さぽろぐ

文化・芸能・学術  |札幌市中央区

ログインヘルプ


2007年12月16日

日本(31)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(3)

 日本(31)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(3)

 Ernest Rutherford, 1st Baron Rutherford of Nelson. 

 (旧暦 11月 7日)

 日本(30)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(2)のつづき

 シラードが衝撃を受けた昭和8年(1933)9月12日のタイムズ紙は、王立協会(The Royal Society of London)会長で「原子物理学の父」と呼ばれるアーネスト・ラザフォード卿(Ernest Rutherford, 1st Baron Rutherford of Nelson 1871~1937)が、「原子遷移に関する最近の四半世紀の発見」の歴史について講演し、「中性子」と「新しい元素変換」に言及したと報じていました。

 “What, Lord Rutherford asked in conclusion, were the prospects 20 or 30 years ahead?
 High voltages of the order of millions of volts would probably be unnecessary as a means of accelerating the bombarding particles. He believed that we should be able to transform all the elements ultimately.
 We might in these processes obtain very much more energy than the proton supplied, but on average we could not expect to obtain energy in this way.
 It was a very poor and inefficient way of producing energy, and anyone who looked for a source of power in the transformation of the atoms was talking moonshine.


 結論としてラザフォード卿は、20年あるいは30年先の進歩がどのようなものであろうかという問いを発した。
 百万ボルト単位の高電圧は、衝突させる粒子を加速する手段としてはたぶん必要ないであろう。究極的にはどのような元素も変換できるようになるであろうとラザフォード卿は考えている。
 このようなプロセスによって、入射する陽子のエネルギーよりもずっと高いエネルギーを得ることができるであろう。しかし、概してこのような手段でエネルギーを得ることは期待できない。
 なぜなら、このような現象が起きる確率は低く、エネルギー生産の手段としては非常に非効率的であるからだ。だから、原子の変換によってエネルギー源を得ようとするものは、「月光」について語るようなものである。
 この当時にあっては、マックスウェル(James Clerk Maxwell、 1831~1879)やJ.J.トムソン(Sir Joseph John Thomson, 1856~1940)、レイリー卿(John William Strutt、3rd Baron Rayleigh、1842~1919)、W. H. ブラッグ(William Henry Bragg、1862~1942)など錚々たる物理学者を輩出した核物理学のメッカとも呼ばれるケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所(Cavendish Laboratory)の所長も務めたラザフォード卿でさえも、核反応によるエネルギー利用には懐疑的であったのです。

 ˝moonshine˝という言葉には、「ばかげた考え」とか「たわごと」という意味がありラザフォード卿は、「核反応によるエネルギー利用は、実際には不可能だ」と公式に表明したわけです。

 しかし、シラードは、このような権威の発言に反発を感じて新聞を投げ出し、宿泊先のラッセル・スクウェアのインペリアル・ホテルから表に飛び出しました。
 彼は、「ラザフォード卿が間違っているとはいえないのではないか」と自問しながらもロンドンの街を歩き、サザンプトン街の交差点にさしかかりました。

 そのとき彼は、
 「アルファ粒子(陽子2個と中性子2個から成るヘリウム4の原子核)と違って中性子なら、飛んでいる途中の物質を電気的な相互作用によってイオン化することはないのではないか」
 という考えが浮かびました。
 「そうだとすると、中性子なら、どこかの原子核に衝突して反応を起こすまで傷害を受けずに進むことができよう」


 「中性子ならば原子核の周りの正電気の障壁を突き破れるかもしれない」というアイデアは他の物理学者たちも考えていたことでしたが、そこから別の衝突過程を引き起こすための入力エネルギーが得られることを思いついたのは、シラードがはじめてでした。

 「信号は青に変わり、私は道を渡った」とシラードは回想しています。
 「突然、もし中性子の衝突で分裂するような元素を発見でき、しかもそれが、1個の中性子に対して2個の中性子が飛び出すようなものであれば、そのような物質のある大きさの塊で核分裂の連鎖反応を起こすことができる」
 「そのときは、そのような物質をどのようにして見つけ出すかとか、どんな実験をしなければならないか、ということについては思いいたらなかった。ただ、このアイデアだけは決して自分の脳裏から去らなかった。ある条件の下でなら、核分裂の連鎖反応を起こすことや、工業的規模でエネルギーを利用すること、さらに原子爆弾を製造することも可能であろう」
 Leo Szilard, His Vision of the Facts,
 

 さらにさらにつづく

あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(歴史/日本)の記事画像
日本(40)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(12)
日本(39)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(11)
日本(38)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(10)
日本(37)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(9)
日本(36)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(8)
日本(35)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(7)
同じカテゴリー(歴史/日本)の記事
 日本(40)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(12) (2012-05-12 14:23)
 日本(39)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(11) (2011-08-10 20:15)
 日本(38)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(10) (2009-10-27 20:26)
 日本(37)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(9) (2009-06-22 23:55)
 日本(36)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(8) (2009-03-27 22:38)
 日本(35)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(7) (2008-10-28 20:58)
Posted by 嘉穂のフーケモン at 17:14│Comments(0)歴史/日本
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
日本(31)-旧帝国陸海軍の核兵器開発(3)
    コメント(0)