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2004年11月29日

となり村名所あんない(3)-文京村(1)-東大安田講堂

 となり村名所あんない(3)-文京村(1)-東大安田講堂

 東大安田講堂

 (旧暦10月18日)

 安田講堂といえば、私達の世代はどうしても東大安田講堂事件が頭を離れません。
 先輩達は良く、「東大紛争のために東大入試が無かったので、北大に来たんだ」と言っていましたが、果たしてその真偽のほどは・・・・
 昭和43年(1968)、全学共闘会議の学生等に占拠され、最終的には警視庁第5機動隊等によって排除されて終結した東大闘争のシンボル的建物で有名な東大安田講堂(正式名称は東京大学大講堂)は、後に東京帝国大学第14代総長になった内田祥三博士(1885〜1972)らの設計により大正14年(1925)に竣工しました。

 当時、卒業式に臨席する天皇陛下を迎えるための適当な建物がなく、それを知った安田財閥の創始者・安田善次郎氏(1838〜1921)が寄付をしたということです。

 安田善次郎氏は、20歳で奉公人として富山県より上京し、両替商から安田銀行をはじめ損保会社、生命保険会社を設立して、金融財閥の基礎を築いた人で、日比谷公会堂も安田氏の寄贈によるものだそうです。

 この東大安田講堂事件や後のやあさま山荘事件の指揮に当たった元内閣安全保障室長の佐々淳行氏が有名ですが、この方の先祖は戦国大名の佐々成政で、また西南戦争時、吉次峠の激戦を戦い抜いた肥後熊本藩士佐々友房の孫とのこと。

 秀吉に攻め滅ぼされた後、佐々一族はどういう経路で肥後細川家の家臣になったのでしょうね。歴史の興味は尽きません。

 安田講堂は、しばらくの閉鎖後改修されて、再度使用されていますが、以前、応援団の演舞会で中に入りましたが、まあ、歴史のある古い建物としか言いようがありませんね。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 12:31│Comments(3)となり村名所あんない
この記事へのコメント
「予想していたよりもずっと小さい」です。

札幌の時計台をはじめて見た本州からの観光客と同じ感想です(苦笑)。

赤門といい、安田講堂といい、百聞は一見にしかず、ですね〜。

(^_^)
Posted by はなゆー at 2004年11月29日 14:08
司馬遼太郎「翔ぶが如く」に出てきますね。

なお、佐々一族の有名人?としては、もうお一方、国士舘大学の日本近代史の佐々教授がいらっしゃいます。
Posted by はなゆー at 2004年11月29日 14:16
はなゆー様

司馬遼太郎の「翔ぶが如く」は読んでいなかったので、早速読んでみたいと思います!

Tthank you so much!
Posted by 嘉穂のフーケモン at 2004年11月29日 20:51
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