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2008年01月23日

おくの細道、いなかの小道(5)-黒羽

 おくの細道、いなかの小道(5)-黒羽

 Dog hunting in medieval Japan from Wikipedia.

 羅山忌  江戸初期の程朱学派の儒学者で林家の祖、羅山林信勝の明暦3年(1657)の忌日。

  (旧暦 12月16日)
  
 余りのんびりとしていると、芭蕉翁が待ちくたびれてしまうので、少し先を急ぎましょうかのん。

 黒羽(栃木県大田原市)では、芭蕉翁一行は館代浄坊寺図書高勝(桃雪)とその弟鹿子畑豊明(翠桃)に迎えられ、4月3日から16日までの13泊の長逗留をしています。

 四日    浄法寺図書ヘ被招(招かる)。
 五日    雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉。
 六日ヨリ九日迄、雨不止(止まず)。
 九日    光明寺へ被招(招かる)。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。
 十日    雨止。日久(ひさしく)シテ照。
 十一日  小雨降ル。余瀬翠桃へ帰ル。晩方強雨ス。
 十二日  雨止。図書被見廻(見廻らる)、篠原被誘引(誘引さる)。
 十三日  天気吉。津久井氏被見廻(見廻られ)テ、八幡ヘ参詣被誘引(誘引さる)。
 十四日  雨降リ、図書被見廻(見廻らる)終日。重之内持参。
 十五日  雨止。昼過、翁と鹿助右同道ニテ図書へ被参(参らる)。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病気故不参(参らず)。


 芭蕉が黒羽に滞在したこの時節は雨ばかり降っていますが、陽暦の5月22日から6月3日に当たっているので、梅雨の盛りでもあったのでしょう。

 元禄2年(1689)4月12日(陽暦5月30日)、館代浄坊寺図書高勝(桃雪)が見舞いに来て誘われ、芭蕉一行は犬追物の跡や那須篠原の玉藻稲荷神社を訪れています。

 能の『殺生石』(せっしょうせき)に、

 『その後勅使立って、三浦の介、上総の介、両人に綸旨をなされつつ。那須野の化生の者を退治せよとの勅を受けて、野干(狐)は犬に似たれば犬にて稽古あるべしとて百日犬をぞ射たりける。これ犬追物の始めとかや』

 と云う地謡(コーラス)がありますが、「犬追物」とは武士の騎射(うまゆみ)の練習のために行なわれた競技で、「流鏑馬」(やぶさめ)、「笠懸」(かさがけ)と共に馬上の三物(みつもの)と呼ばれ、解き放たれた犬を追物射(おものい)にするゲームでした。

 その内容については、鎌倉後期に成立した歴史書である『吾妻鑑』の承久4年(1222)2月6日の項に初めて記載されています。

 『吾妻鑑』 承久4年2月6日 乙酉
 南庭に於いて犬追物有り。若君御入興。この事また讃岐羽林殊に庶幾し申し行わる。 奥州・足利前の武州以下群参見物す。犬二十疋、射手四騎なり。相構えて勝負を決すべきの由、別して仰せ出さるるの間、各々箭員を争うの処、面々五疋これを射る。始め十疋の内、一疋毎に、今度の犬は某射るべきの由、次第主に付け仰せ出さる。その人の箭必ずこれに中たる。後十疋の時は、射手次第この犬は預からしむの由自称す。仰せに依ってなり。また相違無く等巡に射手これを中てる。旁々希代の珍事たるの由人々美談す。駿河の前司義村検見を加う。嶋津三郎兵衛の尉忠義これを申し次ぐ。
  射手
  小山新左衛門の尉朝長   氏家の太郎
  駿河の次郎泰村        横溝の六郎


 また、那須の篠原は、下野国北東部(栃木県那須郡)の広大な原野のことで、鎌倉右大臣実朝(1192~1219)の家集『金槐和歌集』にも、冬の霰(あられ)二首として載せられています。

 もののふの 矢並つくろふ籠手(こて)のうへに 霰(あられ)たばしる那須の篠原 

 ささの葉に 霰(あられ)さやぎてみ山べは 峰の木がらし しきりて吹きぬ 
 
 【派生歌】

 ありま山 うき立つ雲に風そひて 霰(あられ)たばしる印南野の原  賀茂真淵
 

 しかし、実朝が那須を訪れた記録はなく、『吾妻鑑』に記載されている建久4年(1193) 4月2日から同月23日までの、父頼朝が催した那須野等の御狩を想起した作かとも云われています。

 ちなみにこの歌に関しては、正岡子規((1867~1902)の『歌よみに与ふる書』の中の「三たび歌よみに与ふる書」(明治21年2月18日)では、次のように絶賛しています。

 真淵は雄々しく強き歌を好み候へども、さてその歌を見ると存外に雄々しく強き者は少く、実朝の歌の雄々しく強きが如きは真淵には一首も見あたらず候。「飛ぶ鷲の翼もたわに」などいへるは、真淵集中の佳什(かじゅう)にて強き方の歌なれども、意味ばかり強くて調子は弱く感ぜられ候。実朝をしてこの意匠を詠ましめば箇様な調子には詠むまじく候。「ものゝふの矢なみつくろふ」の歌の如き、鷲を吹き飛ばすほどの荒々しき趣向ならねど調子の強き事は並ぶ者無く、此歌を誦すれば霰の音を聞くが如き心地致候。

 【参考歌】

 信濃なる すがの荒野を飛ぶ鷲の つばさもたわに吹く嵐かな   加茂真淵

 少し先を急ぎましょうぞ。


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Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:54│Comments(0)おくの細道、いなかの小道
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