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2006年09月12日

となり村名所あんない(27)−港村(6)−開拓使仮学校跡 A

 となり村名所あんない(27)−港村(6)−開拓使仮学校跡 A

 開拓使仮学校跡の碑

 (旧暦閏-7月20日)

 保己一忌  江戸中期の盲目の国学者で、寛政5年(1793)、幕府に願い出て和学講談所を開設し、ここを拠点として『群書類従』を編纂した塙保己一の文政4年(1821)の忌日。

 《我らが魂の故郷のふるさと》

 明治政府はロシアの南下を警戒し北海道を日本の版図として開拓するため、明治2年(1869)、開拓使を設置しました。

 開拓使では開拓次官黒田清隆(1840〜1900)を中心に北海道開拓の専門技術者養成を目的とする学校の設置を計画しましたが、建設間もない札幌は十分に基盤が整っていなかったため、明治5年(1872)4月15日(陰暦)、東京芝の増上寺本坊に開拓使仮学校を開校しました。

 120年後の平成4年(1992)、北海道大学東京同窓会は創立50周年を記念して、帝都港村芝公園内の北東の一角(芝公園3-2)に「開拓使仮学校跡」石碑を建立し、11月15日に除幕式をおこないました。

 その碑文には、下記のように記されています。

 「北海道大学の前身である開拓使仮学校は、北海道開拓の人材を養成するために増上寺の方丈の25棟を購入して、明治5年3月(陰暦)この地に開設されたもので、札幌に移して規模も大きくする計画であったから仮学校とよばれた。
 
 生徒は、官費生、私費生各60名で、14歳以上20歳未満のものを普通学初級に、20歳以上25歳未満のものを普通学2級に入れ、さらに専門の科に進ませた。
 明治5年9月、官費生50名の女学校を併設し、卒業後は北海道在籍の人と結婚することを誓わせた。

 仮学校は明治8年7月(陰暦)札幌学校と改称、8月には女学校とともに札幌に移転し、明治9年8月14日には札幌農学校となった。」
 開拓使仮学校は、明治9年(1876)、マサチューセッツ農科大学学長ウィリアム・スミス・クラーク博士(William Smith Clark、1826〜1886)を教頭に迎え、8月14日に農学専門の高等教育をおこなう札幌農学校として改めて開校します。

 クラーク博士は、米マサチューセッツ農科大学第3代学長在任中に明治政府の熱烈な要請を受けて、明治9年(1876)7月に札幌農学校に赴任しますが、マサチューセッツ農科大学の休暇を利用して訪日という形をとったとされています。そのため、8ヶ月後、翌年の明治10年(1877年)5月に帰国しました。

 クラーク博士の言葉、'Boys Be Ambitious'(青年よ、大志をいだけ)は、よく知られていますが、これは、札幌農学校1期生との別れの際に、クラーク博士が発したものとされています。
 しかし、全文は 'Boys, be ambitious like this old man' だったそうです。
 「自分のような老人でさえも希望を持っているのだから、あなたたち若い人も希望を持ち続けなさい」というような意味になります。

 「博士は、生徒の教育には徳育を重視し、授業に聖書も使用し、キリスト教精神を軸とした人格形成をはかった。優れた学者であり、教育者であったクラークの生徒たちに与えた影響は大きく、多くの逸材が育った。」と評価されています。

 クラ−ク博士とその精神 北大東京同窓会50年史「第一編 松井栄一氏執筆分」によれば、

 『クラーク博士が学生に対してとった'Be gentleman'と言う態度は(中略)「教養人らしく振舞え」或いは「礼節を知れ」「おのれを正しく持せ」と言う主旨であって、きめられた規則によって強制されるのではなく、自らの責任に於いて、自分を律し、知識人にふさわしい行動をせよと言う、学生への自覚を促した言葉なのであった。』

とあります。

 しかし、先生が立派でも不肖の弟子はたくさんいます。札幌農学校を真に偉大ならしめたのは、弟子である1期生および其れにつづく農学校生徒たちの不断の努力であったと愚考致します。

つづく

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:03│Comments(0)となり村名所あんない
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