さぽろぐ

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2012年03月06日

パイポの煙(33)−お引っ越しのごあいさつ

  
 
 筑紫の国より蝦夷地に旅立つ若き日の嘉穂のフーケモン

 (旧暦2月14日)

 8年にわたってお世話になった「チャンネル北国tv」が生まれ変わり(4月30日でサービス停止)、これまで以上に地域に根差したサイトとして、北海道エリアの活性化に寄与することを目的に、リニューアルすることになりました。

 ■新名称
 札幌エリアの活性化を目指す地域ブログサービス
 「さぽろぐ」
 
 従いまして、嘉穂のフーケモンのブログ「板橋村だより」も、「さぽろぐ」にお引っ越しすることとなりました。
 
 新URL:http://ch08180.sapolog.com/

 「チャンネル北国tv」で掲載500回を超えましたので、「さぽろぐ」で1000回掲載を目指して参ります。

 今後とも、よろしくお願い申し上げます。
   

Posted by 嘉穂のフーケモン at 11:12Comments(0)パイポの煙

2008年10月15日

パイポの煙(32)-御名御璽

 
 

 大日本帝国憲法原本の御名御璽 (ネガ画像)
 The signature of Emperor Meiji and the Privy Seal in Constitution of the Empire of Japan (photographic negative) by Wikipedia.
 
 (旧暦  9月17日)

 体育の日の早朝、秋風に誘われて何となく、板橋村から帝都を縦断して千代田村の宮城もとい皇居桜田門内の外苑まで、LSD(Long Slow Distance:長距離をゆっくり走る)をしてきました。

 皇居と言えば、第92代内閣総理大臣となった麻生太郎氏が9月24日に今上天皇から任命をうけたのは、皇居正殿松の間での親任式(内閣総理大臣任命式)でした。
 9月29日、第170国会における所信表明演説は、時代がかったユニークな一節から始められました。

 わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。・・・・・
 
 ところで、御名御璽(ぎょめいぎょじ)とは、日本においては、天皇陛下の署名(今上天皇の諱である明仁)および公印のことで、印文は篆書、角印で「天皇御璽」(2行縦書きで右側が「天皇」、左側が「御璽」)、大きさは方3寸(約9cm)、重量4.5kgの純金製です。
 明治7年(1874)、京印章の名匠、安部井櫟堂(1805~1883)が国璽と共に1年をかけて製作したと云います。
 
 国璽の方は、印文が「大日本國璽」(2行縦書で右側が「大日本」、左側が「國璽」)、字体は篆書、3寸(約9cm)四方の角印です。
 やはりこちらも純金製です。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:12Comments(0)パイポの煙

2006年09月11日

パイポの煙(30)−震は四知を畏る

 

 明の定陵出土の金冠

 (旧暦閏-7月19日)

 このところ、企業や公職に就くひとのモラルが喧しく云われていますが、「見つからなければ何をやっても良い」という風潮や、本来高いモラルを持って社会に貢献して行くべき企業が、自社の利益のみを優先し、逆に社会に多大な不安と迷惑を与えているという実態に強い怒りを覚えるのは、私「嘉穂のフーケモン」だけではありますまい。

 とは言え、「自らを律していくことの難しさ」もまた人の世の常とも云うべきものでしょうか。小さく云えば、生活習慣病なども、自らを律していくことによりかなり改善されるやにも聞いています。

 はるか昔の中国の後漢(東漢:25〜225)の初期、弘農郡華陰県(陝西省渭南市)出身の軍事担当宰相である太尉に楊震(54〜124)という人がいました。

 楊震(字は伯起)は少年の頃から学問を好み、太常(宗廟禮儀を司る官)の桓郁から欧陽氏に伝わる、堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である欧陽尚書(書経)を教授され、経書(儒家経典)に明るく、博覧強記で、内容を窮め尽くさない物は有りませんでした。

 この為、当時の儒者たちは、「関西(函谷関以西の地)の孔子楊伯起」と称えていましたが、数十年の間、州郡の役人が丁重に招いても出仕しませんでした。

 楊震は年五十で州郡に仕え始めました。

 大將軍鄧隲(とうかく)其の賢なるを聞き而して之を辟し(召し)、茂才(秀才:後漢の光武帝の諱である秀の字を避けたため)に舉ぐる。四たび(4回目の出世で)荊州刺史に遷(うつ)る。

