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2006年04月09日

板橋村ゆかりの人々(5)−源頼朝(2)

 板橋村ゆかりの人々(5)−源頼朝(2)

 中山道板橋宿板橋

 (旧暦  3月12日)

 板橋村ゆかりの人々(4)−源頼朝(1)のつづき

 源義経とその主従を中心に書いた軍記物語で、南北朝時代から室町時代初期に成立したと考えられている『義経記』巻第三「頼朝謀反の事」の記述によれば、かつて従五位下右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ:内裏周辺を警備する右兵衛府の次官)の官位を持っていた頼朝は、治承4年(1180年)9月11日、軍勢8万9千人を従えて「武蔵と下野の境なる松戸庄市河と言ふ所」に着きますが、満々と水をたたえた墨田河に行く手を阻まれました。

 兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝は、江戸太郎重長に命じます。江戸氏は治承4年(1180)に頼朝が挙兵したときには武蔵国内の最有力の武家の一角を担っており、初めは頼朝と対立して頼朝方の三浦氏を伐ちましたが、後に和解して鎌倉幕府の御家人となっています。

 佐殿(すけどの:頼朝)仰せられけるは、「江戸太郎八ケ国の大福長者と聞くに、頼朝が多勢此の二三日水に堰(せ)かれて渡し兼ねたるに、水の渡に浮橋を組んで、頼朝が勢武蔵国王子板橋に付けよ」とぞ宣(のたま)ひける。

 ここで初めて、『板橋』の地名が文献に現れます。

 江戸太郎承りて「首を召さるるとも如何でか渡すべき」と申す所に千葉介葛西兵衛を招きて申しけるは、「いざや江戸太郎助けん」とて、両人が知行所、今井、栗川、亀無、牛島と申す所より、海人の釣舟を数千艘上せて、石浜と申す所は江戸太郎が知行所なり。折節西国船の著きたるを数千艘取り寄せ、三日がうちに浮橋を組んで、江戸太郎に合力す。佐殿(頼朝)神妙なる由仰せられ、さてこそ太日、墨田打ち越えて、板橋に著(つ)き給ひけり。 (義経記 巻第三 頼朝謀反の事)

 ということで、板橋村と源頼朝のゆかりは、頼朝の軍勢が鎌倉に討ち入る道すがら『板橋』に陣を敷いたというだけで、ま、それだけのことです。すんません。
 板橋村ゆかりの人々(5)−源頼朝(2)

 さて、同じ『義経記』の巻第三「頼朝謀反により義経奥州より出で給ふ事」の記述では、頼朝の謀反を奥州平泉で知った弟九郎義経は、藤原秀衡から奉られた三百余騎を従えて、馬の腹筋馳せ切り、脛の砕くるをも知らず、揉みに揉うで馳せ上ります。

 阿津賀志の中山馳せ越え、安達の大城戸打ち通り、行方の原、ししちを見給へば、「勢こそ疎になりたるぞ」と仰せられけるに、「或いは馬の爪欠かせ、或いは脛を馳せ砕きて、少々道に止まり、是までは百五十騎御座候ふ」と申しければ、「百騎が十騎にならんまでも、打てや者共、後を顧るべからず」とて、とどろ馳けにて歩ませける。

 きづかはを打ち過ぎて、下橋の宿に著いて、馬を休ませて、絹河の渡して、宇都宮の大明神伏し拝み参らせ、室の八嶋を外に見て、武蔵国足立郡、小川口に著き給ふ。御曹司の御勢八十五騎にぞなりにける。

 板橋に馳せ著きて、「兵衛佐(ひやうゑのすけ:頼朝)殿は」と問ひ給へば、「一昨日是を発たせ給ひて候ふ」と申す。

 武蔵の国府の六所の町に著いて、「佐(すけ:頼朝)殿は」と仰せければ、「一昨日通らせ給ひて候ふ。相模の平塚に」とぞ申しける。
 平塚に著いて聞き給へば、「早足柄を越え給ひぬ」とぞ聞こえける。いとど心許無くて、駒を早めて打ち給ひける程に、足柄山を打ち越えて、伊豆の国府に著き給ふ。  
 「佐(すけ:頼朝)殿は昨日此処を発ち給ひて、駿河国千本の松原、浮島が原に」と申しければ、さては程近しとて、駒を早め、急がれける。

 つまり、九郎義経は息せき切って板橋に馳せ着きましたが、頼朝は一昨日陣を払って出発した後でした。

 ということで、九郎義経も板橋を通ったということで、「だから何なんだ」と云われれば、まことに申し訳ございません。それだけです。

おしまい

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 14:55│Comments(0)板橋村ゆかりの人々
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