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2005年12月25日

染井霊園(10)−ローデスカ・ワイリック先生の碑

 染井霊園(10)−ローデスカ・ワイリック先生の碑

 (旧暦 11月24日)
 
 蕪村忌、春星忌  江戸中期の俳人・画家與謝蕪村の天明3年(1783)の忌日
            易水に ねぶか流るる寒さかな  (ねぶか:根深 ネギの異名)

 染井霊園の南東の一角に外人墓地があり、その中にアメリカの宣教師でハンセン病施設での世話やスラム街での奉仕活動に尽力し、また、日露戦争では負傷兵への献身的な看護に従事して「東洋のナイチンゲール」と呼ばれたローデスカ・ワイリック先生の碑があります。

 そばには、紙に書いた手書きの説明板が立っています。

 ロダスカ・ワイリック(一八五六−一九一四)
 アメリカ合衆国オハイオ州に生まれ、一八九○年(明治二三)ドレイク大学を苦学して卒業。直ちに宣教師として来日、五年間にわたり伝道活動に携わり、一時帰国。翌一八九六年再び来日し、教会を開いて伝道に努める一方、学習院や府立四中(現在の都立戸山高校)等で英語を教えたり、多くの孤児や捨て子を自宅に引き取って養育した。
 また、当時偏見の強かったハンセン病施設で患者の世話をしたり、四谷鮫が瀬のスラム街での奉仕活動にも尽くした。
 日露戦争(一九○四−五)が始まると看護婦と医師の資格を持つワイリックは戸山の陸軍病院に赴き病床から病床を回って負傷兵を励まし、献身的な介護に当たった。
 いつしか、「東洋のナイチンゲール」と呼ばれるようになり、日本政府や東京府からも表彰された。
 人類愛と奉仕活動に尽くした信念の人ロダスカ・ワイリックは一九一四年(大正三)四月三○日東京赤坂の病院で死去。享年五七歳。ここ染井霊園で永遠の眠りに就く。
 ところで先日、ある看護学校の戴帽式に招かれて出席してきましたが、戴帽式というのは厳粛な儀式で、看護の基礎課程の節目と、本格的に看護の道を歩み始める者へその証となる「ナースキャップ」を与える式です。
 また学生にとっては、志を新たにする「立志式」の意味を持ちます。
 毎年受け継がれている看護の光を昨年戴帽した看護学生がナイチンゲール像に灯し、ナイチンゲール像よりその光を学生一人ひとりがキャンドルに灯します。
 そして、暗い会場の中で、キャンドルの光を持った学生が整列し、誓いのことばを斉唱します。

 染井霊園(10)−ローデスカ・ワイリック先生の碑

 Florence Nightingale(1820〜1910), Illustration der Illustrated London News vom 24. Februar 1855.

 誓いの言葉は「The Florence Nightingale Pledge(ナイチンゲール誓詞)」と呼ばれ、ミシガン州デトロイトのthe Farrand Training School for Nurses(ファランド看護学校)のために、校長Lystra E. Gretter夫人を委員長とする委員会で1893年に、「ヒポクラテスの誓い」を修正して作成されました。

 The Florence Nightingale Pledge
 I solemnly pledge myself before God and in the presence of this assembly, to pass my life in purity and to practice my profession faithfully. I will abstain from whatever is deleterious and mischievous, and will not take or knowingly administer any harmful drug. I will do all in my power to maintain and elevate the standard of my profession, and will hold in confidence all personal matters committed to my keeping and all family affairs coming to my knowledge in the practice of my calling. With loyalty will I endeavor to aid the physician in his work, and devote myself to the welfare of those committed to my care.

 ナイチンゲール誓詞
 われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん。
 わが生涯を清く過ごし、わが任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを。
 われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、悪しき薬を用いることなく、
 また知りつつもこれをすすめざるなり。
 われはわが力の限り、わが任務(つとめ)の標準(しるし)を高くせんことを努むべし。
 わが任務(つとめ)にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、
 わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。
 われは心から医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

 現在の医療現場は、医師も看護師もその他の医療関係者も院内感染症やSARS(重症急性呼吸器症候群)やウエストナイル熱、エボラ出血熱などの新興感染症の危険とも隣り合わせで勤務しなければならずまさに命がけで、戴帽式は、看護学生にその危険を覚悟させる式でもあるそうです。

 まったく、ご苦労さんではごわさんか。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:36│Comments(0)染井霊園
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