 東莱(荊州東莱郡:山東省萊州市)太守として郡に之くに當(あ)たり、道、昌邑(兗州山陽郡昌邑県:山東省昌邑市)を經るに、故舉ぐる所の荊州茂才王密、昌邑の令と為りて謁見す。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:46Comments(0)パイポの煙

2006年06月11日

パイポの煙(29)−危急存亡の秋(4)

 

 京劇の諸葛孔明(俳優は魯大鳴氏)。扮装や化粧は「三国志演義」における人物描写をふまえている。

 (旧暦  5月16日)

 パイポの煙(28)−危急存亡の秋(3)のつづき

 「出師の表」の第3段では、諸葛亮は先帝劉備の恩義を慕って共に歩んだ21年間を追憶し、現在における自分の決心すなはち2代蜀帝劉禪に対して同じ忠誠を献げようとする信念を披瀝します。

 臣は本(もと)布衣(ふい、庶民)、躬(みづか)ら南陽に耕(たがや)す。
 苟(いや)しくも性命を亂世に全うせんとし、聞達(ぶんたつ、名声が上がること)を諸侯に求めず。
 先帝、臣の卑鄙(ひひ、身分が低い)なるを以てせず、猥(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ、謙遜)し、臣を草盧の中(うち)に三顧し、臣に諮(と)うに当世の事を以てせり。
 是に由りて感激し、遂に先帝に許すに駆馳(くち、人のために奔走して働く)を以てす。

 後、傾覆(けいふく、長阪橋の敗戦を指す)に値(あ)い、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉ず。
 爾来二十有一年なり。
 先帝、臣が謹慎(まじめに良く気をつけること)を知る。故に崩ずるに臨んで臣に寄するに大事を以てせしなり。
 命を受けて以来、夙夜(しゅくや、日夜)憂歎(ゆうたん)し、付託(ふたく、委任)の效(こう)あらずして、以て先帝の明を傷(そこな)わんことを恐る。
 故に五月瀘(ろ、瀘水)を渡り、深く不毛(不毛の地雲南地方)に入れり。


 今、南方已に定まり、兵甲(軍備)已に足る。
 当(まさ)に三軍を奨帥(しょうすい)し、北のかた中原を定むべし。
 庶(こいねが)わくは駑鈍(どどん、自分の能力に対する謙称)を竭(つく)し、姦凶(かんきょう、魏の文帝曹丕を指す)を攘除(じょうじょ、討ち払う)し、漢室を興復(こうふく)し、舊都に還(かえ)さんことを。
 此れ臣の先帝に報いて、陛下に忠なる所以の職分なり。
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:41Comments(1)パイポの煙

2006年06月10日

パイポの煙(28)−危急存亡の秋(3)

 

 Zhuge Liang(諸葛亮)
 An artist impression of Zhuge Liang holding his trademark feather fan.


 (旧暦  5月15日)

 源信忌、惠心忌  平安中期の天台宗の僧源信の寛仁元年(1017)の忌日。 比叡山横川の恵心院に隠棲したので惠心僧都とも呼ばれ、寛和元年(985)、『往生要集』を著した。

 平安末期の歌人藤原清輔(1104〜1177)が保元三年(1158)に著した和歌の百科全書とも云うべき『袋草紙』によれば、

 恵心僧都は、和歌は狂言綺語なりとて読み給はざりけるを、恵心院にて曙に水うみを眺望し給ふに、沖より舟の行くを見て、ある人の、「こぎゆく舟のあとの白浪」と云ふ歌を詠じけるを聞きて、めで給ひて、和歌は観念の助縁と成りぬべかりけりとて、それより読み給ふと云々。さて廿八品(法華経二十八品をそれぞれ和歌に詠んだもの)ならびに十楽の歌(極楽浄土で受ける十の楽しみを詠んだ歌)なども、その後読み給ふと云々。

 法華経薬草喩品の心をよみ侍りける
 大空の雨はわきてもそそがねど うるふ草木はおのがさまざま (千載1250)



