August Theodor Winnecke、1835〜1897)は、ロシアのプルコバ天文台でこの位置に観測した二重星を報告しましたが、1966年、アメリカ合衆国のアマチュア天文家ジョン・H・マラス(?〜1975)は、メシエが観測しカタログに載せた天体が、1863年にフリードリヒ・アウグスト・テオドール・ヴィネッケにより再発見された二重星のウィンネッケ4番星であることを確認しています。
Friedrich August Theodor Winnecke、1835〜1897
Mallas (1966): Identification of M40
[From a letter by John H. Mallas to the Editor of Sky and Telescope, August 1966, p. 83]
Letter
Sir,
In the Messier catalogue of nebulae and clusters, as reprinted on the April 1966 issue, no description or position is given for M40, but a reference is provided to Owen Gingerich's statement of 1960 that this object is a pair of faint stars.
Which pair? Dr. Gingerich sent me this translation of Messier's original description, from Mémoires de l'Académie Royale des Sciences, 1771:
"The same night on October 24-25, [1764,] I searched for the nebula above the tail of the Great Bear, which is indicated in the book Figure of the Stars, second edition. Its position in 1660 was right ascension 183d 32' 41", declination 60d 20' 33". By means of this position, I found two stars very near each other and of equal brightness, about 9th magnitude, placed at the beginning of the tail of the Great Bear. One can hardly distinguish them in an ordinary (nonachromatic) refractor of 6 feet (length). Their position is 182 deg 45' 30", +59 deg 23' 50". We presume that Hevelius mistook these two stars for a nebula."
The latter position, precessed from 1765 to 1950, is 12h 20m.0, +58d 22', which agrees almost exactly with the double star Winnecke 4, magnitudes 9.0 and 9.3, separation 49 seconds of arc. This is an easy pair in my 4-inch refractor at 25x. It was discovered by A. Winnecke in 1863 at Pulkowo Observatory.
Clearly, M40 is identical with Winnecke 4. But the Hevelius object is the 5th-magnitude star 74 Ursae Majoris, more than one degree away, as reference to his star catalogue will show.
JOHN H. MALLAS
5115 E. Tomahawk Trail
Scottsdale, Ariz. 85251
The entire Orion Nebula in visible light.
Messier: M42.
March 4, 1769. 42. 5h 23m 59s (80d 59' 40") -5d 34' 06"
Position of the beautiful nebula in the sword of Orion, around the star Theta which it contains [together] with three other smaller stars which one cannot see but with good instruments. Messier has entered into the great details in this great nebula; he has created a drawing, made with the greatest care, which one can see in the Memoirs of the Academy for 1771, plate VIII. It was Huygens who discovered it in 1656: it has been observed since by many astronomers. Reported in the English Atlas.
[観測日:1769年3月4日]
オリオンの剣の中、θ星のまわりにある美しい星雲のある場所。θ星は星雲の中にあって、三つのより淡い星とともにある。これらの三つの星は、性能の良い機材を用いなければ見ることはできない。メシエはこの大星雲について、非常に詳細に調べた。彼は非常に注意深くスケッチをしたが、それは“Mémoires de l’Académie 1771” 図版 VIII に見ることができる。ホイヘンスは1656年にこれを発見し、その後多くの天文学者が観測してきた。イギリスの” Atlas Céleste”に報告されている。
肉眼による天体観測において最も大きな受け入れがたい結論の一つは、天文学の父とも称される近世イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、1564〜1642)が、このオリオン大星雲に気づいていなかったということです。
全天で最も雄大で、肉眼でも見える星雲の一つでもあり、最も有名で光り輝く星座の一つの中の、最も知られた星群(オリオンの三つ星)にぶら下がっているこの大星雲を、かのガリレオが見のがしていたということは、非常な謎とされています。
オリオン星雲は蛍光を発する巨大なガス星雲で、ほとんどが水素、わずかにヘリウム、炭素、窒素、酸素を含み、40光年の直径を持っています。
その中心部には、トラペジウム (Trapezium;台形)と呼ばれる散開星団があり、オリオン大星雲の星生成領域で生まれた比較的若い星による星団です。
4つの明るい星には赤経の順に、A (6.73等) 、B (7.96等) 、C (5.13等) 、D (6.71等) の符号が付けられており、AとBは共通重心の周りを回る2つの星が互いの光を覆い隠し合うことによってみかけの明るさが変わる食変光星として知られています。 続きを読む
2014年11月17日
天文(18)− メシエ天体(2)
The Andromeda Galaxy [M31]
(旧暦9月25日)
天文(17)− メシエ天体(1)のつづき
フランスの天文学者シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730~1817)は、彗星の探索に際して、彗星と紛らわしい103個の天体のカタログを作り、1781年から1784年にかけて発表しました。これが、今日、メシエ天体(Messier object)と呼ばれているものです。
1. 1781年、M1〜M45までを "Mémoires de l'Academie"に発表。
2. 1783年、M46〜M68までを "Connaissance des Temps"に発表。
(後にM69とM70を増補)
3. 1784年、M71〜M103までを" Connaissance des Temps"に発表。
このメシエ天体のカタログの中では、愛称で呼ばれる29の天体がありますが、今回は前回に引き続き、M16からM33までの8個の天体を紹介しましょう。
Messier: M16.
June 3, 1764. 16. 18h 05m 00s (271d 15' 03") -13d 51' 44"
A cluster of small stars, enmeshed in a faint glow, near the tail of Serpens, at little distance to the parallel of Zeta of this constellation; with an inferior telescope this cluster appears like a nebula. (diam. 8')
[観測日:1764年1月3日]
小さな星々からなる星団で、かすかに光るものと混じっている。へび座の尾に近く、へび座ゼータ星の緯度線から少しの距離にある。普通の望遠鏡では、星雲のように見える。(直径8分)
わし星雲(Eagle Nebula)という名前は、鷲が羽根を広げた形を偲ばせること星雲でから名付けられました。
この星雲を最初に発見したのは、スイスのローザンヌ出身の天文学者であるジャン・フィリップ・ロワ・ド・シェゾー (Jean Phillippe Loys de Chéseaux 、1718~1751)で、1746年のことでした。
散開星団と散光星雲からなるM16は、4.7等のたて座γ星の2.5°西北西、天の川の背骨部分の赤経18 h 18.8 m 、赤緯-13° 48' にあり、等級6.0等(星団)、視直径35' × 28'、距離5,500 光年の彼方に約315光年の広がりをもっています。
Messier: M17.
June 3, 1764. 17. 18h 07m 03s (271d 45' 48") -16d 14' 44"
A train of light without stars, of 5 or 6 minutes in extent, in the shape of a spindle, & a little like that in Andromeda's belt [M31] but of a very faint light; there are two telescopic stars nearby & placed parallel to the equator. In a good sky one observes this nebula very well in an ordinary telescope of 3.5-foot [FL]. Seen again 22 March 1781. (diam. 5')
[観測日:1764年1月3日]
星を含まない光の筋で、長さは5〜6分、紡錘形をしていて、アンドロメダのベルトにあるもの[M31]に似ているが、非常に微かな光である。近くに二つ、望遠鏡で見える星が黄道に対して平行な位置にある。良好な空の下では、この星雲は通常の3.5フィート望遠鏡でよく見える。1781年3月22日にふたたび観測された。(直径5分)
M17は、いて座(Sagittarrius)に位置する散光星雲で、距離は約4,200光年。1746年にスイスのローザンヌ出身の天文学者であるフィリップ・ロワ・ド・シェゾー(Jean Phillippe Loys de Chéseaux 、1718〜1751)によって発見されました。実直径は約44×36光年。星雲の中にループ状の構造が見えることから、「オメガ星雲」(Omega Nebula)「白鳥星雲」(Swan Nebula)、「チェックマーク星雲」(Checkmark Nebula)、「ロブスター星雲」(Lobster Nebula)、「蹄鉄星雲」 Horseshoe Nebulaなどといろいろな呼び名を持つ散光星雲です。
オメガの名前は、アメリカ合衆国の天文学者ルイス・スウィフト(Lewis A. Swift、1820〜1913)がギリシャ文字のオメガに似たスケッチを書いたことに由来しており、白鳥にたとえたのはアメリカ合衆国の天文学者ジョージ・チャンバー(George F. Chambers, 1841〜1915)で、棒状の長いガスの部分を水面に浮かぶ白鳥の胴体とみなしています。
Messier: M20.
