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2010年09月05日

やまとうた(26)−野辺見れば なでしこの花咲きにけり

 
 カワラナデシコ (Dianthus superbus var. longicalycinus) 
 
 (旧暦  7月27日)
 
 野辺見れば なでしこの花咲きにけり わが待つ秋は近づくらしも

 野邊見者 瞿麥之花 咲家里 吾待秋者 近就良思母 (萬葉集 巻10-1972)
 
 今年の酷暑は異常とも言えますが、多くの皆さんも今年は例年以上に秋の訪れを心待ちにされていることでしょう。

 旧暦では7月(文月)は秋の季節の初めの月とされ、七夕は秋の季語となりますが、撫子(なでしこ)も秋の季語として取り扱われていますね。

 face05 学名 Dianthus superbus var. longicalycinus (河原撫子)
 face03 Dianthus : ナデシコ属
 face01 Dianthus(ダイアンサス)は、Modern Greekの「Dias(ギリシャ神話のゼウス神)+ anthos(花)」が語源
 face02 superbus : 気高い、堂々とした

 平安朝の女流作家、清少納言(966?〜1025?)も嬰麥(なでしこ)の花を愛でていますが、この花は当時の貴族にも愛玩されていたことがうかがえます。

 草の花は
嬰麥(なでしこ)、唐(から)のは更なり、やまとのもいとめでたし。女郎花(おみなへし)。桔梗。菊のところどころうつろひたる。刈萱(かるかや)。

 

 龍膽(りんどう)は枝ざしなどもむつかしげなれど、他花みな霜がれはてたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。わざととりたてて、人めかすべきにもあらぬさまなれど、鴈來紅(かまつか)の花らうたげなり。名ぞうたてげなる。鴈(かり)の來る花と、文字には書きたる。雁緋(かにひ)の花、色は濃からねど、藤の花にいとよく似て、春と秋と咲く、をかしげなり。

 

 壼菫(つぼすみれ)、すみれ、同じやうの物ぞかし。老いていけば同じなど憂し。しもつけの花。夕顏は朝顏に似て、いひつづけたるもをかしかりぬべき花のすがたにて、にくき實のありさまこそいとくちをしけれ。などてさはた生ひ出でけん。ぬかつきなどいふもののやうにだにあれかし。されどなほ夕顏といふ名ばかりはをかし。

 葦の花、更に見どころなけれど、御幣(ごへい)などいはれたる、心ばへあらんと思ふにただならず。萌えしも薄(すすき)にはおとらねど、水のつらにてをかしうこそあらめと覺ゆ。これに薄を入れぬ、いとあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは、薄にこそあれ。穗さきの蘇枋(すはう)にいと濃きが、朝霧にぬれてうち靡きたるは、さばかりの物やはある。

 

 秋の終ぞいと見所なき。いろいろに亂れ咲きたりし花の、かたもなく散りたる後、冬の末まで、頭いと白く、おほどれたるをも知らで、昔おもひいで顏になびきて、かひろぎ立てる人にこそいみじう似ためれ。よそふる事ありて、それをしもこそ哀ともおもふべけれ。萩はいと色ふかく、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれてなよなよとひろごりふしたる、牡鹿の分きてたちならすらんも心ことなり。唐葵(からあふひ)はとりわきて見えねど、日の影に隨ひて傾くらんぞ、なべての草木の心とも覺えでをかしき。花の色は濃からねど、咲く山吹には山石榴(やまざくろ)も異なることなけれど、をりもてぞ見るとよまれたる、さすがにをかし。

 

 薔薇はちかくて、枝のさまなどはむつかしけれどをかし。雨など晴れゆきたる水のつら、黒木の階などのつらに、亂れ咲きたるゆふばえ。
 
 『枕草子』 三巻本 67段 「草の花は」
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Posted by 嘉穂のフーケモン at 18:57Comments(0)やまとうた