日本(12)-2.26事件(6)- 兵に告ぐ(2)

嘉穂のフーケモン

2005年03月01日 07:11

 

 投降を促すアドバルーン。1936年2月29日.

 (旧暦  1月21日)

 三汀忌、微苦笑忌  小説家・劇作家・俳人の久米正雄の昭和27年(1952)の忌日。 俳号の三汀から三汀忌、久米正雄が微笑と苦笑を合わせて作った造語「微苦笑」から微苦笑忌と呼ばれる。

 帰順勧告放送の命令を受けた大久保少佐は、戒厳司令部内に設けられていた放送室に飛び込んで、マイクを持ち何か話そうとしましたが言葉が出てきません。そこで手元にあった便箋に原稿を書きなぐって二分足らずで草稿ができたといいます。

 1人放送室にいた中村茂アナウンサーが、「私が放送しましょう」と言って、あの「兵に告ぐ」が繰り返し放送されました。

 兵に告ぐ
 勅命が発せられたのである。既に、天皇陛下の御命令が発せられたのである。
 お前たちは上官の命令を正しいものと信じて、絶対服従をして、誠心誠意活動してきたのであろうが、既に天皇陛下の御命令によってお前たちは皆原隊に復帰せよと仰せられたのである。この上お前たちが飽くまでも抵抗したならば、それは勅命に反することとなり、逆賊とならなければならない。
 正しい事をしていると信じていたのに、それが間違っておったと知ったならば、徒に今までの行懸かりや何時までも反抗的態度を執って、天皇陛下に反き奉り、逆賊としての汚名を永久に受けるようなことがあってはならない。
 
 今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗を止めて軍旗の下に復帰するようにせよ、そうしたら今までの罪も許されるのである。
 お前たちの父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈っているのである。
 速やかに現在の位置を棄てて帰って来い。
    戒厳司令官  香椎中将


 日比谷の飛行会館からは、「勅命下る 軍旗に手向ふな」と大書されたアドバルーンも揚げられました。

 大久保少佐の下に、警視庁方面の蹶起部隊の一部が帰順してきたと言う第1報が届いたのは、29日午前9時30分頃であったといいます。その後、時間の経過とともに、帰順投降、あるいは陣地撤退などの報告が続々と寄せられ、午後1時には、歩兵第3聯隊第6中隊の安藤隊を除く全蹶起部隊が帰順、撤退していきました。

 以下つづく
関連記事