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2008年10月11日

書(14)-杜牧-張好好詩巻

 書(14)-杜牧-張好好詩巻

 張好好詩巻 杜牧 [唐] 紙本墨書 一巻 台北故宮博物院 維基百科より

 (旧暦  9月13日)

 杜牧(803~852)は、李商隠(812~858)とともに「晩唐の李杜」と称され、盛唐の杜甫(712~770)に対して「小杜」とも呼ばれて、晩唐第一の名声を欲しいままにした詩人です。

 その詩風は、「阿房宮賦」に代表される時事を諷した骨太でありながら頽廃的な情緒や滅びゆく美への感傷に独自のものを示し、艶麗で風流洒脱な詩を多く残したことにあります。

 秦の人は自ら哀しむに暇(いとま)あらずして、後の人、之を哀しむ。
 後の人之を哀しみて、之に鑑(かんがみ)ざれば、亦た後の人をして復た後の人を哀しましめん。
 「阿房宮賦」


 秦の人は哀しむ暇(いとま)もなく滅んでしまい、後の人は之を哀しむ。
 だが、後の人がただ哀しむだけで、これを手本として顧みなければ、後の人自身が、更にその後の人を哀しませることになるであろう。  「阿房宮賦」


 杜牧は自身の詩風について、「巻十六 詩を献ずる啓(上申書)」の中で、「某苦心して詩を為(つく)る。 本、高絶を求めて奇麗を務めず、習俗に渉らず、今ならず、古ならず、中間に處(お)る」と謙遜して述べています。

 さて杜牧は、行草書にも優れ、その書風は「気格が雄渾でその文章と表裏一体をなす」と云われていますが、伝存する作例は少なく、この「張好好詩巻」が唯一の遺品であると推測されています。

 「張好好詩巻」は、詩序併せて48行、322字の遺品です。
 太和8年(834)、杜牧32歳の作ですが、歌を唱うのに秀でた名妓張好好に、時を経て再会し、その時の感慨を詩に託して彼女に贈ったものです。

 巻の初めと終わりに、宋代から清代にわたって所有した多くの文人、皇帝の題簽(だいせん:署名)、題跋(あとがき)、印記(押印)が残されていますが、それによると、かつては北宋の宣和内府(北宋第8代皇帝徽宗の内庭)に所有され、その後南宋の軍人、政治家にして無類の美術収集家であった賈似道(1213~1275)の所有に帰し、明代屈指の書画収蔵家の項元汴(1525~1590)、張孝思の手を経て清朝内府に渡り、第6代乾隆帝弘歴(1711~1799)、第7代嘉慶帝顒琰(ぎょえん:1760~1820)を経て、ラストエンペラー宣統帝溥儀(1906~1967)の鑑賞を受けました。
 その書は、行書を主体に草書を混在させたもので、筆の勢いもさることながら、力強さを漂わせる厚みのある筆致を誇示していると評されています。
 そして、唐代詩人の遺墨として、名品の一つに数えられています。

 張好好詩 并序
 牧大和三年、佐故吏部沈公江西幕、好々年十三、始以善歌舞来樂籍中。後一歳、公鎮宣城、復置好々於宣城籍中。後二年、沈著作述師以雙鬟納之。又二歳、余於洛陽東城重覩好好、感旧傷懐、故題詩贈之。


 大和三年(829)、江西観察使の沈傳師(しんでんし)の幕下に招かれて洪州(江西省南昌)に赴き、江西観察使、団練府巡官として努めたいていた私(杜牧)が好好と出会ったとき、彼女は十三歳、秀でた歌や踊りをもって生業としていた。
一年後、沈傳師は宣城(安徽省宣城県)に移り、好好もまた宣城に籍を置いた。二年の後、好好は集仙殿に勤める校理沈著作に雙鬟を納め(身を預け)、更に二年の後、私(杜牧)は洛陽東城で好好にまみえ、懐かしさとこころの傷みをもってこの詩を贈った。


