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2005年12月22日

北東アジア(22)−貞観政要(1)

 北東アジア(22)−貞観政要(1)

 唐の第2代皇帝太宗(598〜649)

 (旧暦 11月21日 冬至)

 唐の第2代皇帝太宗(598〜649)が、臣下の房玄齢(578〜648)や杜如晦(585〜630)、魏徴(580〜643)等と共に唐王朝を創業した後、彼らと治国安民の政策についてかわした問答集『貞観政要』は、我が国には、唐朝から伝来した真本と称される鈔本(原本の一部を抜粋したもの)が藤原南家と菅原家に伝承されています。

 もともと、この『貞観政要』は、太宗の没後50年ぐらい後、唐の第6代中宗(在位705〜 710)、第9代玄宗(在位712〜756)時代の史臣呉競(663?〜749)によって、40篇にまとめられました。

 しかし、一般に流布されている刊本(印刷された本)は、元の至順4年(1333)に戈直(かちょく)が校訂注釈をなし、『新唐書』の編纂などで著名な北宋の政治家・学者欧陽脩(1007〜1072)や294巻からなる編年体の歴史書『資治通鑑』などを著した北宋の政治家・学者司馬光(1019〜1086)などの諸家の論説を加えた「戈直本」と呼ばれる集論本が底本になっています。

 現在この原本は存在しませんが、明朝の第9代憲宗成化帝(1447〜1487、在位1464〜1487)が、成化元年(1465)に儒臣に命じてこの「戈直本」を校訂させて覆刻したことにより、この本が広く中国や日本に広まりました。
 貞観政要は、単に政治上の理論を述べたものではなく、太宗皇帝の政治の実践記録でもあり、太宗の思考と実践、臣下の諫言と太宗の許容が具体的に記述されているために後世の為政者の良い参考となり、唐朝の14代憲宗(在位805〜820)、17代文宗(在位826〜840)の愛読書となり、19代宣宗(在位846〜 859)は屏風に書かせて読み、北宋の4代仁宗(在位1022〜1063)、遼の7代興宗(在位1031〜1055)の愛読、金の5代世宗(在位1161〜1189)の刊刻、元の世祖クビライ(在位1271〜1294)の愛読、明の9代憲宗成化帝(在位1464〜1487)の刊刻と14代神宗万暦帝(在位1572〜1620)の愛読、清の6代高宗乾隆帝(在位1735〜1795)の愛読等、歴代王朝に尊崇されました。
 
 我が国でも、寛平9年(897)以前に成立した藤原佐世(すけよ、?〜897)の撰による現存する最古の輸入漢籍の目録で、40部門、1579部、16790巻を収録した「日本国見在書目録」にも記録され、50代桓武天皇(在位781〜806)の治世(800年頃)には渡来していたものと推測されています。

 平安朝においては、菅原家、藤原南家、大江家、清原家などの博士家では、それぞれ家伝の秘本と秘説を奉じて、帝王学の宝典として朝廷に進講されていました。
 また、鎌倉北条氏、室町足利氏、江戸徳川氏など政治の要衝に当たったものは、この書を尊崇して政治の参考に為したばかりではなく、知識階級の必読の書とされ、中世、近世の文学にも少なからぬ影響を与えていたとされています。

 なかでも、源頼朝の妻北条政子(1157〜1225)は、菅原為長(1158〜1246)にこの書の和訳を依頼して愛読し、以来北条氏は代々、『貞観政要』を重んじています。

 さらには僧侶もこれを愛読して法話の中に引用し、曹洞宗の開祖道元(1200〜1253)の『正法眼蔵』および『正法眼蔵随聞記』にも記載され、日蓮大聖人(1222〜1282)は御書の中にもしばしば引用し、自ら全十巻を書写されています。

 徳川家康はとくにこの書を愛好し、文禄2年(1593)には儒学者藤原惺窩(1561〜1619)に進講させ、慶長5年(1600)には、足利学校の第9代庠主(しょうしゅ)三要に命じて、出版させています。

 このように、『貞観政要』は、日本、中国の為政者や知識人等によって必読の書とされましたが、現代では、経営者の必読の書として日経ビジネス人文庫にも収録されています。

 つづく

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 23:15│Comments(0)歴史/北東アジア
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