June 5, 1764. 20. 17h 48m 16s (267d 04' 05") -22d 59' 10"
Cluster of stars, a little above the Ecliptic, between the bow of Sagittarius & the right foot of Ophiuchus. Seen again March 22, 1781.
[観測日:1764年6月5日]
黄道の少し上、いて座の弓とへびつかい座の右足の間にある星団。1781年3月22日にふたたび観測された。
M20は、いて座にある散光星雲で、距離は5200光年程と推定されています。1750年にフランスの天文学者ギヨーム・ジョゼフ・ヤセント・ジャン=バティスト・ル・ジャンティ・ド・ラ・ガレジエール(Guillaume Joseph Hyacinthe Jean-Baptiste Le Gentil de la Galaisière 、1725〜1792)が発見したとされています。
星雲が3つの部分に裂けて見えるところから三裂星雲と呼ばれていますが、実際にはM20の輝いて見える部分の手前に位置する暗黒星雲により、後ろの散光星雲が3つに分割されているように見えています。三裂星雲(Trifid Nebula)と名付けたのは、イギリスの天文学者サー・ジョン・フレデリック・ウィリアム・ハーシェル準男爵(Sir John Frederick William Herschel, 1st Baronet、1792〜1871)です。
Messier: M22.
June 5, 1764. 22. 18h 21m 55s (275d 28' 39") -24d 06' 11"
Nebula, below the ecliptic, between the head and the bow of Sagittarius, near a star of 7th magnitude, 25 Sagittarii, according to Flamsteed, this nebula is round, it doesn't contain any star, & one can see it very well in an ordinary telescope of 3.5-foot [FL]; the star Lambda Sagittarii served for determination [of its position]. Abraham Ihle, a German, discovered it in 1665, while observing Saturn. M. Le Gentil observed it in 1747, & he made an engraving of it. Memoirs of the Academy, year 1759, page 470. Seen again March 22, 1781; it is reported in the English Atlas. (diam. 6')
[観測日:1764年6月5日]
黄道の下、いて座の頭と弓の間にあり、7等のいて座25番星に近い星雲。円形で星を含まず、通常の3.5フィート望遠鏡ではっきり見える。位置を決めるのにいて座λ星が役にたった。ドイツ人のアブラハム・イーレが1665年、土星の観測中に発見した。ル・ジャンティ(M. le Gentil)が1749年に観測し、『Mémoires de l’Académie』1759年の470ページに、この天体のスケッチを発表している。1781年3月22日にふたたび観測された。イギリスの『Atlas Céleste』に報告されている。(直径6分)
M22は「いて座大球状星団」とも呼ばれ、50万個の星が5.2等星で輝く球状星団です。距離は10,400光年、直径は約110光年で最も地球に近い球状星団のひとつです。
1716年、ハレーは「この星団は冬至点に近く、小さくてよく輝く」と記しています。
Halley (1716): No. 3, Nebula in Sagittarius[in Phil. Trans. XXIX, 390 (1716)]
The third is near the Ecliptick between the Head and Bow of Sagittarius, not far from the Point of the Winter Solstice. This it seems was found in the Year 1665 by a German Gentleman M.J. Abraham Ihle, whilst he attended the Motion of Saturn then near its aphelion. This is small but very luminous, and emits a Ray like the former. Its Place at this time is [Capricorn] 4 deg 1/2 with about half a Degree South Lat. 続きを読む
2014年05月04日
天文(17)− メシエ天体(1)
The Great Comet of 1744
(旧暦4月6日)
五四中国青年節
五四運動 (1919)
1919年のヴェルサイユ条約の結果に不満を抱いて発生し、中華民国時代の北京から全国に広がった抗日、反帝国主義を掲げる大衆運動の記念日。
「五四運動」の愛国、民主と科学的精神の継承と発揚を目指して、中国の中央人民政府政務院は1949年12月、毎年五月四日を中国の青年節にすると正式に発表した。
世界の目が第一次世界大戦の主戦場であるヨーロッパに向けられているこの時こそ、日本の対中利権拡大の絶好の機会ととらえた第二次大隈内閣の外務大臣加藤高明は、大正4年(1915)1月18日、在北京の駐華公使日置益を介して、当時の中国中央政権と見られていた袁世凱政権に五項目二十一ケ条からなる「通牒」を突きつけた。
これこそが、日本の歴史に汚点を残し、後に中国国民をして排日運動の原点とも言わしめたいわゆる『対華二十一箇条要求』であった。
大正8年(1919)1月、パリのヴェルサイユ宮殿で講和会議が始まったが、中国政府が要求した二十一ヵ条(実際には13ヵ条と3交換公文)の取り消し、外国軍隊及び警察の撤退、関税自主権獲得等の諸要求は却下され、議題に持ち出されさえしなかった。
その上、参戦国でありながら、自国領山東半島の権益を取り戻すことさえも出来なかった。ちなみに、山東半島の膠州湾一帯は、大正3年(1914)、日本が青島のドイツ軍要塞を陥落させて軍政を布いたが、大正11年(1922)2月のワシントン会議における「中国に関する九カ国条約」(Nine Power Treaty)により返還された。
パリ講和会議で山東半島の権益返還が絶望になったニュースは5月1日に報道され、北京大学ではすぐに学生代表緊急会議が開かれ、5月3日には全体学生会議が開かれた。そして、明日にでも中国人民の意志を各国の公使館に伝えようということになった。
5月4日午後1時、北京大学など10余校の学生3,000余人は北京の天安門前で抗議集会を開き、交通総長曹汝霖、幣制局総裁陸宗輿、駐日公使章宗祥ら親日派官僚の罷免、21か条要求の撤廃、パリ講和条約調印拒否、日貨排斥(日本商品のボイコット)などを要求した。
ついで「外争国権、内懲国賊」と連呼しながらデモ行進を行い、それがやがて中国全土に及ぶ帝国主義反対の愛国運動と民主、科学を求める封建主義反対の「新文化運動」まで発展した。
フランスの天文学者シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730~1817)は、彗星の探索に際して、彗星と紛らわしい103個の天体のカタログを作り、1781年から1784年にかけて発表しました。これが、今日、メシエ天体(Messier object)と呼ばれているものです。
1781年、M1〜M45までを "Mémoires de l'Academie"に発表。
1783年、M46〜M68までを "Connaissance des Temps"に発表。(後にM69とM70を増補)
1784年、M71〜M103までを" Connaissance des Temps"に発表。
Charles Messier (1730~1817)
メシエはカタログ作成の動機を、1801年版のフランスの天文年鑑『Connaissance des Temps』の中で次のように説明しています。
"What caused me to undertake the catalog was the nebula I discovered above the southern horn of Taurus on September 12, 1758, while observing the comet that year.. had such a resemblance to a comet, in its form and brightness, that I endeavoured to find others, so that astronomers would not confuse these same nebulae with comets just beginning to shine."
(Messier Connaissance des Temps 1800/1801 recorded in DSB).
「私がこのカタログの作成に取りかかったのは、1758年9月12日、その年に見つかった彗星を観測中に、牡牛座の南側の角の上に発見した星雲が原因である。・・・この星雲はその形といい明るさといい、あまりにも彗星によく似ていたので、私は他にもこのようなものを見つけて、天文学者がこれらの同じ星雲を、ちょうど輝き始めた彗星と混同することのないようにしようとした。」
Messier was born in Badonviller in the Lorraine region of France, being the tenth of twelve children of Françoise B. Grandblaise and Nicolas Messier, a Court usher. Six of his brothers and sisters died while young and in 1741, his father died. Charles' interest in astronomy was stimulated by the appearance of the spectacular, great six-tailed comet in 1744 and by an annular solar eclipse visible from his hometown on 25 July 1748.
In 1751 he entered the employ of Joseph Nicolas Delisle, the astronomer of the French Navy, who instructed him to keep careful records of his observations. Messier's first documented observation was that of the Mercury transit of 6 May 1753.
In 1764, he was made a fellow of the Royal Society, in 1769, he was elected a foreign member of the Royal Swedish Academy of Sciences, and on 30 June 1770, he was elected to the French Academy of Sciences.