 パイポの煙(27)−危急存亡の秋(2)のつづき

 諸葛亮、字は孔明、琅邪陽都(現在の山東省臨沂市沂南県)の人なり。漢の司隸校尉(首都洛陽・長安を含む州の長官)諸葛豐の後なり。父は珪、字は君貢、漢の末に太山郡(現在の山東省泰安市)の丞(副長官)と為る。

 亮(諸葛亮)早く孤(孤児)にして、從父(父方の叔父)玄(諸葛玄)、袁術(後漢末期の群雄)の署する所の豫章太守(揚州豫章郡の長官、現在の江西省南昌市)と為り、玄(諸葛玄)亮及び亮弟均(諸葛均)を將(ひき)いて官に之(いた)る。
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 09:31Comments(0)パイポの煙

2006年06月09日

パイポの煙(27)−危急存亡の秋(2)

 

 昭烈帝 劉備(161〜223)

 (旧暦  5月14日)

 パイポの煙(26)−危急存亡の秋(1)のつづき

 此誠危急存亡之秋也 「此れ誠に危急存亡之秋(とき)也」の一節は、故事成語として大変有名ですが、「秋」を「とき」と読むのは、米、麦、粟、豆、黍(きび)または稗(ひえ)の五穀が実る秋は農民にとって重要な時期であることから、「大切なとき」、「重大なとき」の意があるためで、国家や団体などの集団に対して使うことが多く、英語では、critical hourないしは critical moment とも云うようです。

 章武三年(A.D.223)春、先主(初代劉備)永安に於いて病篤(あつ)く、亮(諸葛亮)を召して成都(蜀の首都、四川省の省都)に於いて、以て後事を屬(しょく)す。

 亮に謂ひて曰く、「君の才は曹丕(187〜226、魏の初代皇帝、曹操の長子)に十倍す、必ずや能く國を安んずべし。終りに大事を定む。若し嗣子(2代劉禪)輔(たす)く可けんば之を輔(たす)け、如(も)し其の才に不(あらざ)れば、君自ら取る可し」と。

 亮(諸葛亮)涕泣して曰く、「臣敢(あへ)て股肱(自分の手足のように信頼している忠義な家臣)之力を竭(つ)くし、忠貞之節を效(いた)す、死を以て之を繼がん」と。

 先主(初代劉備)又詔敕を為して後主(2代劉禪)に曰く、「汝丞相(諸葛亮)與(と)事に從ひ、之の事父の如(ごと)し」と。
 [三國志卷三十五 蜀書五 諸葛亮傳第五]


 劉備玄徳は臨終の際に諸葛孔明に後事を託し、「嗣子の禪が補佐するに足り得るならば補佐して欲しい。しかし、その器でないならば、君が代わって蜀の帝位を継いで欲しい」と云いました。
 また、子の劉禪に対しては、「丞相孔明の教えに従い、丞相を父と思え」と遺言しました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 11:41Comments(0)パイポの煙

2006年06月08日

パイポの煙(26)−危急存亡の秋(1)

 

 三国鼎立図(A.D.220〜A.D.280) The Three Kingdoms state
 A.D. :ラテン語Anno Domini(「主の年に」の意)

 (旧暦  5月13日)

 長明忌 平安末期から鎌倉初期にかけて歌人、楽人(琵琶などの奏者)として名を馳せた鴨長明の忌日。京都下鴨神社の禰宜(ねぎ)長継の次男としてうまれたが、下鴨神社内摂社(本社と末社とのあいだに位し、本社の祭神とかかわりをもつ神などを祭る神社)河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされて出家したと伝えられている。
 建暦元年(1211)には公家、歌人飛鳥井雅経(1170〜1221)と共に鎌倉に下向し、3代将軍源実朝と会見している。

 [吾妻鑑 建暦元年10月13日 辛卯]
 鴨社の氏人菊大夫長明入道(法名蓮胤)、雅経朝臣の挙に依って、この間下向す。将軍家に謁し奉ること度々に及ぶと。而るに今日幕下将軍の御忌日に当たり、彼の法華堂に参り念誦読経の間、懐旧の涙頻りに相催す。一首の和歌を堂の柱に註す。
  草も木もなひきし秋の霜消て むなしき苔をはらふ山風


