アメリカ(4)−ヴァージニア

嘉穂のフーケモン

2005年06月17日 23:09

 

 Location of Jamestown.

 (旧暦  5月11日)

 北アメリカにおける最初のイギリス定住地は、1607年に建設されたジェームズタウン(ヴァージニア州)でした。
 1606年イギリス国王ジェイムズ1世は、アメリカ東海岸一体の呼称となっていたヴァージニアの地で、植民地経営を目的とする二つの会社に対し、特許状(charter )を与えましたが、そのうち、ロンドン=ヴァージニア会社(Verginia Company of London)は、1607年、現在のヴァージニア州ジェイムズタウンに植民地を作り、その維持に成功しました。

 1607年5月6日、104人の成人男子と少年がチェサピーク号でヴァージニアに到着し、貴金属類や毛皮、魚、木材その他の天然資源を収集するための交易所を設立しました。
 しかし、シェイムズタウンは、マラリアその他の病原菌の媒体となる蚊が生息する湿地帯に隣接しており、また、食糧不足にも悩まされ、1609年から1610年にかけての冬の間に、500人の人口が60人に減少したと云われています。
 また、1620年9月16日、イギリス西部プリマスから出帆したメイフラワー号に乗った102名の分離教徒・ピルグリムズが長い航海を乗り切り、11月9日、コッド岬(マサチューセッツ州)に到着しました。彼らは、最も良い場所に上陸しようと十分に検討し、12月16日、ニュープリマス(マサチューセッツ州)に上陸し、プリマス植民地を開きました。

 
 
 Map of Plymouth Colony showing town locations 

 イギリスのピューリタンには、イギリス国教会と厳しく対立している分離派と、国教会の体制のなかにあって宗教改革を実現しようとする会衆派(非分離派)があり、メイフラワー号でプリマス植民地にむかった人々は分離派で、その後マサチューセッツ湾植民地を形成した人々は会衆派(非分離派)でした。前者を『ピルグリム』、後者を狭い意味の『ピューリタン』と呼んで区別しているそうです。


 1629年、会衆派(非分離派)のピューリタンたちが、新大陸に国教会を改革するためのモデル植民地を建設したいという期待をもって、国王チャールズ1世の特許状を獲得し、マサチューセッツ湾植民地を開きました。
 そして翌年の1630年、2万2千人にも及ぶGreat Migration(大移動)が行われ、ボストンを含む6つの定住地が、マサチューセッツ湾植民地に建設されました。
 その後、宗教面や商業上の利益の相違から摩擦が発生し、1638年のニューハンプシャーの建設、1644年のロードアイランドの建設を経て、ニューイングランド植民地の形成へとつながっていきました。

 初期のアメリカ合衆国を形成したのは、このような宗教上のエネルギーが大きな要因であったと改めて考えさせられますね。

 ところで昔、「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」(Who’s afraid of Virginia Woolf ?)というタイトルの映画があったように記憶していますが、どういう意味なんでしょうかね???
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