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2009年01月30日

漢詩(23)-蘇軾(1)-前赤壁賦(1)

 漢詩(23)-蘇軾(1)-前赤壁賦(1)
 
 Engravings on a cliff-side mark one widely-accepted site of Chìbì, near modern Chibi City, Hubei by Wikipedia. The engravings are at least a thousand years old. 
 
 壁面の彫字が現在の湖北省赤壁市近郊、赤壁(Chibi)の地と広く受け入れられている地を示す。彫字は少なくとも千年を経ている。

 (旧暦  1月 5日)

 中国人のジョン・ウー(呉宇森)が監督を務め、三国志を映画化したアクション映画『レッド・クリフ』が話題をさらっていますが、呉の孫権、蜀の劉備連合軍と魏の曹操軍が長江の赤壁(湖北省赤壁市西北)で衝突した赤壁の戦いは、後漢末期の建安13年(208)のできごとでした。

 時代は下り、北宋の元豊2年(1079)8月18日、新法党の御使の讒言を受けて、湖州(浙江省呉興県)知事を解任され御史台の獄に下った蘇軾(1036~1101)は、拘禁100日におよび死に処せられんとせるも第6代皇帝神宗(在位1067~1085)の憐れみにより、12月29日、検校尚書水部員外郎を授けられ、黃州団練副使に充てられて黃州(湖北省武昌東南60Kmの長江左岸)に左遷されます。名目だけの地方官職を与えて、新法党の刃から逃したとされています。

 元豊5年(1082)秋7月、黃州に在った蘇軾は客と舟を三国志の古戦場、長江の赤壁に浮かべます。

 壬戌之秋、七月既望、蘇子與客泛舟、遊於赤壁之下。清風徐来、水波不興。挙酒蜀客、誦明月之詩、歌窈窕之章。少焉月出於東山之上、徘徊於斗牛之間。白露横江、水光接天。縦一葦之所如、凌萬頃之茫然。浩浩乎如馮虚御風、而不知其所止、飄飄乎如遺世独立、羽化而登仙。

 壬戌(じんじゆつ)の秋、七月既望(きぼう)蘇子客と舟を泛(うか)べて赤壁の下(もと)に遊ぶ。
 清風徐(おもむろ)に來(きた)つて、水波(すゐは)興(おこ)らず。酒を舉(あ)げて客に屬(しよく)し、明月の詩を誦(しよう)し、窈窕(えうてう)の章を歌ふ。
 少焉(しばらく)にして、月 東山の上に出(い)で、斗牛の閒(かん)に徘徊す。白露江に橫たはり、水光天に接す。一葦(いちゐ)の如(ゆ)く所を縱(ほしいまま)にして、萬頃の茫然たるを淩(しの)ぐ。
 浩浩乎(かうかうこ)として虛に馮(よ)り風に御して、其の止まる所を知らざるが如く、飄飄乎(へうへうこ)として世を遺(わす)れて獨立し、羽化(うくわ)して登仙するが如し。


 神宗(中国北宋の第6代皇帝、在位1067~1085)の元豊五年(1082)秋七月十六日、私(蘇軾)は客と共に舟を出して赤壁(湖北省黄岡県)のあたりに出かけた。
 爽やかな風はしずかに吹きわたり川面には波もおこらない。酒を汲んで客にすすめ、明月の詩を吟じ、詩経の国風、周南篇関雎(かんしよ)の窈窕(えうてう)の章を歌った。


 明月の詩

 『詩經』 國風 齊篇 東方之日
 東方の日よ 彼の姝(しゆ)たる者は子
 我が室に在り 我が室に在り 
 履(つ)いで我即(ゆ)かん

 東方の月よ 彼の姝(しゆ)たる者は子
 我が闥(たつ)に在り 我が闥(たつ)に在り
 履(つ)いで我發(た)たん


 東方に昇る太陽よ。
 その太陽のようなあなたと見まがうばかりのあの美しい若者が
 私の部屋にいるよ。 私の部屋にいるよ。
 私はあとについて行きます。

 東方に昇る月よ。
 その月のようなあなたと見まがうばかりのあの美しい若者が
 私の門の内にいるよ。 私の門の内にいるよ。
 私はあとについて出立します。
 『詩經』 國風 陳風篇 月出
 月出でて皎(かう)たり
 佼人(かうじん)僚(れう)たり
 舒(ああ)窈糾(えうけう)たり
 勞心(らうしん)悄(せう)たり


 月は出でて真白に輝き
 よき人はかくも美しい。
 ああ、すらりとしたその麗しき姿よ
 (想いを告げられず)私の心は憂えるばかり。


 窈窕(えうてう)の章

 『詩經』 國風 周南篇 關雎(くわんしよ)
 関関(くわんくわん)たる雎鳩(しよきう)は
 河の洲に在り
 窈窕(えうてう)たる淑女は
 君子の好逑(かうきう)

 クワーン、クワーンと鳴くみさごが
 黄河の中州におりたつ。
 たおやけき乙女(巫女)は
 祖霊のつれあい。


 しばらくして、月は東の山の上に出て、斗宿(としゆう:南斗六星、いて座Sagitariusのφ星を距星とする)、牛宿(ぎうしゆう:やぎ座Capricornusのβ星を距星とする)のあたりに彷徨している。白露は江の面全体にただよい、月光に輝く水面と、月明かりの空とが溶け合っている。葦の小舟の流れゆくにまかせて、果てしなくひろがる水面を渡ってゆく。
 広々として虚空に浮かび風にのって、どこまで行くかわからぬような心地がする。ふわふわとして世俗を忘れ去り、ただ一人立ち、羽が生えて仙界へと上っていくような気分である。


 於是飲酒樂甚、扣舷而歌之。歌曰、
   桂棹兮蘭槳
   擊空明兮泝流光
   渺渺兮予懷
   望美人兮天一方
 客有吹洞簫者、倚歌而和之。其聲嗚嗚然、如怨如慕、如泣如訴、餘音嫋嫋、不絕如縷。舞幽壑之潛蛟、泣孤舟之嫠婦。


 是に於て酒を飲み樂しむこと甚し。舷(ふなばた)を扣(たた)いて之を歌ふ。歌に曰く、
   桂の櫂(さを)蘭の槳(かい)
   空明に擊ちて、流光に泝(さかのぼ)る
   渺渺(べうべう)たり予が懷(おもひ)
   美人を天の一方に望む
   客に洞簫(どうせう)を吹く者有り。歌に倚りて之に和す。其の聲 嗚嗚(をを)然として、怨むが如く慕ふが如く、泣くが如く訴ふるが如く、餘音嫋嫋(でうでう)として、絕えざること縷(る)の如し。幽壑の潛蛟(せんかう)を舞はしめ、孤舟の嫠婦(りふ)を泣かしむ。


 かくして酒を飲んですっかり楽しくなり、ふなばたを叩いて拍子をとりながら歌った。その歌は、
   桂(もくせい)の棹に蘭(もくれん)の櫂
   うす明かりにつつまれて 月光のふりそそぐ水面をさかのぼる
   はてなく遠くひろがりゆく我がおもい
   美人を空のかなたにのぞみみる
 すると客の中に洞簫を吹く人がいて、この歌にあわせて吹奏した。その音色はウウーとひびいて、怨むようでもあり、慕うようでもあり、泣くようでもあり、訴えるようでもあって、その余音はゆるやかにたゆたい、細い糸すじのようにつづいていつまでも消えず、奥深い谷底に潜む蛟(みずち)を舞わせ、一艘の小舟にいる寡婦を泣かせるかと思えた。


 つづく

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:32│Comments(0)漢詩
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