さぽろぐ

文化・芸能・学術  |札幌市中央区

ログインヘルプ


2006年10月15日

天文(6)-流星

 天文(6)-流星
 
 This picture is of the Alpha-Monocerotid meteor outburst in 1995. The Perseid meteor shower, usually the richest meteor shower of the year, peaks in August. Over the course of an hour, a person watching a clear sky from a dark location might see as many as 50-100 meteors. Meteors are actually pieces of rock that have broken off a comet and continue to orbit the Sun. The Earth travels through the comet debris in its orbit. As the small pieces enter the Earth's atmosphere, friction causes them to burn up.
 By NASA Ames Research Center/S. Molau und P. Jenniskens


 (旧暦  8月24日)

 Yonnd light is not day-light, I know it, I:
 It is some meteor that the sun exhales,
 To be to thee this night a torch-bearer,
 And light thee on thy way to Mantua:
 Therefore stay yet; thou need'st not to be gone.

 Romeo and Juliet ( Ⅲ.SCENE V. Capulet's orchard.)


 あそこの明かりは夜が明けた明かりではないわ。私にはわかっているの。
 お日さまがはき出す流れ星か何かだわ。
 今夜あなたがマンチュアへ帰る道を照らす
 たいまつ持ちの役をさせようっていうんだわ。
 だからまだいて。帰る必要はないわ。


 JulietはRomeoを引き止めようとして、しきりに懇願しています。
 Shakespeareの時代には、太陽が水蒸気を吸い込み、そのために流星ができると考えられていたようです。

 さて現代では、流星(meteor / shooting star / falling star)とは、流星物質と呼ばれる太陽の周りを公転する小天体が、地球(または他の天体)の大気に衝突、突入し発光したものであるとされています。

 流星物質は、直径が0.1㎜以下のごく小さな塵状のものから数㎝以上ある小石のようなものまで様々な大きさがあり、このような小天体が地球(または他の天体)の大気に秒速数㎞から数十㎞というスピードで突入すると、上層大気の分子と衝突してプラズマ化したガスが発光し、これが流星として観測されるそうです。

 従って、小天体が大気との摩擦熱で加熱された状態が流星として見えているわけではないとのこと。
 また、流星は地上から150㎞~100㎞程度の高さで光り始め、70㎞~50㎞の高さで消滅して、地上に到達するのは極めて希なようです。
 流星といえば、かつて鹿児島市にあった旧制第七高等学校造士館の大正7年第14回記念祭歌「北辰斜めに」の巻頭言が有名です。

 流星落ちて住む處(ところ) 橄欖(かんらん)の實の熟るる郷 
 あくがれの南(みんなみ)の國に つどひにし三年(みとせ)の夢短しと
 結びも終へぬこの幸を 或ひは饗宴(うたげ)の庭に 或ひは星夜の窓の下に
 若い高らふ感情の旋律をもて 思ひのままに歌ひ給へ
 歌は悲しき母ともなり うれしき時の友ともなれば

 いざや歌わんかな北辰斜め いざや歌わんかな北辰斜め


 北辰斜めに

 1. 北辰(ほくしん)斜めにさすところ
   大瀛(たいえい)の水洋々乎(ようようこ)
   春花(はるはな)薫る神州の
   正気(せいき)は罩(こも)る白鶴城(はっかくじょう)
   芳英(ほうえい)永久(とわ)に朽(くち)せねば
   歴史も古(ふ)りぬ四百年(しひゃくねん)

 ところでこの「第七高等学校」の前身は、安永2年(1773)に薩摩藩第8代藩主にして島津家第25代当主島津重豪(1745~1833)によって創設された藩校造士館で、維新後も鹿児島県立中学造士館、鹿児島高等中学造士館、鹿児島尋常中学造士館として継承されています。
 
 明治27年(1894)に施行された高等学校令の主旨に沿い難いとして明治29年(1896)にいったん廃校にされましたが、旧藩主島津忠重(1886~1968)の寄附と誓願により、明治34年(1901)に復活しています。

 明治20年(1887)の創立から、昭和21年(1946)3月に進駐軍の意向で「造士館」という名称を外すまで、第七高等(中)学校造士館というのが正式の呼称で、他に例を見ないことです。

あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(天文)の記事画像
天文(21)− メシエ天体(5)
天文(20)− メシエ天体(4)
天文(19)− メシエ天体(3)
天文(18)− メシエ天体(2)
天文(17)− メシエ天体(1)
天文(16)−重力レンズ効果
同じカテゴリー(天文)の記事
 天文(21)− メシエ天体(5) (2016-06-04 20:21)
 天文(20)− メシエ天体(4) (2015-10-27 22:58)
 天文(19)− メシエ天体(3) (2015-06-13 01:53)
 天文(18)− メシエ天体(2) (2014-11-17 20:36)
 天文(17)− メシエ天体(1) (2014-05-04 16:09)
 天文(16)−重力レンズ効果 (2012-12-27 13:33)
Posted by 嘉穂のフーケモン at 13:09│Comments(0)天文
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
天文(6)-流星
    コメント(0)