(From Wikipedia)
シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730~1817)は、フランスのロレーヌ地方バドンヴィレに、フランソワーズ B. グランブレイゼと裁判所の門衛、ニコラス・メシアの間の12人の子どもの10番目として生まれました。彼の兄弟のうち6人は若くして亡くなり、1741年には父親も亡くなりました。シャルルの天文学における興味は、1744年の壮大な「大きな六本の尾を持つ彗星」(クリンケンベルグ彗星)の出現と1748年7月25日の彼の故郷から見ることができた金環食によって刺激されました。
1751年、メシエはフランス海軍の天文学者ジョゼフ−ニコラ・ドリル(Joseph-Nicolas Delisle、1688〜1768)に雇用され、ドリルの観測を慎重に記録するように教育されました。メシエの最初に記録に残された観測は、1753年5月6日の水星の日面通過でした。
1764年、メシエは王立協会のフェローとなり、1769年にはスウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員に選出され、1770年6月30日に、フランス科学アカデミーに選出されました。
(ウィキペディアより)
13歳のメシエが大きな感動を覚えたクリンケンベルグ彗星は、英語圏では「1744年の大彗星」(The Great Comet of 1744)とも呼ばれており、1743年から1744年にかけて現れた大彗星であり、近日点に達した後に現れた扇状の6本の尾が特に有名でした。
The Great Comet of 1744
The Great Comet of 1744, whose official designation is C/1743 X1, and which is also known as Comet de Chéseaux or Comet Klinkenberg-Chéseaux, was a spectacular comet that was observed during 1743 and 1744. It was discovered independently in late November 1743 by Jan de Munck, in the second week of December by Dirk Klinkenberg, and, four days later, by Jean-Philippe de Chéseaux. It became visible with the naked eye for several months in 1744 and displayed dramatic and unusual effects in the sky. Its absolute magnitude — or intrinsic brightness — of 0.5 was the sixth highest in recorded history. Its apparent magnitude may have reached as high as -7, leading it to be classified among what are called the "Great Comets". This comet is noted especially for developing a 'fan' of six tails after reaching its perihelion.
The comet reached perihelion about March 1, 1744, when it was 0.2 astronomical units from the sun. At about this time it was bright enough to be observed in daylight with the naked eye. As it moved away from perihelion, a spectacular tail developed — extending well above the horizon while the comet's head remained invisible due to the morning twilight. In early March 1744, Chéseaux and several other observers reported an extremely unusual phenomenon — a 'fan' of six separate tails rose above the horizon.
The tail structure was a puzzle to astronomers for many years. Although other comets had displayed multiple tails on occasion, the 1744 comet was unique by having six. It has been proposed the 'fan' of tails was generated by as many as three active sources on the cometary nucleus, exposed in turn to solar radiation as the nucleus rotated. It also has been proposed that the tail phenomenon was a very prominent example of the "dust striae" seen in the tails of some comets, such as Comet West and C/2006 P1 (McNaught).
(From Wikipedia)
正式名称はC/1743 X1、またはシェゾー彗星、クリケンベルグ-シェゾー彗星として知られている「1744年の大彗星」は、1743年から1744年にかけて観測された壮大な彗星でした。
この彗星は、1743年の11月下旬にヤン・デ・ミュンク(Jan de Munck)、12月の第二週にディルク・クリンケンベルク(Dirk Klinkenberg、1709〜1799)、その4日後にジャン−フィリップ・ロワ・ド・シェゾー(Jean-Philippe de Chéseaux、1718〜1751)によって、それぞれ個別に発見されました。1744年に入るとこの大彗星はは数カ月間肉眼で見えるようになり、空を劇的に飾りました。この大彗星の絶対等級、あるいは固有の明るさは、歴史上6番目の明るさとなる0.5等級でした。この彗星の見かけの等級は-7等級に達した可能性があり、大彗星と呼ぶにふさわしい明るさでした。この彗星は、近日点に到達した後には扇形の6本の尾を発達させたため、特に書き留められています。
この彗星は、1744年3月1日ころに近日点に到達し、太陽から0.2天文単位(地球と太陽との平均距離)の距離でした。この頃になると、彗星は日中に肉眼でも観測できるほどに輝きました。彗星は近日点から遠ざかるにつれて、壮大な尾を発達させました。朝の薄明かりのために彗星の頭は見えませんでしたが、尾は地平線の上に広がっていました。1744年3月上旬には、シェゾーや他の幾人かの観察者が、地平線上に6本の尾が扇形に広がって現れるというとても珍しい現象を報告しました。
この尾の構造は、長い間天文学者を悩ませました。他の彗星でも、時には複数の尾を見せることはありましたが、この1774年の彗星のように6本の尾を持つ彗星は他に類を見ないものでした。この現象については、扇形の尾が彗星の核の上で3つの活発な源(ガス・ちり)によって発生したこと、そして、核が回転したので、順番に太陽輻射にさらされたことが示唆されました。この彗星の尾の現象は、ウェスト彗星やマックノート彗星などの彗星に見られるような、「塵の脈理」の顕著な例であるという説が提案されています。
(ウィキペディアより) 続きを読む
2012年12月27日
天文(16)−重力レンズ効果
Actual gravitational lensing effects as observed by the Hubble Space Telescope in Abell 1689 – Enlarge the image to see the lensing arcs.
ハッブル宇宙望遠鏡で観測された、銀河団 Abell 1689 によって作られた重力レンズ。遠方の多数の銀河の像が円弧状に引き伸ばされて見えている。
(旧暦11月15日)
恒星や銀河などが発する光が途中にある天体などの重力によって曲げられたり、その結果として複数の経路を通過する光が集まるために明るく見えたりする現象は重力レンズ効果(Gravitationslinse)と呼ばれ、光は重力にひきつけられて曲がるのではなく、重い物体によってゆがめられた時空を進むために曲がると解説されています。
これは、アインシュタインの一般相対性理論(Allgemeine Relativitätstheorie)から予測された物理的事象で、たとえば太陽の縁をかすめる光は、最初の方向から1.75秒角曲がることが計算されていました。
ニュートン力学では重力とは質量と質量の間に働く力だと解釈されていたので、質量を持たないはずの光が重力に引き寄せられて曲がるという現象はなかなか理解されませんでした。
そしてこれを確かめるためには、太陽のまわりの光が明るく見える日食のときに観測する必要があると考えられていました。
第一次世界大戦集結直前の1919年5月29日、天体物理学者アーサー・エディントン(1882〜1944)率いるイギリス観測隊は、アフリカ西海岸沖、大西洋上にあるプリンシペ島で皆既日食を観測し、太陽周辺に見える星の位置が一般相対論の予測通りにずれていることを確かめたとされています。
One of Eddington's photographs of the total solar eclipse of 29 May 1919, presented in his 1920 paper announcing its success, confirming Einstein's theory that light "bends".
エディントンが撮影した1919年の皆既日食の写真。位置測定に用いた恒星が2本の線でマークされている。
翌年発表されたエディントンの観察結果は、アインシュタインの相対性理論の予測を証明したとされ、またニュートン学説信奉者に一般相対性理論の決定的証明として是認されました。
さらにこのニュースは大きな話題として世界中の新聞で報道され、アインシュタインと相対性理論の名は、一躍世界中に知られるようになりました。
アインシュタイン自身は、1916年に発表した『一般相対性理論の基礎』
Die Grundlage der allgemeinen Relativitätstheorie. In: Annalen der Physik. Ser.4, 49(1916), Seite . 769〜822の中で、次のように述べています。
§22. 静的重力場内にある物指と時計、光線の弯曲、惑星軌道の近日点移動
次に静的重力場内での光線の進路を調べてみよう。特殊相対性理論によれば光の速度は
によって与えられる。したがって、一般相対性理論では
によって与えられる。いま光の進む方向、すなわち
の比の値が与えられると、(73)によって
は与えられる。また、光の速さ
もユークリッド幾何学の意味において決められる。
そこで
が定数でないときは、座標系から見て光線が弯曲して見えることは容易にわかるであろう。いまnは、光の進行方向に垂直な方向を示すとすれば[( γ, n )平面で考えて]、ハイゲンスの原理により、光線は曲率ー∂γ/∂nをもつことになる。
そこで、質量Mの物体から距離Δだけ離れた所を通過する光線が受ける曲率を求めてみよう。いま、座標系を図のように選ぶと、光線が受ける弯曲の総計Bは(原点に向かって凹、つまり、図で光線が左の方に弯曲する時は を正とする)、ここに考えている近似では次式によって与えられる。
一方、(73)および(70)から
これを上のBの式に代入して計算すると
となる。そこで太陽のそばを通過する光線は1.7″の弯曲を受ける。また、木星のふちを通る光では0.02″となる。 続きを読む
2012年05月18日
天文(15)−SN1006(2)
The twelve ecliptic signs.
