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2008年01月14日

日本(34)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(6)

 日本(34)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(6)
 
 Lise Meitners Wirkungsstätte: Das Kaiser-Wilhelm-Institut für Chemie in Berlin von Wikipedia.
 (heute: Institut für Biochemie der Freien Universität Berlin)
 
 リーゼ・マイトナーの領域:ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム化学研究所
 
(旧暦 12月 7日)

 タロとジロの日  南極の昭和基地に置き去りにされたカラフト犬「タロ」、「ジロ」の生存が昭和34年(1959)に確認された日。

 日本(33)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(5)のつづき

 1930年代の半ば、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム化学研究所(Kaiser Wilhelm Institute für Chemie)所長オットー・ハーン (Otto Hahn、1879~1968)とオーストリア出身の女性物理学者リーゼ・マイトナー(Lise Meitner、1878~1968)およびハーンの助手のフリッツ・シュトラースマン(Fritz Straßmann,1902~1980)の研究チームは、自然に存在する最も重い元素であるウランが中性子照射によって遷移(エネルギーを吸収あるいは放出し、状態が変化すること)する相手の物質をすべて探し出すという根気の要る地道な実験に取り組んでいました。

 彼らは、昭和13年(1938)の初めまでに、半減期(放射性核種あるいは素粒子が崩壊して別の核種あるいは素粒子に変わるとき、元の核種あるいは素粒子の半分が崩壊する期間)の異なる放射性物質を10種類ほど発見していました。

 しかし、昭和13年(1938)3月13日、ヒトラー率いるナチス政権は、オーストリアを併合してしまいます。
 アンシュルス(Der Anschluß Österreichs an das Deutsche Reich) と呼ばれたこの併合により、オーストリア出身のリーゼ・マイトナーの市民権はドイツのものに移され、それにともない、昭和8年(1933)以来ナチス政権のもとで推進されてきた反ユダヤ法、特に昭和10年(1935)に制定されたニュルンベルク法(Nürnberger Gesetze)の適用を逃れることができなくなってしまいました。

 この法律は、8分の1までの混血をユダヤ人と規定し、公職は追放、企業経営は禁止、ユダヤ人の市民としての生活権を否定するものでした。
 昭和13年(1938)7月17日、リーゼ・マイトナーを支援するオランダ人物理学者ディルク・コスター(Dirk Coster 、1889~1950)に伴われて彼女はオランダへ脱出し、デンマークの理論物理学者ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(Niels Henrik David Bohr、1885~1962)の紹介で、ストックホルム郊外にある科学アカデミー物理学研究所に落ち着きます。

 昭和13年(1938)9月、ヒトラーによるチェコスロバキアのズデーテン地方(Sudetenland)の割譲要求に伴う欧州動乱への一触即発の緊張の中にあって、ベルリン郊外ダーレムのカイザー・ヴィルヘルム化学研究所1階の実験室では、オットー・ハーンとフリッツ・シュトラースマンによるウラニウムへの中性子照射実験は続いていました。
 日本(34)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(6)

 Nuclear fission experimental setup, reconstructed at the Deutsches Museum, Munich.

 彼らは吸着や触媒活性を示す物質を固定する土台となる物質である担体にランタン(La:Lanthanum、原子番号 57 の希土類元素)を用いてアクチニウム(Ac:Actinium、原子番号 89 のスカンジウム族元素)のような希土類を沈殿させ、バリウム(Ba:Barium、原子番号 56 のアルカリ土類金属元素)の担体によってラジウム(Ra:Radium、原子番号88のアルカリ土類金属元素)のようなアルカリ土類を沈殿させようと考えていました。

 ところが、実験によりバリウムを担体とする溶液から分離されたラジウムの同位元素と考えられる生成物は、バリウムと同じ性質を示してしまうのでした。
 
 彼らが「Ra-Ⅲ」と呼んでいた半減期が86分の放射性元素を生成するには、15gほどの純粋なウラニウムを12時間、(Ra+Be)中性子源により照射する必要がありました。
 それから、生成した前段階の「Ra-Ⅱ」と呼ぶ半減期が14分の放射性元素が崩壊によって消え去るまで数時間待ち、次に担体として塩化バリウム(barium chloride、BaCl2)を加えると、「Ra-Ⅲ」はバリウムとともにウランの溶液から析出してきます。
 しかし、分画結晶法(同じ溶液中にあって、化学的に似たような性質をもったいくつかの物質が異なった温度で結晶化することを利用して分離する方法)によってバリウムが結晶化されてウランの溶液からのぞかれるとき、「Ra-Ⅲ」も一緒に溶液中から除かれてしまうのでした。

 オットー・ハーンとフリッツ・シュトラースマンは、締め切り日の迫っている雑誌『Naturwissenschaften』への投稿論文に、次のように書いています。

 「化学者としての立場に立つと、我々はもう一歩進めて、新しい生成物はラジウムではなく、むしろバリウムそのものであると言わざるを得ない。ここで、ラジウムとバリウム以外である可能性は全くない」と。

 この論文のカーボン・コピーをオットー・ハーンから送られたストックホルムのリーゼ・マイトナーは、クリスマス休暇でスウェーデンの寒村クングエルブに一緒に逗留していた甥の物理学者オットー・フリッシュ(Otto Robert Frisch、1904~1979)とともに、ウランからバリウムと思われる物質が生成された驚くべき現象を理解しようと努めていました。

 ますますつづく


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Posted by 嘉穂のフーケモン at 16:35│Comments(0)歴史/日本
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