アメリカ(3)−最初の人々
Language families of North American indigenous peoples.
(旧暦 2月 5日)
元麿忌 詩人・千家元麿の昭和23年(1948)の忌日。
考古学による発掘調査によれば、1万2千年前までには、今日のシベリアにいた人々は、最後の氷河期に出来たべーリンギアと呼ばれる草の生えたツンドラ状の陸路を通って、南北アメリカ大陸の概ね全域に住むようになったと云われています。
そして、紀元前1500年までには、特定の経済があり、言語と文化を持ち、さらには商取引の複雑なネットワークや政治組織、宗教慣行を持つ先住民社会が、多数存在するようになっていたと推測されています。
紀元前1500年頃、北アメリカだけで600の独立した集団が認められ、170以上の異なる言語を話し、1400万から5000万の総人口を数えたと推計されています。
驚くほど多様な文化、驚くほど多くの人々、北アメリカは、コロンブスに代表されるヨーロッパ人の言うように、決して未開の大地ではなかったのです。
ジェノヴァ生まれの船乗りクリストファー・コロンブス(1451年頃 〜 1506)は、トスカネリの地球球体説に影響され、自分の航海経験を加味して西へ西へと進み続ければアジアへ到達できるという考えに達しました。
1484年、ポルトガルのジョアン2世に航海のための援助を求めましたが断られ、1486年にカスティリャのイサベル1世とその夫フェルナンド5世にも援助を願い出ましたが、良い返事は得られませんでした。
しかし、1492年、スペインはイスラム勢力が占拠するイベリア半島のグラナダを攻め落とし、レコンキスタ(国土回復運動)を完遂すると、イサベル1世とその夫フェルナンド5世は、コロンブスに援助を与えることにしました。
コロンブスは1492年8月3日、インドの高価な香辛料を求めて、南スペインのパロス港を出航しました。この時の編成はカラベル船ニーニャ号・ピンタ号とナオ船のサンタ・マリア号の3隻で総乗組員数は約90人(120人と言う説もあり)でした。
1492年10月12日、サン・サルバドールと呼んだバハマ諸島の島に辿り着いたコロンブスは、先住民の人々に遭遇し、アジアに到着したのだと固く信じていた彼は、先住民をインディアンと呼んだのでした。
これにはインド人もびっくり!
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