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2005年05月18日

陶磁器(4)−玫瑰紫花盆(宋代/鈞窯)

 

 玫瑰紫釉葵花式花盆 宋 鈞窯 高15.8cm 口径22.8cm 足径11.5cm

  (旧暦  4月11日)

 汝窯、定窯、官窯、哥窯、鈞窯を宋の五大名窯と云いますが、宋代までの中国の陶磁器は、祭器に用いられる青銅器の形を模し、神秘な霊力を持つと信じられた玉の色を再現しようとする努力によって発展してきたとされています。

 古代中国の文化は「玉(ぎょく)の文化」と云われても差し支えないほど、人々の生活と玉(ぎょく)は密接な繋がりを持っていました。
 玉には、邪を打ち払い、人の道を正し、死をも免れる霊力があるものと信じられ、金銀に勝るものとして尊ばれました。

 ちなみに、中国で尊重された古代の玉は軟玉で、英語ではネフライト(Nephrite)、鉱物的には透閃石(Tremolite)と言われる鉱物です。

 宋代の磁器は、白磁、青磁といった単色釉が多いのですが、それは玉の色の再現が求められたためで、上記五つの窯のうち鈞窯だけは例外で、窯変(花釉)による発色が貴ばれました。
 宋の鈞窯は、当初、河南省禹県八卦洞・鈞台鎮(兎州市)に設けられていました。鈞(官)窯は北宋第8代徽宋皇帝(在位1100〜 1125)の趣味であった鉢植えのための専用窯で、年間36セットの植木鉢と、水盤などしか作らず、皿や碗などはいっさい作っていなかったようです。

 窯変とは、釉薬の中に鉄、銅などの不純物が混入していたために、焼成の途中で予想しなかった色が発色することを云います。
 窯の中の偶然の変化により釉面現れた種々の美しい自然の文様を、日本の茶人は曜変(ようへん)・油滴(ゆてき)・禾目(のぎめ)などと呼んで特に珍重しています。

 しかし、玉の色の再現を求めた中国では窯変は陶工の恥として、窯をあけると同時に人目につかないように叩き割ったと云われます。
 当然ながら朝廷に納めるようなことはあり得ませんでしたが、この鈞窯の窯変だけは宋の徽宋皇帝も愛用したようです。

 鈞窯の特徴である澱青釉、紫紅釉の発色は青磁釉に比べて硅酸、酸化アルミニュームの含有量が多く、それに銅、鉄、コバルト呈色による融合が炎の芸術として鈞窯独特の変化の激しい釉調を醸し出しています。

 最初酸化炎で十分酸素を入れて800度くらいまで焼き、その後酸素を絶って還元炎で1300度くらいまで焼くことにより、銅や鉄が発色し、釉薬の珪酸が沸騰して霧のような模様が生まれるそうです。

 この技術は次第に広がり、元代には、河北、山西、浙江省などでも焼かれるようになりましたが、明代には衰退し、清代になって第5代皇帝雍正帝(在位1722〜1735)の指示により、現地調査の上、景徳鎮で1年半を費やして香炉や花盆が復元されました。

 玫瑰紫(まいかいし)花盆(玫瑰=薔薇)は、鈞窯の窯変のひとつです。

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Posted by 嘉穂のフーケモン at 15:24│Comments(0)陶磁器
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