2008年10月07日
やまとうた(23)-夕されば 野邊の秋風身にしみて (2)
オミナエシ科 オミナエシ(女郎花) by 草花写真館
(旧暦 9月 9日) 重陽
九月九日、山東の兄弟(けいてい)を憶(おも)ふ 王維
獨り異郷に在りて異客と為り
佳節に逢ふ毎に倍(ます)ます親を思ふ
遙かに知る 兄弟(けいてい) 高きに登る処
徧(あまね)く茱萸(しゅゆ)を挿すも 一人を少(か)かん
やまとうた(22)-夕されば 野邊の秋風身にしみて (1) のつづき
深草の里に住み侍りて、京へまうでくとて、そこなりける人によみて贈りける
なりひらの朝臣
年をへて すみこし里を出でていなば いとど深草野とやなりなむ (古今集971)
年を経て住んで来た里を去ったならば、ますます草が深く茂り、深草の里(平安京の南郊)は草深い野となるだろうか。
返し
野とならば うづらと鳴きて年は経む かりにだにやは君はこざらむ (古今集972)
ここが草深い野となったならば、私はうずらになって鳴きながら年を経よう。せめてかりそめにも、せめて狩りのついでにでも、あなたが来ないとも限らないのだから。
この古今集の歌をモチーフに、伊勢物語第123段には「鶉」あるいは「深草」と題する1段が記載されています。
むかし、おとこありけり。深草にすみける女を、やうやうあきがたにや思ひけむ、かゝるうたをよみける。
年をへて すみこしさとをいでゝいなば いとゞ深草野とやなりなむ
女、返し、
野とならば うづらとなりてなきをらむ かりにだにやは君は来ざらむ
とよめりけるにめでゝ、ゆかむと思ふ心なくなりにけり。
「女が、うづらとなりてなきをらむと詠んだのに心を打たれ、男は去ろうとする気持ちがなくなってしまった」と伊勢物語は綴っています。
俊成が詠んだ鶉が鳴く京都南郊の深草の里は、単なる秋の叙景の描写ではなく、鶉に憂を掛けて鶉に身を変えて野で鳴いていようと詠んだ哀れな女の物語が暗示されていると解されています。
さて、この歌の派生歌としては、次のようなものがあります。
源 通光(みちてる)
入日さす 麓の尾花うちなびき 誰が秋風に鶉鳴くらむ (新古今集 513)
藤原定家
うづら鳴く 夕べの空をなごりにて 野となりにけり深草の里 (新拾遺)
中山兼宗
たづねても 誰かはとはむ鶉鳴く 野邊にあはれを深草の里
長月の比(ころ)、伏見殿にまゐりけるが、前大納言時継深草の山庄に一夜とまりて、かへるとて読み侍りける 鷹司基忠
かりにきて たつ秋霧の曙に かへるなごりも深草の里 (玉葉集 740)
前に紹介した白洲正子の言葉を借りれば、「詞には現れぬ余情、姿には見えぬ景気」という幽玄の思想が、秋風が吹き抜ける物理的空間を無限の彼方に押し広げていると言えば言いすぎでしょうか。
おしまい
俊成が詠んだ鶉が鳴く京都南郊の深草の里は、単なる秋の叙景の描写ではなく、鶉に憂を掛けて鶉に身を変えて野で鳴いていようと詠んだ哀れな女の物語が暗示されていると解されています。
さて、この歌の派生歌としては、次のようなものがあります。
源 通光(みちてる)
入日さす 麓の尾花うちなびき 誰が秋風に鶉鳴くらむ (新古今集 513)
藤原定家
うづら鳴く 夕べの空をなごりにて 野となりにけり深草の里 (新拾遺)
中山兼宗
たづねても 誰かはとはむ鶉鳴く 野邊にあはれを深草の里
長月の比(ころ)、伏見殿にまゐりけるが、前大納言時継深草の山庄に一夜とまりて、かへるとて読み侍りける 鷹司基忠
かりにきて たつ秋霧の曙に かへるなごりも深草の里 (玉葉集 740)
前に紹介した白洲正子の言葉を借りれば、「詞には現れぬ余情、姿には見えぬ景気」という幽玄の思想が、秋風が吹き抜ける物理的空間を無限の彼方に押し広げていると言えば言いすぎでしょうか。
おしまい
やまとうた(30)− 雪のうちに春はきにけりうぐひすの
やまとうた(29)−み吉野の吉野の山の春がすみ
やまとうた(28)ーうれしともひとかたにやはなかめらるる
やまとうた(27)-ゆく春よ しばしとゞまれゆめのくに
やまとうた(26)−野辺見れば なでしこの花咲きにけり
やまとうた(25)-からす羽に かくたまずさの心地して
やまとうた(29)−み吉野の吉野の山の春がすみ
やまとうた(28)ーうれしともひとかたにやはなかめらるる
やまとうた(27)-ゆく春よ しばしとゞまれゆめのくに
やまとうた(26)−野辺見れば なでしこの花咲きにけり
やまとうた(25)-からす羽に かくたまずさの心地して
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