2006年06月09日
パイポの煙(27)−危急存亡の秋(2)
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昭烈帝 劉備(161〜223)
(旧暦 5月14日)
パイポの煙(26)−危急存亡の秋(1)のつづき
此誠危急存亡之秋也 「此れ誠に危急存亡之秋(とき)也」の一節は、故事成語として大変有名ですが、「秋」を「とき」と読むのは、米、麦、粟、豆、黍(きび)または稗(ひえ)の五穀が実る秋は農民にとって重要な時期であることから、「大切なとき」、「重大なとき」の意があるためで、国家や団体などの集団に対して使うことが多く、英語では、critical hourないしは critical moment とも云うようです。
章武三年(A.D.223)春、先主(初代劉備)永安に於いて病篤(あつ)く、亮(諸葛亮)を召して成都(蜀の首都、四川省の省都)に於いて、以て後事を屬(しょく)す。
亮に謂ひて曰く、「君の才は曹丕(187〜226、魏の初代皇帝、曹操の長子)に十倍す、必ずや能く國を安んずべし。終りに大事を定む。若し嗣子(2代劉禪)輔(たす)く可けんば之を輔(たす)け、如(も)し其の才に不(あらざ)れば、君自ら取る可し」と。
亮(諸葛亮)涕泣して曰く、「臣敢(あへ)て股肱(自分の手足のように信頼している忠義な家臣)之力を竭(つ)くし、忠貞之節を效(いた)す、死を以て之を繼がん」と。
先主(初代劉備)又詔敕を為して後主(2代劉禪)に曰く、「汝丞相(諸葛亮)與(と)事に從ひ、之の事父の如(ごと)し」と。
[三國志卷三十五 蜀書五 諸葛亮傳第五]
劉備玄徳は臨終の際に諸葛孔明に後事を託し、「嗣子の禪が補佐するに足り得るならば補佐して欲しい。しかし、その器でないならば、君が代わって蜀の帝位を継いで欲しい」と云いました。
また、子の劉禪に対しては、「丞相孔明の教えに従い、丞相を父と思え」と遺言しました。
諸葛亮は、劉備玄徳がその子劉禪に対して抱いていた不安よりも更にはっきりと劉禅の資質のなさを見抜いていました。
しかし諸葛亮は微塵も劉禪に代わろうとする心はなく、不肖の子故に厳しく劉禪に対して上奏したのでした。
「出師の表」の第2段では、自分(諸葛亮)の出陣中に留守の宮中の事(行政)と営中の事(軍事)を託すに足る人々の名を挙げて細かく申し述べています。
侍中(皇帝の直属機関で皇帝の質問に備え落度を補う役職)侍郎(次官)郭攸之(かくゆうし)費褘(ひい)董允(とういん)等は、此れ皆良実にして志慮(しりょ)忠純なり。是を以て、先帝簡抜(かんばつ)して以て陛下に遺(のこ)せり。
愚(ぐ)以為(おも)えらく宮中の事は、事大小と無く、悉く以てこれに諮(はか)り、然(しか)る後に施行せば、必ずや能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)し、広益する所有らんと。
将軍向寵(しょうちょう)は、性行淑均(しゅくきん)、軍事に曉暢(ぎょうちょう)す。昔日に試用せられ、先帝これを称して能と曰へり。是れを以て衆議寵(ちょう)を挙げて督と為す。
愚(ぐ)以為(おも)えらく営中の事は、事大小と無く、悉く以てこれに諮(はか)らば、必ずや能く行陣(こうじん)をして和穆(わぼく)し、優劣をして所を得しめんと。
続けて諸葛亮は、2代劉禪が安逸を求めて小人(度量の狭い人徳に欠ける人物)に親しみやすいことを諫めて、さらに細かく奏します。
賢臣に親しみ、小人を遠ざくる、此れ先漢の興隆せし所以(ゆえん)なり。
小人に親しみ、賢人を遠ざくる、これ後漢の傾頽(けいたい)せし所以(ゆえん)なり。
先帝在(いま)しし時、毎(つね)に臣と此の事を論じ、未だ嘗(かつ)て桓霊[後漢末期の桓帝(在位146〜167)と霊帝(在位167〜189)]に嘆息痛恨せずんばあらざりしなり。
侍中、尚書(機密書類を扱うための役職)、長史・参軍(将軍府の属官、参謀)は、此れ悉く貞亮(ていりょう)死節の臣なり。
願わくは陛下これに親しみこれを信ぜば、則ち漢室の隆んなること、日を計りて待つ可きなり。
さらにつづく
しかし諸葛亮は微塵も劉禪に代わろうとする心はなく、不肖の子故に厳しく劉禪に対して上奏したのでした。
「出師の表」の第2段では、自分(諸葛亮)の出陣中に留守の宮中の事(行政)と営中の事(軍事)を託すに足る人々の名を挙げて細かく申し述べています。
侍中(皇帝の直属機関で皇帝の質問に備え落度を補う役職)侍郎(次官)郭攸之(かくゆうし)費褘(ひい)董允(とういん)等は、此れ皆良実にして志慮(しりょ)忠純なり。是を以て、先帝簡抜(かんばつ)して以て陛下に遺(のこ)せり。
愚(ぐ)以為(おも)えらく宮中の事は、事大小と無く、悉く以てこれに諮(はか)り、然(しか)る後に施行せば、必ずや能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)し、広益する所有らんと。
将軍向寵(しょうちょう)は、性行淑均(しゅくきん)、軍事に曉暢(ぎょうちょう)す。昔日に試用せられ、先帝これを称して能と曰へり。是れを以て衆議寵(ちょう)を挙げて督と為す。
愚(ぐ)以為(おも)えらく営中の事は、事大小と無く、悉く以てこれに諮(はか)らば、必ずや能く行陣(こうじん)をして和穆(わぼく)し、優劣をして所を得しめんと。
続けて諸葛亮は、2代劉禪が安逸を求めて小人(度量の狭い人徳に欠ける人物)に親しみやすいことを諫めて、さらに細かく奏します。
賢臣に親しみ、小人を遠ざくる、此れ先漢の興隆せし所以(ゆえん)なり。
小人に親しみ、賢人を遠ざくる、これ後漢の傾頽(けいたい)せし所以(ゆえん)なり。
先帝在(いま)しし時、毎(つね)に臣と此の事を論じ、未だ嘗(かつ)て桓霊[後漢末期の桓帝(在位146〜167)と霊帝(在位167〜189)]に嘆息痛恨せずんばあらざりしなり。
侍中、尚書(機密書類を扱うための役職)、長史・参軍(将軍府の属官、参謀)は、此れ悉く貞亮(ていりょう)死節の臣なり。
願わくは陛下これに親しみこれを信ぜば、則ち漢室の隆んなること、日を計りて待つ可きなり。
さらにつづく
パイポの煙(33)−お引っ越しのごあいさつ
パイポの煙(32)-御名御璽
パイポの煙(30)−震は四知を畏る
パイポの煙(29)−危急存亡の秋(4)
パイポの煙(28)−危急存亡の秋(3)
パイポの煙(26)−危急存亡の秋(1)
パイポの煙(32)-御名御璽
パイポの煙(30)−震は四知を畏る
パイポの煙(29)−危急存亡の秋(4)
パイポの煙(28)−危急存亡の秋(3)
パイポの煙(26)−危急存亡の秋(1)
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