Each dot marks the start of a sign and they are separated by 30º. The intersection of the celestial equator and the ecliptic define the equinoctial points: First Point of Aries and First Point of Libra . The great circle containing the celestial poles and the ecliptic poles ( P and P' ), intersect the ecliptic at 0º Cancer . In this illustration, the Sun is positioned at the beginning of Aquarius.
黄道十二宮
各々の点は宮の始まりを示し、30度で分割される。天の赤道と黄道の交差点は春分点(白羊宮の最初の点)と秋分点(天秤宮の最初の点)を定める。天の極と黄道の極(P and P')を含む大円は、0度の巨蟹宮で交差する。この図においては、太陽は宝瓶宮の始まりに置かれている。
白羊宮 Aries
金牛宮 Tarus
双児宮 Gemini
巨蟹宮 Cancer
獅子宮 Leo
処女宮 Virgo
天秤宮 Libra
天蠍宮 Scorpio
人馬宮 Sagittarius
磨羯宮 Capricorn
宝瓶宮 Aquarius
双魚宮 Pisces
(旧暦閏3月28日)
天文(14)−SN1006(1)のつづき
西暦1006年に出現した超新星SN1006は、太陽と月を除くと記録に残されている限りでは歴史上で最も視等級(visual magnitude)が明るくなった天体(-7.5等級)でしたが、4月30日から5月1日の夜におおかみ座(Lupus)の領域に出現したこの客星(見慣れない星)は、日本、中国北宋はもとより、エジプト、スイス、イラクの観察者によっても記録されました。
前回は、鎌倉初期の歌人、京極中納言藤原定家(1162〜1241)がその日記である『明月記』 第五十二巻 寛喜二年十一月八日(乙未)の条に記した内容と14世紀の元代に編纂された『宋史 巻五十六 志第九 天文九』に周伯星と記録された内容を記しましたが、今回は、エジプトやスイスで観察された記録について見てみましょう。
3. エジプト
古代ローマの天文学者、数学者、地理学者、占星術師としてエジプトのアレクサンドリアで活躍したクラウディオス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus, 83頃〜168頃)が著した占星術の古典として知られている『テトラビブロス』(Tetrabiblos、四つの書)の注釈書を書いたエジプトの占星術師アリ・イブン・リドワン(998頃〜1061頃)が、この超新星に関する歴史的記述を同注釈書に残しています。
Commentary on the Tetrabiblos of Ptolemy
‘ I will now describe for you a spectacle (nayzak) that I saw at the beginning of my studies. This spectacle appeared in the zodiacal sign Scorpio, in opposition to the Sun. The sun on that day was in the 15th degree of Taurus, and the spectacle in the 15th degree of Scorpio.
It was a large circular body , 2-1/2 to 3 times as large as Venus. Its light illuminated the horizon and it twinkled very much. The magnitude of its brightness was a little more than a quarter of the brightness of the moon. It continued to appear and it moved in that zodiacal sign with the motion of the equator (i.e., the daily rotation) until the sun arrived at the zodiacal sign Virgo, within two zodiacal signs of the apparition to it and it ceased (appearing) all of a sudden .
This apparition was also observed at the time by (other) scholars just as I have recorded it. The positions of the planets when it began to appear were as follows:
Sun and moon : Taurus 15°
Saturn : Leo 12°11’
Jupiter : Cancer 11°21’
Mars : Scorpio 21°19’
Venus : Gemini 12°28’
Mercury : Taurus 5°11’
Lunar (ascending) no-de: Sagittarius 23°28’
「Evidence for a Supernova of A.D. 1006」 Bernard R. Goldstein
Yale University, New Haven, Connecticut
私は、あなたがたのために、私が勉学の始めに見た天体について述べてみよう。この天体は、太陽の対極の天蠍宮に現れた。その時の太陽は、金牛宮の15度、その天体は天蠍宮の15度であった。それは球状の大きな流星で、金星の2.5倍から3倍の大きさであった。その光は地平線を照らし、そして、とても輝いた。また、その明るさは、月の4分の1ほどの明るさであった。
その天体は現れ続け、そして、太陽が処女宮に到達するまでの間、赤道の運動とともに60度以内で黄道帯を移動した。そして、その天体は突然に消えた。
この怪しげな天体は、私がそれを記録したちょうどその時に、他の学者によっても観察された。
その天体が現れ始めた時の惑星の位置は、以下の通りだった:
太陽と月 金牛宮 15度
土星 獅子宮 12度11分
木星 巨蟹宮 11度21分
火星 天蠍宮 21度19分
金星 双児宮 12度28分
水星 金牛宮 5度11分
月の出の方角 人馬宮 23度28分
Nayzak,meaning a short spear, hence 'a meteor.' 流星
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2011年06月24日
天文(14)−SN1006(1)
SN 1006 Supernova Remnant
(旧暦5月23日)
『超新星』という言葉は天文用語かと思っておりましたら、今はやりの韓流6人組男性ダンスヴォーカルグループの名前でもあるそうで、いやはや、韓流人気はたいしたものですなあ!
うちのオカンも、あの『チャングムの誓い』以来韓流ドラマにのめり込み、この頃は、フジテレビの『逆転の女王』の虜になっておりますがな。
韓流の『超新星』は、メンバー全員の身長が180㎝以上というモデル並みのスタイルと、甘いマスクに加え、実力派のダンスと歌唱力で評価を得ている上に、今年6月には、東日本大震災における被災地でのプルコギの炊き出しを行うなどの支援活動を積極的に行っており、ジャニーズ事務所の『嵐』や『関ジャニ∞』よりもええですらあ。
さて、天文学における超新星(supernova)は大質量の恒星がその一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象とされていますが、西暦1006年に出現した超新星SN1006は、太陽と月を除くと記録に残されている限りでは歴史上で最も視等級(visual magnitude)が明るくなった天体(-7.5等級)であったようです。
1006年4月30日から5月1日の夜におおかみ座(Lupus)の領域に出現したこの見慣れない星は、日本、中国北宋はもとより、スイス、エジプト、イラクの観察者によっても記録されています。
1. 日本
日本では寬弘3年旧暦4月2日に陰陽師安倍吉昌(955?〜1019)が観測し、200年以上経た後の寛喜2年(1230)に、鎌倉初期の歌人、京極中納言藤原定家(1162〜1241)がその日記である 『明月記』 第五十二巻 寛喜二年十一月八日(乙未)の条で、「客星(見慣れない星)出現例」を8例ばかり記した中に、1006年のSN 1006と思われる超新星について言及しています。
一條院寛弘三年四月二日葵酉、夜以降騎官中有大客星、如螢惑。 光明動耀、連夜正見南方。或云、騎陣将軍星本体、増変光。
一條院寛弘三年四月二日葵酉(きゆう)、夜以降、騎官(きかん)中に大客星有り、螢惑(けいこく)の如し。 光明動耀、連夜正しく南方に見(あらは)る。或は云ふ、騎陣将軍星の本体、変じて光を増すかと。
第66代一条天皇(在位986〜1011)の寛弘三年(1006)四月二日(ユリウス暦5月1日)、夜半、騎官(おおかみ座の東部とケンタウルス座西部の一部分、氐宿を構成)中に大客星(大きな見慣れない星)が出現し、螢惑(火星)のようであった。光は煌煌と輝き、毎夜正しく南方に現れた。或いは騎陣将軍星(κ Lup)の本体が増光したのかとも云う。
ここで古代中国の星図で騎官(星数10)とされた星々は、下記のようになります。
騎官一(γ Lup) , 騎官二(δ Lup) , 騎官三(κ Cen ), 騎官四(β Lup), 騎官五(λ Lup)
騎官六(ε Lup), 騎官七(μ Lup), 騎官八(π Lup), 騎官九(ο Lup), 騎官十(α Lup)
