板橋村あれこれ(20)-野口研究所

嘉穂のフーケモン

2007年04月30日 20:19

  

 野口研究所正門

 (旧暦  3月14日)

 荷風忌  明治から昭和にかけて耽美的(美を唯一最高の理想とし、美の実現を人生の至上の目的とする芸術上の立場)な作風で活躍した小説家・随筆家永井荷風の昭和34年(1959)の忌日。
 『地獄の花』1902年刊、『あめりか物語』1908年刊、『ふらんす物語』1909年(発売禁止)、『つゆのあとさき』1931年刊、『濹東綺譚』1937年刊、『断腸亭日乗』などの作品を残している。
 戦後は転居先の市川から浅草に通い、ストリップ劇場の楽屋にも出入りしていたため、踊り子達と写った有名な写真も残されている。


 板橋村の入り口、板橋3,4丁目、加賀1,2丁目の地は、加賀藩102万5千石、5代藩主従三位・左近衛権少将兼加賀守・前田綱紀(1643~1724)が、下屋敷として延宝7年(1679)、4代将軍徳川家綱(1641~1680)から6万坪の敷地を板橋宿平尾に賜り、別邸を建てたことに始まります。

 明治の世になり、この地には陸軍の板橋火薬製造所(昭和15年に東京第二陸軍造兵廠と改称)が建てられました。もちろん軍施設として民間人は立ち入り禁止区域で、昭和10年(1936)からは、強力な威力を有する「マーズ猟用無煙火薬」を製造していたと言うことです。

 さて、野口研究所がある加賀1丁目8番の地は、東京第二陸軍造兵廠の時代には、火薬の研究や燃焼実験、弾道実験等が行われていた場所で、研究所の敷地内には、当時の建物がかなり残されています。

 私「嘉穂のフーケモン」が初めて野口研究所の表札を見たときには、黄熱病や梅毒の研究で有名な細菌学の世界的権威、野口英世博士(1876~1928)の研究所かと勘違いしました。

 この野口研究所は、昭和16年(1941)、旧日窒コンツェルンの創始者で日本窒素肥料株式会社社長野口遵(したがう、1873~1944)氏が、私財2,500万円(現在の価値で約250億円)を拠出して、化学工業を調査研究するために創設した研究所を母体としています。
 当初は、横浜、延岡、興南(現朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)の3ヶ所に研究所を開設しましたが、昭和21年(1946)に現在地に移転統合されて今日に至っています。
 野口遵(したがう)は、石川県金沢の旧士族に生まれ、明治29年(1896)に帝国大学工科大学電気工学科(現東京大学工学部電気工学科)を卒業し、明治31年にドイツシーメンス社の東京支社に入社しています。
 明治41年(1908)、自身が設立した曾木電気株式会社(鹿児島県の曽木滝による水力発電)と日本カーバイト商会(熊本県水俣)とを合併させて日本窒素肥料株式会社を設立、石灰窒素、硫安(硫酸アンモニウム、(NH4)2SO4)の製造に成功し拡大しました。
 
 大正10年(1921)には、 イタリアのカザレー(Luigi Casale)博士のアンモニア合成の特許(直接、空気中の窒素を固定してアンモニアを合成する手法。N2+3H2=2NH3)を買収して宮崎県延岡に世界最初のカザレー式アンモニア合成工場を建設、ついで大正14年(1925)には赴戦江(現朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道新興郡)で水力発電の開発(20万kW)に着手、続いて長津江水力発電所(33万kW)、虚川江水力発電所(34万kW)を完成させ、鴨緑江本流には昭和19年(1944)に水豊発電所(70万kW)を建設しています。

 また、昭和2年(1927)には朝鮮窒素肥料株式会社と朝鮮水力電気株式会社を設立して、興南(現朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道咸興市)に大規模化学コンビナートを建設して工業中心の財閥を形成し、最盛期には従業員8万人以上、総資産50兆円以上の世界第3位の化学メーカーであったと云います。

 この日窒コンツェルンも、戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策のひとつである「財閥解体」(「侵略戦争遂行の経済的基盤」になった財閥の解体による、第二次世界大戦以前の日本の経済体制の壊滅が目的とされる経済民主化政策)により解散し、現チッソ株式会社、旭化成株式会社、積水化学工業株式会社、信越化学工業株式会社などという錚々たる企業として存続しています。

 しかし、チッソ株式会社は、中毒性中枢神経疾患を引き起こす公害病の水俣病(Minamata-disease)の原因とされるメチル水銀(Methylmercury、水銀がメチル化された有機水銀化合物でジメチル水銀 (CH3)2Hg とモノメチル水銀 CH3HgX(X = Cl, OH など)がある)を含んだ廃液を水俣湾に流し続けた忌まわしい過去を引きずっています。

 この水俣病は野口研究所とは直接には関係はありませんが、板橋村にも世間の様々な出来事に縁する施設があるんですね。
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