2004年11月30日
パイポの煙(3)-正気の歌(1)

廣東貢院内號舎
(旧暦11月30日)
長いこと京都大学で教鞭を執られ、亡くなられた宮崎市定先生(1901〜1995)は、『九品官人法の研究』や『アジア史研究』他、多数の著作を残されましたが、一般向けには『科挙』(中公新書)を著されました。
それによると、清代の科挙では、県試→府試→院試→(歳試)→科試→郷試→挙人覆試→会試→会試覆試→殿試の難関を突破せねばならず、ひと時の日本の受験地獄など足元にも及ばない過酷な試験制度だったようです。

2004年11月29日
となり村名所あんない(3)-文京村(1)-東大安田講堂

東大安田講堂
(旧暦10月18日)
安田講堂といえば、私達の世代はどうしても東大安田講堂事件が頭を離れません。
先輩達は良く、「東大紛争のために東大入試が無かったので、北大に来たんだ」と言っていましたが、果たしてその真偽のほどは・・・・ 続きを読む
2004年11月28日
北東アジア(1)-高句麗・広開土王碑

好太王碑(広開土王碑)
昨年末から急きょ浮上した、「高句麗は古代中国の地方政権」という歴史観に関して、いま中韓論争が続いていますが、高句麗といえば広開土王碑(好太王碑)が有名ですね。
広開土王碑(好太王碑)は中国吉林省集安にあり、野原にポツンと野ざらしで立っている古い写真を見たことがありますが、いまは、世界文化遺産への登録申請を機に展示施設が整備されたようです。 続きを読む
2004年11月27日
クラッシック(2)-ラフマニノフ(1)-ピアノ協奏曲第2番

セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943)
セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943)は、ロシアが生んだ偉大なる作曲家であり、ピアニストでした。ロシア革命(1917)でアメリカに逃れ、その後、ヨーロッパとアメリカを行き来しながら演奏活動を続けました。
このピアノ協奏曲第2番ハ短調は、強度の神経衰弱から解放された1900年秋、シャリアピンが北イタリア・ジェノバに借りた家に滞在して曲想を練り、1901年に完成しました。
第2楽章は、デビッド・リーン監督による1945年のイギリス映画『逢びき』で使われ、大変有名になりました。
私も学生のときこの映画を見て感動し、早速LPを購入した思い出があります。
今は、CD(LONDON)でヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1984)盤を愛聴しています。
第1楽章のロシア的で重厚な始まりが大好きです。
2004年11月25日
秋津嶋の旅(2)-蝦夷が嶋(1)-髭のニッカ
札幌すすきの交差点
この夏、札幌市中央区南4条西4丁目のすすきの交差点でひときわ目に付くニッカウヰスキーのネオン看板に久しぶりで会いました。
卒業以来ですから、26年振りでしょうか。なつかしいなあ・・・ 続きを読む
2004年11月24日
となり村名所あんない(2)-台東村(1)-上野恩賜公園
上野恩賜公園 西郷隆盛像
(旧暦10月13日)
江戸時代、寛永寺の境内で、明治維新後官有地となり、大正13年(1924)、宮内省を経て東京市に下賜された上野恩賜公園は、明治6年の太政官布達によって芝、浅草、深川、飛鳥山と共に日本で初めて公園に指定されています。 続きを読む
2004年11月23日
新生代(1)-第三紀(1)-アルシノイテリウム

Arsinoitherium zitteli (アルシノエ2世女王の獣) 英国、ロンドン自然史博物館
地球の長い歴史においては、絶滅した動植物は数え切れないくらいいるのでしょうが、このところ話題になっているのが、カナダ/ブリティシュ・コロンビア州の東端、カナディアン・ロッキーの高地にあるバージェス頁岩層から発見されたバージェス動物群でしょう。 続きを読む
2004年11月22日
パイポの煙(2)-松岡正剛の千夜千冊

(旧暦10月11日)
2000年2月23日、突如ウェブ上に発表しはじめた千夜千冊。
松岡正剛なる人物、今もってよく理解できぬ人であります。
『むかしシェラザードは王のために命をかけて千と一夜の物語を終えて妃となった。いま松岡正剛は私たちのために千夜をかけ、全知全能を傾けて千冊の書を読み解いた。』福原義春(株)資生堂取締役会長 続きを読む
2004年11月22日
板橋村あれこれ(2)-石神井川(しゃくじい川)
石神井川遊歩道 加賀の散歩道
石神井川は、 小平市花小金井南町から西東京市・練馬区・板橋区を流れ北区堀船で隅田川に合流する延長25.2kmの河川です。
昭和の始め頃には、巣鴨方面から何軒もの牧場が移転してきて牛乳の生産を始め、戦後しばらくまできれいな流れを湛えていました。
高度成長期と共に水質が悪化し悪臭を放つドブ川と化していましたが、昭和48年以降大規模な河川改修で川底は深く掘削され、昔日の面影をしのぶことはできなくなりました。
現在は雨水の放水路として水もきれいになり、水鳥が憩い人々が散策する遊歩道も整備され、私の住む旧加賀藩下屋敷跡付近では桜の名所になっています。
木々の間からは、旧陸軍第二造兵廠(火薬)跡地に立つ加賀の億ションが見えています。
2004年11月21日
パイポの煙(1)-ご挨拶

