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2006年08月22日

板橋村ゆかりの人々(6)−三船久蔵先生

 板橋村ゆかりの人々(6)−三船久蔵先生

 嘉納治五郎師範と三船久三先生の模範演技

 (旧暦  7月29日)

 藤村忌  作家島崎藤村の昭和18年(1943)の忌日。 詩集『若菜集』(1897)、『落梅集』(1901)や小説『破戒』(1906)、『夜明け前』(1929)などの作品を残し、明治浪漫主義文学、後には日本自然主義文学の先陣を切った代表的作家。

 ちなみに、昭和16年(1941)1月8日、当時の陸軍大臣東條英機が示達した、陸軍軍人としての行動規範を示した文書である『戦陣訓』の文案作成に、島崎藤村も参画したとされている。


 以前、池袋のさるレストラン・バーで日本一の借金王という人を紹介され、あっけにとられたことがあります。
 
 この方は、小島虎之助(宜隆)という人で、東京外語大中退後、三井物産をスタートとして数多くの商売に取り組み、そのつど大儲けをしては大損するという浮き沈みを経験、昭和61年(1986)から不動産業界に参入してビル用地専門の買取業者として全国で10本の指に入るまでに成長したものの、バブル景気の崩壊で3,000億円の負債を背負うことになりましたが、担保とした土地を融資した銀行に融資評価額で引き取らせて2,900億円まで返済し、なお今現在100億の借金があるというとてつもないお方です。

 この方が「偉いな」と思ったのは、自己破産せず、毎月1万円ずつ8行に返済しているところで、返済期限は8,000年だとか9,000年だとかおっしゃられて豪快に笑っておられました。

 私「嘉穂のフーケモン」は、あっけにとられてその方の人生哲学を拝聴していましたが、耳が潰れておられることに気がつき、「柔道をされていたことがあるのですか。」と質問したところ、「講道館7段です。三船久蔵先生の書生をしておりました。」とのお返事。
 ますますもって、びっくら仰天!思わず、「ハハァ〜」と頭を下げてしまいました。
 
 三船久蔵先生は板橋村の常盤台にお住まいだったとかで、小島氏は学生時代に先生宅に住み込みで書生をしていたとのことです。
  三船久蔵先生(1883〜1965)は、明治、大正、昭和にかけて日本を代表する柔道家で、身長159cm、体重55kgと小柄な体型ながら「空気投げ」をあみ出し、昭和20年(1945)最高位の十段を授けられ、「名人」の称を受けておられます。

 明治16年(1883)岩手県久慈町(現・久慈市)に生まれた先生は、一関中学から仙台二中(現・宮城県仙台第二高等学校)に進んで柔道に出会い、仙台二中で柔道部を造られました。

 板橋村ゆかりの人々(6)−三船久蔵先生
 
 三船久三先生と伝説の徳三宝先生の模範演技

 明治36年(1903)に上京して講道館に入門、翌明治37年(1908)早稲田大学予科に入学、翌年慶応義塾大学理学財科に入学され、講道館では嘉納治五郎先生(1860〜1938)に師事し、講道館指南役、東京帝國大學、早稲田大學、明治大學等多数の大学あるいは警視庁の柔道師範として柔道の普及、後進の育成に多大な功績を残しておられます。

 大車、踵(きびす)返し、三角固め等の新しい技を開発され、その中でも有名な技が隅落(空気投げ)です。『非常に素早い体さばきによって相手の重心を崩し、柔道衣を持った手以外、相手に触れずに投げる幻の技』とのことですが、凡人の私「嘉穂のフーケモン」には想像だにすらつきがたく、今の筋骨隆々とした柔道家にも通用するのか、不謹慎ながら疑問を抱いております。先生、ごめんなさい。

 先生は、「理論の嘉納、実践の三船」といわれるほど柔道創始者である嘉納治五郎先生の理論を実践し、「柔道の神様」とあがめられました。
 
 また、先生は、昭和5年(1930)の第一回全日本柔道選士権大会での対佐村嘉一郎七段戦、昭和9年(1934)年の天覧試合での田畑昇太郎八段との試合で後世に残る名勝負をされ、名実ともに日本一といわれています。

 その日本一の柔道の先生が、わが板橋村にお住まいになっておられたとです。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 19:10│Comments(0)板橋村ゆかりの人々
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