古代中国の星座「騎官」と騎陣将軍星 「おおかみ座」の一部 続きを読む
2010年05月05日
天文(13)−妖霊星(ようれぼし)
Mars in 2001 as seen by the Hubble Space Telescope
(旧暦 3月22日)
第96代後醍醐天皇(1288〜1339)が倒幕運動を開始した「正中の変」(1331)から、足利義満(1358 〜1408)の第3代将軍職就任の(北朝)貞冶6年/(南朝)正平22年(1367)までの36年間の戦乱を描いた日本の代表的な軍記物語に『太平記』があります。
『平家物語』が仏教の無常観を中心に戦いの中にも風雅に富んだ世界を描いているのに対し、『太平記』は因果応報の思想を基に秩序と理念なき戦いの顛末を殺伐とした筆致で、時には残酷なまでに描いていると云われています。
その太平記巻五の四、『相摸入道田楽を弄(もてあそぶ)並びに闘犬の事』の記述中に、「妖霊星(ようれいぼし)」という妖星が現れて鎌倉幕府の支配者である北条氏の滅亡を予兆するかのように描かれている箇所があります。
時の権力者は北条高時(在職:1316〜1326)で、14歳で第14代執権職となりましたが、正中3年(1326)には病のために24歳で執権職を辞して出家し、崇鑑と号しています。
『太平記』や『増鏡』、『保暦間記』、『鎌倉九代記』などの後世に成立した記録では、闘犬や田楽に興じた暴君、暗君として書かれていますが、実際は病弱な人物であったようです。
相摸入道田楽を弄(もてあそぶ)並びに闘犬の事
又其比(そのころ)洛中に田楽を弄(もてあそぶ)事昌(さかん)にして、貴賎挙(こぞつ)て是に着(ぢやく)せり。相摸入道此事を聞及び、新座・本座の田楽を呼下して、日夜朝暮に弄(もてあそぶ)事無他事。入興(じゆきよう)の余に、宗(むね)との大名達に田楽法師を一人づゝ預て装束を飾らせける間、是は誰がし殿の田楽、彼(かれは)何がし殿の田楽なんど云て、金銀珠玉を逞(たくましく)し綾羅錦繍(りようらきんしう)を妝(かざ)れり。宴に臨で一曲を奏すれば、相摸入道を始(はじめ)として一族の大名我劣らじと直垂(ひたたれ)・大口(おほくち)を解(ぬい)で抛出(なげいだ)す。是を集(あつめ)て積(つむ)に山の如し。其弊(そのつひ)へ幾千万と云数を不知。
或夜一献の有けるに、相摸入道数盃(すはい)を傾け、酔に和して立て舞事良(やや)久し。若輩の興を勧る舞にてもなし。又狂者の言(ことば)を巧にする戯(たはむれ)にも非ず。四十有余の古入道、酔狂の余に舞ふ舞なれば、風情可有共(とも)覚ざりける処に、何(いづ)くより来(きたる)とも知ぬ、新坐・本座の田楽共十余人、忽然として坐席に列(つらなつ)てぞ舞歌(まひうた)ひける。其興(きよう)甚(はなはだ)尋常(よのつね)に越(こえ)たり。暫有(しばらくあつ)て拍子を替て歌ふ声を聞けば、「天王寺のやようれぼしを見ばや。」とぞ拍子(はやし)ける。
或官女此声を聞て、余(あまり)の面白さに障子の隙(ひま)より是を見るに、新坐・本座の田楽共と見へつる者一人も人にては無(なか)りけり。或(あるひは)觜(くちばし)勾(かがまつ)て鵄(とび)の如くなるもあり、或(あるひ)は身に翅(つばさ)在(あつ)て其形山伏の如くなるもあり。異類異形の媚者(ばけもの)共が姿を人に変じたるにてぞ有ける。
官女是を見て余りに不思議に覚ければ、人を走らかして城入道にぞ告たりける。入道取物も取敢ず、太刀を執て其酒宴の席に臨む。中門を荒らかに歩ける跫(あしおと)を聞て、化物は掻消様(かきけすやう)に失せ、相摸入道は前後も不知酔伏(ゑひふし)たり。燈(とぼしび)を挑(かかげ)させて遊宴の座席を見るに、誠に天狗の集りけるよと覚て、踏汚(ふみけが)したる畳の上に禽獣の足迹多し。城入道、暫く虚空を睨で立たれ共、敢て眼(まなこ)に遮(さへぎ)る者もなし。良(やや)久して、相摸入道驚覚(おどろきさめ)て起たれ共、惘然(ばうぜん)として更に所知なし。
後日に南家の儒者刑部少輔(ぎやうぶのせう)仲範(なかのり)、此事を伝聞(つたへきい)て、「天下将(まさに)乱(れんとする)時、妖霊星(えうれいぼし)と云悪星(あくしやう)下て災(わざはひ)を成すといへり。而も天王寺は是仏法最初の霊地にて、聖徳太子自(みづから)日本一州の未来記を留(とどめ)給へり。されば彼媚者(かのばけもの)が天王寺の妖霊星と歌ひけるこそ怪しけれ。如何様(いかさま)天王寺辺より天下の動乱出来(いでき)て、国家敗亡しぬと覚ゆ。哀(あはれ)国主徳を治め、武家仁を施して消妖謀(はかりごと)を被致よかし。」と云けるが、果して思知(おもひしら)るゝ世に成にけり。
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2009年09月30日
天文(12)-すばる(M45)
1885 The Pleiades by symbolist painter Elihu Vedder(1836~1923), an American symbolist painter, book illustrator, and poet, born in New York City.
(旧暦 8月 12日)
Job - Chapter 38
31. Canst thou bind the chains of the Pleiades, or loose the bands of Orion?
なんぢ昴宿(ぼうしゅく;プレアデス)の鏈索(くさり)を結びうるや、參宿(しんしゅく;オリオン)の繋繩(つなぎ)を解きうるや。
(旧約聖書 ヨブ記 38章31節)
中国における二十八宿の一つ昴宿(ぼうしゅく)は、西方白虎七宿の第4宿で、おうし座η星(Alcyone 、2.9等星)を中心に集まる青白い散開星団のことです。
二十八宿とは、角宿(距星はおとめ座α星)を起宿として天球を西から東に不均等分割したもので、天体の位置を表示する経度方向の座標として用いられました。
また、二十八宿の星座は4つの方角の七宿ごとにまとめられ、東方青龍、北方玄武、西方白虎、南方朱雀の四象に分けられました。
二十八宿はそれぞれ西端の比較的明るい星を基準(距星)とし、その距星から東隣の宿の距星までがその宿の赤経差となります。
ちなみに西方白虎七宿は、下記の七つの宿からなりたっています。
1. 奎(けい) とかきぼし アンドロメダ座ζ星(距星)
2. 婁(ろう) たたらぼし おひつじ座β星
3. 胃(い) えきへぼし おひつじ座35番星
4. 昴(ぼう) すばるぼし おうし座17番星
5. 畢(ひつ) あめふりぼし おうし座ε星
6. 觜(し) とろきぼし オリオン座λ星
7. 參(しん) からすきぼし オリオン座δ星
昴宿は西洋ではプレアデス星団(Pleiades)と呼ばれ、ギリシア神話の中の両腕と頭で天の蒼穹を支える巨人アトラース(Atlas)と海流神オーケアノス(Oceanus)の娘プレーイオネー(Pleione)の間に生まれたプレイアデス7人姉妹に由来しています。
1. Asterope(アステロペー)
The name Asterope or Sterope is shared by two stars, 21 Tauri and 22 Tauri, in the constellation Taurus. They are separated by 0.04° on the sky and are both members of the Pleiades open cluster and approximately 440 light years from Earth.
アステロペー(あるいはステロペー)は、おうし座の21番星と22番星の2つの星からなり、その赤経差は0.04°で、いずれもプレアデス散開星団の一員。地球からの距離はおおよそ440光年。
2. Merope(メロペー)
It is approximately 440 light years from Earth. Merope is a blue-white B-type subgiant with a mean apparent magnitude of + 4.14. It has a luminosity of 630 times that of the Sun and a surface temperature of 14,000 kelvin. Merope's mass is roughly 4.5 solar masses and has a radius more than 4 times as great as the Sun's. It is classified as a Beta Cephei type variable star and its brightness varies by 0.01 magnitudes.
地球からの距離はおおよそ440光年。メロペーは、見かけの平均等級+ 4.14の青白いB型(表面温度10,000~29,000K、ただしK = C + 273.15)準巨星。太陽の630倍の光度をもち、表面温度は14,000 K。質量は太陽質量の約4.5倍、半径は太陽半径の4倍以上。ケフェウス座β型変光星(Beta Cephei type variable star)に分類され、明るさは0.01等級変動する。
3. Electra(エーレクトラー)
Electra is a blue-white giant star in the constellation of Taurus. The star has an apparent brightness of 3.72, the third brightest of the stars in the group. Electra belongs to the spectral class B6 IIIe and is approximately 600 light years from the Sun. Electra is one of the four Pleiades stars that is classed as a giant; one that is starting to expand as the internal hydrogen fuel in the core is exhausted.