(旧暦10月10日)
亡くなられた作曲家の團伊久磨氏の有名なエッセイにあやかりたいのですが、私は煙草を吸わないので、いや、昔はロングピースや缶ピースを吸ってサントリー・ホワイトをロックで飲みながら、ジャズを聴くのがかっこいいと思っていたものですから・・・ 続きを読む
2004年11月21日
板橋村あれこれ(1)-板橋村境

埼京線板橋陸橋上から十条駅方面を望む
お天気が良いので、LSD(long slow distance:ゆっくりと長い時間走る )で巣鴨〜向ヶ丘〜東大〜上野と初冬の帝都を走ってきました。
板橋村の東境は、豊島村と北村に接しています。
埼京線(ちょっと前までは赤羽線と言う超ローカル線でしたが、大宮まで延長されて、朝などは地獄の通勤路線となっています。私はめったなことでは乗りません。やむをえず乗るときは両手で吊革等につかまり、痴漢に間違われないように予防しています。)の左側が板橋村の我が地域。
遠くに、東京家政大学の新校舎が見えます。
朝日にかすんでいます。
2004年11月19日
秋津嶋の旅(1)-陸奥(1)-弘高生青春之像
旧制弘前高等学校青春の像
青森県弘前市文京町の弘前大学のキャンパス内には、昭和24年3月まで旧制弘前高等学校がありました。
旧制弘前高等学校は、太宰治(津島修二)の母校であり(昭和2年入学)、鈴木健二元NHKアナウンサーの母校(昭和20年入学)でもあります。
北大予科の最年少の教授で旧制高校の終焉を看取り、新制の北大で教鞭をとられた山元先生(通称ヤマゲン)曰く、「当時文科系の高等学校が北海道になかったので、文科志望の学生の多くは弘前高校を目指したんです」とのこと。
共産党委員長から転向して戦後は右翼の大物になった田中清玄氏や鈴木健二氏の実兄で映画監督の鈴木清順氏などユニークな人もいました。
北溟寮の寮歌「都も遠し」も有名ですね。
大正十二年 北溟寮寮歌 「都も遠し」
作詞 脇本 忠信 作曲 菅 知巳
壱
都も遠し津軽野に あふるる生気若人の
胸に希望の春は来て 高なる血潮紅に
咲くは理想の花の色 潜むや大鵬みちのおく
2004年11月18日
となり村名所あんない(1)-北村(1)-スポーツ科学センター
国立スポーツ科学センター内競泳練習プール
(旧暦10月7日)
日本勢が大活躍したアテネ・オリンピックも遠い昔のように思えますが、この大活躍の大きな要因といわれている国立スポーツ科学センターを見学しました。
当センターは板橋村の村境、高校サッカー球児の憧れ「西ヶ原サッカー場」の敷地内にあり、小職のランニングコースの途中にあります。
写真の競泳プールは、アテネ・オリンピック100m・200m平泳ぎで2冠となった北島康介選手がいつも練習していたプールです。
ビニールで覆われた第4コースは、低酸素状態を作り出す、世界でも最初のコースだそうです。
ちなみに、この施設は、めったなことでは見学できないそうです。
それから、4階の体操競技練習場では、アテネ五輪「鉄棒」で銅メダル、2004全日本社会人体操選手権大会で個人総合優勝を果たした米田功選手が、もくもくと「あん馬」の練習をしていました。
2004年11月17日
クラッシック(1)-バッハ(1)-ブランデンブルグ協奏曲
北大古河講堂
若き日の学生時代、大正時代からの古い民家の2階屋根裏部屋に、音楽好きの住人が住んでいました。
よく友達が来る溜まり場で、学校にも行かず、麻雀やったり音楽聴いたり、だべったりしていましたが、とうとう卒業しないで放校になったと風のうわさで聞いていました。
その住人、通称「リンダ」さんの部屋で聞いたバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」に感動して、クラッシックファンになってしまいました。
しかし、どのようなレコードを買えばいいのかわからずにいましたが、音楽の友社から出ている「名曲名盤300」がCD時代の私の道しるべになっています。
2004年11月16日
新規住民になってはみたものの
札幌開拓使庁舎
新しい物好きで、新規住民になってはみたものの、使い方がさっぱり分りませぬ。
まあ今後、蝦夷地のはまちゃんや相模の国のなごむ庵殿に教えを受けながら、ゆるゆると進みましょうぞ!