新生代(17)-新第三紀(7)-マンモスの絶滅(1)

嘉穂のフーケモン

2009年05月15日 21:14

 
  Woolly mammoth at the Royal BC Museum, Victoria, British Columbia by Wikipedia.

 (旧暦  4月 21日)

 マンモス(Mammonteus primigenius)は、アフリカゾウのロクソドンタ属(Loxodonta)やインドゾウのエレファス属(Elephas)とともに、漸新世(Oligocene、約3,370万年前~約2,380万年前)のマストドン類(Mastodonts)から分化したもので、体長3.9m、肩高2.9m、頭は短く高く、牙は長大で外上方に曲がっていました。
 全身褐色長毛で覆われているため、羊毛マンモス(wooly mammoth)とも呼ばれ、シベリア、アラスカ、北米五大湖付近にまで分布していたようです。

 その時代の北米大陸には、その他に剣歯虎類(サーベル・タイガー、sabre-toothed tigers)のスミロドン・カリフォルニクス(Smilodon californicus)やエレモテリウム(Eremotherium laurillardi)などの巨大ナマケモノ(giant sloth)、両翼開帳4m、高さ75cm、重さ15kgのコンドルの先祖ともいうべきテラトルニス属のTeratornis merriami などのmegafauna (巨大生物、Ancient Greek megas "large" + New Latin fauna "animal")が生息し、また驚くべきことに、ラクダ類(Camels)の進化の中心地でもありました。

 しかし、約1万2,900年前に、それらの巨大生物たちが姿を消してしまう何らかの地球的規模のできごとが生じたと考えられています。
これらの終焉の時期は、今から13,000前ほど前に始まった「Younger Dryas」と呼ばれる1300 ± 70年ほど継続した寒冷な気候が始まった時期と一致しています。

 気候学(climatology)では、西ヨーロッパにおけるヴュルム氷期(Wurm glacial period)あるいはシベリアでのサルタン氷期(Sartang glacial period)、また北米におけるウィスコンシン氷期(Wisconsin glacial period)と呼ばれる最終氷期は約2万年前頃にそのピークを越え、その後、地球は温暖化傾向に向かったとされています。
 ところが、2万年前以降気候はゆるやかに変化したのではなく、オールデストドリアス期(Oidest Dryas、約1万8,000年前ごろ)、オールダードリアス期(Older Dryas、約1万5,000年前ごろ)、ヤンガードリアス期(Younger Dryas、約1万2,000年前ごろ)という、少なくとも3回の急激な亜氷期が存在していました。

 これらの亜氷期の名前は、北半球の極地および高山に生育する匍匐性の常緑小低木でバラ科に属するDryas octopetala(和名:チョウノスケソウ)の属名Dryasに因んで付けられています。
 ヨーロッパにおける花粉分析で、これらの時代にDryas octopetalaの花粉が非常に多かったためであるとされています。
そして、これら亜氷期の時代には、北半球の広い範囲がツンドラ( tundra,低温で植物の生長可能期間が短いため樹木が生長できない地域)となり、Dryas octopetalaが繁殖していたと考えられています。
 このヤンガードリアス期に共通する事象は、以下のような例が挙げられています。

 1.Replacement of forest in Scandinavia with glacial tundra (which is the habitat of the plant Dryas octopetala).
   スカンジナビアにおける森林から氷河性のツンドラ(代表的な植生がDryas octopetala)への交代

 2. Glaciation or increased snow in mountain ranges around the world.
   世界各地の山岳部での氷河作用あるいは降雪量の増加。

 3. Formation of solifluction layers and loess deposits in Northern Europe.
   北ヨーロッパにおける土壌流層の形成と黄土の堆積

 4. More dust in the atmosphere, originating from deserts in Asia.
   アジアの砂漠からの塵の大気中への増加

 5. Drought in the Levant, perhaps motivating the Natufian culture to invent agriculture.
   ナトゥーフ文化で農業が始まった原因と思われるレバント地方(東部地中海沿地方)の干ばつ