 翌年の建暦2年(1212)に和漢混淆文による文芸のひとつとして名高い『方丈記』を著し、前後して随筆風の歌論書『無名抄』を著している。
  思二世恋といふ事を
  我はただ来ん世の闇もさもあらばあれ 君だに同じ道に迷はば (新続古今1292)




 中国西晋(265〜316)の人陳寿(233〜297)により西暦280年〜290年頃に編纂された紀伝体の歴史書に『三國志』があります。
 『三國志』は、『魏志』30巻(「本紀」4巻、「列傅」26巻)、『蜀志』15巻、『呉志』20巻の計65巻から成っていますが、その『蜀志』(蜀書)の諸葛亮傅に、諸葛亮孔明(181〜234)が魏との決戦を目前に悲愴な決意で第2代蜀帝劉禪(207〜271)に奉った上奏文(表)である「出師の表」が載せられています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:01Comments(0)パイポの煙

2006年05月12日

パイポの煙(25)−地震・雷・火事・親父

 

 A town near the coast of Sumatra lies in ruin on 2 January 2005. This picture was taken by a United States military helicopter crew from the USS Abraham Lincoln that was conducting humanitarian operations.
 
 (旧暦  4月15日)

 むかしから、この世の中で恐いものの代名詞として、「地震・雷・火事・親父」という言葉がありますが、最後の親父の語源は、「おおやまじ(大山嵐)」がおやじ(親父)に変化していったんだそうです。
 この「やまじ」とは南風のことで、春先などに発達した低気圧が日本海を通過していく際に南から吹き込む猛烈な風をさす漁師言葉で、東海、四国、中国地方でよく使われる言葉だとか。
 従って、地震も雷も火事も山嵐(やまじ)も天災なので、本当に恐ろしいものの代名詞としては納得いく内容です。

 現在、日本に伝存する最古の正史である『日本書紀(やまとぶみ)』は、舎人親王(676〜735)らの撰により養老4年(720)に完成していますが、第19代允恭天皇(生年不詳〜453、在位412〜453)5年7月14日の項に日本最古の地震記録が記載されています。

 五年秋七月丙子朔己丑 地震 
 (日本書紀 卷十三 允恭紀/安康紀)


 「丙子朔己丑」は、丙子(へいし)を朔(月立ち、一日)としたときの己丑(きちゅう)の日は14日にあたります。
 具体的には、丙子(1)、丁丑(2)、戊寅(3)、己卯(4)、庚辰(5)、辛巳(6)、壬午(7)、癸未(8)、甲申(9)、乙酉(10)、丙戌(11)、丁亥(12)、戊子(13)、己丑(14)となります。

 つまり、允恭天皇5年7月14日(ユリウス暦416年8月23日)に地震があったことを示し、地震は「なゐふる」と読み、「なゐ」とは土地または地面のことで、「ふる」とは「揺れる」との意味です。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:46Comments(0)パイポの煙

2006年01月16日

パイポの煙(24)−アカシアの大連

 

 大連大広場

 (旧暦 12月17日)

 帝都東京を午後1時30分に出発する特急「櫻」に乗ると、大阪を午後10時7分、神戸を午後10時44分に発車し、翌朝午前8時に終点の下関に着きます。
 
 下関から午前10時30分発の関釜連絡船に乗り、釜山へは午後6時に到着。

 釜山からは、朝鮮総督府が経営する朝鮮鉄道の午後7時20分発の特急「ひかり」に乗ると、翌朝午前11時23分に国境の街新義州に着き、鴨緑江を渡って安東へは午前11時30分に着きますが、1時間の時差を修正して現地時間午前10時30分。

 特急「ひかり」はそのまま北上して午後4時20分に奉天に到着。

 ここで午後5時43分発の南満洲鉄道の特急「あじあ」に乗り換えると、大連には午後10時30分に到着します。

 東京〜大連間は57時間、神戸〜大連間は49時間弱かかっていました。
 [昭和10年(1935)10月の時刻表『汽車汽船旅行案内』第492号より]


 一方、大阪商船の大連航路の客船吉林丸(6,783総トン)で正午に神戸を出港すると、翌日の早朝に門司に到着。正午に門司を出港して、玄界灘から済州島の北を通過して黄海を北上し、大連入港は翌々日の午前9時。神戸〜大連間は69時間で結ばれていました。
 [日満連絡船定期表 昭和12年(1937) 大阪商船]


