2006年01月31日
やまとうた(16)−霞たち このめもはるの雪ふれば
大原三千院 童地蔵
(旧暦 1月 3日)
雪のふりけるをよめる
霞たち このめもはるの雪ふれば 花なきさとも花ぞちりける [古今 9]
(紀貫之)
このめもはるの: 「はる」に(木の芽が)「張る」を掛けている句で、「木の芽もめぐむ、春の…」の意となります。また、「めもはる」には「目も遥」を掛け、「見わたす限り」の意を添えています。
この歌から派生した主な歌には、以下のようなものがあります。
天の下 めぐむ草木の芽も春に 限りも知らぬ御代の末々
(式子内親王)
うちむれて 若菜つむ野の花かたみ このめも春の雪はたまらず
(藤原家隆) [続古今]
霞たち このめ春雨きのふまで ふるのの若菜けさはつみてむ
(藤原定家)
おしなべて 木の芽も春のあさ緑 松にぞ千世の色はこもれる
(九条良経) [新古今]
松の葉の 白きを見れば春日山 木の芽もはるの雪ぞ降りける
(源実朝)
[古今仮名序]
やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。(以下略)
和歌(やまとうた)ちぃ云うもんは、人ん心を源にして、いろんな言葉となったもんですタイ。こん世の中に生きとう人は、いろんなことがありますけん、心ん中で思うことば見るもん聞くもんに託して表現したもんが歌ですタイ。咲いちょう花ん中で啼く鶯や、水ん中に住んじょう河鹿(かわず)ん声ば聞くと、あらゆる生き物でいったいどれが歌を詠まんと言えるとでしょうか。力をも入れんで、天地(あめつち)の神々ば感動させ、目には見えん来世の霊魂までも感動させ、男や女の間をも睦まじくさせ、勇猛な武士ん心までも和やかにさせてくれるとが歌ですタイ。
[古今真名序]
夫和歌者、託其根於心地、発其華於詞林者也。
それ 和歌は、その根を心地に託(つ)け その花を詞林に発(ひら)くものなり。
人之在世、不能無為、思慮易遷、哀楽相変。感生於志、詠形於言。是以逸者其声楽、怨者其吟悲。可以述懐、可以発憤。
人の世にある、無為なること能はず、思慮遷(うつ)り易く、哀楽あひ変る。感は志に生じ、詠は言に形(あらは)る。ここをもって、逸する者はその声楽しく、怨ずる者はその吟悲し。もって述懐すべく、もって憤(いきどほり)を発すべし。
動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌。 (以下略)
天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、人倫を化し、夫婦を和(やはら)ぐること、和歌より宜しきはなし。
延喜5年(905)、第60代醍醐天皇(885〜930、在位897〜930)の命により初の勅撰和歌集として紀貫之(872?〜945)等によって編纂された『古今和歌集』には、漢文による「真名序」と平仮名による「仮名序」の二つがありますが、「仮名序」を執筆したのが紀貫之で、「真名序」を書いたのが文章生、秀才、大学頭、信濃権介などを歴任した従五位上、紀淑望(きのよしもち、?〜919)です。
やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。(以下略)
和歌(やまとうた)ちぃ云うもんは、人ん心を源にして、いろんな言葉となったもんですタイ。こん世の中に生きとう人は、いろんなことがありますけん、心ん中で思うことば見るもん聞くもんに託して表現したもんが歌ですタイ。咲いちょう花ん中で啼く鶯や、水ん中に住んじょう河鹿(かわず)ん声ば聞くと、あらゆる生き物でいったいどれが歌を詠まんと言えるとでしょうか。力をも入れんで、天地(あめつち)の神々ば感動させ、目には見えん来世の霊魂までも感動させ、男や女の間をも睦まじくさせ、勇猛な武士ん心までも和やかにさせてくれるとが歌ですタイ。
[古今真名序]
夫和歌者、託其根於心地、発其華於詞林者也。
それ 和歌は、その根を心地に託(つ)け その花を詞林に発(ひら)くものなり。
人之在世、不能無為、思慮易遷、哀楽相変。感生於志、詠形於言。是以逸者其声楽、怨者其吟悲。可以述懐、可以発憤。
人の世にある、無為なること能はず、思慮遷(うつ)り易く、哀楽あひ変る。感は志に生じ、詠は言に形(あらは)る。ここをもって、逸する者はその声楽しく、怨ずる者はその吟悲し。もって述懐すべく、もって憤(いきどほり)を発すべし。
動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌。 (以下略)
天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、人倫を化し、夫婦を和(やはら)ぐること、和歌より宜しきはなし。
延喜5年(905)、第60代醍醐天皇(885〜930、在位897〜930)の命により初の勅撰和歌集として紀貫之(872?〜945)等によって編纂された『古今和歌集』には、漢文による「真名序」と平仮名による「仮名序」の二つがありますが、「仮名序」を執筆したのが紀貫之で、「真名序」を書いたのが文章生、秀才、大学頭、信濃権介などを歴任した従五位上、紀淑望(きのよしもち、?〜919)です。
やまとうた(30)− 雪のうちに春はきにけりうぐひすの
やまとうた(29)−み吉野の吉野の山の春がすみ
やまとうた(28)ーうれしともひとかたにやはなかめらるる
やまとうた(27)-ゆく春よ しばしとゞまれゆめのくに
やまとうた(26)−野辺見れば なでしこの花咲きにけり
やまとうた(25)-からす羽に かくたまずさの心地して
やまとうた(29)−み吉野の吉野の山の春がすみ
やまとうた(28)ーうれしともひとかたにやはなかめらるる
やまとうた(27)-ゆく春よ しばしとゞまれゆめのくに
やまとうた(26)−野辺見れば なでしこの花咲きにけり
やまとうた(25)-からす羽に かくたまずさの心地して
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