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2011年09月15日

クラシック(24)−ショパン(3)−ピアノ協奏曲第1番

 クラシック(24)−ショパン(3)−ピアノ協奏曲第1番

 プリニウス 『博物誌』(ドイツ語版)より「バシリスク」
 1584年、フランクフルト・アム・マイン。
 古代ローマの学者大プリニウスが書いた『博物誌』第8巻第33(21)章第78 - 79節では、バシリスクは小さいながら猛毒を持ったヘビで、その通った跡には人を死に至らしめるほどの毒液が残った、そしてバジリスクに睨まれることはその猛毒と同じように危険だということが記述されている。

 (旧暦8月18日)

 「ピアノの詩人」と評されたフレデリック・フランソワ・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin、1810〜1849)の出世作とも云うべき作品は、若きショパンがワルシャワ音楽院第2学年在籍中の1828年に作曲した、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』第1幕第3場のドン・ジョヴァンニとツェルリーナの有名な二重唱『ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ(Là ci darem la mano)』(お手をどうぞ)をテーマにした「ラ・チ・ダレム変奏曲 変ロ長調 作品2(Variations sur "La ci darem la mano" de "Don juan" de Mozart)」だと云われています。

 それは、この「ラ・チ・ダレム変奏曲作品2」がウィーンで出版された1年後に、ライプツィヒの『Allgemeine Musikalische Zeitung』誌に掲載されたドイツのロマン派音楽を代表する作曲家ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810〜1856)の、「諸君、帽子をとりたまえ、天才ですぞ!(Hut ab, ihr Herren, ein Genie)」とショパンを絶賛した記事によるとされています。
http://www.pianostreet.com/blog/files/schumann-article-on-chopin-opus-2.pdf
 
 この記事は、シューマンの芸術理念を対照的な二つの性格に分かち与えた空想上の人物オイゼビウス(Eusebius)とフロレスタン(Florestan)がシューマンと共に新人ショパンを語る形式をとって展開されます。
 内面的で瞑想にふけるオイゼビウスと活発で英雄的なフロレスタン、そしてシューマンは次のように語ります。
 以下、青澤唯夫著 『ショパンその生涯』での英訳からの文章を参考にしながら辿ってみましょう。  

 Eusebius trat neulich leise zur Türe herein. Du kennst das ironische Lächeln auf dem blassen Gesichte, mit dem er zu spannen sucht. Ich saß mit Florestan am Klavier. Florestan ist, wie du weißt, einer von jenen seltenen Musikmenschen, die alles Zukünftige, Neue, Außerordentliche schon wie lange vorher geahnt haben ; das Seltsame ist ihnen im andern Augenblicke nicht seltsam mehr ; das Ungewöhnliche wird im Moment jhr Eigenthum.
 オイゼビウスがそっと入ってきた。つい少し前のことだ。この男の青白い顔に浮かぶいかにも好奇心をそそる皮肉な微笑みは君もご存じだろう。ぼくはフロレスタンと一緒にピアノに向かっていた。フロレスタンというのはご承知の通り、将来起こる新しいことや変わったことをとっくの昔にみんな見越すことができる希に見る音楽的な才能を持った男の一人だ。奇妙な物は、瞬く間に彼らにとっては奇妙な物ではなくなる。変わった物は、瞬時の内に彼らの所有物となる。

 Eusebius hingegen, so schwärmerisch als gelaßen, zieht Blüthe nach Blüthe aus ; er faßt schwerer, sber sicherer an, genießt seltener,aber langsamer und länger ; dann ist auch sein Studium strenger und sein Vortrag im Klavierspiele besonnener, aber auch zarter und mechanisch vollendeter, als der Florestans.
 オイゼビウスは一方、非常に空想にふける男で、一度に1本だけ花を摘む。彼はより多くの困難を伴って、しかし、同時によりしっかりと、自分自身を帰する。まれに、しかし、より完全に、そして、より永続的に、ものごとを楽しむ。これゆえに、彼はフロレスタンより良き学生であり、彼のピアノの演奏はより独創的で、より優しく、技術的により完璧である。

 Mit den Worten : „Hut ab, ihr Herren, ein Genie,“ legte Eusebius ein Musikstück auf, das wir leicht als einen Satz aus dem Haslinger’schen Odeon erkannten. Den Titel durften wir nicht sehen. Ich blätterte gedankenlos im Buche ; dieses verhüllte Genießen der Musik ohne Töne hat etwas Zauberisches. Überdies scheint mir, hat jeder Componist seine eigenthümlichen Notengestaltungen für das Auge: Beethoven sieht anders auf dem Papier, als Mozart, etwa wie Jean Paul’sche Prosa anders, als Göthe’sche.
 『諸君、帽子を取りたまえ、天才ですぞ!』と言いながら、オイゼビウスがハスリンガー(オーストリアの楽譜出版者、1787〜1842)によって出版された一つの楽譜を見せた。タイトルは見えなかったけれども、ぼくは何気なくページをめくってみた。この音のない音楽の密かな楽しみには、なにか魔法めいた魅力がある。それにどんな作曲家も独自の譜面の形があると思う。ちょうどジャン・パウル(ドイツの小説家、1763〜1825)の散文がゲーテのものと異なるように、ベートーヴェンは譜面の上ではモーツァルトとは違う。