 昭和13年当時の東京〜神戸間の所要時間は、特別急行列車で8時間台、急行列車では11〜13時間でしたが、当時は東京〜沼津間と京都〜神戸間が電化区間で、沼津〜京都間は非電化であったので、その区間はC51 などの客車牽引用蒸気機関車が牽引していました。

 昭和13年当時の下関行特別急行列車の東京発時刻は手元に資料がないので定かではありませんが、神戸発東京行は6,7,8,12時台ですから、神戸までだと東京を午前中に出発しても夕刻には到着できますが、12:00発の日満連絡船に乗船するには、前日から神戸に到着していないと乗船できなかったようですね。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:53Comments(0)パイポの煙

2005年11月23日

パイポの煙(23)−健啖家

 

 吉亭(米沢)のサーロインステーキ

 (旧暦 10月22日)

 一葉忌 極貧の短い生涯のうちに、 「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった珠玉の作品を遺して、24歳にして肺結核で逝った小説家樋口一葉の明治29年(1896)の忌日

 帝都東京のはずれの板橋村界隈で、「これはおいしいな」と極めて希に感動する食べ物に出会うと「食べ物散歩」として紹介していますが、いつも食べ出してから写真に取ることを思い出して後悔している私「嘉穂のフーケモン」です。
 このところ2軒ばかり、気に入った居酒屋風蕎麦屋と「東都第一かな?」と感動したとんかつ屋を見つけましたが、例によって写真を取り忘れてしまったので、またの機会にしませう。

 グルメ案内のHPでは、日記「築地市場を食べつくせ!」を「毎日よくも築地を中心にあんなにたくさん食べ尽くして、胃袋の方は大丈夫かな」などとよけいな心配をしながら感動して見ています。
 また、昼食放浪記でもその健啖家振りに感心しています。
 
 いずれにしても、グルマン(gourmand)と呼ばれる人達は健啖家でなければ務まりませんね。
 日記「築地市場を食べつくせ!」
 (http://www.tsukijioo.com/Diary/DiaryFlame.html
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 17:19Comments(0)パイポの煙

2005年09月10日

パイポの煙(22)−約束暗号(2)

 

 旧称「新高山」 台湾玉山東峰(左 3,869m)と玉山主峰(右 3,952m)
 
 (旧暦  8月 7日)

 去來忌 俳人向井去來の宝永元年(1704)の忌日

 パイポの煙(21)−約束暗号(1)のつづき

 「ニイタカヤマノボレ一二○八」というGF(General Fleet:聯合艦隊)機密第六七六番電、GF電令作第一○号は、「X日ヲ十二月八日午前零時トス」というあらかじめ打ち合わせておいた約束暗号でしたが、何故この日がX日でなければならなかったのかという疑問は当然あります。

 昭和16年(1941)12月2日午前10時から開催された大本営政府連絡会議において開戦を8日(日本時間)と決議し、午後2時から杉山参謀総長(陸軍)、永野軍令部総長(海軍)が参内して、連絡会議で決議した12月8日午前零時以降の武力発動を天皇に報告し、允裁を仰いで裁可を得ました。

 

 杉山元参謀総長

 

 永野修身軍令部総長

 このとき永野海軍軍令部総長は、「X日十二月八日決議の理由」について天皇に上奏しています。その記録によれば、

 天皇 海軍ノ日次ハ何日カ。
 永野 八日ト予定シテ居リマス。
 天皇 八日ハ月曜日デハナイカ。
 永野 休ミノ翌日ノ疲レタ日ガ良イト思ヒマス。


 12月8日は、日本時間や陸軍の緒戦地であるマレーや香港では月曜日ですが、ハワイでは日曜日でした。
 天皇の下問にたいし、咄嗟に時差の換算を失念した奉答になりましたが、このことが巷説、「月曜の朝でございますと、日曜日にアメリカ陸海軍の将兵は、遊びつかれぐったりしておりますので」と奉答したとされて、海軍部内で「ぐったり大将」という仇名がついたという何とも笑うに笑えない伝聞もあるようです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 08:11Comments(0)パイポの煙

