2005年04月18日
染井霊園(6)−幣原喜重郎の墓
(旧暦 3月10日)
幣原喜重郎(1872〜1951)といえば、昭和20年(1945)10月首相となり、日本の戦後処理と新日本建設に貢献した政治家として有名ですが、大正後期から昭和初期にかけて、外務大臣として「幣原外交」と呼ばれる国際協調外交を展開し、英米との強調、中国に対する内政不干渉、国際連盟中心主義などの、戦前の日本の外交方針における一つの標準を築いた人でした。
しかし、国内においては、特に中国との関係では、陸軍・政友会・枢密院・右翼の反感を買い「軟弱外交」との批判を受けていました。
幣原の考えは、「中国革命にさいしては、日本や列強が如何なる理由があろうとも干渉することは問題であり、中国の成長を見守ることが必要」という事であったようです。 続きを読む