 Hier aber war mir's, als blickten mich lauter fremde Augen, Blumenaugen, Basiliskenaugen, Pfauenaugen, Mädchenaugen wundersam an: an manchen Stellen ward es lichter - ich glaubte Mozart’s „Là ci darem la mano“ durch hundert Accorde geschlungen zu sehen, Leporello schien mich ordentlich wie anzublinzeln und Don Juan flog im weißen Mantel vor mir vorüber.
 しかしこの時はまるで見慣れない眼、花の眼、バシリスク(伝説の怪蛇)の眼、クジャクの眼、乙女の眼が、妖しく見つめているような気がした。それがところどころに鋭く光るのだ。ぼくはモーツァルトの「お手をどうぞ(Là ci darem la mano)」に何百という和音が絡みついているのではないかと思った。レポレロ(ドン・ジョヴァンニの従者兼秘書)が目配せするかと思うと、白いマントをはおったドン・ジョヴァンニが鳥のように飛んでいく。

 „Nun spiel's,“meinte Florestan lachend zu Eusebius, „wir wollen Dir die Ohren und uns die Augen zuhalten. “Eusebius gewährte; in eine Fensternische gedrückt hörten wir zu. Eusebius spielte wie begeistert und führte unzälige Gestalten des lebendigsten Lebens vorüber; es ist, als wenn der frische Geist des Augenblicks die Finger über ihre Mechanik hinauahebt. Freylich bestand Florestan’s ganzer Bayfall, ein seliges Lächeln abgerechnet, in nichts als in den Worten: das die Variationen etwa von Beethoven oder Franz Schubert seyn konnten, wären sie nämlich Klavier-Virtuosen gewesen —
 「じゃあ、弾いてみないか」とフロレスタンが笑いながらオイゼビウスに言う。「ぼくたちは眼を閉じて、邪魔しないように聞こう」。 オイゼビウスはうなずく。ぼくたちは窓の鎧戸にもたれて耳をすませる。オイゼビウスはものに憑かれたように弾き始めた。生命感あふれるものを次々に呼び出すように弾くので、一瞬の霊感が指に乗り移って力以上のものを発揮したかと思えるほどだった。
  フロレスタンはすっかり感激してしまって、陶然とした微笑を浮かべたきりしばらく言葉もなかったが、やっとのことで、この変奏曲はきっとベートーヴェンかシューベルトのどちらかが書いたのだろう、なにしろ二人は有名なピアノの名手だったからと言った。


— wie er aber nach dem Titelblatte fuhr, weiter nichts las, als:
Là ci darem la mano, varié pour le Pianoforte par Frédéric Chopin, Opus 2,
und wir beyde verwundert ausriefen: ein Opus zwey und wie Eusebius hinzufügte: Wien, bey Haslinger und wie die Gesichter ziemlich glühten vom ungemeinen Erstaunen, und außer etlichen Ausrufen wenig zu unterscheiden war, als: „Ja, das ist wieder einmal etwas Vernünftiges - Chopin - ich habe den Namen nie gehört - wer mag er seyn - jedenfalls - ein Genie“ (...)

 —ところが表紙を見ると、
 『ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ、ピアノのための変奏曲 フレデリック・ショパン、作品2 』
とある。ぼくたちは信じられずに叫んだ。「作品2だって!」。オイゼビウスが付け加えた。「ウィーン、ハスリンガー出版」。ぼくたちは興奮で顔を赤らめて、感嘆のほかには何も思い浮かばなかった。「ついにすごい奴が現れたぞーショパンー聞いたことのない名前だーどんな男だろうーともかく天才だ!」・・・・・

 
 クラシック(24)−ショパン(3)−ピアノ協奏曲第1番 

 Cast of Chopin's left hand by Clésinger
 ショパンの左手のブロンズ像

 さて、音楽評論家小林利之氏は、マルタ・アルゲリッチによる「ピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11」(グラモフォン盤)で、次のように解説しています。

 ショパンが若き日のワルシャワで作曲した、2曲のピアノ協奏曲、それは、この感受性鋭敏にして繊細なこころを持つ作曲家、ピアノに託してみずみずしい幻想をうたった詩人ショパンが、ワルシャワ時代における青春の想い出をしめくくる総決算として、彼が人知れず愛したものへの憧れと、そして、まもなく彼の前に開かれようとしていた限りなき将来への希望を込めて謳った告白であった。

 ピアニッシモでの繊細な表現、メッサ・ディ・ヴォーチェでの柔らかいカンタービレ。ショパンによって、ピアノは歌う楽器としての機能を初めてかち得た。

 ※メッサ・ディ・ヴォーチェ:徐々に強く演奏していき、あるところから徐々に弱く演奏していく方法

 ショパン自身、1829年8月11日、ウィーンのケルントナートーア劇場でデビューした時の様子をワルシャワの家族への手紙に、次のように書いています。

 TO HIS FAMILY IN WARSAW
 Vienna. Wednesday 12 August 1829

 ・・・・・・・・・・・・・・
 The general opinion is that I play too quietly, or rather too delicately for those accustomed to the banging of the Viennese pianists. I expected to find such a reproach in the newspaper in view of the fact that the editor's daughter bangs the piano frightfully. It doesn't matter. There must always be some kind of "but ..." and I should prefer it to be that one rather than have it said that I play too loudly.
・・・・・・・・・・・・・・