2005年09月08日

パイポの煙(21)−約束暗号(1)

 

 海軍通信科予備仕官 阿川弘之少尉

 (旧暦  8月 5日)

 千代尼忌、素園忌 加賀の俳人・千代(千代尼、素園)の安永4年(1775)の忌日
 
 昭和17年(1942)、東京帝国大学(文学部国文科)を繰上げ卒業し、第二期兵科予備学生として海軍に志願して採用され、通信科予備士官として海軍に勤務した作家の阿川弘之氏は、その著「軍艦長門の生涯」の中で、真珠湾攻撃時の暗号電報として有名なGF(General Fleet:聯合艦隊)機密第六七六番電、GF電令作第一○号、いわゆる「ニイタカヤマノボレ一二○八」の発信経緯について詳しく記述しています。

 それによるとこの暗号は、「X日ヲ十二月八日午前零時ト定ム」というあらかじめ打ち合わせておいた約束暗号だったとのこと。
 もちろんこの暗号文は、乱数表により乱数の足し算をして作成された第二次暗号文で発信されたそうですが、陸軍においても開戦日を知らせる約束暗号がありました。

 開戦劈頭マレー作戦を展開し、シンガポール攻略を命令されていた第25軍司令官山下奉文中将(1885〜1946)は、昭和16年(1941)12月2日午後7時30分、上陸部隊の集結地である中国広東省海南島三亜港の輸送船龍城丸の船内で、南方総軍司令官寺内寿一大将からの電令を受け取りました。
 「ヒノデハヤマガタ」
 「ヒノデ」は開戦日、「ヤマガタ」は八日を意味していました。

 陸軍は、開戦日についてはあらかじめ、12月1日から10日までそれぞれ、ヒロシマ、フクオカ、ミヤザキ、ヨコハマ、コクラ、ムロラン、ナゴヤ、ヤマガタ、クルメ、トフケフの順に都市名による約束暗号を決めていたそうです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:38Comments(0)パイポの煙

2005年09月03日

パイポの煙(20)−古本

 

 西遊妖猿伝9巻第一部大唐篇(双葉社)

 (旧暦  7月30日)

 迢空忌  国文学者、歌人折口信夫の昭和28年(1953)の忌日

 このところ天文、それも中国古代の天文記述に凝ってしまい、板橋村の住まい(加賀藩下屋敷跡)近くの図書館には資料がないので、仕方なくインターネットのアマゾン・ドット・コムで検索したところ、新品で6,300円もする本が中古で1,800円で売りに出されていたので、思わず4冊も買ってしまいました。

 本を買うと始末に困るので、なるべく買うなら文庫本、通常は図書館から借りてきて用を済ませてしまうのですが、ま、仕方がないでしょう。

 その後、我が家から電車に乗って3つめの駅の常盤台というところにある板橋中央図書館に、探していた本(新釈漢文大系)の全巻115巻中刊行された101巻がそろっていることがわかり、早速訪ねてみました。

 なんとこの図書館は古くさいのですが資料は充実しており、私「嘉穂のフーケモン」の専門の原子力関係の書籍や数学関係、物理学関係の書籍が農学校の図書館とまではいきませんがかなり充実しており、思わず感心してしまいました。

 思想、哲学、科学などに関する全集や叢書などもそろっており、調べ物をするには役に立つ図書館のようです。

 古本(かっこよく云えば古書)は、神田の古本屋街にいけば山のように積み重ねられていますが、それぞれ専門の店が有るらしく、なじみのない店に行くと、店主が「何しに来た」という感じでにらんでいます。

 私「嘉穂のフーケモン」は、昔(30年くらい前)は理工学関係、それも物理学や数学関係の洋書や和書が充実している書店が大好きでしたが、その店も今は廃業して、スポーツ用品販売店になっています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:52Comments(0)パイポの煙

2005年08月30日

パイポの煙(19)−玉勝間

 

 本居宣長(1730〜1801)
 
 (旧暦  7月26日)

 高校に入学して野球(硬式)ばかりやっている三男坊が「困った、困った」と言って相談に来ました。
 なんでも、本居宣長(1730〜1801)の随筆集『玉勝間』の四の巻231段「兼好法師が詞のあげつらひ」の前半を書き写し、訳せという夏休みの宿題が出たが、参考の本も無いし、インターネットにも載っていないとのことでした。

