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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2005年02月11日

パイポの煙(13)-水戸学(3)

 
 
 大老井伊直弼(1815〜1860)

 (旧暦  1月 3日)  

 パイポの煙(12)-水戸学(2)のつづき

 斉昭は、極端な排仏など政策の過激さにより、弘化元年(1844)、幕府から謹慎・隠居を命じられましたが、老中の備後福山藩10万石第7代藩主阿部正弘(1819〜1857)や伊予宇和島藩10万石第8代藩主伊達宗城(1818〜1892)らと書簡を交し、ペリー来航後は幕府海防参与となり、大船建造や軍制改革に参画しました。

 また、第13代将軍徳川家定(1824〜1858)の継嗣問題では、7男である徳川慶喜(1837〜1913)を推しましたが、大老の近江彦根藩30万石第13代藩主井伊直弼(1815〜1860)により紀州和歌山藩55万5千石第13代藩主徳川慶福(家茂)が継嗣に内定、さらには米国総領事ハリスの要求を受け入れて、井伊直弼らが勅許を得ずに日米修好通商条約を締結し開国を実施する決定をしたため、安政5年(1858)6月24日、尾張名古屋藩61万9千石第14代藩主徳川慶勝(1824〜1883)らと「不時登城」(登城日以外の登城は「不時登城」あるいは「押懸登城」と言われる)して井伊を詰問・抗議しました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 08:18Comments(0)パイポの煙

2005年02月10日

パイポの煙(12)-水戸学(2)

 

 水戸徳川家第9代藩主徳川斉昭(1800〜1860)

 (旧暦  1月 2日)  

 パイポの煙(11)-水戸学(1)のつづき


 特に、第9代藩主徳川斉昭(なりあき)(1800〜1860)の時代の18世紀末期から幕末にかけての、『大日本史』編纂事業の継続と、当時の内憂外患の時局問題の解決にも目を向けた後期の水戸の学問が、天保年間以後他藩からも注目されるようになり、「天保学」、「水府の学」などと呼ばれたようです。

 文政12年(1829)、兄の第8代藩主斉脩(なりのぶ)(1816〜1829)に嗣子がなく、死後その遺言によって養子となり水戸藩を継いだ斉昭は、「水戸の両田」と称された改革派の藤田東湖(1806〜1855)、戸田蓬軒(?〜1855)らを登用し、全領地の検地、弘道館・郷校の設置、梵鐘没収と大砲鋳造、軍事調練など天保の藩政改革を行いました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 06:13Comments(0)パイポの煙

2005年02月09日

パイポの煙(11)-水戸学(1)

 

 藤田小四郎自讃画

 (旧暦  1月 1日)

  旧正月

 「水戸っぽ」といえば、反骨精神の持ち主、闘志あふれた気骨の激しさを真骨頂とした頑固者といったイメージがあり、私「嘉穂のフーケモン」の周りでも時折、如何にも「水戸っぽ」らしい人に遭遇しますが、これは水戸の精神風土のなせるわざなのでしょうか。

 断髪蓬髪如夜叉 不言可識是藤田

 「断髪(だんぱつ)蓬髪(ほうはつ)夜叉の如し。言わずして識るべし是藤田」との自讃画を残した藤田小四郎(1842〜1865)も、血気盛んな若者とはいえ、典型的な「水戸っぽ」の1人だったのでしょう。

 水戸学を築き上げた藤田東湖(1806〜1855)の第4子である小四郎は、元治元年(1864)3月、若干22歳ながら首謀者として、筑波山にこもって「尊王攘夷」の旗を上げました。

 有名な「水戸天狗党の乱」と呼ばれていますが、その後、各地を転戦しながら京都へ向かい、越前新保村(現敦賀市内)で加賀藩の軍勢に下り、翌慶応元年(1865)2月、最後は幕府の冷酷な判決により、藤田以下352名が斬首、遠島137名、追放187名といった残酷な終焉を迎えました。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 22:24Comments(0)パイポの煙

2004年12月27日

パイポの煙(10)-トラウマ(5)

 

 松尾のジンギスカン

 トラウマ(4)からのつづき
  
 さて数日後、やっと元気になったT君には、恐ろしいトラウマが刻印されていたのです。そうです、「もう二度と焼酎は飲みたくない」、「もう二度とジンギスカンを食べたくない」というトラウマが・・・・

 今では、たまに一緒にお酒を飲むときには、T君は日本酒を注文します。仕方がないので、私も日本酒にしますが、日本酒のほうが私にはこたえます。おいしい焼酎の飲み方があるといっても、T君は二度と焼酎を口にしません。T君にとっては、焼酎=「サッポロソフト」なのです。

 「おいしい松尾のジンギスカンもあるよ」といっても、見向きもしません。彼のジンギスカンは、「ベル成吉思汗たれ(たぶん?)」と獣医学部で死んだマトン(当時そのような奇怪なうわさが流れていた)のジンギスカンなのです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 01:07Comments(0)パイポの煙

2004年12月26日

パイポの煙(9)-トラウマ(4)

 

 (旧暦11月15日)

 ここで、T君が死体のようになった「サッポロソフト」なるものを知らない内地の人のために、昭和8年創立の札幌酒精工業株式会社の一文を紹介しましょう。

 北都・札幌の手稲山のふところ、やがて発寒川の流れとなる清らかな伏流水を原料に札幌酒精の製品は生まれます。
 
 氷よりも、空気よりも、なお透明なこの一杯。北国の自然が生んだ味覚の芸術品です。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 08:31Comments(1)パイポの煙