 ワルシャワの家族に
 ヴィーン 1829年8月12日水曜日
 前略
 ぼくが、あまりにも柔らかく弾く、あるいはむしろ繊細に弾きすぎると、言われているようです。強く弾くウィーンのピアニストに人々が慣れているからでしょう。新聞にはこういった批判がのると思うのです。というのも、編集長のお嬢さんがピアノをものすごく強く弾くからです。でも問題ではありません。いつも何か「しかし・・・」というものが必ずあるのですから。ぼくにとっては、あまりに力をいれて弾きすぎると非難されるより、むしろこのほうが好ましいのです。
 後略

 
 ショパンのピアノ協奏曲は、作曲の順序から言えば「第2番ヘ短調Op.21」の方が「第1番ホ短調Op.11」よりも先に作られたようですが、それは出版が逆になったためであるとされています。また、このホ短調のピアノ協奏曲は、ショパンがポーランドを出ていろいろな国を旅行しようという決意を固め、それに先立つ告別演奏会で弾く目的で作曲されたものと伝えられています。

 1830年10月11日、ショパンはワルシャワ国立劇場での演奏会で、ホ短調のアレグロ(第1楽章)、アダージョ(ラルゲット)とロンド(第2、第3楽章)をストライヒャーのピアノで演奏して大成功を収めました。

  face05第1楽章 Allegro maestoso ホ短調 4/3拍子
   協奏風ソナタ形式。オーケストラによってマズルカ風(4分の3拍子を基本とする  
   特徴的なリズムを持つ、ポーランドの民族舞踊およびその形式)の第1主題とポ 
   ロネーズ風(テンポがゆっくりな4分の3拍子のポーランドの民族舞踊およびその 
   形式)の副主題、第2主題が奏された後、独奏ピアノが登場し、終始華やかに曲
   が展開される。

  face02第2楽章 Romanze, Larghetto ホ長調 4/4拍子
   瞑想的な弦の序奏に続いてピアノによる美しい主題が現れる。途中のagitatoの 
   部分で盛り上がりを見せた後、ピアノのアルペジョを背景に、オーケストラが最初   
   の主題を奏でて曲を閉じる。切れ目無く終楽章へ続く。

  face03第3楽章 Rondo, Vivace ホ長調 4/2拍子
   短い序奏の後、ポーランドの民族舞踊の1つである「クラコヴィアク」を基にした  
   華やかなロンドが出る。オーケストラとピアノが掛け合い、途中に民謡調のエピソ  
   ードを登場させつつ、堂々たるクライマックスを築く。
   (Wikipedia より抜粋)

 演奏会の翌日、ショパンはポトゥルジン村に住む親友ティトゥス・ヴォイチェホフスキーへの手紙に、大成功の様子を細かに書き送っています。

 TO TlTUS WOYCIECHOWSKI AT POTURZYN
  Warsaw. Tuesday 12 October 1830

 My dearest friend,
 I hasten to let you know that yesterday's concert went off very well. I can inform Your Lordship that I was not the least bit nervous and I played as I do when I am alone. The haul was full. We started with Corner's symphony, then My Highness played the Allegro of the E minor Concerto which I reeled off with ease on a Streicher piano.

 Deafening applause. Soliva was delighted he conducted on account of his "Aria with chorus" which Mile Wolkow sang
charmingly, dressed in blue like an angel. After this aria came my Adagio and Rondo and then the interval. (…)

ポトゥルジンのティトゥス・ヴォイチェホフスキーに
  ワルシャワ 1830年10月12日 火曜日

 わが親愛なる友
 取り急ぎ、昨日の演奏会は大成功だったことを知らせておく。閣下に申し上げます。ぼくはちっともあがらないで、家でひとりで弾くときと同じようにうまく弾けた。会場は満員だった。ゲルナーの交響曲で始まり、つぎに殿下(ショパン自身のこと)はホ短調のアレグロをお弾きになった。ストライヒャーのピアノだったので、楽なものだった。

 すごい拍手だった。そのあと、ヴォルコフ嬢が合唱付きのソリヴァの歌をソリヴァ自身の指揮で歌った。彼女は空色の服を着て、天使のようだった。そしてぼくのアダージョ(ラルゲット)とロンド(第2、第3楽章)、それから休憩・・・・


 1830年11月2日、恩師エルスナ−、学友たち、家族に見送られて、ショパンはウィーンを目指し駅馬車の人となりましたが、これが祖国ポーランドを見た最後の日となったのでした。

 といふわけで、マルタ・アルゲリッチによるグラモフォン盤の名演奏を、2.1chアクティブスピーカーシステム、harman/kardon Soundsticks TM III(サウンドスティックス3)で聞いております。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 12:07│Comments(0)音楽/クラッシック
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