エーレクトラーは、おうし座の青白い巨星。見かけの等級+ 3.72のグループ内で3番目の明るさの星。スペクトル型B6 IIIeに属し、地球からの距離はおおよそ600光年。エーレクトラーは、中心核の水素燃料が尽きると膨張を始める巨星として分類される4つのプレアデスの中の一つ。
4. Maia(マイア)
Maia is the third brightest star in the Pleiades open star cluster. It is a blue giant of spectral type B8 III, and a mercury-manganese star. The visual magnitude is + 3.86, requiring darker skies to be seen.
マイアは、プレアデス散開星団の中で3番目に明るい星。スペクトル型B8 IIIに分類される青い巨星で、水銀-マンガン星である。視等級は+ 3.86で、肉眼で見るには暗い空が必要。(地球からの距離は約360光年)
5. Taygeta(ターユゲテー)
Taygeta is a triple star system in the constellation Taurus. It is approximately 440 light years from Earth.The primary component, Taygeta A, is a blue-white B-type subgiant with an apparent magnitude of +4.30. It is a spectroscopic binary, whose component stars have magnitudes of +4.6 and +6.1. They are separated by 0.012 arcseconds and complete one orbit every 1313 days.
ターユゲテーは、おうし座の3重星で、地球からの距離はおおよそ440光年。主な構成要素であるTaygeta Aは、見かけの等級+ 4.30の青白いB型(表面温度10,000~29,000K、ただしK = C + 273.15)準巨星。等級 + 4.6と等級 + 6.1をもつ星から構成される分光連星(spectroscopic binary、2個の星として分離して見分けることができない場合でも、スペクトル線にドップラー偏移が見られることで連星であると分かる)である。連星は0.012の秒角度で隔てられ、1,313日の周期を持つ。
6. ケライノー(Celaeno)
16 Tauri is a blue-white B-type subgiant with an apparent magnitude of +5.45. It is approximately 440 light years from Earth.
おうし座16番星は、見かけの等級+5.45の青白いB型(表面温度10,000~29,000K、ただしK = C + 273.15)準巨星。地球からの距離はおおよそ440光年。
7. アルキュオネー(Alcyone)
Alcyone is the brightest star in the Pleiades open cluster, which is a young cluster, aged at less than 50 million years. Alcyone is approximately 400 light years from Earth.
アルキュオネーは年齢5,000万年以下の若い集団であるプレアデス散開星団の中でも最も明るい星(等級2.86)で、地球からの距離はおおよそ400光年。 続きを読む
2009年03月20日
天文(11)-Eagle Nebula (M16)
A view of the Eagle Nebula from NASA's Spitzer Space Telescope. Courtesy of NASA/ESA
(旧暦 2月 24日)
お久しぶりですの。ほっ!
しばらく、期末のハードな仕事が続いていたためご無沙汰致しておりましたが、お彼岸ともなり、ぽかぽか陽気で、おめでたいですの!
春の宵は、北の空高く北斗七星(Big Dipper)と我らが桜星章の北極星(Polaris)が光り輝き、北斗七星の柄の先には「春の大曲線」を形成する、うしかい座α星のアルクトゥルス(Arcturus)、おとめ座α星のスピカ(Spica)がひときわ目立っています。
今回のわし星雲(M16)は夏の星座に属しますが、NASAの興味深い写真を見つけたので、寄り道してみましょう。
(June 3, 1764) `A cluster of small stars, enmeshed in a faint glow, near the tail of Serpens, at little distance to the parallel of Zeta of this constellation; with an inferior telescope this cluster appears like a nebula.'
[観測日:1764年6月3日]
暗い星からなる星団で、かすかに光るものとまじっている。へび座の尾に近く、へび座ζ星の緯度線からさほど離れていない。小さな望遠鏡では星雲のように見える。
メシエは、M16(Eagle Nebula)を上記のように記述しています。
わし星雲(Eagle Nebula)という名前は、鷲が羽根を広げた形を偲ばせることから名付けられました。
この星雲を最初に発見したのは、スイスのローザンヌ出身の天文学者であるジャン・フィリップ・ロワ・ド・シェゾー (Jean Phillippe Loys de Chéseaux 、1718~1751)で、1746年のことでした。
この年の8月6日、ジャン・フィリップ・ロワ・ド・シェゾー はAcadémie Française des Science(フランス科学アカデミー)に、自ら発見した8個の新しい星雲を含む21個からなる星雲表を提出しています。
de Chéseaux Messier/NGC/IC
No. 1 M 6
No. 2 IC 4665 ?
No. 3 NGC 6633
No. 4 M16
No. 5 M25
No. 6 NGC 869, h Per
No. 7 NGC 884, Chi Per
No. 8 M 8
No. 9 NGC 6231+z1,z2 Sco
No. 10 M 7
No. 11 M44
No. 12 M35
No. 13 M71
No. 14 M11
No. 15 M31
No. 16 M42
No. 17 M22
No. 18 NGC 5139, Omega Cen
No. 19 M 4
No. 20 M17
No. 21 [M13] - not seen
散開星団と散光星雲からなるM16は、4.7等のたて座γ星の2.5°西北西、天の川の背骨部分の赤経18 h 18.8 m 、赤緯-13° 48' にあり、等級6.0等(星団)、視直径35' x 28'、距離5,500 光年の彼方に約315光年の広がりをもっています。 続きを読む
2009年01月31日
天文(10)-M1
M1, the Crab Nebula. Courtesy of NASA/ESA by Wikipedia.
(旧暦 1月 6日)
M1といえばこの頃は、お笑いの島田紳助が企画し吉本興業が主催する漫才の選手権大会と勘違いされてしまいますが、このMはメシエ(Messier) の頭文字を取ったもので、フランスの天文学者シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730~1817)が 彗星の探索に際して、彗星と紛らわしい103個の天体の一覧であるメシエ天体(Messier object)のカタログを作ったのが始まりとされています。
"What caused me to undertake the catalog was the nebula I discovered above the southern horn of Taurus on September 12, 1758, while observing the comet that year.. had such a resemblance to a comet, in its form and brightness, that I endeavoured to find others, so that astronomers would not confuse these same nebulae with comets just beginning to shine." (Messier Connaissance des Temps 1800/1801 recorded in DSB).
「私がこのカタログの作成に取りかかったのは、1758年9月12日、その年に見つかった彗星を観測中に、牡牛座の南側の角の上に発見した星雲が原因である。・・・この星雲はその形といい明るさといい、あまりにも彗星によく似ていたので、私は他にもこのようなものを見つけて、天文学者がこれらの同じ星雲を、ちょうど輝き始めた彗星と混同することのないようにしようとした。」
彼はその動機を1801年版のフランスの年鑑『Connoissance des Temps』の中で前記のように説明しています。
La première publication du catalogue date de 1774 et regroupait les 45 premiers objets.
メシエはM1からM45までを1771年2月にパリの科学アカデミーで発表し、それはその年の 『Mémoires de l'Academie』に掲載され、1774年に出版された。
Le catalogue final, qui comprenait 103 objets, fut achevé en 1781 et publié en 1784 dans le périodique Connaissance des Temps.
メシエは1780年の4月までに68個のリストを作成し、フランスの年鑑 『Connoissance des Temps』1783年版に発表、その後、メシエの最終カタログには103個の天体が記載され、それは 『Connoissance des Temps』1784年版に発表された。
さて、メシエが最初にカタログにリストアップした天体M1は、牡牛座の南側の角の上に発見した赤経05 h 34.5 m 、赤緯+22° 01' 、等級8.4等、距離6,300光年の超新星残骸である「かに星雲」(Crab Nebula)でした。 続きを読む
2008年01月07日
天文(9)-水星の近日点移動
Drehung des Merkurperihels. Die Exzentrizität der Bahn und die Rate der Präzession sind stark übertrieben. Zwischen den einzelnen dargestellten Perihelen liegen in Wirklichkeit etwa 58.000 Umläufe.