 高校の参考書は判りませんが、たしかに図書館や書店では宣長さんの『玉勝間』は見あたりません。岩波文庫でも絶版になっているようだし、インターネットに解説を載せている(原文は載せている)奇特な人もいないようです。

 広辞苑によれば、「玉勝間」の「勝間」とは目の細かい竹篭で、「玉」は美化して上品に云う言い方だから、「玉勝間」は美しい竹篭の意味になります。また、「あふ」とか「あへ」、「しま」、「し」にかかる枕詞なので、「玉勝間逢わむといふは誰なるか」という使い方になるようです。

 さてこの『玉勝間』は宣長さんの随筆集ですが、14巻(目録1巻)からなり、宣長さん晩年の寛政7年(1795)からその死後の文化9年(1812)にかけて出版されたそうです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:11Comments(0)パイポの煙

2005年06月18日

パイポの煙(18)−食玩

 

 海洋堂のタカアシガニの食玩

 (旧暦  5月12日)

 「食玩て何や?」と思われる方も多いと思いますが、「グリコのオマケでんがな!」といえば大体想像がつくでしょう。
 正式には、玩具付き食品のことで、お菓子、飲料などのオマケとして玩具が付いたものを云います。「グリコ」のおまけは昔から有名ですが、このごろは「カバヤ食品」の玩具菓子や「フルタ製菓」のチョコエッグが有名なようですね。

 「カバヤ食品」のキャラメルとか「フルタ製菓」のチューブチョコやパラソルチョコといえば、5円や10円といった子供の小遣いで買うことが出来る駄菓子的なお菓子でしたが、明治製菓や森永製菓のお菓子はちょっとお高く、例えば上原ゆかりが「♪マーブルマーブルマーブルマーブルマーブルチョコレート」のコマーシャルソングにのって宣伝していた明治のマーブルチョコは、当時30円でした。

 このマーブルチョコには、アルファベットのAからZまでのバッジがオマケでついていたため、昭和30年代の筑紫の国の小学生の間では、たくさん集めて帽子に貼り付けるのが流行っていました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 07:35Comments(0)パイポの煙

2005年05月13日

パイポの煙(17)−暦(こよみ)

 

 九段坂の常夜灯
 
 (旧暦  4月 6日)

 花袋忌  小説家・田山花袋の昭和5年(1930)の忌日。

 古来日本は、中国や朝鮮半島の百済や新羅から様々な文化を教わりながら、日本独自の文化を培ってきました。稲作技術や生活習慣、政治体制など、実に多彩な影響を受けて、ようやく今日の日本ができました。

 そのような生活習慣のひとつに、暦(こよみ)があります。

 今、世界で用いられている暦には、「太陽暦」「太陰暦」「太陰太陽暦」の3種類があります。

 「太陽暦」は、地球が太陽の周りをまわる周期(太陽年)のみを元にして作られた暦法で、現在世界標準暦になっているグレゴリオ暦は、それ以前に使用されていたユリウス暦に修正を加えてできた太陽暦の一種です。

 「太陽暦」に基づく暦法には、そのほか、イラン暦(ペルシャ暦)やマヤ暦など全部で12種類ほどあるようです。

 1582年10月15日からイタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランドで導入され、順次ヨーロッパ圏内のカトリック教国に広まっていきました。

 日本では、天保暦の明治5年12月3日がグレゴリオ暦の明治6年(1873)1月1日になりました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:31Comments(0)パイポの煙

2005年04月30日

パイポの煙(16)−みどりの日

 

 新緑の千鳥ヶ淵遊歩道

 (旧暦  3月22日)

 荷風忌  小説家・随筆家の永井荷風の昭和34年(1959)年の忌日。

 緑もぞ濃き柏葉の 蔭を今宵の宿りにて
 夕べ敷寝の花の床 旅人若く月細し
 黙示聞けとて星屑は 梢こぼれて瞬きぬ

 第一高等学校第十三回記念祭寮歌(明治三十六年東寮)


