歳時記(19)−夏(6)−summer eve

嘉穂のフーケモン

2009年07月21日 22:40

 
 The climactic assassination of Caesar by wikipedia.
 シーザー暗殺のクライマックスシーン
 
 (旧暦  6月 1日)

              As the ample moon,
 In the deep stillness of a summer even
 Rising behind a thick and lofty grove,
 Burns, like an unconsuming fire of light,
 In the green trees; and, kindling on all sides
 Their leafy umbrage, turns the dusky veil
 Into a substance glorious as her own,
 Yea, with her own incorporated, by power
 Capacious and serene.
 -W.Wordsworth : The Excursion, 1062 - 70


 夏の夕べの深い静寂の中に
 こんもりと高い木立の向こうから昇る大きな月が
 燃え尽きることの無い光の炎のように
 緑の樹々の間で燃える、そして
 四方のうっそうたる木の葉を輝かし、薄暗い被いを
 自分のような栄光の存在に変える。
 そうだ、広大な清らかな力で自身に合体化してしまう。
 -ウィリアム・ワーズワース : 小旅行より (1062~1070)
  嘉穂のフーケモン 拙訳


 あつい日差しが西に沈み、夏の夕べは美しく、精神的な安らぎを与えてくれます。

 夏の夕べの快適でくつろいだ気分は、シェイクスピアの悲劇 『The Tragedy of Julius Caesar 』 の中のAntonyのCaesar追悼演説の中にも出てきます。

 ANTONY
 If you have tears, prepare to shed them now.
 You all do know this mantle: I remember
 The first time ever Caesar put it on;
 'Twas on a summer's evening, in his tent,
 That day he overcame the Nervii:
 Act Ⅲ, Sceneⅱ: The Forum. 178~182


 諸君は何れも此の外套ご存知であろう。
 予はシーザーが初めて之を着用した日を
 憶えている、それは或夏の夕方、勁敵(けいてき)
 ナーヸア族を征伐して大勝利を得た
 その日陣営中で被たのであった。
 (坪内逍遙 訳)
 襄州襄陽(湖北省襄樊市)出身の孟浩然(Mèng Hàorán、689~740)は、中国盛唐の自然詩人と云われています。

 その孟浩然が詠んだ詩に、「夏日南亭懐辛大」と題する作品があります。
 「辛」は姓で、「大」は同姓の一族の同じ世代に属する兄弟、姉妹、従兄弟、従姉妹に年齢順に番号をつける「排行」第一の意で、大抵は祖父を同じくする従兄を歳の順で呼ぶようです。
 「辛大」がどんな人であったかはよく分からない様ですが、孟浩然の詩の題に時々出てくることから、親しい間柄であったのでしょう。

 夏日南亭懐辛大  夏日 南亭に辛大を懐ふ 

 孟浩然

 山光忽西落     山光 忽ち西に落ち
 池月漸東上     池月 漸く東に上る
 散髪乗夕涼     髪を散じて 夕涼に乗じ
 開軒臥閑敞     軒を開いて 閑敞に臥す
 荷風送香気     荷風 香気を送り
 竹露滴清響     竹露 清響を滴らす
 欲取鳴琴彈     鳴琴を取りて 彈ぜんと欲するも
 恨無知音賞     恨むらくは 知音の賞する無し
 感此懐故人     此に感じて 故人を懐い
 中宵労夢想     中宵 夢想を労す


 In Summer at the South Pavilion Thinking of Xing
 (Mèng Hàorán)
 The mountain-light suddenly fails in the west,
 In the east from the lake the slow moon rises.
 I loosen my hair to enjoy the evening coolness
 And open my window and lie down in peace.
 The wind brings me odours of lotuses,
 And bamboo-leaves drip with a music of dew….
 I would take up my lute and I would play,
 But, alas, who here would understand?
 And so I think of you, old friend,
 O troubler of my midnight dreams!
 (About Nate by WordPress)