2004年12月25日

パイポの煙(8)-トラウマ(3)

 

 北大恵迪寮名物 大ジャムプ大会

 (旧暦11月14日)

 今回、その影響が長く残るような体験または重い心の傷は、私の知人におきた世にも恐ろしい出来事です。

 もう30年以上も昔、馬糞風と共に冬が去り、蝦夷地のサトホロベツにもようやく遅い春がやってきたころ、学園紛争の影響で入学式もとりおこなわれず、何の実感もないまま札幌農学校に入校した私達新入生は、それぞれのクラブに入部して学生生活を始めました。

 その中に、岩手県のYという山奥の町から、はるか離れたK市という地方都市に下宿して高校に通い、今度現役で入学したT君という学生がいました。
 
 T君は、郷里では神童といわれ、皆の期待を一身に背負って、津軽海峡を渡ってきた純朴な少年でした。

 その彼が、どうしたわけか応援団に入団し、髪を伸ばしはじめました。そして、その事件は起こったのです。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 08:07Comments(1)パイポの煙

2004年12月10日

パイポの煙(7)-トラウマ(2)

 

 夜のすすきの交差点

 (旧暦10月29日)

 さて、2人のものすごい先輩からお酒を飲みに連れて行っていただけることになりまして、いそいそと薄野方面に出かけました。
 
 初めに尼崎の先輩が、「何か食べたいものがあるか?」と言われた時に、遠慮して「結構です!」と言った手前、仕方なく、飲んだことのないお酒を少しづつ飲みながらお通しを食べていました。その後、酒は別にして食べる物は大した物が出なかったように記憶しています。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:25Comments(2)パイポの煙

2004年12月09日

パイポの煙(6)-トラウマ(1)

 

 北海道大学俯瞰図

 トラウマ(Trauma)とはドイツ語だそうで、一般には「心的外傷」といわれています。個人にとって心理的に大きな打撃を与え、その影響が長く残るような体験または重い心の傷のことを言うようですが、私にもその影響が長く残るような体験が多々あります。

 先日、テレビのバラエティー番組で、往年のアイドルスター、新御三家の野口五郎が話していましたが、「15歳でアイドルになったために、ホテルに泊まった時は部屋に入るとすぐにマネージャーに部屋の鍵を預け、一歩も外出しなかった。そのため、今でもホテルに泊まると、鍵をマネージャーに預けないと安心できない・・・・」というような内容でした。  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 12:23Comments(0)パイポの煙

2004年12月07日

パイポの煙(5)-雪とマント

 

 雪の北大構内

(旧暦10月26日)

北国の冬は寒く、そして厳しい。
あれは、札幌に何度目かの新雪が積もった夜であった。

なぜ、一人で出かけたのか記憶は定かではないが、樺太から引揚げてきたおばちゃんが一人で切盛りしている小さな呑屋で酒を飲んだ。

人恋しくなったからかもしれない。
おばちゃんの明るい声が懐かしかったのかもしれない。
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:54Comments(0)パイポの煙

2004年12月01日

パイポの煙(4)-正気の歌(2)

 

 文天祥(1236〜1283)

 (旧暦10月20日)

 天地に正気有り  雑然として流形を賦(ふ)す
 下は則ち河嶽(かがく)と為り  上は則ち日星(じつせい)と為る
 人に於ては浩然(こうぜん)と曰い  沛乎(はいこ)として蒼冥(そうめい)に塞(み)つ
 皇路(こうろ)清く夷(たいら)かなるに当たりては  和を含みて明廷(めいてい)に吐く
 時窮(きわ)まれば節(せつ)乃ち見(あら)われ 一つ一つ丹青(たんせい)に垂る
 ・・・・・・・・・・・・・ 
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 00:10Comments(0)パイポの煙

2004年11月30日

パイポの煙(3)-正気の歌(1)

 

 廣東貢院内號舎

 (旧暦11月30日)

 長いこと京都大学で教鞭を執られ、亡くなられた宮崎市定先生(1901〜1995)は、『九品官人法の研究』や『アジア史研究』他、多数の著作を残されましたが、一般向けには『科挙』(中公新書)を著されました。
 
 それによると、清代の科挙では、県試→府試→院試→(歳試)→科試→郷試→挙人覆試→会試→会試覆試→殿試の難関を突破せねばならず、ひと時の日本の受験地獄など足元にも及ばない過酷な試験制度だったようです。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 11:35Comments(0)パイポの煙

2004年11月22日

パイポの煙(2)-松岡正剛の千夜千冊

 

 (旧暦10月11日)

 2000年2月23日、突如ウェブ上に発表しはじめた千夜千冊。
松岡正剛なる人物、今もってよく理解できぬ人であります。

 『むかしシェラザードは王のために命をかけて千と一夜の物語を終えて妃となった。いま松岡正剛は私たちのために千夜をかけ、全知全能を傾けて千冊の書を読み解いた。』福原義春(株)資生堂取締役会長  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:09Comments(0)パイポの煙

2004年11月21日

パイポの煙(1)-ご挨拶

 

 (旧暦10月10日)

 亡くなられた作曲家の團伊久磨氏の有名なエッセイにあやかりたいのですが、私は煙草を吸わないので、いや、昔はロングピースや缶ピースを吸ってサントリー・ホワイトをロックで飲みながら、ジャズを聴くのがかっこいいと思っていたものですから・・・  続きを読む

Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:19Comments(0)パイポの煙