水星近日点の移動(旋回)。軌道の離心率および歳差運動(自転している物体の回転軸が、円をえがくように振れる現象)の比率は、強く誇張されている。個々の描写された近日点は、実際はほぼ58,000公転の間にある。
注)ちなみに、水星の近日点が太陽の周りを1周するためには、水星が太陽の周りを939,622公転する必要があり、その時間は226,415年ほどかかります。
(旧暦 11月29日)
夕霧忌 27歳で没した大坂の遊女夕霧の延宝6年(1678)の忌日。
その死後、初代坂田藤十郎(1647~1709)が演じた歌舞伎『夕霧名残の正月』や近松門左衛門(1653~1725)の人形浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡』など、数多くの芝居で題材となって好評を博した佳人薄命の遊女。
水星(Mercury)は、太陽系の8個の惑星の中で太陽に最も近い惑星です。
太陽を回る惑星が楕円軌道を描くことは、ドイツの数学者、天文学者のヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler、1571~1630)がその師匠であり共同研究者でもあったデンマークの天文学者ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe、1546~1601)の観測記録を解析し、1609年に発表しました。
The first law says: "The orbit of every planet is an ellipse with the sun at one of the foci."
第1法則 : 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。
軌道力学上、標準的な条件下での天体の軌道は必ず円錐曲線の形になりますが、太陽を回る惑星の場合、その軌道離心率(Orbital eccentricity)eは0<e<1となって楕円軌道をとります。
水星の軌道離心率はe=0.2056と、太陽系の他の惑星と比べてかなり大きい値を持っていますが、e=0ならば円形となるので、水星の軌道はかなり円に近いものと云えます。
19世紀の天文学者は水星の軌道要素を大変注意深く観測した結果、楕円軌道は閉じずに、太陽に最も近づく位置(近日点、perihelion)が1周期ごとに移動していくという現象を発見しました。この現象を近日点移動(perihelion precession、近日点の歳差運動)と云い、太陽に近いほどこの移動が大きくなります。
フランスの数学者、天文学者のユルバン・ルヴェリエ(Urbain Jean Joseph Le Verrier, 1811~1877)は、この水星の近日点移動を他の惑星(水星の更に内側に軌道を持つとされる惑星バルカン:Vulcan)の影響によるものだとしてニュートンの重力理論で計算してみたところ、十分に説明できないところが出てきました。 続きを読む
2007年08月06日
天文(8)-隕石孔(2)
Sudbury Basin is the oval structure.
NASA World Wind satellite image of the Sudbury astrobleme.
(旧暦 6月24日)
天文(7)-隕石孔(1)のつづき
現在、地球上の隕石の衝突痕と考えられているものの中で、次の3つのクレーターが巨大で有名です。
1. フレデフォート・ドーム(Vredefort dome) 南アフリカ共和国 直径300㎞
2. サドベリー隕石孔(Sudbury Basin) カナダ・オンタリオ州 直径約250㎞
3. チクシュルーブ・クレーター(Chicxulub Crater) ユカタン半島 直径約180km
第2位 サドベリー隕石孔(Sudbury Basin) カナダ・オンタリオ州 直径約250㎞
サドベリー隕石孔(Sudbury Basin)は、現在は長径62㎞、短径30㎞、深さ15㎞の隕石孔で、約18億5千万年前の古原生代(Paleoproterozoic)に約10㎞の隕石の衝突により形成され、隕石孔の最初の大きさは約250㎞程度であったと考えられています。
衝突時のエネルギーは、TNT火薬に換算して80Tt (テラトン: 1兆トン、80兆トンは、広島型原爆が15Kt程度なので、広島型原爆の50億倍) 以上にのぼると推定されています。
しかし、その後に起きたカナダ盾状地の造山運動であるグレンヴィル造山運動(the Grenville orogeny)により、約10億年前に南東から圧縮力を受け現在のような楕円形の形状になったというものです。
サドベリー構造(the Sudbury structure)は、1964年にアリゾナ州立大学地質学教室のRobert Sinclair Dietz (1914~1995) 教授が隕石説を提唱するまでは、カナダ盾状地に対する大規模な火成岩の貫入によると考えられていたため、サドベリー貫入岩体(The Sudbury Igneous Complex)とも呼ばれています。
サドベリー隕石孔はまた、ニッケル・銅硫化物鉱床を含む1100平方kmに及ぶ鉱山群で、サドベリーのニッケルは年間世界生産の7割を占めていた時期もあったようです。 続きを読む
2007年05月06日
天文(7)-隕石孔(1)
Meteor Crater From Wikipedia
(旧暦 3月20日)
傘雨忌 小説『末枯』『春泥』、戯曲『雨空』『大寺学校』、句集『道芝』『流寓抄』などを発表し、昭和12年(1937)、岸田國士らとともに文学座を結成、演出家としても活躍した小説家、劇作家、俳人久保田万太郎の昭和38年(1963)の忌日。 俳号の傘雨から傘雨忌とも呼ばれる。梅原龍三郎邸の会食会で赤貝を喉に詰まらせて急逝、享年74歳。
春夫忌 雑誌「三田文学」や「スバル」などに詩歌を発表。後に小説『田園の憂鬱』『都会の憂鬱』『晶子曼陀羅』などを発表して活躍した耽美主義の詩人、小説家、評論家佐藤春夫の昭和39年(1964)の忌日。 自宅でラジオ録音中、心筋梗塞のため急逝、享年72歳。
[impact craters on Earth]
隕石が衝突してできた隕石孔として有名なのが、アメリカ合衆国のアリゾナ砂漠北部フラッグスタッフ(Flagstaff)市の東35 miles (55 km)にあるバリンジャー隕石孔[the Barringer Meteorite Crater (or the "Meteor Crater")]です。
この隕石孔は、コロラド高原の局地気候が現在よりも寒冷湿潤であった約5万年前の更新世(Pleistocene;180-160万年前~1万年前)に、直径約50mの金属鉄(Fe-Ni合金)から成る鉄隕石(nickel-iron meteorite)の衝突によって形成されました。
直径約1,200 m (4,000 ft)、深さ約170 m (570 ft)、クレーターを取り囲む縁は周囲の平原から45 m (150 ft)の高さになっており、最近の調査では秒速12.8㎞(28,600 mph)の速度で衝突し、その衝撃力は少なくとも2.5Mt(TNT火薬250万トン)分の爆発力に等しく、広島、長崎型原爆の160倍にも相当する大規模な爆発を引き起こしたと考えられています。
現在、地球における隕石孔は "The Earth Impact Database" に170以上が記録されていますが、このデータベースは1955年にCarlyle S. Beals博士(1899~1979)の監督のもとオタワにあるカナダ国立天文台(the Dominion Astronomer)によって始められました。
現在は、カナダ東部の都市フレデリクトン(Fredericton)にあるニューブランズウィック大学( University of New Brunswick)の惑星&宇宙科学センター(PSSC: the Planetary and Space Science Centre)において非営利の情報源として存続されています。 続きを読む
2006年10月15日
天文(6)-流星
This picture is of the Alpha-Monocerotid meteor outburst in 1995. The Perseid meteor shower, usually the richest meteor shower of the year, peaks in August. Over the course of an hour, a person watching a clear sky from a dark location might see as many as 50-100 meteors. Meteors are actually pieces of rock that have broken off a comet and continue to orbit the Sun. The Earth travels through the comet debris in its orbit. As the small pieces enter the Earth's atmosphere, friction causes them to burn up.
By NASA Ames Research Center/S. Molau und P. Jenniskens
(旧暦 8月24日)
Yonnd light is not day-light, I know it, I:
It is some meteor that the sun exhales,
To be to thee this night a torch-bearer,
And light thee on thy way to Mantua:
Therefore stay yet; thou need'st not to be gone.
Romeo and Juliet ( Ⅲ.SCENE V. Capulet's orchard.)