 
 西山に日は落ち、月は東の池の上に上る。
 暑かった一日の太陽が沈み、待ち望んでいた月が、池の面を涼しげに照らし始めた。
 唐代の役人は10日に1日の休日があり、それを休沐(xiū mù)と云いました。沐(mù)とは、頭髪を洗うことを意味しています。
 普段は髪を整え、冠をかぶっていますが、休日には洗髪し、髪を散じたままの姿で窓を開け放ち、ベットに寝そべったりしてくつろいでいました。

 髪を散じたままの姿で外に出るのは、寝巻で外出するようなもので、あくまでも戸内におけるプライベートな夕涼みの風景です。

 荷(はす)の風、竹の露は涼しげで、興にのって琴を弾こうと思ったが、残念ながら自分を理解してくれる友人である知音(zhī yīn)がいない。
 自分の理解者である友人の辛大を懐うが、いくら懐っても十分ではない。懐い足りないぶんは、夜の夢で懐い続けよう。
 
 中国春秋時代の琴の名人伯牙(bǎi yá)は、自分の音楽を本当に理解してくれる友人鐘子期(zhōng zǐ qī)が死んだ後、知音(zhī yīn)がいないからといって、再び琴を手にすることがなっかたと云うことが、『呂氏春秋』 蒙求 一一八 伯牙絶絃に載っています。

 列子曰、伯牙善鼓琴、
 鍾子期善聽。
 伯牙鼓琴、
 志在高山、
 子期曰、
 善哉峩峩乎若泰山。
 志在流水、
 子期曰、
 善哉洋洋兮若江河。
 伯牙所念、
 子期必得之。
 呂氏春秋曰、鍾子期死。
 伯牙破琴絶絃、
 終身不復鼓琴。
 以爲無足爲鼓者。


 列子に曰く、伯牙 善く琴を鼓し、
 鍾子期 善く聴く。
 伯牙 琴を鼓するに、
 志(こころざし) 高山(こうざん)に在れば、
 子期曰く、
 善い哉(かな)、峨峨として泰山の若し、と。
 志(こころざし)流水(りゅうすい)に在れば、
 子期曰く、
 善い哉(かな)、洋洋(ようよう)として江河(こうが)の若し、と。
 伯牙の念(おも)う所は、
 子期必ず之を得たり、と。
 呂氏春秋に曰く、鍾子期 死す。
 伯牙 琴を破り絃を絶ちて、
 終身復た琴を鼓せず。
 以為(おも)えらく、為(ため)に鼓するに足る者無し、と。


 また、この伯牙(bǎi yá)と友人鐘子期(zhōng zǐ qī)の故事は、『列子』八編の中の湯問第五にも記載されており有名です。
 この湯問の章は、殷の湯王が太夫の夏革との問答を記載した章で、十七話が収めらています。

  『列子』 湯問第五 十二

 伯牙善鼓琴、鍾子期善聽。伯牙鼓琴、志在登高山、鍾子期曰、善哉、峩峩兮若泰山、志在流水、鍾子期曰、善哉、洋洋兮若江河。伯牙所念、鍾子期必得之。


 伯牙は善く琴を鼓し、鍾子期善く聽く。伯牙琴を鼓し、志(こころざし)高山に登るに在れば、鍾子期曰く、善きかな、峩峩兮(がゞけい)として泰山のごとしと。志(こころざし)流水に在れば、鍾子期曰く、善きかな、洋洋兮(ようようけい)として江河のごとしと。伯牙の念ふ所、鍾子期必ず之を得たり。

 伯牙游於泰山之陰、卒逢暴雨、止於巖下心悲。乃援琴而鼓之。初爲霖雨之操、更造崩山之音。曲毎奏、鍾子期輒窮其趣。伯牙乃舎琴而歎曰、善哉善哉、子之聽。夫志想象、猶吾心也。吾於何逃聲哉。

 伯牙泰山の陰に游び、卒に暴雨に逢ひ、巖下に止まりて心悲しむ。乃ち琴を援きて之を鼓す。始め霖雨の操(曲)を爲り、更に崩山の音を造る。曲奏する毎に、鍾子期輒ち其の趣きを窮む。伯牙乃ち琴を舎きて嘆じて曰く、善きかな善きかな、子の聽くや。夫の志の想象すること、猶ほ吾が心のごとし。吾れ何くに於てか聲を逃れんと。
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