2006年09月13日
となり村名所あんない(28)−港村(7)−開拓使仮学校跡 B
William Smith Clark (1826〜1886)
(旧暦閏-7月21日)
白雄忌 蕉風復興に生涯をかけ江戸天明期に活躍した俳人で、与謝蕪村とならび称される加舎白雄(かやしらお)の寛政3年(1791)の忌日。
人恋し 火とぼしころを さくらちる
となり村名所あんない(27)−港村(6)−開拓使仮学校跡(1)のつづき
札幌農学校の1期生の卒業名簿によれば、
佐藤昌介(農政、植民学、北大初代総長)
荒川重秀(社会学、演劇家)
大島正健(英文学、音韻学、農学校教師)
伊藤一隆(水産業)
渡瀬寅次郎(実業家)等
2期生では、
内村鑑三(思想家)
新渡戸稲造(農政、植民、一高校長、東大教授)
宮部金吾(植物学、北大教授)
南鷹次郎(農学、北大第2代総長)
廣井勇(土木工学、東大教授)
岩崎行親(英語学、七高校長)
等の諸氏が名を連ねています。
札幌農学校 北大東京同窓会30年(社)東京エルム会30年史 「第一編 松井栄一氏執筆分」によれば、
「これより先、札幌学校から専門科に進み得る学力のある者は数名に過ぎない見込みであったので、明治8年(1875)12月に黒田長官名で文部省に対し、東京英語学校(東京大学予備門の前身)や開成学校(東京大学の前身)の学生を分けることを申し入れてあった。」
とあります。
英語学校のほうでは優秀な生徒を引抜かれてはたまらんと、はりだした募集広告の末尾に、「希望のものは応募しても良いが、無理に転校する必要はない」と書き添えて生徒たちを牽制した。ところが全額官費負担が魅力になったのか応募者は意外に多く、佐藤昌介(のち北大総長)、大島正健ら11人が札幌農学校へ移った。
(馬場宏明『大志の系譜』1998)
明治初年の学制による東京大学の位置づけは不安定で、明治19年(1886)の帝国大学令公布以後の高等官への道を保証された帝国大学法科大学時代とは比べものにならない冷遇ぶりだったそうで、むしろ、司法省、工部省、内務省(のち農商務省)、開拓使などの実務官庁がそれぞれ幹部要員を養成する専門教育学校のほうに人気が集まっていたといいます。
(前略)、帝政ロシアが樺太に足場を固め、北辺を脅かす時機でもあったので、学生間にも北海道開発論が論議されつつあり、転校の気配が動きつつあった時、同年七月のある日、米国から着いたばかりのクラ−ク博士がホイ−ラ−、ペンハロ−と共に英語学校に来校、在校生を集めて北海道の開拓と高等農業教育の必要性を論じ国家のために学生の挺身と奮起を促した。引続いて別室でクラ−ク博士によって希望者が各自英語と人物考査の面接試験を受けた。
此の試験に合格した者は左藤昌介、黒岩四方之進、内田瀞、田内捨六、中島信之、渡瀬寅次郎、柳本通義、出田晴太郎、大島正健、山田義容の10名で黒岩と内田は開成学校生徒であった。此の10名を7月25日品川出帆の玄武丸に乗船させ札幌に同行したのである。札幌の寄宿舎には札幌学校から受験して専門科に假入学を許可された荒川重秀、伊藤一隆等14名の学生が待っていた。
札幌農学校 北大東京同窓会30年(社)東京エルム会30年史 「第一編 松井栄一氏執筆分」より
こうして、我らが魂の故郷、札幌農学校は、明治9年(1876)8月24日午前10時、第一講堂において開校式が挙行されたのであります。
おしまい
(馬場宏明『大志の系譜』1998)
明治初年の学制による東京大学の位置づけは不安定で、明治19年(1886)の帝国大学令公布以後の高等官への道を保証された帝国大学法科大学時代とは比べものにならない冷遇ぶりだったそうで、むしろ、司法省、工部省、内務省(のち農商務省)、開拓使などの実務官庁がそれぞれ幹部要員を養成する専門教育学校のほうに人気が集まっていたといいます。
(前略)、帝政ロシアが樺太に足場を固め、北辺を脅かす時機でもあったので、学生間にも北海道開発論が論議されつつあり、転校の気配が動きつつあった時、同年七月のある日、米国から着いたばかりのクラ−ク博士がホイ−ラ−、ペンハロ−と共に英語学校に来校、在校生を集めて北海道の開拓と高等農業教育の必要性を論じ国家のために学生の挺身と奮起を促した。引続いて別室でクラ−ク博士によって希望者が各自英語と人物考査の面接試験を受けた。
此の試験に合格した者は左藤昌介、黒岩四方之進、内田瀞、田内捨六、中島信之、渡瀬寅次郎、柳本通義、出田晴太郎、大島正健、山田義容の10名で黒岩と内田は開成学校生徒であった。此の10名を7月25日品川出帆の玄武丸に乗船させ札幌に同行したのである。札幌の寄宿舎には札幌学校から受験して専門科に假入学を許可された荒川重秀、伊藤一隆等14名の学生が待っていた。
札幌農学校 北大東京同窓会30年(社)東京エルム会30年史 「第一編 松井栄一氏執筆分」より
こうして、我らが魂の故郷、札幌農学校は、明治9年(1876)8月24日午前10時、第一講堂において開校式が挙行されたのであります。
おしまい
となり村名所あんない(34)−文京村(4)−水戸藩上屋敷
となり村名所あんない(33)−台東村(3)−子規庵
となり村名所あんない(32)−港村(8)−愛宕山
となり村名所あんない(31)-文京村(3)-三四郎池
となり村名所あんない(30)-台東村(3)-東叡山寛永寺
となり村名所あんない(29)-江東村(1)-旧商船学校
となり村名所あんない(33)−台東村(3)−子規庵
となり村名所あんない(32)−港村(8)−愛宕山
となり村名所あんない(31)-文京村(3)-三四郎池
となり村名所あんない(30)-台東村(3)-東叡山寛永寺
となり村名所あんない(29)-江東村(1)-旧商船学校
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