 昨日29日は「みどりの日」、柏や欅(けやき)といった落葉樹の木々の緑も早緑色からだんだん濃さを増していますが、各地では連休の初日で様々な催しが行われたようです。

 我が板橋村でも区内の赤塚植物園で、「グリーンフェスタ2005」と銘打ち、「みどりの日」に因む式典が行われました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:38Comments(0)パイポの煙

2005年04月04日

パイポの煙(15)−辛夷(こぶし)の花の香に迷う

 

 コブシ(辛夷、学名:Magnolia kobus)

 (旧暦  2月26日)

 花に対する想いというものは、人それぞれ格別のものがあるのでしょうが、私「嘉穂のフーケモン」にとっては、「アカシアの花」と「辛夷の花」に尽きます。

 子供の頃、石原裕次郎が歌う「赤いハンカチ」の一節、「アカシアの花の下で・・・・」というメロディーが大好きでしたが、「アカシアの花」とはどんなものかはさっぱりわかりませんでした。

 また、西田佐知子が歌う、「アカシアの雨に打たれて・・・」もロマンティックとは想いましたが、どんな雨なのか想像も尽きませんでした。

 蝦夷地に渡って初めて、恵迪寮の裏手の原生林に咲く辛夷の花を知り、その可憐な白い花と香りに魅せられましたが、北大恵迪寮の昭和32年度の寮歌でも歌われ、強い印象が残っています。
 
 夜光流るる芝草や
 辛夷の花の香に迷う
 遠き憧れ逝にし日よ
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:57Comments(0)パイポの煙

2005年03月24日

パイポの煙(15)−博多人形もびっくり

 

 福岡県西方沖地震による志賀島周回道路上の崖崩れ

 

 (旧暦  2月15日)

 檸檬忌  作家梶井基次郎の昭和7年(1932)の命日。代表作の『檸檬』にちなみ檸檬忌と呼ばれる。

 このところ地震が相次いでいますが、3月20日に発生した「福岡県西方沖地震」では、日頃地震災害などは関係ないと思っていた我が古里筑紫の国の住人たちも、さぞかしびっくりしたことでしょう。

 何しろ、彼らにとっては今時世界大戦による福岡空襲よりも、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)による元寇の方が未だに強烈な印象を残しており、まあ、それ以外は大した災害のない平和な土地柄だったからでしょうかね。

 ちなみに福岡空襲では、昭和20年(1945)6月19日、マリアナ基地を出発したB29爆撃機221機が、有明海から背振山地を越えて西南部方面から福岡市内に侵入、午後11時過ぎから市内の東部ならびに西部地区に焼夷弾が投下され、約2時間にわたる空襲で福岡市街は焦土と化し、死者902人、行方不明244人、負傷者1,078人という甚大な被害を受けました。

 

 福岡市戦災略図 

 「博多の空が真っ赤に燃えとった」と死んだばあちゃんも良く云っていましたが、それでも福岡以外では他人ごと。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:59Comments(0)パイポの煙

2005年03月13日

パイポの煙(14)−三十六計

 

 孫子の兵法書

 (旧暦  2月 4日)

 中国民衆の生活に密着した人生の知恵は、様々な「ことわざ」になって日本にも伝えられていますが、その中に「三十六計、逃げるにしかず」という「ことわざ」があります。

 これは、兵法三十六計の最後が「走為上」(走るを上と為す=逃げるのが一番)であることからきています。

 「兵法三十六計」は人間関係の指南集であり、日常生活の知恵として役立つため、中国では庶民にも広く暗唱されているそうです。

 瞞天過海、囲魏救趙、借刀殺人、以逸待労、趁火打劫、声東撃西
 無中生有、暗渡陳倉、隔岸観火、笑裏蔵刀、李代桃僵、順手牽羊
 打草驚蛇、借屍還魂、調虎離山、欲擒姑縦、抛磚引玉、擒賊擒王
 釜底抽薪、混水模魚、金蝉脱殻、関門捉賊、遠交近攻、仮道伐虢
 偸梁換柱、指桑罵槐、仮痴不癲、上屋抽梯、樹上開花、反客為主
 美人計、空城計、反間計、苦肉計、連環計、走為上

 「兵法三十六計」は、6段階ごとに6計ずつ分類されています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:39Comments(0)パイポの煙