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2011年06月24日

天文(14)−SN1006(1)

 天文(14)−SN1006(1) 

 SN 1006 Supernova Remnant

 (旧暦5月23日)

 『超新星』という言葉は天文用語かと思っておりましたら、今はやりの韓流6人組男性ダンスヴォーカルグループの名前でもあるそうで、いやはや、韓流人気はたいしたものですなあ!
 うちのオカンも、あの『チャングムの誓い』以来韓流ドラマにのめり込み、この頃は、フジテレビの『逆転の女王』の虜になっておりますがな。

 韓流の『超新星』は、メンバー全員の身長が180㎝以上というモデル並みのスタイルと、甘いマスクに加え、実力派のダンスと歌唱力で評価を得ている上に、今年6月には、東日本大震災における被災地でのプルコギの炊き出しを行うなどの支援活動を積極的に行っており、ジャニーズ事務所の『嵐』や『関ジャニ∞』よりもええですらあ。

 さて、天文学における超新星(supernova)は大質量の恒星がその一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象とされていますが、西暦1006年に出現した超新星SN1006は、太陽と月を除くと記録に残されている限りでは歴史上で最も視等級(visual magnitude)が明るくなった天体(-7.5等級)であったようです。
 1006年4月30日から5月1日の夜におおかみ座(Lupus)の領域に出現したこの見慣れない星は、日本、中国北宋はもとより、スイス、エジプト、イラクの観察者によっても記録されています。

 1. 日本
  日本では寬弘3年旧暦4月2日に陰陽師安倍吉昌(955?〜1019)が観測し、200年以上経た後の寛喜2年(1230)に、鎌倉初期の歌人、京極中納言藤原定家(1162〜1241)がその日記である 『明月記』 第五十二巻 寛喜二年十一月八日(乙未)の条で、「客星(見慣れない星)出現例」を8例ばかり記した中に、1006年のSN 1006と思われる超新星について言及しています。

 一條院寛弘三年四月二日葵酉、夜以降騎官中有大客星、如螢惑。 光明動耀、連夜正見南方。或云、騎陣将軍星本体、増変光。

 一條院寛弘三年四月二日葵酉(きゆう)、夜以降、騎官(きかん)中に大客星有り、螢惑(けいこく)の如し。 光明動耀、連夜正しく南方に見(あらは)る。或は云ふ、騎陣将軍星の本体、変じて光を増すかと。

 第66代一条天皇(在位986〜1011)の寛弘三年(1006)四月二日(ユリウス暦5月1日)、夜半、騎官(おおかみ座の東部とケンタウルス座西部の一部分、氐宿を構成)中に大客星(大きな見慣れない星)が出現し、螢惑(火星)のようであった。光は煌煌と輝き、毎夜正しく南方に現れた。或いは騎陣将軍星(κ Lup)の本体が増光したのかとも云う。

 ここで古代中国の星図で騎官(星数10)とされた星々は、下記のようになります。
 騎官一(γ Lup) , 騎官二(δ Lup) , 騎官三(κ Cen ), 騎官四(β Lup), 騎官五(λ Lup)
 騎官六(ε Lup), 騎官七(μ Lup), 騎官八(π Lup), 騎官九(ο Lup), 騎官十(α Lup)

 天文(14)−SN1006(1)

 古代中国の星座「騎官」と騎陣将軍星 「おおかみ座」の一部
 2. 北宋
 中国では、北宋の第3代皇帝真宗(在位997〜1022)の景徳三年四月戊寅、周伯星が氐(てい)の南、騎官の西に出現したと14世紀の元代に編纂された『宋史』に記録されています。

 景德三年四月戊寅、周伯星見、出氐南騎官西一度、狀如半月、有芒角、煌煌然可以鑒物、歷庫樓東。八月、隨天輪入濁。十一月、復見在氐。自是常以十一月辰見東方、八月西南入濁。
 『宋史 巻五十六 志第九 天文九 景星』


 景德三年四月戊寅(ぼいん)、周伯星見(あらは)れて、氐(てい)の南、騎官の西一度に出ず。狀(かたち)は半月の如く、芒角有りて煌煌(こうこう)然として、以て物を鑒(て)らすべく、庫樓の東を歴(めぐ)る。八月天輪に随い入濁す。十一月、復た氐(てい)の在に見(あらは)る。是より常に十一月は辰に東方に見(あらは)る。八月西南に入濁す。
 『宋史 巻五十六 志第九 天文九 景星』


 景徳3年4月戊寅(1006年5月1日)、周伯星が現れて氐官(てんびん座、α2 Librae, ιLibrae, γ Librae, β Librae )の南側にある騎官(前述)の西側に見えた。月の半分ほどの明るさで煌煌と輝いて、地面にあるものが見えるほどであり、庫樓(ケンタウルス座)の東を巡った。8月には天輪に従って地平線に沈んだ。11月にはまた氐官の位置に現れた。是より11月は常に辰(午前8時ころ)の時刻に東方に現れ、8月に西南の地平線に沈んだ。
 『宋史 巻五十六 志第九 天文九 景星』


 7世紀に唐の第2代皇帝太宗(在位626〜649)の命により編纂された歴史書『晉書』天文志によれば、

 周伯星黃色煌煌,所至之國大昌。
 周伯星は黃色煌煌として、至る所の国は大いに昌(さか)う。
 『晉書  巻十二 志第二 天文中 雑星氣 客星』


 とあることから、黄色く煌煌と輝くこの星は、国に繁栄をもたらす吉兆星であるとされています。

 天文(14)−SN1006(1)
 
 おおかみ座(Lupus)
 
 三年、有大星出氐西、眾莫能辨、或言國皇妖星、為兵凶之兆。克明時使嶺表、及還、亟請對、言「臣按天文錄、荊州占、其星名曰周伯、其色黃、其光煌煌然、所見之國大昌、是德星也。臣在塗聞中外之人頗惑其事、願許文武稱慶、以安天下心。」上嘉之、即從其請。
 『宋史 巻四百六十一 列傳第二百二十 周克明』


 三年、大星有り氐の西に出ず、眾(衆)能く辨ずること莫く、或は言はく國皇妖星、兵凶之兆しと為す。克明、時に嶺表に使いし、還るに及び、亟(すみや)かに對を請ふて言く、「臣、《天文錄》、《荊州占》を按ずるに、其の星の名曰く周伯、其の色黃、其の光煌煌然、見(あらは)る所之國は大いに昌(さか)う、是れ德星也。臣塗に在りて中外之人頗る其の事に惑ふを聞く、願はくば文武稱慶するを許し、以て天下の心を安んぜん。」 上(しよう)之を嘉(よみ)し、即ち其の請に從ふ。
 『宋史 巻四百六十一 列傳第二百二十 周克明』


 (景徳)三年(1006)、大客星(大きな見慣れない星)が氐官(てんびん座、α2 Librae, ιLibrae, γ Librae, β Librae )の西に出現した。民衆は是について國皇妖星であり兵乱の兆しであると噂し合った。官僚の周克明は嶺表(広東)に使いし、首都開封に還るやいなや皇帝真宗に上奏を請うて曰く、「臣は《天文錄》や《荊州占》を調べると、その星の名は周伯と云い、その色は黄色で、その光は煌々と輝き、その星が現れるところの国は大いに栄えるとあるので、是は徳星であります。臣は帰る途上で内外の人が頗る大客星の出現に狼狽していることを聞き、文官武官あげて慶祝することを許していただき、もって民心を安心させたいと思います。」 真宗は是を褒め称え、その請願に従った。


 つづく

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 17:22│Comments(0)天文
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