 君爲豫章姝    君は豫章(洪州豫章郡)の姝(しゅ:美人)爲(た)りて
 十三纔有餘    十三、纔(わづ)かに餘り有り
 翠茁鳳生尾    翠(すゐ:カワセミ)は茁(めざ:生長)し、鳳は尾を生じ
 丹葉蓮含跗    丹葉(赤い葉)は蓮の跗(ふ:うてな)を含む
 高閣倚天半    高閣(南昌にある滕王閣)は天半(天の半ば)に倚(よ)り
 章江聯碧虚    章江(贛江)、碧虚(青空)に聯(つら)なる
 此地試君唱    此の地(南昌)、君の唱(うた)ふを試(こころ)み
 特使華筵鋪    特に華筵(立派な宴会の席)を鋪(し)か使(し)む
 主公顧四座    主公(沈傳師)、四座を顧(かへり)み
 始訝來踟蹰    始めて訝(むか)ふるに、來(きた)ること踟蹰(ちちう:ためらい留まる)たり
 呉娃起引贊    呉娃(呉の美女)、贊(ほめ言葉)を起引して
 低徊映長裾    低徊(頭を垂れてゆっくりと行きつもどりつするさま)、長裾(長い裾)に映ず
 雙鬟可高下    雙鬟(さうくゎん:左右のあげ巻き)、可(よ)し高下するも
 纔過青羅襦    纔(わづ)かに、青き羅襦(らじゅ:薄絹の肌着)を過ぐるのみ
 盼盼乍垂袖    盼盼(はんぱん:美人が目づかいを繰り返す)、袖を垂らし乍(なが)ら
 一聲雛鳳呼    一聲、雛鳳呼ぶ
 繁弦迸關紐    繁弦(しきりになる絃楽器の音)、關紐(結ぶ)、迸(ほとばし)り
 塞管裂圓蘆    塞管(胡人の管楽器)、圓蘆(円い蘆)を裂く
 衆音不能逐    衆音(他の音曲)、逐(お)ふ能(あた)はず
 裊裊穿雲衢    裊裊(でうでう:風のむせぶように細く長く)として雲衢(うんく:雲居の道)を穿(うが)つ
 主公再三嘆    主公(沈傳師)、再三嘆じ
 謂言天下殊    謂ひて言はく 、天下の殊(比類なきもの)なりと
 贈之天馬錦    之(これ)に贈る天馬の錦(西域から伝えられた美しい錦)
 副以水犀梳    副(そ)ふるに以てす水犀(水牛やサイの角)の梳(くし)
 龍沙看秋浪    龍沙(南昌城北一帯)に秋浪(秋の気配)を看て
 明月遊東湖    明月に東湖に遊ぶ
 自此毎相見    此(こ)れ自(よ)り、毎(つね)に相(あ)ひ見(まみ)ゆ
 三日已爲疏    三日、已(すで)に疏と爲(な)す
 玉質隨月滿    玉質(立派な中味)、月に隨ひて滿ち
 艷態逐春舒    艷態、春を逐(お)ひて舒(の)ぶ
 絳唇漸輕巧    絳唇(真紅の唇)、漸(やうや)く輕巧にして
 雲歩轉虚徐    雲歩(雲なす歩み方の金蓮歩)、轉(うた)た虚徐(上品なさま)なり
 旌旆忽東下    旌旆(せいはい:官職を表す旗)、忽(たちま)ち東下(南昌から長江を東に下って宣州に行く)し
 笙歌隨舳艫    笙歌、舳艫(ぢくろ:船旅)に隨ふ
 霜凋謝樓樹    霜は凋(しぼ)ます謝樓(宣城にある高殿)の樹
 沙暖句溪蒲    沙(砂)は暖かなり、句溪(宣城近郊の渓流)の蒲
 身外任塵土    身外(一身)、塵土(煩悩に穢れた現世)に任(まか)せ
 樽前極歡娯    樽前、歡娯(歓楽)を極(きは)む
 飄然集仙客    飄然たり集仙(集仙殿)の客(沈著作述師)
 諷賦欺相如    諷賦(辞賦をそらんじる)は相如(司馬相如)を欺く
 聘之碧瑤佩    之を聘(へい:嫁がせる)するに碧瑤(緑色の玉)の佩(飾り玉)
 載以紫雲車    載するに以て、紫雲の車
 洞閉水聲遠    洞(部屋)は閉して、水聲遠く
 月高蟾影孤    月は高くして、蟾影(ヒキガエルの姿)、孤なり
 爾來未幾歳    爾來、未だ幾歳ならずして
 散盡高陽徒    散じ盡くす、高陽の徒(飲み友達)
 洛城重相見    洛城に重ねて相ひ見(まみ)ゆれば
 婥婥爲當壚    婥婥(しゃくしゃく:艶やか)として、當壚(とうろ:酒場の女給)と爲る
 怪我苦何事    我を怪(とが)めよ、何事にか苦しみ
 少年垂白鬚    少年、白鬚に垂(なんな)んとす
 朋遊今在否    朋、遊びて、今、在りや否や
 落拓更能無    落拓(落ちぶれるさま)、更に能無し
 門館慟哭後    門館、慟哭(主人が亡くなって慟哭する)の後
 水雲秋景初    水雲、秋景の初め
 斜日挂衰柳    斜日、衰柳(葉が減った柳)に挂かり
 涼風生座隅    涼風、座隅(部屋の片隅)に生ず
 灑盡滿襟涙    灑(そそ)ぎ盡くして、襟に涙滿つ
 短歌聊一書    短歌もて、聊(いささか)か一書とせん


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