あそこの明かりは夜が明けた明かりではないわ。私にはわかっているの。
お日さまがはき出す流れ星か何かだわ。
今夜あなたがマンチュアへ帰る道を照らす
たいまつ持ちの役をさせようっていうんだわ。
だからまだいて。帰る必要はないわ。
JulietはRomeoを引き止めようとして、しきりに懇願しています。
Shakespeareの時代には、太陽が水蒸気を吸い込み、そのために流星ができると考えられていたようです。
さて現代では、流星(meteor / shooting star / falling star)とは、流星物質と呼ばれる太陽の周りを公転する小天体が、地球(または他の天体)の大気に衝突、突入し発光したものであるとされています。
流星物質は、直径が0.1㎜以下のごく小さな塵状のものから数㎝以上ある小石のようなものまで様々な大きさがあり、このような小天体が地球(または他の天体)の大気に秒速数㎞から数十㎞というスピードで突入すると、上層大気の分子と衝突してプラズマ化したガスが発光し、これが流星として観測されるそうです。
従って、小天体が大気との摩擦熱で加熱された状態が流星として見えているわけではないとのこと。
また、流星は地上から150㎞~100㎞程度の高さで光り始め、70㎞~50㎞の高さで消滅して、地上に到達するのは極めて希なようです。 続きを読む
2006年08月27日
天文(5)−冥王星
Pluto
(旧暦閏 7月 4日)
益軒忌 江戸時代前期の本草学者、儒学者で筑前黒田藩士貝原益軒先生の正徳4年(1714)の忌日。藩命により「黒田家譜」を編纂し、また藩内をくまなく調査して「筑前国続風土記」を編纂した。
主な著書に「大和本草」、「菜譜」、「花譜」といった本草書、教育書の「養生訓」、「和俗童子訓」、「五常訓」、思想書の「大擬録」など数多くの著作を残している。
冥王星(Pluto)は、可愛いそうでんなあ〜。
つい先日の8月17日の新聞各紙では、「太陽系の惑星がこれまでの9個から一気に3個増え、12個になる可能性がでてきた。・・・」と報道されていたのに、24日になって国際天文学連合(IAU)は惑星の新しい定義について採決し、太陽系の惑星を水星(Mercury)、金星(Venus)、地球(Earth)、火星(Mars)、木星(Jupiter)、土星(Saturn)、天王星(Uranus)、海王星(Neptune)の8個として冥王星(Pluto)を惑星から外す案を賛成多数で可決してしまいました。
「いったいどないなってんのや?」と思ったよゐ子の皆さんも大勢いらっしゃったことでせう。
「惑星(Planet)」って一体どのようなものを指すのでしょうか。
そもそも英語のplanetという言葉は、ギリシア語の「彷徨うもの」を語源としているそうですが、地球から見ると、外惑星(火星、木星、土星、天王星、海王星)は空を移動しながら定期的に移動方向を変えるように見えます。
この見かけの逆行運動は古代の天文学者を悩ませ、このことがplanet という名前の由来の一つとなっているとのことです。
古代の中国では行星、日本では遊星とも呼ばれ、惑星という言葉も、惑うような動きから来ているとのことです。
そういえば遙かな昔の昭和の御代に、「遊星王子」というヒーローもいましたねえ。
さて、24日に国際天文学連合(IAU)によって定義された惑星の定義は、次のようなものです。
The IAU...resolves that planets and other bodies in our Solar System be defined into three distinct categories in the following way:
国際天文学連合は、我々の太陽系に属する惑星およびその他の天体に対して、以下の3つの明確な種別を定義する:
(1) A "planet" [1] is a celestial body that: (a) is in orbit around the Sun, (b) has sufficient mass for its self-gravity to overcome rigid body forces so that it assumes a hydrostatic equilibrium (nearly round) shape, and (c) has cleared the neighbourhood around its orbit.
1. 惑星(注1)とは、
(a)太陽の周りを回り、
(b)十分大きな質量を持つため、自己重力が固体に働く他の種々の力を上回って重力平衡形状(ほとんど球状の形)を有し、
(c)その軌道の近くでは他の天体を一掃した
天体である。 続きを読む
2006年05月02日
天文(4)−シュワスマン・ワハマン第3彗星
Dust trail of Comet 73P/Schwassmann–Wachmann 3 by the Spitzer Space Telescope.
(旧暦 4月 5日)
このところ新聞紙上を賑わせている彗星に、シュワスマン・ワハマン第3彗星(73P/Schwassmann-Wachmann 3)があります。
この彗星は、昭和5年(1930)5月2日にドイツのハンブルク天文台のアルノルト・シュヴァスマン(Friedrich Karl Arnold Schwassmann:1870〜1964)とアルノ・アルトゥール・ヴァハマン(Arno Arthur Wachmann:1902〜1990)によって発見された周期彗星(periodic comets)で、1930年の発見後にしばらく行方不明になり、1979年になって再発見されました。
今回、1930年から76年ぶりに地球に最接近するそうで、国立天文台によれば、同彗星の明るさは1日現在で8等級程度、地球に接近するにつれて明るさを増し、12日頃の最接近時[地球から0.079天文単位(約1180万km)の距離を通過すると予想されている]には2等級〜5等級にまで明るくなり、肉眼でも確認できると期待されています。
しかし、13日は月齢14の満月となるために、実際視認できるのは8日前後までで、それまでの午後8時ころには東北東の低い空のヘルクレス座付近に位置し、天候と周囲の環境に恵まれれば、小さな雲のように見える彗星が肉眼でも観察できる可能性があると報道されています。
シュワスマン・ワハマン第3彗星(73P/Schwassmann-Wachmann 3)は、約5.36年の軌道周期で太陽を一周し、16年ごとに地球に接近します。
元の核の大きさは直径約1.1kmと推定され、遠日点(恒星と惑星との距離が最も遠くなる点)は木星の外側に位置し、近日点(恒星と惑星との距離が最も近くなる点)は地球軌道の内側に入り込んでいます。
平成7年(1995)10月初めに彗星核が分裂し、核はA〜D核の4個に分裂しました。平成12年(2000)の接近時には、A、D核の消滅が確認され、新たにE核が発見されていますが、本年4月現在、30個以上の分裂核が観測されているようです。
このため、この彗星は将来完全に崩壊して見えなくなるものと考えられており、消滅した場合には彗星符号は、73Pから73Dに変更されます。 続きを読む
2005年12月24日
天文(3)−星宿(星座)
中国星座と現行星座の対照図
(旧暦 11月23日)
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
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智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
高村光太郎 智恵子抄 『あどけない話』より
智恵子のほんとの空は、「阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空」でしたが、帝都東京の夜には、確かにほんとの空はありませんね。
むかし、福島の阿武隈山中で仰いだ夜空は、星が手に取ることができるように近くに感じられ、感動した思ひ出があります。
夜空に輝く星はそれこそ無数にありますが、古来から洋の東西を問わず星座として親しまれ、また特に輝く星には、固有の名前が付けられています。
中国清朝の星表『欽定儀象考成』巻1の「恒星総記」では、三垣二十八宿計277星座および南天の星座計23星座に分類記載されています。
【三垣(さんえん)】
1. 紫微垣(しびえん)
こぐま座を主とする星座群で、天帝の居所とされた星座。現在の北極星である「こぐま座α星(α Ursae Minoris)」は、英語では?The Polar Star?、ラテン語でポラリス(Polaris)ですが、古代中国では「こぐま座β星」が北辰、または天皇(てんこう)大帝とよばれていました。
紀元前1100年頃の北極星は、コカブ(Kochab、こぐま座 β星、β Ursa Minoris)でした。2.08等、距離は130光年、スペクトル型はK4?なので赤みの橙色に見えます。 続きを読む
2005年09月02日
天文(2)−ハレー彗星(1)
A photograph of Halley's Comet taken during its 1910 approach.
(旧暦 7月29日) 天心忌 美術評論家にして美術教育者であった天心・岡倉覚三の大正2年(1913)の忌日
日本でもおなじみのハレー彗星が発見されたきっかけは、イギリスの天文学者、地球物理学者にして数学者、気象学者、物理学者のエドモンド・ハアレイ(Edmond Halley、1656〜1742)が、彗星の中に周期的に出現するものがあると判断したことによります。
サー・アイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton,1643〜1727)は、彗星が太陽の周りを放物線軌道を描いて運動していることを証明し、その著『自然哲学の数学的諸原理』(Philosophiae naturalis principia mathematica:1687年出版)のなかで万有引力の法則と、運動方程式について述べ、彗星の放物線軌道を求める方法を明示しました。
ハアレイ(ハレー)は、このニュートンの方法を用いて、過去に観測された彗星の記録から24個の彗星軌道を決定しましたが、その中の1531年、1607年、1682年の彗星の軌道がよく似ていることに注目し、その後発見した木星への軌道接近による引力の影響(摂動:perturbation)を考慮して周期を計算した結果、次の接近(近日点通過) は、1758年末ごろと予測し、1705年、その概要を記述した『彗星天文学要綱』(Synopsis Astronomia Cometicae)を発表しました。
ハアレイの死(1742年)後、ドイツのアマチュア天文家ヨハン・ゲオルク・パリッチュ(Johann Georg Palitzsch)は、1758年12月25日、ハアレイが予測した彗星を発見し、ハアレイの予測は的確である事が証明されて、この彗星に彼の名前が付けられました。 続きを読む