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2006年02月06日

史記列傅(1)−伯夷列傅第一−所謂天道是か非か

 史記列傅(1)−伯夷列傅第一−所謂天道是か非か

 太史公司馬遷像

 (旧暦  1月 9日)

 句仏忌  浄土真宗東本願寺23世として明治41年(1908)に法燈を継ぎ、大正12年(1923)伯爵を継いだ大谷光演の昭和18年(1943)の忌日。明治31年(1898)、浅草別院滞在中に句誌「ホトトギス」によって子規を知り、その後、高浜虚子、河東碧梧桐に選評を請うようになる。明治38年(1905)、「ホトトギス」同人達によって創刊された「懸葵(かけあおい)」を引き受け、その後、「懸葵」を主宰した。
        目出度さや 土に親しむ菊若芽
        ねむたさの 花の醍醐や遠蛙


 末世は利を爭ふに、維(た)だ彼は義に奔(はし)り、國を讓(まも)りて餓死す、天下之を稱(たた)う。よって伯夷列傳第一を作る。(太史公自序)

 伯夷と叔齊は、殷の諸侯孤竹君の二人の子でした。父は弟の叔齊に位を譲ろうと思っていましたが、その父が死んだとき、叔齊は位を兄である伯夷に譲ろうとしました。伯夷は、「父上のご命令だ」といって、国を出て行ってしまいました。叔齊もまた位につくのを断り、兄の後を追って国を出て行ってしまったので、国民は次の弟を立てて君主としました。

 その後、伯夷と叔齊は西伯(周の文王)が老人を良くいたわるとの評判を聞いて、そこへ行って落ち着こうと考えました。行ってみると、ちょうど西伯が死んだところでした。周の武王は父の西伯の位牌を車に載せて文王と号し、東の殷の紂王を伐とうとしていました。
 伯夷と叔齊は武王の馬を抑えて、「父死して葬(はうむ)らず、爰(ここ)に干戈(かんくわ)に及ぶは、孝と謂ふべきか。臣を以て君を弑(しい)するは、仁と謂ふべきか」と諫めました。武王の側近のものはこれを殺そうとしましたが、太公望呂尚が、「此れ義人なり」と口添えをして、その場から去らせました。
 武王が殷との戦いに勝利すると、天下は周を宗主国として仰ぐことになりましたが、伯夷と叔齊は武王の行為を恥とし道義的に周の俸禄を受けられないとして、首陽山に隠れ棲んでわらびを摘んで食べていました。
 そして、飢えてまさに死のうとするときに、歌を作りました。

 彼の西山に登り、其の薇(び:わらび)を采る。
 暴を以て暴に易(か)へ、其の非を知らず。
 神農﹑虞﹑夏、忽焉(こつえん)として沒(を)はる。
 我安(いづ)くにか適歸(てきき)せん。
 于嗟(ああ)、徂(ゆ)かん、命(めい)之(こ)れ衰(おとろ)へたり。

 
 ついに、首陽山で餓死してしまいました。

 孔子は、「伯夷、叔齊は、人の行った昔の悪事を心に留めない。それで、人を怨む心が少ないのだ。仁を行おうとして仁を行うことができたのだから、何を怨むことがあろうか。」と言って、伯夷、叔齊に怨みの心がないことを強調しているが、私(太史公:司馬遷)は、伯夷には怨みの心があったと思われる。

 天道は善人に味方するというのは本当であろうか。伯夷や叔齊は、仁を積み行いを潔くすること斯くのようであったのに餓死した。孔子の弟子の顔淵は、ただ一人孔子から好学の士として推薦されていたのに貧乏の内に若死にしてしまった。盗賊の盗蹠(とうせき)は暴虐の限りを尽くしたのに天寿を全うした。

 余甚(はなは)だ惑ふ。儻(ある)いは所謂(いわゆる)天道是か非か。

 そこで私(太史公)は甚だ当惑する。天道というものはいったい正しいのか間違っているのか。ひょっとすると天道は間違っているのではないか。 

 生々しい司馬遷の不遇を嘆く息遣いが伝わってくる一節です。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 21:18│Comments(0)史記列傅
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