2006年01月26日
数学セミナー(10)−円周率
Archimedes Thoughtful by Fetti (1620)
Archimedes(B.C.287頃〜B.C.212)
(旧暦 12月27日)
「小学校の新しい教育課程では、円周率を『3』として教えるのだそうだ」という話を聞いたことがあり、「日本の教育もここまで来たか」と少々落胆しておりましたが、どうやらこの話は、マスコミの誤った報道が原因で全くのデマだと云うことです。
円周率、すなわち「円の周と直径との比が一定である」ということを理論的に初めて証明したのは古代ギリシアの天文、物理、数学者アルキメデス(Archimedes、BC287頃〜BC212)であろうとされています。
アルキメデスは、円に内接および外接する正6角形の周を計算し、それから次々に辺数が2倍になっていく正n角形の周を求めて正96角形までつくり、それによって下記のような評価を得ました。
ただしπ記号は、ギリシア語のπεριφερεια(周り)の頭文字を語源とし、πを記号としてはじめて使ったイギリスの数学者ウィリアム・ジョーンズ(1675〜1749)は、periphery(周囲)という意味でπを用いたとのことです。
その後、18世紀最大の数学者であったレオンハルト・オイラー(Leonhard Euler、 1707〜1783)がその著『無限解析入門』(Introductio in Analysin Infinitorum,Lausannae, 1748, First edition.)のなかで円周率の記号としてπを使ったので、1748年以後、一般にπを使うようになったと言われています。
アルキメデスはさらに、「球積率」も円周率と関係しており、半径rと球の体積Vは、
であることも示しました。
中国南北朝時代の南朝宋の太史令(天文台長)で、范陽(河北省北京一帯)の人、祖沖之(429〜500)は、数学書『綴術(てつじゅつ)』を著し、円周率の近似分数の約率(22/7)と密率(355/113)を得ていますが、『綴術』は現存していません。
祖沖之は、『易老荘義釈』や『論語孝経注』等の著作もあって、その人となりは南朝梁の歴史家、文学者蕭子顕(しょうしけん、487〜537)が著した紀伝体の史書で二十四史の内の一つである『南斉書』の文学伝に納められていますが、南朝の宋について書かれた歴史書である『宋書』の中にはこの『綴術』の数字は記録されていません。
時代が下って、「人生意気に感ず」という漢詩『述懐』で知られる唐の魏徴(580〜643)や長孫無忌( ? 〜 659)らが太宗の勅を奉じて勅撰を行った、隋代の歴史書である『隋書』85巻の内、天文や地理、礼楽、制度などを記述した志(し)の中の第16巻律暦志の備数の項には、下記のような記述があります。
古(いにしえ)之九數、圓周率三、圓徑率一、其術疏舛(そせん)にして、劉歆、張衡、劉徽、王蕃、皮延宗之徒、各々新率を設くるも、未だ折衷に臻(いた)らず、宋末、南徐州の從事史、祖沖之、更に密法を開き、圓徑一億を以て一丈と為せば、圓周は盈數(えいすう)三丈一尺四寸一分五厘九毫二秒七忽、(月偏+肉)數(じくすう)三丈一尺四寸一分五厘九毫二秒六忽、正數は盈(月偏+肉)(えいじく)二限之間に在り、密率は圓徑一百一十三、圓周三百五十五、約率は圓徑七、周二十二、又開差冪(べき)や開差立を設け兼ねて正圓を以て之に參し、指要精密にして算氏之最たる者也、著す所之書は、名づけて《綴術》と為すと、學官能く其深奧を究(きわ)むる莫く、是故に廢せられて而も理(おさ)められず。
円周率については、
1. 前漢の劉歆(りゅうきん、? ~ 23)は3.154
2. 後漢の張衡(78~ 139)は3.1622
3. 三国魏の劉徽(りゅうき)は3.14159
4. 三国呉の王蕃(おうはん、228~266)は3.1555
を算出していたと云いますが、
5. 祖沖之(429~500)の算出した数字3.141592
は、ヨーロッパでは1593年にフランスの法律家フランソア・ヴィエート(Francois Viete、1540~1603)の算出まで到達できなかったと云うことです。
しかし、当時の学者や官吏はその真価を理解することができず、史書にも理(おさ)められず、その後散失してしまいました。
将に恐るべしは中華文明。中国の方は偉い!
祖沖之は、『易老荘義釈』や『論語孝経注』等の著作もあって、その人となりは南朝梁の歴史家、文学者蕭子顕(しょうしけん、487〜537)が著した紀伝体の史書で二十四史の内の一つである『南斉書』の文学伝に納められていますが、南朝の宋について書かれた歴史書である『宋書』の中にはこの『綴術』の数字は記録されていません。
時代が下って、「人生意気に感ず」という漢詩『述懐』で知られる唐の魏徴(580〜643)や長孫無忌( ? 〜 659)らが太宗の勅を奉じて勅撰を行った、隋代の歴史書である『隋書』85巻の内、天文や地理、礼楽、制度などを記述した志(し)の中の第16巻律暦志の備数の項には、下記のような記述があります。
古(いにしえ)之九數、圓周率三、圓徑率一、其術疏舛(そせん)にして、劉歆、張衡、劉徽、王蕃、皮延宗之徒、各々新率を設くるも、未だ折衷に臻(いた)らず、宋末、南徐州の從事史、祖沖之、更に密法を開き、圓徑一億を以て一丈と為せば、圓周は盈數(えいすう)三丈一尺四寸一分五厘九毫二秒七忽、(月偏+肉)數(じくすう)三丈一尺四寸一分五厘九毫二秒六忽、正數は盈(月偏+肉)(えいじく)二限之間に在り、密率は圓徑一百一十三、圓周三百五十五、約率は圓徑七、周二十二、又開差冪(べき)や開差立を設け兼ねて正圓を以て之に參し、指要精密にして算氏之最たる者也、著す所之書は、名づけて《綴術》と為すと、學官能く其深奧を究(きわ)むる莫く、是故に廢せられて而も理(おさ)められず。
円周率については、
1. 前漢の劉歆(りゅうきん、? ~ 23)は3.154
2. 後漢の張衡(78~ 139)は3.1622
3. 三国魏の劉徽(りゅうき)は3.14159
4. 三国呉の王蕃(おうはん、228~266)は3.1555
を算出していたと云いますが、
5. 祖沖之(429~500)の算出した数字3.141592
は、ヨーロッパでは1593年にフランスの法律家フランソア・ヴィエート(Francois Viete、1540~1603)の算出まで到達できなかったと云うことです。
しかし、当時の学者や官吏はその真価を理解することができず、史書にも理(おさ)められず、その後散失してしまいました。
将に恐るべしは中華文明。中国の方は偉い!
数学セミナー(31)− ロバートソン・ウォーカー計量(1)
数学セミナー(30)− 調和座標
数学セミナー(29)—ガウスの定理、ストークスの定理
数学セミナー(28)ーテンソル密度
数学セミナー(27)ーシュヴァルツシルト解(3)
数学セミナー(26)ーシュヴァルツシルト解(2)
数学セミナー(30)− 調和座標
数学セミナー(29)—ガウスの定理、ストークスの定理
数学セミナー(28)ーテンソル密度
数学セミナー(27)ーシュヴァルツシルト解(3)
数学セミナー(26)ーシュヴァルツシルト解(2)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。