板橋村あれこれ(21)-国立極地研究所(1)

嘉穂のフーケモン

2007年12月06日 21:23

 

 国立極地研究所 南極観測船「宗谷」模型

 (旧暦 10月27日)

 昭和58年(1983)に劇場公開された映画「南極物語」の樺太犬タロ(1955~1970)とジロ(1955~1960)の実話物語は日本中に大きな感動を呼び起こしましたが、なんと昨年(2006)にはあのディズニーが、登場人物を米国人として新たに製作(リメイク)した映画「Eight Below」が公開されているから驚きです。

 タロとジロは昭和30年(1955)に稚内市で生まれましたが、その名前の由来は、明治45年(1912)に日本人として初めて南極大陸を探検した陸軍中尉白瀬矗(しらせ のぶ、1861~1946)の隊の犬ぞりの先導犬として活躍した樺太犬、タロとジロにちなむとされています。

 昭和31年(1956)、タロとジロは弟サブロとともに稚内市に生まれましたが、この年南極地域観測隊での樺太犬による犬ぞりの使用が決定されると、当時北海道にいた樺太犬約1,000頭のうち犬ぞりに適したタロ、ジロ、サブロの3頭の兄弟を含む23頭が集められ、稚内で訓練が行われました。

 たまたま当時、農学校の理学部地球物理学科の1期生として在学していたわれらが愛すべきS先輩(この先輩は昭和29年入寮だが、今でもお元気に寮の同窓会に出席される昭和9年入寮の旧制予科の大先輩や戦前の大先輩がご健在なので、新制大学の先輩は未だに中先輩程度である)が指名されて稚内に行き、23頭の樺太犬の訓練のアシストをしたと先日語られていたのには、正直、びっくりいたしました。

 昭和31年(1956)11月8日、日本の「岩石磁気学」の開祖とされる東大理学部の永田武教授(1913~1991)を隊長とする第1次南極予備観測隊が南極観測船「宗谷」(満載排水量4,600トン、4,800馬力)に乗船し、観測隊員53名、タロ、ジロを含む22頭の樺太犬と共に東京港を出港しました。

 ちなみに、農学校からは、第1次南極予備観測隊に海洋担当の理学部低温研(低温科学研究所)の楠宏(くすのき こう、1921~  )先生、第1次予備観測越冬隊では設営担当の農学部の佐伯富男氏(1929~1990)が参加されていました。

 南極では、隊員のうち11名が第1次予備観測越冬隊として選抜され、タロ、ジロを含む19頭の犬たちが、昭和32年(1957)の第1次予備観測越冬隊において犬ぞりに使役されました。

 昭和33年(1958)2月、第2次観測隊は厚い海氷と悪天候に阻まれて昭和基地に上陸することができず、2月10日、橇付ビーバー機により、11名の第一次予備観測越冬隊員と3匹のカラフト犬を宗谷に収容するのがやっとだったということです。
 1957年秋、宗谷で出航した第2次本観測隊は、翌年1月氷海に侵入したが、海氷は異状に厚く昭和基地に近づけなかった。そのため一旦外洋に出、米国の砕氷艦バートン・アイランド号の先導により2月8日再侵入した。

 しかし、天候・氷状共に厳しく、2月10日橇付ビーバー機により、11名の第一次予備観測越冬隊員と3匹のカラフト犬を宗谷に収容するのがやっとだった。それでも何とか本観測隊を成功させたいと、2月12日気象の守田、機械の丸山、オーロラの中村の3名は昭和基地に飛んだ。ところが気象状況は益々悪化、バ号自体の氷海脱出も危うくなって来たので、14日には永田隊長から「一旦宗谷に帰って欲しい。一度外洋に出た後、天候の恢復を待って再び侵入の計画だ」との通信が送られて来た。昭和基地には西堀越冬隊の残した食糧や燃料も十分あり、最小限度の観測器材も携えて来ている。最悪の場合3名による越冬も可能であり、カラフト犬も多数居るので、この侭越冬準備を續けたいと強く訴えた。「幻の越冬隊」と呼ばれた所以である。

 しかしその後、「3名を収容して外洋に出るのはバ号艦長の至上命令であり、空輸の可能性もあと一便しかない。どうしても帰船せよ」との最後通告が戻って来た。止むを得ず次の侵入時まで犬達は残して行くこととし、ビーバー機が来る迄の2時間の間に、引揚げ準備と共に、犬への処置も行った。

 生まれたばかりの仔犬8頭と母犬のシロは何としてでも連れて帰る。牡の成犬15頭については、野犬化や共食いの危險を避けるため、6米間隔に立てられた鉄棒の各々に鎖でつなぎ、各犬には2ヶ月分の餌として1俵20瓩のミガキニシンを2俵づつ、汗だくになって分配し、ジャックナイフで俵を開いて回った。

 やがて最終便のビーバーが到着したが、宗谷からは、間もなく風雪となるので一刻も早く飛立つようにとの矢の催促だ。シロと仔犬達を載せると重量超過となったが、私物をおろし、森松整備士は不時着用の予備燃料・食料をおろし、辛うじて飛立つことができた。

 その時、鎖につながれていたカラフト犬は空に向って一斉に吠立て始めた。それはただの咆哮ではなく、悲しげな悲鳴にも似た甲高い吠声であった。その声は50年近く経った今でも耳にこびりついて離れない。私共は基地上空を低空で一周したが、その間中、彼等は上を向いて吠え續けていた。
 
 第2次南極地域観測隊 夏隊隊員  極光夜光担当 中村純二博士(当時東大教養部所属)  「幻の第2次越冬隊とタロ・ジロ」より

 国立極地研究所 南極観測50年 私の南極 (歴史を刻んだエッセイ集)

 (http://www.nipr.ac.jp/~50thJARE/column/1_nakamura.html )

 以下つづく
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