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2005年06月15日

板橋村あれこれ(12)−常盤台

 板橋村あれこれ(12)−常盤台

 東武直營 常盤臺住宅地御案内 昭和11年

 (旧暦  5月 9日)

 季吟忌  歌人・俳人・古典学者の北村季吟の宝永2年(1705)の忌日。

 豊島村の南長崎(元椎名町)にあったトキワ荘は、漫画の神様手塚治虫や赤塚不二夫、石ノ森章太郎など日本の漫画界を担った錚々たる人たちが住んでいたアパートでしたが、板橋村の常盤台は、豊島村の池袋から彩の国の寄居の間を結ぶ東武東上線沿線にある高級住宅街です。

 板橋村の教育委員会が、平成11年(1999)に出版した「常盤台住宅物語」によれば、常盤台一帯は、昔は北豊島郡上板橋村字向屋敷/字原と呼ばれ、富士見街道沿いに民家が2,3軒あるだけの「前野っ原」と呼ばれる農地でした。
 大正3年(1914)に東上鉄道(現東武東上線)が開通しましたが停車駅はありませんでした。
 昭和3年(1928)、東武鉄道は北豊島郡上板橋村、現在のときわ台駅北側一帯の土地73,600坪(24.2ha)を買収し、東上線と西板線(伊勢崎線西新井〜東上線上板橋の計画線)に連絡する貨物操車場用地として使用する予定でしたが、西板線の計画は諸般の事情により実現されませんでした。

 そのため昭和6年から昭和8年(1931〜1933)にかけて、民間の遊覧飛行用の飛行場として使われていたようです。

 その後、昭和10 年(1935)に武蔵常盤駅(昭和26(1951)年に「ときわ台」に改称)が開業し、翌年から常盤台住宅地の分譲が開始されました。
 「常盤台」の名前は、ときわ台南側に位置する天祖神社の祝詞の一節からとったそうです。

 常盤台分譲地のキャッチフレーズは「健康住宅地」で、区画は全部で591、内訳は住宅地433、店舗58、学校1、公園他で、住宅地は1区画100〜120坪で価格は坪当たり20〜35円に設定されていました。

 当時、上層階級が購入する住宅は1区画200坪以上であり、それ以下の階層については賃貸や借家が一般的であったそうです。
 そのため、一般サラリーマン世帯の購入を意図し、前期のような設定を行ったのですが、坪当たりの価格も他よりも高値であったため、実際の購入者はサラリーマン世帯の上位層に絞られることになりました。

 現在では代替わりをし、帝都としては大きい部類の住宅が建ち並んでおりますが、ま、私「嘉穂のフーケモン」邸がある加賀藩下屋敷跡から比べると、田舎ですな。 なんちゃって!

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:55│Comments(0)板橋村あれこれ
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