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2006年08月10日

外つ国の旅(2)−中国(2)−八達嶺(2)

 外つ国の旅(2)−中国(2)−八達嶺(2)

 北京ダックの有名店「全聚徳」で出されたサソリの唐揚げ

 (旧暦  7月17日)

 西鶴忌 江戸前期の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳人の井原西鶴の元禄6年(1693)の忌日(旧暦8月10日)。裕福な商家の出自と云われているが詳細は不明。
 西山宗因に師事して談林派の俳諧を学んだが、奔放で機知に富んだ句を詠む談林派の中でも特に自由奔放な作品を作り、「オランダ西鶴」と呼ばれた。また当時流行した、連続で多くの句を作る「矢数俳諧(大矢数)」では、一昼夜に2万3500句を詠む多数吟の最高記録を打ち立てている。
 残念ながら句そのものは伝えられていない。

 外つ国の旅(1)−中国(1)−八達嶺(1)のつづき

 さて、この堅固な八達嶺長城の守りも、歴史上一度だけ崩されたことがあるそうです。
 それは明の崇禎17年(1644)3月、八達嶺、居庸関を抜き、北京城を陥れた李自成(1606〜1645)率いる叛乱農民軍約50万からなる大順國東征軍でした。

 明朝最後の第17代崇禎帝 (すうていてい、1611〜1644、在位1628〜1644)は、たびたび関内(長城以南)に侵入して農耕民を拉致していく満州族に対する戦費捻出のために増税し、また郵駅と呼ばれた伝統的な駅伝制度を廃止したため、税金を払えない農民の逃亡が相次ぎ、失業した全国の駅夫(宿場人足)達は組織を挙げて叛乱に立ち上がりました。

 延安府米脂県(陝西省延安)出身の李自成(1606〜1645)は、自らが失業した駅夫の一人でしたが、2代目の闖王(ちんおう)として逃亡農民や失業駅夫からなる造反軍を率い、あくまでも明軍に抵抗しました。

 明の崇禎十七年(1644)正月、李自成は西安で即位の式典を執り行って国号を「順」、元号を永昌と定め、ただちに東征の軍を起こし、二月には山西最大の城市太原を陥落させ、代州(山西省忻州市代県)を攻略しました。

 このため抵抗が難しいと判断した北京防衛の要で大軍を擁する大同(山西省大同市)総兵(司令官)、宣府(河北省張家口市)総兵、居庸関総兵が次々と李自成軍に降り、北京は易々と陥落して明は滅亡したのでした。

 なお、八達嶺長城の南西約5㎞に位置する「八達嶺残長城」が2006年6月末から一般開放されていますが、同長城にある石峡関では、李自成率いる農民軍と明軍が激しい攻防戦を繰りひろげた場所で、李自成の農民軍はここを突破して北京城に迫ったとされています。
 また、居庸関の名前の由来は、長城を築く際に囚人や兵士、徴用された農民(庸徒)などをこの付近に住まわせたという意味の「徒居庸徒」という言葉から得られたと伝えられています。

 話は変わって、漂泊の詩人李白(701〜762)は、51歳の天寶十一載(752)冬、幽州(北京)を訪れ、「北風行」という詩を残しました。

 燕山の雪花 大なること蓆(むしろ)の如し
 片片と吹き落つ 軒轅台(けんえんだい)
 幽洲の思婦(しふ) 十二月
 歌停(と)め笑(わらい)罷(や)め 雙娥(そうが:両方の瞳)摧(くだ)く
 門に依りて行く人を望み
 念う君が長城の苦寒 まことに哀(かなし)むべし

 当時の幽州(北京)は、第6代皇帝玄宗(685〜762)と楊貴妃(719〜756)に取り入って勢力を伸ばした安禄山(705〜757年)が、軍政長官である范陽節度使(幽州、北京地方)、平盧節度使(営州、東北地方)、河東節度使(太原、太原地方)を兼任して、独立王国の感を呈していました。そして幽州(北京)は、この三つの地域の中心都市として栄えていました。

 そもそも北京の地は、居庸関、八達嶺の隘路を抜けて張家口、モンゴルへと向かう南口、密雲を抜けて旧熱河省承徳に至る古北口、東へ向かい山海関を抜けて東北地方へと通じる華北平原の交通の要衝として約3000年前の周の時代から重要視されていました。

 時代は降り、1936年2月、苦難の長征の末に陜北根拠地(陝西省延安)にたどり着いた毛澤東(1893〜1976)は、「沁園春 雪」という有名な詩を残しています。

 北國の風光は
 千里 冰(こおり)封じ
 萬里 雪 飄(ひょう)たり。

 望む 長城の内外
 惟だ餘すは 莽莽(ほんぽん)たるのみ

 大河の 上下
 頓(とみ)に 滔滔(とうとう)たるを失う。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この詩は、天帝と陝北高原とを比べ、秦皇(始皇帝)、漢武(漢の武帝)、唐宗(太宗李世民)、宋祖(太祖趙匡胤)、一代の天驕(匈奴の首長)成吉思汗をも大したものではないと言い切った、実に気宇壮大な詞として有名です。

 おしまい

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 12:22│Comments(0)外つ国の旅
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