2005年07月06日
板橋村あれこれ(13)−板谷公園
板谷公園
(旧暦 6月 1日)
サラダ記念日
板橋村の旧加賀藩下屋敷跡の一角に、1600坪を上回る板谷公園があります。
この公園は、大正13年(1924)に2代目宮吉を襲名した海運王板谷宮吉氏の長男真吉氏により、昭和11年(1936)に東京市に寄贈されました。
公園の入り口にはその経緯を示す旧い銘板が残っています。
本園附近一帯ハ石神井流域三合野原ノ一部ニシテ、寛文年中加賀前田候ノ邸地トナリシヨリ金澤ト呼バレ由來近郊ノ閑地タリシカ、昭和十一年五月土地区画整理ニ際シ所有者板谷宮吉氏ハ此地千六百餘坪ヲ公園地トシテ寄付セラレ、乃チ本園ノ完成ヲ見ルニ至レリ
茲ニ開園ニ際シ、園地ノ來由ヲ記シ以テ寄贈者ノ芳志ヲ永ク後世ニ傳フ
昭和十二年四月 東京市
海運王・板谷宮吉氏は、明治26年(1893)英国から購入した2隻の貨物船で海運業に進出しましたが、翌年の日清戦争でその2隻が政府用船になり、また日露戦争では持ち船が軍用船となって戦後に大発展、明治45年(1912)に株式会社「板谷商船」を設立しています。
一方、北海道小樽若竹町、永山、狩太、下徳富、北竜、美瑛に農場を設立し、北海道の増毛、留萌、浜頓別、奈井江、滝川、稚内、砂川や東京の板橋、麹町、大阪にも土地を購入していました。こうした資産をもとに、昭和36年(1961)に宅地建物取引業の資格を取得して、不動産部門も併設しています。
ところで、そもそも東京市とは、明治22年(1889)から昭和18年(1943)まで存在していた市で、明治22年(1889)5月1日、東京府の中心部(東京府内15区)が東京市として発足し、昭和7年(1932)に近隣の82町村を合併して新たに20区を設置して35区となりました。
当初は東京府知事が市長を兼ねる変則的な自治体で、市役所も市職員も置かれませんでしたが、明治31年(1898)10月1日に特例が廃止されて一般の市制が施行され、麹町区有楽町の東京府庁内に市役所が開かれました。
代々の東京市長は錚々たる顔ぶれで、特に2,3代尾崎行雄(1903〜1912)(憲政の神様)、第7代後藤新平(1920〜1923)(初代満鉄総裁)、第9代中村是公(1924〜1926)(2代満鉄総裁)などが有名です。
しかし、昭和18年(1943)、戦時体制構築のため首都行政の効率化・一本化が要求されるようになり、同年7月1日に東京府・東京市が廃止されて東京都が設置されました。
従って帝都東京とは、むかしの東京市を指しているようですね。
ところで、そもそも東京市とは、明治22年(1889)から昭和18年(1943)まで存在していた市で、明治22年(1889)5月1日、東京府の中心部(東京府内15区)が東京市として発足し、昭和7年(1932)に近隣の82町村を合併して新たに20区を設置して35区となりました。
当初は東京府知事が市長を兼ねる変則的な自治体で、市役所も市職員も置かれませんでしたが、明治31年(1898)10月1日に特例が廃止されて一般の市制が施行され、麹町区有楽町の東京府庁内に市役所が開かれました。
代々の東京市長は錚々たる顔ぶれで、特に2,3代尾崎行雄(1903〜1912)(憲政の神様)、第7代後藤新平(1920〜1923)(初代満鉄総裁)、第9代中村是公(1924〜1926)(2代満鉄総裁)などが有名です。
しかし、昭和18年(1943)、戦時体制構築のため首都行政の効率化・一本化が要求されるようになり、同年7月1日に東京府・東京市が廃止されて東京都が設置されました。
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