 6. The Huelmo / Mascardi Cold Reversal in the Southern Hemisphere began slightly before the Younger Dryas and ended at the same time.
   ヤンガードリアス期によりわずか前に始まり、ほとんど同時に終息した南半球の寒冷期(Huelmo / Mascardi Cold Reversal)

 7. Decline of the Clovis Culture and extinction of animal species in North America.
   クロービス文化の衰退と北米における動物種の絶滅

 さて、マンモスの絶滅の原因は確定されてはいませんが、ごく最近までは次のような仮説が議論をよんでいたようです。
 
 1. 過剰殺戮説:人類による過度の狩猟により大型獣が絶滅したとする仮説“Prehistoric Overkill” by Paul S. Martin, a professor of geosciences at the University of Arizona at Tucson in 1967.

 北米大陸最初の大型獣狩猟民族であるクロービス人が、12,000~11,000年前にアラスカとシベリアの間に存在した最大1600kmの無氷回廊であるベーリング地峡(Beringia)を通って北アメリカに到達し、最初の到達から約1,000年で北アメリカの大型陸生哺乳類の大半が絶滅したという考古学的証拠と放射性炭素年代測定法から、クロービス人が急速に多くの種を狩猟し、絶滅させたとアリゾナ大学の地球科学教室Paul S. Martin博士が提唱。

 人間による狩猟が更新世の終わりに大型哺乳動物の絶滅を引き起こしたという考えは19世紀の早い時期に科学者の間で議論されていましたが、大型哺乳類の骨と文化遺物の両方がそろって出土する遺跡はごく稀であったこと、発掘した骨の相対年代を推定する方法が無かったことの理由により、絶滅の速度や動物相と人が共存していた期間を推定することができませんでした。

 その後、その学説は衰退していましたが、放射性炭素年代測定法が確立され、1967年になってアリゾナ大学の地球科学教授ポール・マーティン博士(Paul S. Martin)によって再度、“Blitzkreig“ hypothesis(電撃モデル)が提唱されました。

 「クロービス人は、困難なシベリアでの生活で狩猟技術を発達させ、たどり着いた無人の広大な土地で精巧な石槍と投槍器(Atlatl ; アトラアトラ)で大型哺乳類の大群を倒しだし、その急激な拡散(Blitzkreig)によってこれらを絶滅させた」というものです。

 ポール・マーティン博士は、絶滅は大型獣とその捕食者や腐肉食動物など、絶滅した哺乳類に生態的に依存していた動物だけに訪れたと主張しました。また、博士は、氷河期の絶滅に関して、次の8つの特性を上げています。

 (1)  大型獣が主に絶滅する生物である。
 (2)  大型獣が絶滅していく中で、小型獣の絶滅は極めて少なかった。
 (3)  大型哺乳類は、アフリカで最もよく生きのびた。
    絶滅率 北米73%、南米79%、オーストラリア86%、アフリカ14%
 (4)  絶滅はいきなり起きることがある。
 (5) 絶滅は別の場所で、異なる時期に起きた。
 (6)  絶滅は、新たな人類以外の新たな動物群の侵入の結果ではなかった。
 (7)  人類到達直後に絶滅は生じた。
 (8)  絶滅に関する考古学の説明はあいまいである。


 2. 氷河期末期の気候変動に伴う環境変化を原因とする説
   Russell Wm. Graham , a scientist at the University of Illinois.

 約1万年前に氷河が後退すると、氷河が覆い尽くしていた地球の地表面積は約30%から10%に減少し、固体から液体への変化が地質、気候、生物の変容をもたらした。水と堆積物で河川がふさがり、大きな湖の流路を変え、氷のダムを破壊し、それらが北アメリカの地表面を変えるほどの大洪水を引き起こした。海水面の上昇により大陸棚の位置と水深が変化し、雨期のパターンも変化、高緯度地域の気温が約10℃度程度上昇し、これらの無機環境の変動のために生態系が変化した。

 そして、この氷河期末の気候変動に伴って植生が変化し、それまで複雑で多様な草木が優勢だった大草原が、トウヒ、ハンノキなどの栄養価の低い広大な草地にかわって食糧供給が変化した。ひいては、多様な哺乳類を支えられなくなった。

 つづく
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