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2006年04月16日

国立故宮博物院(6)−毛公鼎

 国立故宮博物院(6)−毛公鼎

 毛公鼎 故宮博物院

 (旧暦  3月19日)

 康成忌  小説家川端康成の昭和47年(1972)の忌日。

 毛公鼎(もうこうてい)は、清朝末期の道光30年(1850)に陝西省岐山県で出土した高さ53.8㎝、口径47.9㎝、重さ34.7㎏の西周晩期の銅器で、その内面には32行、497文字の銘文が刻まれています。

 その銘文の内容は、周の宣王(B.C.827〜B.C.782)の時代に王の叔父にあたる毛公という人が王から国政の全権を委託され、その功績によって銅器、玉器、馬など数々の恩賞を賜ったため、鼎を鋳して子々孫々に伝え永遠の宝としたと云うものです。

 毛公鼎は出土後多くの人の間を渡り、1941年には上海で売りに出されて日本人も購入しようとした経緯があるようですが、結局中国人が黄金三百両で買い取り、中華民国政府に納められて故宮博物院に入りました。

 古代中国において鼎は、王位や権威の象徴とされていました。史書に最初に現れる宝物は神鼎、宝鼎、九鼎(きゅうてい)です。

 聞く、昔、大帝(史記の伝える三皇五帝の最初の伏犠氏)、神鼎(しんてい)一(いつ)を興せりと。一(いつ)とは一統(天下統一)なり。天地萬物の終(をはり)を繋(か)くる所なり。黄帝(史記の伝える五帝の最初の帝王)、宝鼎三を作れり。天地人を象(かたど)るなり。禹(う:中国古代の伝説的な帝で、夏王朝の創始者)、九牧(九つの地方の長官)の金(銅)を収めて九鼎を鑄(い)たり。皆嘗(かつ)て上帝鬼神に鬺烹(しやうほう:いけにえを煮て祀る)せり。
 [史記 孝武本紀第十二]


 中国では、漢代以前は銅のことを金と呼んでいました。三皇五帝の後に夏王朝を創始した帝王禹は、冀州、沇州、豫州、靑州、徐州、揚州、荊州、梁州、雍州の九州の長官である九牧の献上した金(銅)を収めて九鼎を鋳造しました。
 この青銅製の九鼎こそ、夏に始まり殷(商)周(西周)三代の宗廟(祖先の霊を祀ってあるところ)の国宝となったもので、国家の最も重要な宝器、王朝継承の証拠となる重宝として伝えられました。
 日本で云えば、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の三種の神器といったところでしょうか。
 国立故宮博物院(6)−毛公鼎

 毛公鼎 内面の銘文 497字

 やがて周(西周)も衰えて、紀元前771年、周の平王(?〜B.C.720)が都を鎬京(こうけい:西安)に移して東周が始まりましたが、紀元前606年、春秋時代の覇者のひとり、楚の荘王(?〜B.C.591)が陸渾(りくこん:甘粛省安西県の西南)の戎族(じゅうぞく)を討伐し、そのまま兵を東周との国境である洛水にまで進め、大軍をならべて東周の第6代定王を威嚇しました。

 東周の定王は臣下の王孫滿を使者として荘王の労をねぎらわせましたが、楚の荘王は不遜にも周の使節に対して、「鼎(九鼎)の大小、軽重」を問いました。

 九鼎は周王朝の宗廟に安置され、周王以外は見ることはできないものでした。その大小、軽重を問うという事は、九鼎をよこせ、つまり国権を委譲せよと迫るに等しい脅迫でした。

 楚子、鼎の大小輕重を問ふ。對(こた)へて曰く、德に在りて鼎に在らず。・・・・ 德の休明ならば、小なりと雖も重きなり。其の姦囘(かんくわい)昬亂(こんらん)ならば、大なりと雖も輕(かろ)きなり。・・・・・今、周德衰ふと雖も、天命未だ改まらず。鼎の輕重、未だ問ふ可からざるなりと。
 [春秋左氏傅 宣公三年]


 鼎の大小軽重はそれを持つ人の徳のいかんによるもので、鼎そのものにかかわりはない。
 君主に仁徳があり英明であれば、鼎は小さくても重い。君主が凡庸であれば鼎は大きくても軽い。
 我が周王朝は勢いが衰えたりとはいえ、天から与えられた王朝の寿命はあらたまっていないのだから、鼎の軽重を問うて、王位を奪うなどという野心をおこしてはなりません、と。

 これにより、上位の者の権威を疑って地位を奪おうとすることを「鼎の軽重を問う」と云い習わすようになったとのことです。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:23│Comments(0)国立故宮博物院
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