2005年02月25日
日本(8)-2.26事件(2)-要人襲撃
岡田啓介首相
(旧暦 1月17日)
茂吉忌 精神科医でアララギ派の歌人、斎藤茂吉の昭和28年(1953)の忌日。
襲撃目標と担当部隊は、次のようなものでした。
首相官邸襲撃・・・・栗原隊(歩兵第1聯隊機関銃隊)
鈴木侍従長襲撃・・・安藤隊(歩兵第3聯隊第6中隊)
斎藤内大臣襲撃・・・坂井隊(歩兵第3聯隊第1中隊、第2中隊一部)
渡辺教育総監襲撃・・坂井隊の一部
高橋蔵相襲撃・・・・中橋隊(近衛歩兵第3聯隊第7中隊一部)
牧野前内大臣襲撃・・河野隊(河野大尉他民間人)
警視庁占拠・・・・・野中隊(歩兵第3聯隊第3、第7、第10中隊)
陸相官邸占拠・・・・丹生隊(歩兵第1聯隊第11中隊)
歩兵第1聯隊機関銃隊附栗原安秀中尉に率いられた291名が首相官邸を包囲したのは午前5時、襲撃は直ちに開始されましたが、岡田首相はからくも難を逃れ、義弟で首相秘書官事務嘱託の松尾伝蔵陸軍予備役大佐が即死したほか、首相護衛警官4名が応戦して死亡しました。
即死した義弟で首相秘書官事務嘱託松尾伝蔵陸軍予備役大佐(右)
歩兵第3聯隊第6中隊長安藤輝三大尉率いる204名は侍従長官邸を襲撃、鈴木貫太郎侍従長は重傷を負いましたが、安藤大尉がとどめを刺さなかったことで助かり、終戦時の首相となりました。
「安藤起てば歩3(歩兵第3聯隊)起つ」とまで云われ、兵に信望の篤い中隊長でしたが、「時期尚早」と蹶起に対して最後まで慎重な姿勢を崩しませんでした。
鈴木貫太郎侍従長
歩兵第3聯隊第1中隊210名を率いた坂井直中尉は、斎藤実内大臣(海軍大将)を襲撃、斎藤内大臣は拳銃および軽機関銃による数十発の弾丸を浴びて即死しました。
斎藤実内大臣
斎藤実内大臣を襲撃した歩兵第3聯隊第1中隊からなる坂井隊の主力は、他の蹶起部隊と合流するため陸軍省に向かいましたが、第1中隊附高橋太郎少尉、陸軍砲工学校分遣中の安田優少尉に率いられた下士官兵約30名は、トラックで杉並の上荻窪に向かい渡辺錠太郎教育総監を襲撃、総監は全身に銃創および刀創を受けて即死しました。
渡辺錠太郎教育総監
国民から「だるまさん」の愛称で親しまれ7回目の蔵相に就任していた高橋是清は、中橋基明中尉率いる137名の近衛歩兵第3聯隊第7中隊により襲撃され、ほとんど即死状態で絶命しました。
高橋是清大蔵大臣(左)
牧野伸顕前内大臣は湯河原温泉に寄留していましたが、所沢飛行学校から只1人参加した河野寿大尉と予備役の下士官や民間人7名は、牧野が宿泊している伊藤屋旅館別館を襲撃、しかし、護衛警官の反撃で牧野伯爵は辛くも難を逃れ、反撃した護衛警官は死亡、別館は全焼し、河野大尉も重傷を負いました。
牧野伸顕前内大臣
以下つづく
「安藤起てば歩3(歩兵第3聯隊)起つ」とまで云われ、兵に信望の篤い中隊長でしたが、「時期尚早」と蹶起に対して最後まで慎重な姿勢を崩しませんでした。
鈴木貫太郎侍従長
歩兵第3聯隊第1中隊210名を率いた坂井直中尉は、斎藤実内大臣(海軍大将)を襲撃、斎藤内大臣は拳銃および軽機関銃による数十発の弾丸を浴びて即死しました。
斎藤実内大臣
斎藤実内大臣を襲撃した歩兵第3聯隊第1中隊からなる坂井隊の主力は、他の蹶起部隊と合流するため陸軍省に向かいましたが、第1中隊附高橋太郎少尉、陸軍砲工学校分遣中の安田優少尉に率いられた下士官兵約30名は、トラックで杉並の上荻窪に向かい渡辺錠太郎教育総監を襲撃、総監は全身に銃創および刀創を受けて即死しました。
渡辺錠太郎教育総監
国民から「だるまさん」の愛称で親しまれ7回目の蔵相に就任していた高橋是清は、中橋基明中尉率いる137名の近衛歩兵第3聯隊第7中隊により襲撃され、ほとんど即死状態で絶命しました。
高橋是清大蔵大臣(左)
牧野伸顕前内大臣は湯河原温泉に寄留していましたが、所沢飛行学校から只1人参加した河野寿大尉と予備役の下士官や民間人7名は、牧野が宿泊している伊藤屋旅館別館を襲撃、しかし、護衛警官の反撃で牧野伯爵は辛くも難を逃れ、反撃した護衛警官は死亡、別館は全焼し、河野大尉も重傷を負いました。
牧野伸顕前内大臣
以下つづく
日本(40)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(12)
日本(39)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(11)
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