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2008年10月12日

おくの細道、いなかの小道(7)-殺生石・遊行柳

 おくの細道、いなかの小道(7)-殺生石・遊行柳

 鳥山石円燕(1712~1788) 『今昔百鬼拾遺』より「殺生石」 by Wikipedia.
 (旧暦  9月14日)

 芭蕉忌、時雨忌、桃青忌、翁忌
 俳聖芭蕉、松尾宗房の元禄7年10月12日(1694年11月28日)の忌日。亡くなったのは旧暦の10月12日ですが、現在では新暦の10月12日を忌日とするそうです。
 俳号は、最初は実名の宗房、次に桃青、ついで芭蕉(はせを)と改めたようですが、時雨は、俳諧七部集の一つ猿蓑の「初時雨 猿も小蓑を欲しげ也」などと好んで詠んだ句材でもあったため、時雨忌とも云われています。

 ということで、なんと今日は、芭蕉翁が亡くなった日ではござらんか。
 
 野を横に 馬牽(ひき)むけよ ほとゝぎす

 十六日 天気能(よし)。翁、館(黒羽の浄法寺図書の館)ヨリ余瀬ヘ被立越(立ち越さる)。則(すなはち)、同道ニテ余瀬ヲ立。及昼(昼に及び)、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送(送ら)ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里余。
高久ニ至ル。雨降リ出ニ依、滞(とどま)ル。此間弐里半余。宿角左衛門、図書ヨリ状被添(添えらる)。

 十七日 角左衛門方ニ猶宿(なほ宿る)。雨降。野間ハ太田原ヨリ三里之内鍋かけヨリ五、六丁西。

 十八日 卯尅(午前6時頃)、地震ス。辰ノ上尅(午前7時半頃)、雨止。午ノ尅(正午頃)、高久角左衛門宿ヲ立。暫有テ快晴ス。馬壱疋、松子村迄送ル。此間壱リ。松子ヨリ湯本ヘ三リ。未ノ下尅(午後2時半頃)、湯本五左衛門方ヘ着。

 一九日 快晴。予、鉢(托鉢)ニ出ル。朝飯後、図書家来角左衛門ヲ黒羽ヘ戻ス。午ノ上尅(午前11時半頃)、湯泉(ゆぜん:温泉神社)ヘ参詣。神主越中出合、宝物ヲ拝(拝す)。與一(那須與一宗高)扇ノ的躬(射)残ノカブラ(鏑矢)壱本・征矢十本・蟇目ノカブラ壱本・檜扇子壱本、金ノ絵也。正一位ノ宣旨・縁起等拝ム。夫ヨリ殺生石ヲ見ル。宿五左衛門案内。以上湯数六ヶ所。上ハ出ル事不定(定まらず)、次ハ冷、ソノ次ハ温冷兼、御橋ノ下也。ソノ次ハ不出(出でず)。ソノ次温湯アツシ。ソノ次、湯也ノ由、所ノ(者)云也。
温泉大明神ノ相殿ニ八幡宮ヲ移シ奉テ、両神一方ニ拝レサセ玉フヲ、


   湯をむすぶ 誓も同じ石清水  翁
     殺生石
   石の香や 夏草赤く露あつし


 正一位ノ神位被加(加えらる)ノ事、貞享四年(1687)黒羽ノ館主信濃守増栄被寄進(寄進せらる)之由。祭礼九月廿九日。
 題知らず                        西行法師
 道の邊に 清水流るる柳蔭 しばしとてこそ立ち止まりつれ (新古今集262)


 さて、遊行(ゆぎょう)柳のことは、室町時代後期の猿楽師、猿楽作者で觀阿弥(1333~1384)の孫に当たる觀世小次郎信光(1435 or 1450~1516)が、那須芦野で詠んだ西行法師の歌の柳をモチーフとして創作した謡曲「遊行柳」により広く世に知られるところとなり、歌枕の地にもなったと云うことです。

 謡曲「遊行柳」のあらすじは、諸国行脚の僧が白川の関を越えて新しい道を行こうとすると老翁が現れて、先年、遊行上人が通った昔の道を教え、むかし西行法師が歌を詠んだと云う柳に案内し、その僧から十遍の念仏を授かると消えてしまいます。
 僧は通りかかった土地の者から朽木の柳の謂われを聞き、その夜、柳が生えている古塚のそばで仮寝をしていると、やがて柳の精が白髪の老翁姿で現れて、報謝の舞を心静かに舞います。
 僧が夜明けの風に目覚めると、そこには朽木の柳が立っているだけした。

 廿日 朝霧降ル。辰中尅(午前8時頃)晴。下尅(午前8時半頃)、湯本ヲ立。ウルシ塚迄三リ余。半途ニ小や村有。ウルシ塚ヨリ芦野ヘ二リ余。湯本ヨリ総テ山道ニテ能不知(知る能わず)シテ難通(通りがたし)。
 
 芦野ヨリ白坂ヘ三リ八丁。芦野町ハヅレ、木戸ノ外、茶ヤ松本市兵衛前ヨリ左ノ方ヘ切レ、八幡ノ大門通リ之内(十町程過テ左ノ方ニ鏡山有)。左ノ方ニ遊行柳有。其西ノ四、五丁之内二愛岩(宕)有。其社ノ東ノ方、畑岸ニ玄仍(兼載の誤り)ノ松トテ有。玄仍(兼載)ノ庵跡ナルノ由。其辺ニ三ツ葉芦沼有。見渡ス内也。八幡ハ所之ウブスナ也。市兵衛案内也。スグニ奥州ノ方、町ハヅレ橋ノキハヘ出ル。

 芦野ヨリ一里半余過テヨリ(寄)居村有。是ヨリハタ村(旗宿)ヘ行バ、町ハヅレヨリ右ヘ切ル也。


 田一枚 植(うゑ)て立去る柳かな

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 20:59│Comments(0)おくの細道、いなかの小道
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