パイポの煙(23)−健啖家

嘉穂のフーケモン

2005年11月23日 17:19

 

 吉亭(米沢)のサーロインステーキ

 (旧暦 10月22日)

 一葉忌 極貧の短い生涯のうちに、 「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった珠玉の作品を遺して、24歳にして肺結核で逝った小説家樋口一葉の明治29年(1896)の忌日

 帝都東京のはずれの板橋村界隈で、「これはおいしいな」と極めて希に感動する食べ物に出会うと「食べ物散歩」として紹介していますが、いつも食べ出してから写真に取ることを思い出して後悔している私「嘉穂のフーケモン」です。
 このところ2軒ばかり、気に入った居酒屋風蕎麦屋と「東都第一かな?」と感動したとんかつ屋を見つけましたが、例によって写真を取り忘れてしまったので、またの機会にしませう。

 グルメ案内のHPでは、日記「築地市場を食べつくせ!」を「毎日よくも築地を中心にあんなにたくさん食べ尽くして、胃袋の方は大丈夫かな」などとよけいな心配をしながら感動して見ています。
 また、昼食放浪記でもその健啖家振りに感心しています。
 
 いずれにしても、グルマン(gourmand)と呼ばれる人達は健啖家でなければ務まりませんね。
 日記「築地市場を食べつくせ!」
 (http://www.tsukijioo.com/Diary/DiaryFlame.html
 
 健啖家といえば、中華民国の第2代大総統として強権をふるった袁世凱(Yuán Shìkǎi、1859〜1916)は煮卵が大好物で、煮卵10個以上と肉饂飩を食べてから宴会に出かけたというエピソードを何かの本で読んだ記憶がありますし、フランスの18世紀の貴族で何とかという将軍は、牡蠣を12ダース食べてから食事に臨んだという記述を見たことがあり、世の中にはすごい大食漢がいるものだとかつて思っていたら、このごろテレビ東京で放送した「元祖!大食い王決定戦」では本当にびっくりしました。

 

 袁世凱(Yuán Shìkǎi、1859〜1916)

 決勝戦での新潟県三条市の『福来亭』の豚の背脂たっぷりで平たくうどんのようにコシのある極太ラーメンを、90分で25杯以上も食べた出場者には全く脱帽です。
 しかもこの人達は、普通の人以上に痩せているように見え、いったいあの体のどこにこれだけのラーメンが入るのか不思議ですね。

 ところで大食漢といえば、むかし力道山(1924?〜1963)が健在だった頃、カルホーンという体重250㎏を越え、つなぎのジーンズ姿で「人間空母」と呼ばれていたプロレスラーが活躍していました。
 
 得意技はフライングソーセージ、サラダなどはバケツで食べるとかで、その巨大さと大食にびっくりし、「これでは日本が戦争に負けるわけだ!」と子供心に妙に納得していたことを思い出しました。
 
 あのカルホーンはどうしているのでしょうね。
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